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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第1章1

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第1章1) ネグロイド

 シュレ=カナールは最近の急速な研究の前進を紹介し、つぎのように要約している。

 「人間の進化のすべての段階が、それに対応する石器の進化のすべての段階とともに、とぎれることなく、年代的に連続してあらわれているところは、世界広しといえどもアフリカ以外にはない」(『黒アフリカ史』、p.60)

 アフリカの人類学、先史考古学は、ヨーロッパ、アジアのそれにくらべれば、非常におくれていた。しかも、アフリカの気候、土壌の性質は、化石保存や、考古学的年代決定の上では、最も不利な条件にある。有機成分も無機成分も、非常に分解が早く、安定した地層形成を欠いている。

 しかし、そのような悪条件にもかかわらず、ここ10数年でも、相当な研究の進展がみられ、シュレ=カナールのような発言が可能になった。この傾向は強化される一方であろう。つい最近の新発見も、新聞に報道されており、ますます逆転の心配はなくなった。

 しかしわたしは、オーストラロピテクス(アフリカ南方の直立猿人または前人類)などの初期人類については、省略する。その後についても、ピテカントロプス(原人類)、ネアンデルタール人(旧人類)、ホモ・サピエンス(現生人類)という、単純な順序にとどめたい。

 さて、学者たちは漠然と「人類の進化」と表現している。ところが、「アフリカは人類そのものの源郷」と認めながらも、ホモ・サピエンスそのものの発生経過について、大変に奇妙な主張を押し通している。これが第1の問題点である。

 どこが奇妙かというと、基本的には、ヨーロッパ人の「純粋性」を守り通したいという願望につきる。この願望の表われは、学説史の経過をたどることによって、はっきりしてくる。

 まず最初に、人間は猿とは別系統で、神様がつくったと考えられた。もちろんこれは全然問題にならない。

 ずっとくだって、ネアンデルタール人とクロマニヨン人(フランスで発掘されたホモ・サピエンスの1種)とは、これまた別系統だと考えられた。それどころか、北西ヨーロッパには早くから大脳が発達した優秀人種がいたとさえ主張された。この風潮に悪乗りしたのが、ピルトダウン人の偽造である。

 ピルトダウンとは、イギリスのある地方のよび名である。ここで、本職は法律家のアマチュア考古学者が、現代人の頭骨に、ヤスリで加工した類人猿のアゴの骨、石器などの道具類をまぜて、古い地層から掘りだしたという発表をした。学界はこの「発見」を受け入れた。ピルトダウン人の偽造は、1909年にはじまり、1947年まで通用した。フッ素法という化学的な調査方法で、偽造が見破られた。

 しかし、ピルトダウン人の偽造をやすやすと受け入れた「学会」は、その一方で、南アフリカで発見されたオーストラロピテクスを、数10年にわたって拒否しつづけた。ここにも、アフリカ大陸の歴史を考える上で、典型的な現象がみられる。

 さて、ピルトダウン人の偽造は、フッ素法とか、カーボン14の放射能法とかで、完全に見破られた。また、各地での発掘がすすむと、ネアンデルタール人とクロマニヨン型のホモ・サピエンスとの、中間の型、すなわち、混血種もしくは、変異中の人類がいたこともわかってきた。この点でも、話がかわってこざるをえない。

 一方、ヨーロッパ系の学者たちは、クロマニヨン人がヨーロッパ大陸で発生し、世界中にホモ・サピエンスの系統をひろめたと主張してきた。ところが、アジアからもアフリカからも、同時代のホモ・サピエンスの遺骨が発掘されはじめた。これで従来の仮説はくずれてしまった。

 そこでまた新しい仮説が登場する。まずオリエントあたりで、最初のホモ・サピエンスがネアンデルタール人の中から生れた。そして、ヨーロッパでは白色人型、アジアでは黄色人型、アフリカでは黒色人型に発展したというのである。これを、3大人種系株説とよんでおく。

 この説の変形には、各地のネアンデルタール人から、別々に3大人種が発生したと説明するのもある。いずれにしても、3大人種のそれぞれに、「純粋種」があるという考え方に立っている。ヨーロッパ系の学者は、一歩ゆずった形で、やはり、白色人の「純粋性」を守りぬいたわけである。

 ところが最近の発見は、この3大人種系株説をも、大きくゆるがした。

 まず、ホモ・サピエンス発生の年代が、大幅にくりあげられた。カーボン14のテストで、年代が確定された人骨には、つぎのような例がある。ソ連の人類学者、レシュトフの著作からぬきだしてみよう。

 北イラクの「シャニダルでは、約6~6.4万年の年代の地層から、サピエンス的特徴がはっきりあらわれているネアンデルタール人の頭骨」(『人類の起源』、p.362)が出土した。アフリカでも、相当古い時期のホモ・サピエンスの人骨が沢山でてきた。そして、「これらの出土品のうちでもっとも古く、放射性炭素法で4万年以上の年代をもつとされる……《南アフリカの》フロリスバードの頭骨は、オーストラロイド・ネグロイド型のヒトに属している」。

 オーストラロイドとは、オーストラリア大陸の原住黒色人型の意味である。黒色人型と同じと考えてよい。

 ところで、ユ・ゲ・レシュトフは、初期ホモ・サピエンスについての、最近のあらゆるデータをとりあげている。そして、「これらはすべて、多かれ少なかれ、はっきりしたオーストラロイド・ネグロイド的特徴をもっている。また、それ以外にはありえなかった」と断言している。

 さて、3大人種系株説によれば、黒色人型のいわゆるネグロイド系株と白色人型のコーカソイドと黄色人型のモンゴロイドとは、別々に発生していなくてはならない。それぞれが純枠なはずであった。ところが、中国亜大陸で発見された初期ホモ・サピエンスの遺骨は、「すべて、原始的なモンゴロイドの特徴をもったオーストラロイド・ネグロイド型に属している」。レシュトフは、この現象を、初期ホモ・サピエンスと、原住ネアンデルタ-ル人との混血によって説明している。すなわち、オーストラロイド・ネグロイド型のホモ・サピエンスと、モンゴロイドの特徴をもったネアンデルタール人の混血の結果が、中国大陸に現われているということになる。

 さらに、レシュトフは、ナイル河上流地帯からサハラをぬけ、ジブラルタル陸橋(当時はつながっていた)を北上した初期ホモ・サピエンスと、ヨーロッパ型のネアンデルタール人の混血を推定している。そして、こう書いている。

 「クロマニヨン人には、ネアンデルタール的特徴をすくなからず指摘することができる。現代型のヒトは、マグリブから、ジブラルタル陸橋を通って南から西ヨーロッパへ入り込んだのかもしれない。さまざまな研究者たちが、オーリニャック文化のなかにアフリカ的な特徴をみていることは、この推測をいつそう有力なものにしている」(同前、p.367)

 初期ホモ・サピエンスの遺骨の出土は、これからもますます大規模につづくであろう。しかし、現在までの発見を、素直に解釈すれば、アフリカ大陸の何処かで、オーストラロイド・ネグロイド型のヒトが生れ、各地のネアンデルタール人と混血しながらひろがっていったという仮説しかでてこないはずだ。

 もちろん、オーストラロイド・ネグロイド型のホモ・サピエンスの起源を、現在の分布から類推して、ニューギニアや、南インドに求めることもできよう。ただし、オーストラロイドの語源となっているオーストラリア大陸への人類の上陸は、いまのところ、紀元前1万4000年頃までしか証明されていないから、この地帯に設定することは不可能である。

 さらに、アフリカのローデシア型のネアンデルタール人と、ネグロイド形質との関連が論じられてもいる。以上のことからすれば、初期ホモ・サピエンスの起源について、アフリカ大陸が、最も高い可能性を持っていることは否定できないだろう。

 3大人種系株説なるものは、実際の発見に照らして考えるなら、ヨーロッパ型ホモ・サピエンス単元説の名残りでしかない。セネガル人のディオプは、以上の諸発見が相ついだのちの1963年に、パリで、ある高名な学者が、つぎのようにのベるのを聞いたと、皮肉な調子で紹介している。

 「ネグルとブロン《白色人》とジョウヌ《黄色人》との間の人種形質の相違は、あまりにも大きいから、4万年さかのぼってみたところで、あとの2者が、原始的ネグロイド形質のものからの亜種としてつくられたと想像するのは、馬鹿げている。そのころには、3つの人種は当然、はっきりしたそれぞれの性格をもって、この地上に存在していたにちがいない。考古学はいつの日にか、最初のオーリニャック期のネグロイドと同じように古い、ブロンの化石人骨を発見すろであろう」(『黒色人文明の先行性』、p.15-16)

 要するに、考古学上の証拠は、この「高名な学者」の希望を逆転する方向に積み重ねられているのである。かつては、クロマニヨン人の化石のみをもとにして、ホモ・サピエンスのヨーロッパ起源を主張し、ピルトダウン人の偽造まで行ったヨーロッパ流人類学は、ここまでの破綻を示している。

 ヨーロッパ大陸の考古学的発掘は、最も進んでおり、可能性のあるところは掘りつくされている。いまこそはっきりと、アフリカ大陸の後塵を拝ぎ続けてきた事実を、素直に認めるべきである。

 ではなぜ、アフリカ大陸が人類形成に先んじたのであろうか。それには、自然環境の説明が必要になってくる。

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