『亜空間通信』973号(2005/02/20) 阿修羅投稿を再録

ホロコースト狂信者が私にドイツ語の基礎知識無しと罵る下品な揚げ足取りへの批判の旧稿を抜粋

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『亜空間通信』973号(2005/02/20)
【ホロコースト狂信者が私にドイツ語の基礎知識無しと罵る下品な揚げ足取りへの批判の旧稿を抜粋】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 今年の1月は、アウシュヴィッツ収容所にソ連軍が到着してから、60年目である。解放と呼ぶ者も、占領と呼ぶ者もいるが、ともかく60周年記念の年なので、ホロコースト狂信者は、大騒ぎした。

 私は、今から数えれば、11年前の1994年の末に、現地を訪れた。メイン・キャンプとも呼ばれる方の「ガス室」と称されている部屋も見たし、撮影もしてきた。

 もちろん、事前の予備知識があったのだが、一見しただけで、「ガス室の大嘘」は明瞭だった。実に狭い部屋で、何万人も殺せる余地はなく、まったくその機能は備わっていないのである。木造の扉、ガラス窓、上部に吹き抜けの煙突、下水口、どれを取っても、密閉性がない

 戦争中には防空壕として使われていたという説明には、異論を唱える者はいない。収容できる人員は、せいぜい十人である。

 この有様を含むヴィデオ作品は、以下で頒布している。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/
http://www.jca.apc.org/~altmedka/hanbai.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/hanbai-vtr.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/hanbai-vtr.html#gas

『ガス室検証』
(フリージャーナル/1995年/VHS 21分/頒価2000円)

ユダヤ人のデヴィッド・コールが現地取材の映像で解明する「ガス室の嘘」。「現存」するアウシュヴィッツ、マイダネクの「ガス室」の矛盾だらけの実態。

『マルコポーロ』廃刊事件の直後、1995年2月のコール来日記者会見用に木村愛二が急遽作成。

アメリカでの報道状況も即座に分かる日本語解説入りの小集会向け短縮版。

 それなのに、なぜ、ホロコースト狂信者が、いつまでも、わが投稿に「いぎたない」罵声を浴びせ掛けるのか。

 メイン・キャンプの「ガス室」の有様は、翌年の1995年に発表した拙著、『アウシュヴィッツの争点』にも記した。

 「ガス室が嘘」、つまりは、極右イスラエル国家の「死に神様」として祀られている「ホロコーストは大嘘」であることは、別にドイツ語の知識が無くても、簡単に分かるのである。

 ところが、私は、『アウシュヴィッツの争点』の発表直後に、あるドイツ人から直接のファックスで、「ドイツ語とイディッシュ語(ドイツ語が混ざっている東欧ユダヤ人、実は元カザール人の言語)が読めるのか」という脅しを受けた。「脅し」と表現するのは、ファックス以前に、そのドイツ人が拙著、『アウシュヴィッツの争点』の版元、リベルタ出版に行き、一人社長に対して、もの凄い勢いで抗議したという事実があるからである。

 そのドイツ人には、その後、東京経済大学の集会で直接会ったが、実に横柄な、ハリウッド映画で馬鹿にされる鈍重なナチ将校のような奴だった。私は、ドイツ人に掛けられた冤罪を晴らす努力をしているのに、ドイツ人から文句を言われるのは、まったく不本意、筋違いなのである。

 日本も、その亜流がいるのである。このドイツ人と同様に、日本のホロコースト狂信者は、私への攻撃に、ドイツ語に関する揚げ足取りをするが、本命の問題、ホロコーストの実在、ガス室の実在に関しては、何らの論拠も示さないのである。要するに、真偽の論争を避け、恐れているのである。

 本通信は、コピペ専門のネット・ホロコースト・ストーカーのあまりにも「いぎたない」揚げ足取りコピペ投稿に、私が反論しないと心配している有志が非常に多いであろうから、やむなく、非常に長い旧稿を抜粋して紹介するものである。私は、ドイツ語の授業にはほとんど出なかったし、ドイツ語を正確に覚える気もないから、ささいな間違いを犯しても、何ら恥じることはないのである。

 最初に断って置くが、この通信は、これでも非常に長いのである。論理展開が分からなくなるといけないので、これ以上は短くできないのである。

 ドイツ語の知識云々に関しては、語尾の小文字のsの解釈の問題に限るが、当時は、インターネットのメーリングリスト上での議論だから、印刷物として発表する場合とは違って、あまり詳しく調べてはいなかった。ドイツ語を仕事上知っている医師の西岡昌紀に、電話で聞いただけで、気軽に記したのを、まさに、針小棒大、大袈裟に揚げ足取りした実に下品な東京経済際学助教授(当時、その後、教授になったらしい)の肩書きの山崎カヲルが、得たりや応と揚げ足を取り、その文章を、いまだに繰り返しコピペ投稿する下品な奴がいるのである。なお、私は、このことで、西岡昌紀を批判したり、責任を問うようなことは、一度もしていない。今回、あまりにもしつこい攻撃を受けているので、やむなく、事情を明かしているだけのことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-11.html
連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態
(その11)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

[中略]

「山崎カヲル」こと、東京経済大学教授(異文化コミュニケーション専攻。本名は馨。本稿末尾に注1.)が、amlメーリングリストでの私の「ガス室」関連発言を封じようとして、決闘の場を京都は四条河原ならぬ aml-stoveに指定し、「論争」を挑んできた。当方には彼について、陰湿な口喧嘩マニアとの世評の持ち合わせがあったので、直ちに拒否した。山崎カヲルは、結局のところ、自らをaml-stoveという狭い井戸の中に閉じ籠めてしまい、まさに自縄自縛、壁に向かって罵倒を続けるという漫画そこ退けの状態に陥った。当方にも配達された一部mailによると、しきりに私の「ドイツ語能力」を嘲っているようだが、笑止千万である。そうまでして大学暮らしを鼻に掛け、自分の学を誇りたいのなら、後生大事のネタ本にしているドイツ語の本を、自分で訳してみるがいい。

 私の方は、自慢じゃないが、大学ではドイツ語を「第3外国語」で受講登録したものの、授業に出たこともなく、社会人になってからも、リートの物真似と『資本論』の珍妙な日本語訳を判読する目的以外には、ドイツ語は愚か、英語すらほとんど必要のない年月を、ああ、数えてみれば、なんと、27年半も過ごし、フリーのものかきに転じてから初めて、教授、様、様、その他、文化人商売のお方々の余りのお粗末さに呆れ果て、今では仕方なしに、シャンソンしか覚えていなかったフランス語の本を訳したりしている。

 [中略]

 過大も過大の「処理能力」計算を「ガス室による大量殺人」の根拠とする説は、実に奇妙な矛盾に直面するのである。これもすでに紹介済みのニュルンベルグ裁判の証拠番号、NO-4473.の建設作業報告書では、火葬の焼き窯は順調に稼働しており、死体置場は型枠が外せず(つまり使用不可能)、代わりにVergasungkellerを使っているのである。プレサック説では、死体置場の1つが「ガス室」なのであり、ニュルンベルグ裁判では、Vergasungkellerの方が「ガス室」だったのだが、これが死体置場の代わりに使われているのであれば、「ガス室」としては使用不可能となり、当然のことながら、「ガス室殺人」は不可能となる。たとえ桁外れの「処理能力」があったとしても、肝心要の「ユダヤ人絶滅のための大量殺人工場」としての「ガス室」による何千という死体の山は、いったい全体、どこから運ばれてくるのであろうか。

[中略]

 技術用語にこだわって火葬炉の「気化穴」説を立てていたアメリカの工学博士、バッツが、私と似たようなことを言い出したらしいという「最新の耳情報」を紹介した。バッツの新しい解釈は、設計図にはLeichenkellerが2つ記されているだけで、「Vergasungkellerと記された場所はない」という点に着目したもののようである。

[中略]

 私は、戦争中ではなくとも死者の衣服の再利用は珍しくないことだから、火葬場のすぐ側に、その衣服の虱退治のための小部屋があったのかもしれないと考える。前々回の(Vergasung編)で述べたように、Vergasungの意味で唯一明確に説明できる書証があるのは、殺虫剤チクロンBの使用説明書だけである。そのVergasungの意味は、チクロンBが発生する青酸ガスで「害虫を殺す」ことである。そこからのVergasungkellerの一番自然な解釈は、殺虫室、または、消毒室である。

[中略]

 では、その殺虫室、または、消毒室は、どこにあったのかというと、私の手元には、そういう場合には非常に便利な『ボール報告』(The Ball Report)がある。副題は、とても長い。

「明るみに出たアウシュヴィッツ! 第二次世界大戦中の航空写真から描いた集中収容所」(Auschwitz exposed! Concentration camps drawn from W W II air photos)である。

 私が持っているのは、32頁の無料パンフレットで、116頁の本『航空写真の証言』(Air Photo Evidence)の宣伝として届いたものであるが、これにも、戦後30年以上も過ぎた1979年になってからCIAが公開した航空写真に、詳しい解説付きの手書き図面が添えられている。この場合も、探すとすぐに、上記NO-4473.報告書の「第2棟」と収容所の入り口の中間の位置に、殺虫室、または、消毒室(日本式の表記を考えると「青酸ガス燻蒸室」なので、以下ではそう記す)を含む大きな建物があるのが分かった。

 ところが、これだけの詳しい材料が揃っていることからも想像できるように、私の最新の着眼は、まるで「新発見」でも何でもなかったのである。改めて調べ直してみたら、実は、すでに4年以上も前に、そのことを示唆する文章まで読んでいたのだった。頭の中の記憶こそなかったが、頁の欄外に鉛筆のメモが残っているから、間違いはない。

 1994年秋、思えば『マルコポーロ』廃刊事件が翌年春に起ころうなどとは夢にも思わず、料金が一番安い大韓航空のそのまた1番安い期限付き団体往復券1枚を、これまた手数料の1番安い旧知のNGO支援ヴォランティア個人営業旅行代理人に頼んで入手し、その飛行機の狭い座席で時差ぼけの予感に怯えながら読んだ本に、その文章が載っていたのだった。私が、そのメモまでした箇所の記述を忘れていたのは、おそらく、当時の私の関心が、その同じ年の年末に予定していたアウシュヴィッツなどの「実存」と称されている「大量殺人用ガス室」の構造に集中していたからであろう。その時期には、言葉だけで実物がないものへの関心は低かったのである。しかも、その本の文脈を、「青酸ガス燻蒸室」よりも、「大量殺人用ガス室」に直結しているように読んでしまったらしいのである。

 本の名は、すでに紹介済み、拙訳題では『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』、著者は元ドイツ空軍アウシュヴィッツ防衛部隊勤務の経験がある元司法官、ヴィルヘルム・シュテークリッヒである。シュテークリッヒは、この本と同主旨の発言を理由として司法官の資格を剥奪されている。ドイツ語の初版には1973年という記録もあるが、1979年に発売直後に禁止となり没収されたともある。私が持っているのは、1990年版の英語訳で、かなりの改訂増補部分があるようだ。重要な部分にはドイツ語の原文が併記されている。

 シュテークリッヒは、上記のバッツの「気化穴」説を紹介した後に、つぎのように記していた。

「もう一つの、もっともらしい説明は、この部屋が、すべての集中収容所で通常業務となっていた衣類その他の身の回りの持ち物の燻蒸を目的としていたというものである。この目的で使用された青酸ガス燻蒸の特許薬品チクロンBは、『ユダヤ人の絶滅』のためにも同様に使用されたと推測されていた」(p.47)

(Another plausible explanation is that this room was intended for the fumigation of clothig and other personal effects, a common practice in all concentration camps. The proprietary hydrocyanic Zyklon B used for this purpose is supposed to have been used for the“extermination of the Jews”as well.)

 この部分を最初に読んだ時の私は、本連載で記したチクロンBの説明書の英語訳では「虱退治」(delousing)となっていた用語が、ドイツ語の原文では「ガス燻蒸」(以後、これをVergasungの訳語とする)だったことを知らなかった。シュテークリッヒも、ここでは、このキーワードにドイツ語の説明書の用語を対照していなかった。

 シュテークリッヒは、さらに、私が先にドイツ語原文を示して、hierfurの「その代わり」の意味を指摘して、LeichenkellerとVergasungkellerとは別の部屋だと主張した点についても、ドイツ人だから当然と言えば当然のことながら、同じ頁で、いとも簡単に「2つの別の物」(two different things)としている。

 こうなってくると、もう一度、日本語版『アウシュヴィッツとアウシヴィッツの嘘』の訳文の「曲訳」を強調しないわけにはいかない。以下、簡略化して繰り返す。

 NO-4473.の該当部分の「訳文」を一行だけ繰り返すと、以下のようである。

「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」

 原文を示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.

 ニュルンベルグ裁判の書証として提出された英語訳をも示すと、つぎのようである。

 The planks from the concrete ceiling of the cellar used as a mortuary could not yet be removed on account of the frost. This is , however, not very important, as the gas chamber can be used for that purpose.

 以上の文中の、「その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである(da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.)」という部分からの、死体置場の「目的のために」、または「代わりに」「代用として使える」という意味の欠落は、この際、誤訳では済まされない。曲訳である。

[中略]


「山崎カヲル」
[aml 11378] ホロコースト否定派の語学能力
From: ykaoru@tku.ac.jp (KaoruYamasaki)
Date: Mon, 8 Mar 1999 10:31:36

[中略]

 日本のホロコースト否定派が、どれほどいいかげんな知識ででたらめを振りまいているかを、ご確認いただけると思います。

  Aml-stoveへの投稿ではなく、私のWebサイトに貼ったほう(http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/German.html)を使います。

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 ホロコーストの存在を否定するという、きわめて重い作業をするためには、一応基本的な資料にあたれるだけのドイツ語の能力が要求されます。否定派のフォリソンやウィーバーも、ドイツ語が読めますが、それがあたりまえです。

 私は木村愛二さんのドイツ語の力を知りませんでした。そうすらすらとは読めないだろうが、まるでだめというわけでもないだろう、と思っていました。

 甘かった!

 この人はドイツ語の初級文法のはじめのほうさえ知らないのです!

 木村さんは自分のページ(http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/glo-99-2.html)で

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung nochnicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkellerhierfur benutzt werden kann.

 というドイツ語の文章を引用しています(ホームページのリンクの貼り方が無茶苦茶なので、通常の方法で探ると、なかなかここに到達できません)。

 そしてこういいます。

「もう一つの、キーワードというよりもキー文字は、たったの1つの小文字の「s」だった。上記の「代用」論とともに決定的な重要性を秘めていそうなのは、日本人が見逃しがちな「複数」と「単数」の違いである。上記のように、英語訳の方では、the cellar used as a mortuaryと、明白に単数の扱いになっている部分が、ドイツ語の原文では、Leichenkellersと、複数になっているのである。」

 複数!

 さらにこうもいわれます。

「つまり、私には、Leichenkeller と設計図に記された部屋が2つあるという予備知識があった。プレサックの原著には、設計図の写真も入っていた。だから、上記のドイツ語原文と、英語の訳文を、ワープロで入力する際の作業で、いやでも気付いた「s」1文字の刺激が、それらの予備知識と衝突して発火したのである。

 プレサックは、2つある「死体置場(Leichenkellers)[複数]」の内の1つが「殺人用ガス室」だと主張している。しかし、上記の報告書の時点では、その複数について、同じように、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」と記しているのである。そうすると、Vergasungkeller[単数]は、何だと言うのであろうか。」

 お判りのように、まったく複数であると思い込んでいます。

 いまさら注意することさえばかげていますが、Leichenkellersについているsは、複数のしるしではありません。

 ドイツ語の名詞は強変化(若干の例外があります)や混合変化において、単数2格(属格とか所有格ともいって「~の」の意味です)で名詞の末尾にsをつけます。例えば、おじさん(der Onkel)の単数2格は「おじさんの」(des Onkels)となります。このsを見て、「おじさん」は複数だといったら、「ドイツ語初級」の単位はもらえません。

 第一、des Leichenkellersとあります。Leichenkellerは男性名詞なので、単数2格の定冠詞は当然そのようにdesになります(複数だったらderですが、この場合名詞にsはつきません)。

 文中のDie Eisenbetondecke des Leichenkellersは、「Leichenkeller[単数]の鉄筋コンクリート製の天井」と訳すのです。

 要するに、ドイツ語を学ぶ学生なら、初級の1学期目でならうことを、木村さんは判っていません。こんな知識でドイツ語原文を引用して、論争相手を脅かそうというのですから、冗談ではありません。

 とにかく、木村さんのドイツ語能力はよく判りました。

 ありもしない「予備知識」をこれ以上「発火」させて大恥をかかないよう、ドイツ語の引用など、これからは絶対に止めましょう。

 そして、ご自身がドイツ語の資料に直接にあたって議論を立てる能力がまったくないことを、明言してください。


[aml 11387] 「ガス室」ドイツ語個人教授に御礼
Sent: 99.3.9 11:07 AM
From: 木村愛二

 木村愛二です。

 これは、またまた、山崎カヲル教授、様、様、におかれましては、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』のご愛読を頂くばかりでなく、aml-stoveよりamlへと、仇敵、中宮さんの非難をも、ご覚悟の上での、ご無理な、ご出張、個人ご教授を頂き、珍謝に堪えません。

 私奴のような、学生時代にはドイツ語の落第生どころか、かすかな記憶では最初だけ授業に出席して麻雀仲間と出会ってしまい、「デル、デス、デム、デン」だから「出ん」などと、単位は放棄した程度の不真面目極まる愚才に、かくも深き、ご愛情を、お注ぎ頂くのは、果たして、なにゆえであろうかと、何も御礼の用意もないままに、ただただ、ひたすら、ご貴重な、お時間の、お無駄を、お案じ申し上げております。

 さて、ドイツ語の複数にかんするご知識のほどを伺い、こりゃ少し失敗したかな、とは思いますが、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』の下記連載記事(その9-10)を御覧頂けば明瞭なように、語尾のsが複数か単数かには深い意味はなく、むしろ、どうでもいいのであって、それをも1つの脳髄への刺激として、「ガス室」妄想患者のネタ本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の重要な曲訳に気付いたことの方に重点があるのです。このデタラメ本の訳者代表も、それこそ「ドイツ現代史」を専門とする東京大学教養学部助教授、様、様、なのです。

 なお、山崎教授、様、様、によるご罵倒、および、わがドイツ語能力への誠に以て有り難き叱咤激励に関しては、下記のごとく、999.3.12.発行予定の冒頭に、「同時進行版」型の記述を準備していたところでした。お陰様で早期予告の口実を得ましたので、その点にも重ねて、珍謝申し上げます。

(以下、上記引用の冒頭部分)
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『シオニスト『ガス室』謀略周辺事態』(その11)
『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

 この間、インターネットで若干の「ガス室」関連情報が飛び交った。「同時進行版」の意味では、ここでも、最新のE-mail情報に接している読者向けに、いささかは最新の打ち返しをしないわけにはいかない。

[中略]


http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-12.html
連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態
(その12)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(換気扇編1)
1999.3.22.一部ミスプリ訂正。

 これまで3回にわたって、『ガス室』妄想ネタ本『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「ガス室」に関する記述のカラクリを追及してきた。それでもなお語り切れないのであるが、それは、ひとえに、この「ガス室」こそが、拙著『アウシュヴィッツの争点』では「核心的争点」と表現したように、中心的かつ複雑な問題点だからである。

 そこで、いくつかの問題点については、また再び項目を立てて論ずることにして、「ガス室」の構造に関わる問題点の一つ、換気扇についてだけ、簡略に片付けて置きたい。これだけでも2回は必要となる。事実そのものは簡単なのだが、それほどに作られた嘘の数が多いのである。

 さて、デタラメ本の典型『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の冒頭に配された「編著者まえがき」(p.7)は、つぎの文句で始まっている。

 雑誌『マルコポーロ』1995年2月号に掲載された「戦後世界最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」という記事をご存じだろうか。

 ところが、すでに指摘したように、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中の原著の部分は、100頁そこそこのパンフレット程度でもあるし、上記『マルコポーロ』記事で提出されていた数々の疑問には、ほとんど答え切れない内容のシロモノだった。その一つが、「ガス室」の「換気扇」の問題である。そこで、「編著者代表」と名乗る石田勇治が、でしゃばって、「日本版〈アウシュヴィッツの嘘〉」(p.141-152)と題する再録雑誌記事の中で、つぎのように(p.146-147)補っている。

 アウシュヴィッツに展示されるガス室は「処刑用ガス室に必要な構造、特徴」を備えておらず、「全く科学的ではなく」、戦後の共産主義政権の「提造である」

 ……これが西岡氏の2つ目の論点である。具体的には、窓を取り付ける穴や換気扇をつける場所がそこにはないこと、また気密性が低く、青酸ガスで内部を充満させた場含、外部にガスがもれたであろうこと、さらに「ガス室の内部のどこにも青酸の沈着を示す青いシミは見られない」ことなどを指摘している。

 西岡氏の主観的意図はともかく、こうした主張は欧米の修正派だけでなくドイッのネオ・ナチが好んで用いる言説と同じである。アウシュヴィッッ収容所に関する史料の多くが戦後ソ連に押収・封印され、そのために生じた研究上の間隙を、彼らは巧みに衝きながらセンセーショナルな論議を展開してきた。しかし、ソ連解体後、史料状況は一変した。彼らがつけいる隙はほぼ完全に埋まったと言えるだろう。多くの歴史研究者が、いまや自由に利用可能となったモスクワ国立中央特別文書館の関係史料にもとづく本格的な研究を展開しているのである。

 その一人、フランスの研究者ジャン=クロード・プレサックは、初めて日の目を見た膨大な史料との格闘の末『アウシュヴィッツの焼却棟・大量殺裁の技術』(Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes 初版パリ1993年、ドイツ語版ミュンヒェン1994年)を発表し、展示されている焼却棟(このなかに、間題のガス室と焼却炉がある)を含むすべての処刑施設の建設工程、ガス殺に関する「技術革新」の詳細を明らかにした。とくに同書が示すアウシュヴィッツ収容所建設本部の文書史料(帝国保安本部宛報告書、建設計画書、設計・施工企業の送り状、図面、作業目誌、請求書等)を検討する限り、西岡氏の議論に勝ち目はない。

 例えば、「換気扇がない」とされたガス室は、もともと焼却棟内の死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している。そもそも換気装置が死体置き場にあったため、そこがガス室に改造されたのである(プレサック、ドイツ語版42ぺージ)。

 1943年以降、アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺の主な現場は、隣接の大規模なビルケナウ(アウシュヴィッツ第2)収容所へと移行するが、そこに建設されたガス室にはトプフ・ウント・ゼーネ社製、排気圧8000立方米/時の電動換気装置が取り付けられていることが、1943年3月の同社作業日誌と施工図面から明らかである。ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどんな反証を寄せるのであろうか。

 以上の内、最初の段落の最後、「気密性が低く、青酸ガスで内部を充満させた場含、外部にガスがもれたであろうこと、さらに『ガス室の内部のどこにも青酸の沈着を示す青いシミは見られない』こと」という部分に関しては、すでに『ロイヒター報告』の法医学鑑定を紹介したが、この件は、また別途、項目を立てて詳しく論じ直す。とりあえずここでは、石田自身が、この部分の疑問には答えていないという事実だけを指摘して置く。

 さて、石田は、以上の引用部分の最後に、いかにも自信たっぷりな調子で、「ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどんな反証を寄せるのであろうか」などと見栄を切っている。ところが、石田がドイツ語訳しか示し得ない上記プレサックのフランス語の著作については、すでに紹介したフォーリソン、マットーニョなどが、完膚無きまでに論じ尽くしているのである。私の手元にも、それらの原著があるが、石田が下手くそな揚げ足取りを狙った相手の西岡も、当然ながら、それらの資料を事前に読んでいた。西岡の知識のほどに関しては『アウシュヴィッツ/「ガス室」の真実』(日新報道、1997)を参照されたい。石田の揚げ足取りは、まるで見当違いであり、その上に、この部分のテーマの「換気扇」に関する論争の経過を知らないのか、または、ごまかしているのか、どちらにしても噴飯物でしかないのである。

 細部の追及以前に、まずは、比較検討のために、『マルコポーロ』(1995.2)「戦後世界最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」記事そのものから、換気扇に関わる部分(p.176)のみを引用する。

「ガス室」の「実物」とされるものはアウシュヴィッツとマイダネックにしかないのだが、実はそれら「ガス室」というコメント付きでポーランド当局が展示している部屋は、処刑用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えていないのである。

 例えば、今日アウシュヴィッツに展示されているあの有名な「ガス室」は、半地下式の「ガス室」で、すぐ隣に四つの焼却炉を持つ「焼却室」が併設されている。というよりも、そのような半地下室をポーランドの共産主義政権が、戦後「ガス室」として展示してきたのである。この部屋が仮りに説明されている通リ、殺人用ガス室だっだと仮定してみよう。

 すると、まず、この「ガス室」には窓がないことに気付く。窓というより、窓を取付ける穴が何処にも開けられていないのである。窓そのものは、処刑用ガス室にとって必要とはいえないが、窓を取付ける穴が一つもないということほ、換気扇を付ける場所がないということである。

 処刑用ガス室においては、一回処刑が終わるたびに換気をしなけれぱならない。換気をしなけれぱ、次の犠牲者たちを「シャワーだ」とだまして「ガス室」に入れることは出未ないのだから、これはガス室にとって必要欠くべからざる機能なのである。しかし、そのために必要な換気扇を付ける場所が、アウシュヴィッツの「ガス室」にはない。

 アウシユヴィッツの「ガス室」で使用されたことになっている「毒ガス」は青酸ガスだが、青酸ガスの物理的性質の一つに、壁や天井に吸着しやすいというやっかいな性質があり、例えぱ倉庫などで青酸ガスによる殺虫作業を行なった場合、自然の通風では、殺虫作業後の換気に二十時間前後を要したとされている。

 とすれば、アウシュヴィッツの「あの部屋」が「ガス室」だった場合、換気扇がないのだから、出入口または天井の小穴(そこから青酸ガスが投げ込まれたことになっている)から換気したとして、一日に一回しか「ガス室」での処刑は行なえなかった筈である(何という非効率的な「民族絶滅」だろうか?)。

 西岡だけではなくて、私も拙著『アウシュヴィッツの争点』で同じような方法を取ったのだが、西岡は、上記のプレサックらの説の存在は十分承知の上で、しかし、実情を知らない読者向けに「ガス室」の初歩的な問題点を論じているのである。西岡が「『ガス室』というコメント付きでポーランド当局が展示している部屋」と表現するのは、あくまでも、アウシュヴィッツに行けば必ず見せられる「現存の状態の部屋」のことであって、その部屋の歴史を語ろうとしているのではない。これを題材として「ガス室」物語を始めているのである。この「現存の状態の部屋」は、「処刑用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えていない」のであるが、「この部屋が仮りに説明されている通リ、殺人用ガス室だっだと仮定してみよう」という書き出しで、いわゆる「ガス室」に関する疑問を展開しているのある。

 それに対して、石田は、揚げ足取りにために、いきなり大袈裟に、プレサックが「初めて日の目を見た膨大な史料との格闘の末」、決定的史料を発見したかのように騒ぎ立て、「死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している」と言い切るのだが、その図面には、なんと、ここでもまた、「ガス室」とは書かれていないのである。フランス語の原著には平面見取り図が4つあるが、最初の1つだけにドイツ語でLeichenraum(死体部屋)とあり、あとの3つではフランス語のMorgue(死体置場)になっている。これが「ガス室に改造された」というのは、「説」でしかないのである。

 しかも、この「改造」説とか、「1942年夏の煙突改修工事の図面」とかが議論の材料に持ち出されたのは、上記の西岡記事のような数々の疑問が提出され、博物館当局が弁解に窮して以後のことである。言わば2段構えの嘘でしかないのである。私は、『マルコポーロ』廃刊決定発表の記者会見で、出たばかりのフランスの名門週刊誌、『レクスプレス』の国際版(1995.1.26)を振り上げて、フランスではホロコースト見直し論に反対の立場のエリック・コナンが「アウシュヴィッツ・メインキャンプのガス室を嘘だと書いている」ことなどを紹介した。「嘘」の原語はfouだが、この日本語訳には「デッチ上げ」も入っている。コナンは、そこで、博物館の従来の説明、「生き残りの記憶に基づく再現」を記しているのだが、その「記憶」には、どうして「換気扇」が入っていなかったのだろうか。コナンは同時に、以上の「嘘」の暴露に関して、ホロコースト見直し論者で自分の終生の敵、フォーリソンの業績を認めざるを得ず、つぎのように記していた

 1970年代の終りには、ロベール・フォーリソンが、この変造を見破って、博物館の責任者たちを渋々ながら事実を認めざるを得ない立場に追い込んだ。

(p.41.以下の原文はaccent略)

A la fin des annees 70, Robert Faurisson exploita d'autant meiux ces falsifications que les responsables du musee rechignaiet alors a les reconnaitre.

 フォーリソンは『ジャン=クロード・プレサックへの返答』の注26で、認めた博物館の責任者の名前をイアン・マケレク、日付を1976年3月17日(p.77)と記している。石田は、2,3冊のデタラメ本で鼻血ブーとなったり、偉そうに見直し論者に挑む前に、まずは、ホロコースト見直し論に「反対の立場」のエリック・コナンに弟子入りして、自分がいかに時代遅れのデマゴーグであるかに気付き、大いに恥じ入るべきであろう。

 以上。


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