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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第3章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第3章5) 騎馬帝国

 ウマの話には、まず、アフリカの騎馬帝国の盛衰史を知っておいていただくと、イメージ・アップがしやすい。アフリカの中世帝国について書いた本は何冊かあるので、興味のある方はぜひ直接当っていただきたい。ここでは、簡単な紹介にとどめる。

 なぜ中世帝国の話になるかというと、ウマとか騎馬民族とかについては、モンゴルその他の内陸ユーラシア帝国の印象が、強烈すぎるほど、わたしたち日本人の脳裏にやきつけられているからである。しかし、アフリカにも強力な騎馬隊を待つ中世帝国がたくさんあった。サラセン帝国も、もちろん、アフリカに根拠地を置いていたのだが、そのほかにも無数にあった。

 日本でいえば、秀吉の小田原城攻めの前年に当る1589年、モロッコ軍が現在のマリを中心に栄えていたガオ帝国に侵入した。それを迎え撃ったガオ軍について、イギリス人のマーガレット・シーニ-は、「騎兵1万8000、歩兵9000名の軍勢」(『古代アフリカ王国』、p.87)、と書いている。しかし、これに対するモロッコ軍は、4000挺の鉄砲をもっていた。ガオ帝国軍は敗れ、以来、西アフリカ諸国は乱世に突入した。

 これより少し前、1505年に、西アフリカ経由でインドまでの航海をしたポルトガル人は、現在のセネガルに勢威を振っていたジョロフ王国について、こう書いた。 「ジョロフの王は1万の騎兵と10万の歩兵を戦野に送る力あり」(『アフリカの過去」、p.160)

 以上、イメージ・アップのために、騎兵の数字があげられているものだけを引用した。しかし、この他にも沢山の記録がある。それらによれば、騎馬武者たちは、銅製のカブトをかぶり、鉄の鎖カタビラ、木綿の刺し子のヨロイを着用していた。当時の西アフリカは、商工業の中心地であり、サラセン帝国にむけて、染色された木綿布や金属製品を輸出していた。そして、現在も各地に、はなやかな色どりの装束を身につけ、長剣をたばさみ、馬にのって住来する貴族の末裔が残っている。

 これらの騎馬武者たちは、一体いつから現われたのであろうか。まず2世紀初頭のガーナ帝国(現在のガーナではなく、モーリタニアからマリのあたりを中心にしていた)には、アラブ人の記録によれば、20万人の戦士がおり、そのうち4万人以上が弓隊であった。騎兵の数は不明だが、皇帝が謁見する大天幕のまわりには、金の布で装った馬が立ち並んでいたと記されている。ガーナ帝国の起源は、3世紀ごろとされており、日本の大和朝廷のはじまりよりも古い。そして、つぎの証拠からして、最初から騎兵、もしくはウマに引かせる二輪戦車隊の編成があったにちがいない。これまた、サハラ先史美術の証言である。

 サハラには、無数のウマの絵があった。疾駆するウマ、ウマに引かれる二輪戦車、戦車を駆る男たち。しかも、それらの絵の分布地点をつないでみると、見事なサハラ縦断ルートがあぶりだされてきた。このルートは、現在のマリ、かつてのガーナ帝国の故地からサハラの中心に至り、そこから二手にわかれてアフリカ大陸の北海岸に達していた。

 紀元前5世紀、ヘロドトスは、このサハラ縦断ルートの中心付近に首都をおくガラマント王国の存在を記録にとどめた。ガラマント王国には、ヒツジが沢山おり、ナツメヤシが栽培されていた。そのころのサハラは、まだ完全には乾き切っていなかった。そして、ガラマント王国の戦士は、二輪戦車を駆使していた。彼らは、カルタゴと同盟を結び、ハンニバルとともにイベリア半島にわたり、ピレネーをこえ、アルプスをこえてイタリア半島を南下し、ローマへと進撃した。

 では、ガラマント人が、サハラでウマを飼いならしたのだろうか。彼らは、6000頭もの家畜ウシを描いた牧人の後裔であろうか。

 しかし、その証拠は全くない。家畜ウマの絵は、突加として現われているかのようである。ある学者は、この絵に、紀元前1500年頃という年代をあたえている。だが、これも推定でしかない。牧人の絵にはウマは登場しておらず、全く、つながりが断たれている。では、サハラに野生ウマはいなかったかというと、やはりこれもいた。狩猟動物を描いた中に、「種類不詳の馬」(『タッシリ遺跡』、p.233)があった。狩猟民の絵だから、当然、野生ウマである。現存のウマとのつながりがよくわからないにしても、野生のウマはたしかに、サハラにいた。その上、現在のモーリタニア、つまり、かつてのガーナ帝国の故地の周辺から、新しい証拠もでてきた。

 川田順造によれば、「モーリタニア馬という名で学者がひとまとめにしている、体形のかなりまちまちな一群の馬がいて、やがて絶滅したらしい」(『マグリブ紀行』、p.79)。

 どうして体形が「まちまち」だったのだろうか。いろいろな種類の野生ウマがいたのだろうか。それとも、家畜ウマの品種改良の歴史を、暗示しているのだろうか。

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