『亜空間通信』907号(2004/12/08) 阿修羅投稿1,2を再録

米軍指令「受信料は税金」支払うに及ばず事実上は契約はいたしておりませんNHK国会答弁の実績

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『亜空間通信』907号(2004/12/08)
【米軍指令「受信料は税金」支払うに及ばず事実上は契約はいたしておりませんNHK国会答弁の実績】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 困ったことである。NHKに楯突く週刊誌を、あまり厳しく批判したくはないのだが、やはり、大手新聞並みの不勉強の露呈であるから、一応、注意しないわけにはいかない。

 『週刊ポスト』(2004.12.17)「受信料天国・NHK」記事の論評は、すでに軽くしたが、この記事の冒頭のゴシック・リードで、受信料を「いわば"テレビ税"だ」としているのである。

 「いわば」も何もないのである。不正確では済まないのである。庶民を脅かしちゃあ、いけないのである。

 税金は払わなければ、国家権力によって、強制的に取り立てられる。銀行預金を押さえられても、まったく抵抗できないのであるが、受信料は払わなくても、平気なのである。まるで違うのである。

 しかも、この問題は、NHKに関する最も重大な「神話的な詐欺行為」なのである。最大の誤魔化しなのであある。何と言っても、かんと言っても、「地獄の沙汰も金次第」の「金」そのもの、「受信料」の、経済的ないしは政治的な位置付けに関わる理論ないしは現実なのである。

 以下、やむを得ず、苦心の拙著の該当部分を無料公開する。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-2-9.html
『NHK腐蝕研究』
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理
(2-9)“受信料は税金である”との米軍指令をどうする?

 受信料を税金と考える説は多い。

 戦前の出発点は別として、現在では、ともかく徴収することが先に決っていて、あとからリクツを張りつけるのだから、諸説があるのも当然。戦後に、はじめて放送法の根幹が問われはじめたころにも、準公報の『電波時報』誌上などで、担当官らの論議が盛んに行なわれている。たとえば、電波監理局放送業務課長(当時)の鎌田繁春などは率直そのもので、こう書いている。

「受信料の考え方としては、放送サービスの対価、受信機設置料、受信機設置許可料、税金など、いろんな言葉でいろんな風にいわれている」(同誌、’54・9)

 以来二十七年、まさに諸説紛々だから、並べ立てればキリがない。だから、ここでは「国際的見解」に頼ることにしたいが、別に国連総会などで問題になったわけではない。日本国領土内に侵入し、条約上の特権を有する某国とのミニ国際紛争が、ここ数年来続き、NHKの旗色は、いかにも悪いのである。

 一九七六(昭和五十一)年初頭には、在日米軍司令官名で、「全軍に告ぐ。NHK受信料は支払うに及ばず」の指令が発せられた。米軍人、軍属とその家族は、安保条約にともなう地位協定によって、日本国政府から免税特権を得ている。そして、もともとNHKの受信料を支払っていた米軍人は、いなかったようである。

 「米軍がこの不払い“指令”を出したのは、NHKの取り立て部隊の動員がきっかけらしい。基地外に住む米軍家庭に英文パンフレットまで持参してどっと押しかけ、取り立てを一斉に開始したため、テレビの受信料など支払う習慣のないアメリカ人は騒然。米軍当局に問い合わせが殺到したため、統一見解をまとめ、この指令となったらしい」(『サンケイ新聞』’76・2・1)

 これに対するNHK側の反論は、当然、“受信料は税金にあらず”の一点張り。“特殊な負担金”説を振りかざす。

 「NHK営業総局は米軍の『受信料税金説』を真っ向から否定、『受信契約は税金とは違う特殊な負担金』であると主張する。また、NHKが受信契約を結ぶさいの根拠としている放送法でも、外国人や米軍関係者にたいする除外規定はとくに設けられていないところから、『基地内外を問わず、米軍関係者からも受信料は徴収できる』というのがNHK側の基本的態度だ。

 またNHK受信料問題は、国会でも取り上げられたことがあり、NHKは『放送法、日米安保条約にもとづく地位協定からも米軍関係者の受信料徴収は当然』との見解を明らかにしていた」(同前)

 つまり、「放送法」という日本の国内法と、「安保条約」という国際条約を持ち出しての争いなのだ。だが、この時、普段はNHK批判の論陣を張っていた評論家、いまは放送批評懇談会理事長の志賀信夫が、NHKに塩を送ったのだから、不思議である。よもや、“愛国心”に駆られて、放送理論を曲げるつもりではあるまいが、志賀もやはり、「放送法」をタテに談話を発表した。『サンケイ』がつけた小見出しには、「放送法の解釈間違えている」とあり、つぎのように、「日本人みんなの反感」へと、感情に訴えていくのだ。

 「在日米軍はまったく放送法の解釈を間違えている。NHKは放送法によって明らかにされているように国営放送ではなく、特殊法人である。受信料が税金であるという解釈はどのように放送法を拡大解釈してもでてこない。NHKはスジを通し抗議文を正式に渡し、訂正を求めることが必要だ。日米地位協定によって集金人が基地内にはいれないとするのなら、NHKは政府と折衝し、在日米軍に支払ってもらうように働きかけてもらうか、国の在日米軍関係費用から出してもらわなければならない。在日米軍も日本に住んでいるのだから、受信料を支払わないと、日本人みんなの反感をかうことになる」(同前)

 しかし、以来五年もの“日米”受信料戦争の“戦果”は、わずか六世帯……ファーリースト・ネットワーク・トオキョ……サージャント云々、なのである。なぜなのであろうか。日本人はナメられっぱなしなのだろうか。かの“核兵器イントロダクション”論争のように、翻訳のごまかしまであるのだろうか。いずれにしても、問題はやはり、安保条約そのものの解釈にあるようだ。

 つまり、「在日米軍人、軍属および、その家族は日米地位協定で日本政府から免税特権を得ている」(同前)という在日米軍司令官の見解は、同地位協定第十三条の第三項にもとづいている。だが、「免税」の範囲については、同第一項で、「合衆国軍隊が日本国において保有し、使用し、又は移転する財産について租税又は類似の公課を課されない」と記されている。

 この「租税又は類似の公課」という文章は、ちゃんと日本語で書かれ、国会の承認を受けているのだから、翻訳云々の争いではない。だから、NHK受信料もしくは“負担金”が「類似の公課」に当たるのかどうかを、外交交渉で決定しないことには、「放送法」の解釈を云々しても無意味なのである。しかも、日本国民でさえ納入の強制がないというのに、米軍基地内には集金人も入れないのだ。国会でも、毎度のように珍問答が続いている。

○中塚参考人 米軍の基地内に居住する軍人軍属につきましては、事実上は契約はいたしておりません。

○藤原委員 それではなぜ契約をされないのか、お答えをいただきたいと思います。

○中塚参考人 現実に、基地内に私どもの集金担当者が立ち入るのは困難だからでございます。

○藤原委員 在日米軍の基地内に入れない理由は、一体何でしょうか。

○中塚参考人 法律的には入れないなにはございませんが、実行上入って契約、集金活動をやるのはきわめて困難だからでございます。……(略)……

○藤原委貝 NHKの集金人が基地内に入れるように、郵政省はいままでその手だてをしていたのかどうか、大臣、お答え願いたいと思います。

○石川(晃)政府委員 この件について特段の配慮はいたしておりません。

              (一九七七年三月十五日「逓信委議事録」)

 これでは、NHKも郵政省も口先ばかりで、あえて“日米”受信料戦争を遂行する気なし、と見る他はない。ずるいのは、不可能を知りながら、“努力”を約束することだ。しかも、「安保条約の解釈」へと問題を詰めないのも、官僚的術策のひとつである。というのは、国際的解釈に至ると、NHKの不利は眼に見えている。公共放送の受信料を、はっきりと税金にしている国は、たくさんあるからだ。また、国際的な放送制度の論争は、NHKの望むところではない。ただし制度問題はのちの課題として、ここでは、受信料税金説の、自然法的根拠を固めておきたい。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-2-10.html
『NHK腐蝕研究』
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理
(2-10)強奪と強制のNHK流“法の精神”

[中略]

 NHKの受信料システムは、イギリス流の電波国有理論、つまりは国家による電波強奪とともに出発している。「国有」の電波を使用する「公共独占放送」ゆえに、NHKも、国家機関の強制による契約料・受信料を財源として、成立しえたのである。

 逆の立場をとったアメリカでは、商業放送が広告収入で発達し、のちに公共放送を設立することになるが、この公共放送の財源は連邦政府、州政府、民間機関などの寄付にたよっている。アメリカでは、電波を、国民が申請すれば使用できるものとしたので、その使用による収入確保の道は使用者の自由にまかせられていた。だから、特定の受信者と契約し受信料を集めることも、理屈の上では可能だったのだが、受信料制度は成立しえなかった

 現在は、電波に特殊な雑音をいれ、この雑音をとりのぞく装置を視聴者に渡すセレクト・テレビという方式の有料システムができているが、この方式の存在そのものが、受信料集めの困難さの証明となっている。

 このように、イギリス(または戦前の日本)とアメリカの歴史的比較は、受信料の性格を考える上で、最も重要である。

 また、NHK受信料不払いの宣言として、「勝手に放送したものを見たからといって、なにも金を払うことはありません」(同前)というのが、受け手側としての最強の論理であろう。

 というのは、まず、放送の受信者に受信料を請求するという行為は、ふつうの商品と貨幣の交換とは、大いに事情を異にしているからである。職業として類似のものをたどれば、大道芸人に近いであろう。この場合も「勝手に」大道で演ずるので、聴衆は投げ銭を強制される立場にはない。どだい「放送」という言葉自体が、「送りっぱなし」の漢語化である。

 元逓信省事務官中村寅吉の回顧によると、「放送」という用語の使用がはじまったのは、第一次世界戦争中の一九一七(大正六)年一月で、ところはインド洋上であるという。そこで日本船三島丸は、イギリス海軍発電らしき送信を受けた。ドイツ軍艦出没中の警告であったが、ふつうはCQ・CQの呼びだしに応答を確認してから送信するものを、緊急の警告であったため、応答を待たずに送ってきた。そこで、通信日誌への記入法を考えた挙句、「送り放しであることから、これを『かくかくの放送を受信した』と表示することにした」(『逓信史話)』)という説明になっている。もちろん、受信料は払っていない。

 「放送」とは、このように、受け手の確認なしに放つものである。社会科学的に厳密な規定をする向きによれば、「ラジオ放送は、じつは、送り手側からの一方通行的な放送用の無線電話」(『現代マスコミ論批判・精神交通論ノート』)だというのだ。

 商業的に考えると、放送にかかる費用は、受け手があってもなくても、同額である。また、新聞や出版物なら、すくなくとも紙代プラスアルファの出費は、出発点で、一点にいくらかかっているという割り算ができる。放送では、こういう商品単価の計算も、出荷時には成り立たないのである。

 その上、発信・受信の当事者がはっきりしている電報でも、相手方も話せる電話でも、料金の負担者は発信人なり掛け手なりになっている。

 NHK受信料支払い拒否者の増大は、こういう自然の原理からしても、当然である。もし、なにがしかの分担金を払う制度が成り立ちうるとすれば、それは物々交換に起源を発する売買システムからはなれて、白紙にもどらなければならない。共同の事業として、NHKを運営するコンセンサスがつくられて、はじめてスッキリとするであろう。ところが、NHKは、あたかも天の岩戸以来の権利であるかのように、当初から送信者の立場に立ちつづけ、一方的に受信料請求の権利を主張しつづけているのである。

 受信者は、しかも、受信機代と受信中の電気料金を負担している。その中にも、不当な独占価格が含まれている。だが、この方は金を出さなければ手にはいらない仕掛けになっているから、高くても我慢せざるをえない。その上、多額の税金もふんだくられているというのに、国営放送まがいのNHKにまで金を出せるか、ということにもなってくる。

 NHK側の論理は、そこで一転して、受信料制度を維持しないと、国営になってしまうが、それではよくないだろうという「オドシ」にかわっていく。

 このあたりの事情を、小中陽太郎が、「二重構造の専制王国NHK」と題して、強烈に皮肉っている。

 「狼が来る、狼が来る、と言って善良な羊を驚かした少年は、まだ許せる。

 もし、狼が、自分で、狼が来る、と言って柵の構築費用をせしめていったら、いったいどういうことになるであろうか。

 NHKの受信料の徴収の論理は、そういうことを思わせる。

 NHKの企業内の人々がこの四面楚歌の中で、いかにして、その論理を構築しているか、それは涙ぐましいほどである」(『創』’73・8)

 もちろん、「論理」だけでは、一般国民を納得させることは出来ない。不払い運動の波は、高まる一方である。そこで、NHK流の国内外交が、早くから展開されてきた。

 話が飛ぶようだが、最近、芸能人の“相姦”などという表現が見受けられる。学校で習わなかった漢語を使いたがるのも、最近の奇妙な風潮なのだが、岩波の『国語辞典』にはこう書いてある。

 《相姦》……肉体関係を持つことが世間一般で禁じられている男女、特に血のつながりのあるものが通じあうこと。「近親――」(用例-筆者注)。

 『広辞苑』はさらに端的で、「男女が不義の私通をすること」としている。

 これに照らすと、芸能人やスポーツ・タレントなどのセックスライフは、相姦関係ではない。むしろ、そういう“擬似インベント”や“ニセ事実”の報道で、庶民をたぶらかし続けているマスコミの事業体の方にこそ、この用語がふさわしいようだ。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-3-1.html
第三章 NHK=マスコミ租界《相姦》の構図
(3-1)NHK広報室の黒い水脈とゲッペルス広報窒長

 さて、今後の問題として注意してほしいのは、さきのような受信料収納率「トリック」暴露のタイミング、一九七三(昭和四十八)年二月といった時期と、「郵政省の記者クラブ」といった場所である。そして、ある記者による「きびしい追及」があって、はじめてNHKは資料を提出したという事実だ。

 だが、このようなNHK受信料のカラクリは、その後、それほどにきびしい世論の追及を受けただろうか。新聞は、お得意のキャンペーンを張っただろうか。昨一九八○年の値上げ申請に対しても、同じ疑問が出されただろうか。

 否である。

 NHKの受信料問題で、“キャンペーン”を張ったと一部評論家筋によって伝えられているのは、一九七三年一月以降の『読売新聞』だが、それは内幸町の売値のバカ高さがあったからで、記事そのものも散発的。見出しも小さい。“キャンペーン”というより、語源は同じだが、シャンパンの泡がふきこぼれたくらいで、本質論とは関係ない。むしろ、ほかの問題の煙幕になったようにも思えるが、そのことはのちにふれる。

 ここでは、視聴者大衆の一人一人にとってみれば、NHKとの唯一の経済的関係である受信料の実態追求に、あくまで執着しよう。ではなぜ、この受信料のカラクリは、あいまいなままにされてきたのか。まず、さきの「郵政省の記者クラブ」周辺をのぞいてみよう。

 この“普及率”カラクリ暴露の前々年、一九七一年の正月は、NHKの広報室にとって、悪夢の月だった。それというのも、こともあろうに、NHKの“広報室長”という肩書の人物が、古今未曾有の暴言を吐いてしまったからである。

「たかが新聞記者のブンザイで、NHKの組織がどうのこうのといえる身分かよ!」(『週刊文春』’71・3・1)

 これが“広報室”、つまり常識的には一般視聴者にNHKのことを、対外的に宣伝するための組織の長の発言だというのだから、恐れ入ってしまう。しかしそこは、官庁なみとか、それ以上の伏魔殿とかいわれるNHKのこと。常識で考えると逆さまになる場合が多いのだ。

 話をさかのぼると、NHKの大奥の内部事情が大規模に洩れ始めたのは、いまを去ること十五年前。

 一九六六年の暮に、『知られざる放送』という匿名著者グループの単行本が出た。そして、「さる情報筋の話によると、佐藤首相がこの本を読んで激怒、カンカンになってこういったそうである。

 『NHKともあろうもんが、事前に押えることもできなかったのか!』……NHK記者クラブの某氏によると、局内の発火点は某理事で、『いったい犯人はだれだ!』と、広報室にどなりこんだという」(『宝石』’67・3)。

 この本には、NHKだけでなく、民放の問題も取り上げられていたが、民放の部分はすでに労組などが公表した資料の域を出ておらず、逆にNHKの内情は、日放労が外部へ訴えていなかったことがゾクゾク。見る人が見れば、NHK内の“左派勢力”が協会当局にも日放労に対しても“造反有理”の攻勢をかけたというのは歴然。元電気通信大臣として電波利権を一手に握り、マスコミ操作の自信を深めていた佐藤“エゴ”作が、虚をつかれて怒るのは無理もなかった。

 だが、「犯人はだれだ!」とNHK理事がどなりこむ先が、「広報室」だというのがおかしい。“広く報せる”のではなくて、いわば、NCIAだ。局内から情報が洩れるのを、監視する役割を負わされていたのだ。

 もともと、“伏魔殿”NHKを、「あなたのNHK」「みんなのNHK」などと売りこむには、相当な図々しさがなくては勤まらない。そして図らずも、NHKにこの人材ありと、“広く報れわたる”事件が発生したわけである。一九七一年一月二十五日、『週刊文春』(3・1)が「NHK開局以来の大捕物」という特集記事を組む大事件。それ自体も、いまもなお脈々と続く「NHK視聴者会議」の代表者、佐野浩(小金井市議)らへの暴行・警官二十名出動の逮捕、十三日の拘留という語り草。しかし、NHKの黒い水脈が吹き出たのは、そのあとの『週刊文春』の取材からであった。

 「こういうヤツラヘの対策? そんなものはなにもない。NHKの受信料とは、放送法で契約とし支払いの義務を明文化されたものじゃないか。それを払わないヤツラは、われわれがマトモに相手にすべき人間じゃないね。

 だからボクなんぞも、こんなヤツラには会わないよ。なにが会う必要があるか、こんなカネも払わないヤツラに。

 佐野なんてヤツは売名運動ですよ。ディック・ミネなんてヤツが、白己宣伝のために反NHK的発言をするのとまったくおなじだ。ディック・ミネなんて、自分のツラを鏡にうつしてみろってんだ。テレビに出られるツラかい。

 佐野は小金井の市会議員選拳に出るために、ああやってワザとつかまったんですよ。こっちはチャンと地元から情報をとってあるからわかるんです。

 それをバカな新聞記者がマにうけて、デカデカ報道するんでアイツは大喜びですよ」(『週刊文春』’71・3・1)

 NHK視聴者会議とは、この事件の前年に小金井市の文化人有志が結成したもの。NHKに対して八項目からなる質問書を出し、回答を求めていた。一向に返事がないので、当時の内幸町のNHK会館を訪れ、回答があるまで待つと伝えた。もちろん、何等の武器も携行せず、暴力行為に及んだわけではない。それなのにNHKは、“不退去罪”だとして、いきなり丸の内署の警官隊を導入したのである。十三日間という長期拘留にも問題はあるが、ともかく、“不退去罪”は成立していない。NHKのやり過ぎは明らかであった。

 ところが、この過剰警備の余勢を駆ってか、当時のNHK前田会長の右腕とか左脚とかいわれるほどの実力者、理事待遇という飯田次男広報室長の口から、とんでもない台詞が、それこそ傍若無人、ジャカスカ飛び出してきたのだ。

 すでにあげた長口舌にも、問題点は多い。視聴者を馬鹿にしているだけではない。タレントを何だと思っているのか。電波独占の思い上がりが、言外にあふれ出ている。現実にも、タレントでNHK受信料不払いを公言する例が見られないのは、こういうNHKのファッショ支配あればこその現象である。つぎには、市議云々である。つまり、NHKは、視聴者会議への回答をせず、どう手を回してか、佐野浩(当時は学習塾経営)が小金井市議に立候補することを知っていたのである。大方、サツ回りの記者を使った仕事だろうが、それを中傷の材料にするなど、下の下の仕業といわねばならない。

 しかも、視聴者運動へのバリ雑言だけでは足りず、飯田次男は、こういい切った。

 「ボクは、新聞記者のヤツラがNHKの組織の批判などするとここへ呼びつけてどなるんだ。『おまえら、たかが新聞記者のブンザイで、NHKの組織がどうのこうのといえる身分かよ!おまえらはできた番組だけを批評してりゃそれでいいんだ』とこういってやるんですよ」(同前)

 これだけなめられた新聞記者も新聞記者だが、さすがに、これは聞きとがめて、謝罪文を取った。前田天皇の忠犬、飯田室長は、この暴言で受信料支払い拒否者を激増させ、ついに引責辞職に至るが、のちに顧問、小野元会長並みの待遇をされている。

 だが、翌一九七二年秋には、追い打ちの第二弾、小中陽太郎の『王国の芸人たち』が発刊された。

 小中陽太郎は、NHKとの契約者の立場にある音楽家集団を取材した。そして組合(日芸労)の指導者「大石」解雇事件の隠然たる下手人として、元スポーツ・アナウンサー「飯山」の存在を発見する。しかも同時に、その「飯山」が、解雇事件の三カ月前から、『中国新聞』に「マイク二十年」と題する連載を出し、戦後の新聞・放送ゼネストの山場でのスト破りを自慢している事実をつかんだ。

 「私は文字通りスト破りを決行したのである。それから三日目にさしもの大争議も終わったのである」(同書)

 これが「飯山二男」こと、飯田次男の、誇らかな戦歴であった。

 小中陽太郎は、この作品を書くに当たって、相当量の資料の提供を受けたと語っている。つまり、解雇反対闘争の裁判準備などによる資料の収集者が、別にいたのである。小中の描く「飯山二男」像はこんなものだ。

 「飯山二男は、志東良順とともに、戦後のスポーツ放送のスター・アナウンサーであった。志東がプロ野球で鳴らしたのに対し、飯山は六大学や競馬を手がけた。焦茶のステットソンのソフトを陽焼けした額にあみだにかぶるのが得意のポーズだ。だが、飯山が志東と違って、アナウンサー一本から行政職に転じたのにはある隠された経緯があった。

 飯山二男は、終戦直後新聞放送界の大ストライキに際し、東京のアナウンサールームにあって、これを切り崩した。飯山が、どれほど、このスト破りを終生の自慢としていたかということは、大石の馘(くび)を切る三月前の昭和三十五年の三月一日に、彼が中国新聞の『マイク二十年』と題する連載物に、得々としてその思い出話を披露していることからもよくわかる。その文は図々しくも『アナ一人一人を説得、病をおしてスト破り決行』という題がついていた」(同書)

 ついで、『中国新聞』の手記が紹介される。放送ストについては、戦後史の項でふれるが、まず、そのスト破り犯人の自白を先に聞いておこう。

 「労働法の何たるかを知らず、争議行為とはどんなものかわからない組合が、一部指導者の煽動によってわが国放送史上に一大汚点を残すような“大義名分”のないストライキをやらかしたのである。

 私は腹を立てた。即刻私の部屋へ組合の委員長を呼びつけた。『あのビラを張った責任者は誰だ、人の名誉を傷つけてそれで健全な組合がなり立つと思うか。オレは罪人ではない。あんなビラ位でオレが引っ込むと思うか。オレはそんな意気地なしではない。言論は自由の筈だ。オレがオレの意見を後輩にはいて(スト中止の意味、筆者)何が悪い。大体ストライキしてくれと誰が頼んだ。オレは反対なんだ。たった今オレは組合を脱退する』

 怒り心頭に発するとはこのことだろう。私はあらん限りの声を張りあげてどなりつけた。

 しかし、この時、私は独自の行動をとろうとひそかに決心したのである。

 それから組合幹部は手をかえ品をかえて私をなだめに来たが断然きかなかった。その翌朝、私の家に有志が集り、悲壮な決心で声明文を作りあげた。“われわれは放送人として、これ以上聴取者に迷惑をかけることは出来ない、本日ただいまから就業する”と言うのである。

 私は部屋ヘアナウンサー全員を集めた。『僕と主義主張を同じくする者は僕と行動を共にしてくれ。反対者はこの部屋を出てくれ』と声涙共に下る演説をぶったのである。反対者は一人で、私以下三十八人が署名を終った。直ちに私は声明と署名を持って山野岩三郎会長に会見を申し込んだ。

 一カ月近いストライキで疲れていた会長は、涙を流して私の手を握ってくれた。十月二十五日のタ刻であった。

 やがて午後七時、スタジオヘ入って私は冒頭に名乗った。『私はアナウンサーの飯山でございます。ただいまからニュースをお伝えします』

 誠に感激的な一瞬であった。

 私は文字通りスト破りを決行したのである。それから三日目に、さしもの大争議も終ったのである」(同前)

 これでみると、アナウンサーのボスだった飯田は、組合の委員長を呼びつけ、怒鳴りつけることができる立場だったらしい。この自慢話自体がどこまで本当かどうかはわからないが、当時のNHKで、アナウンサーの地位が高かったのは確かだ。前述のように、報道記者はおらず、同盟通信なり大本営の発表を、アナウンサーが読みやすいように手を入れ、あの調子で読み上げるだけの時代のこと。なかでもスポーツ・アナは、政治向きではないから、自分でアドリブを入れられる“特権”的な仕事。肩で風を切って歩いていたらしい。

 ともあれ、飯田アナ晩年の暴言は、戦後史解明にも一役買うであろう。

 「まさに『NHK帝国』のヒトラー(いや、ゲッペルス宣伝相かナ)的発言であり、ジャーナリズムに対する挑戦状だと言わざるを得ない」(『文芸春秋』’71・4)

 これはちょっと、格を上げ過ぎたようだが、ともかく、NHKの広報室長が、新聞記者を脅しつけては、NHK批判を封じてきた。その事実を、本人がまた、自慢してしまったのだから、これはお家の一大事だった。

 背後には、元朝日新聞の前田会長、同じく元朝日新聞で自民党のマスコミ対策係、橋本登美三郎らがいた。それだけではなく、テレビ局の系列支配を企む新聞社全体が、電波免許の関係ではNHKとグルだった。そういう巨大な“トラの威を借るキツネ”が、飯田の正体なのであった。

 だが、こういう広報室長の存在を許してきたことについては、新聞記者自体の責任も問われなくてはならないだろう。その新聞記者は、どうしていたのであろうか。このへんの“霞”(カスミ)を取り払わないことには、本体のNHKが見えにくいのだ。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-3-2.html
(3-2)ラジオ・テレビ記者会、東京放送記者会、電波記者会

 NHKには、記者クラブが三つもある。ラジオ・テレビ記者会(通称・第一記者クラブ、以下同じ)、東京放送記者会(第二)、電波記者会(第三)である。このうち、電波記者会は郵政省に部屋を持ち、NHK内で月二回の定例記者会見という慣行になっている。ついでに郵政省の記者クラブをあげると、この電波記者会以外に、NHKや大手紙十二社による郵政記者クラブと、KDDや電々公社なども含めた“郵政族”用社内報等の記者による飯倉クラブがある。飯倉というのは、郵政省が霞ヶ関に新庁舎を建てる以前の住所の町名。伝統を重んじての名称である。

 さて、NHKに部屋を確保した第一、第二記者クラブは、NHKだけではなく、民放も取材対象とし、共同の記者会見をNHK内でやる。民放の広報担当者が常々愚痴ることなのだが、NHK広報室にいわせれば、「民放ができる前からのことで……」と、そり身になっての御返事。記者の方も、ほかの記者クラブや日本式労働組合の書記局と同様で、“既得権”の部屋を手放す気は、さらさらない。そして、それを上手に操るのがNHKの広報マンの腕前である。

 かつてはサンケイの放送記者のキャップだった青木貞伸でさえ、フリーになってからのあしらいの悪さが身に泌み、「NHKの権威主義的な体質」を批判。こう事いている。

「私の場合、ときどき海外にも収材に行くが、アメリカの場合なら、日本から来たフリーランスのコレスポンデントと名乗ることによって、ほとんどの官庁、企業の幹部が気軽にインタビューに応じてくれる。取材の難易度からいえば、日本人なのに日本の官庁のほうが難しいくらいである。

 ところが、フリーのジャーナリストの間では、官僚主義の象徴ともいうべき官庁よりもNHKのほうが取材しにくいというのが定評となっている。いわば、それほど『官僚化度』が進行しているわけだ。その原因は、NHKが権威主義そのものといったマスコミ対策を金科玉条としているからである。

 つまり、徹底した『差別』主義をとっているのである。東京・渋谷のNHKのなかには通称『第一記者クラブ』『第二記者クラブ』という日刊新聞の記者クラブがある。NHKは、この記者クラブを通じてマスコミと接触しているわけだが、第一記者クラブは、東京に本社を置く新聞社の記者が所属しており、その応対はAランク、第二記者クラブは、地方紙の記者で構成されているからBランクという具合いなのである。

 このほか、業界紙の記者クラブである『第三記者クラブ』が存在するが、これはCランクであり、また、週刊誌記者の場合、ほぼこれに準じ、フリーのジャーナリストはランク外で、相手にする必要はないというのが、基本的な考え方のようである。

 だから、週刊誌の記者やフリーのジャーナリストが取材に行くと、ノラリクラリと逃げの一手で、時には取材拒否をする。止むを得ず間接取材という方法を使って記事にすると、『取材して書いていない。取材すればいいのに……』とうそぶくのである。

 ジャーナリズム機関でありながら、ジャーナリズムを差別し、拒否する体質が根深く巣食っているのがNHKなのである。そうした体質を改めない限り、『国民の放送』というスローガンは画に描いた餅にしか過ぎない」(『マスコミ評論』’75・6)

 NHKの広報室に聞くと、六年後の今日も、この体制は変っていない。しかし、NHKの方で差別はしていないのだという。記者クラブが別れていたり、フリーランス(源義は“自由な槍”で、やとわれ槍騎兵)を記者会見に出席させないのも、記者側で定めた習慣だというのだ。

 それでは、NHKとしてフリーの取材者を差別しないかといえば、いかに言葉巧みにいい逃れても、記者会見には必ず出席する大物に、いちいち面会させるはずはない。「それはもちろん、都合がつかないこともございます」という。しかし、「一緒に記者会見できた方が簡単でいいと思わないか」と問えば、「その御返事は差し控えます」ときた。「新聞協会さんのお考えになることですから」というのだ。

 ほかの官庁についても同じことだが、いわば官費で、記者クラブの部屋を貸与してやり、記者会見の部屋も、要人の時間も使っているのだ。それに、NHKには「新聞記者のブンザイ」とわめいた広報室長さえいたこと。いちいち新間紀者のわがままを聞くというのも、理屈に合わない話だ。こちらの質問に対して、うまい返事をしたつもりかもしれないが、かえってNHK式のいやらしさが、プーンとにおってきた。

 それだけではない。話の途中で、こちらが事実を正碓にするために、「その記者会見にはフリーの人は出られないのですね」と聞いた時には、即座に、「それは当然でしょ」という権柄づくの切り返し。馬鹿なこと聞くなといわんばかりの態度だった。あまりくどくど書く気はないが、こういう小役人風の連中が、日本のジャーナリズムの情報パイプを、無自覚なままに握っているのだ。NHKの会長様が、将軍の大奥まわりよろしく、第一、第二、第三、そして番外の取材者に、お付きを従えての御会見。考えただけでも胸くその悪くなる風景だ。

 その上、取材もし、資料にも当たってみたことを、思うままに書けないとしたら、それはまた、一種の記者地獄。ヘビの生殺しという状態になる。

 典型的なのは、“残酷物語”のサンケイを飛び出した青木貞伸の場合だろう。松浦総三編の『現代マスコミ人物事典』でも、「テレビ批評をやりながら左派の節を通しているのは偉い」などと書かれる骨っぽい人物。しかも、生れも育ちも神田ときては、いずれ長居は無用の宿命だった。

 思ったことを記事に出来ない日々が続く。アルバイト原稿に本音をぶちまける二重生活。そして、フジ・サンケイ系列が政財界あげてのUHFテレビ電波獲得合戦の最中、小林郵政相が、全面UHF化(Uターンの通称)の方針をぶち上げた。放送担当キャップだった青木貞伸は、デスクの依頼で解説を執筆した。だが、……

「部長とデスクが額を寄せ合って読んでいたゲラをひったくるようにして見た。読んでいるうちに顔の血がひいていくのが自分でもわかった。私の原稿は、まったく原型をとどめないまでにズタズタにされ、『Uターン』礼賛の解説になっていたのである。私は部長の前に詰め寄った。『いったい、これはどういうことですか』『まあ、まあ、キミの解説も筋は通っているが、社の方針で……。キミも責任者なんだからわかるだろう』とノラリクラリと逃げる。

 私は電波行政の現状について懸命になって説明し、『原稿を旧にもどして欲しい』と要求した。次第に声が大きくなる。他部の記者も集ってくる。部長は逃げの一手だ。時間は刻々と経過していく。降版のタイムリミットを待っているのである。とうとう時間切れで、そのまま翌日の新聞に出てしまった。

 私は、この社に、もういることができないと思った。翌日、辞表を書いて部長に提出した。そのころ、原稿料収入が月給の二倍近くにはなっていたが、生活のあてはまったくなかった。さいわい子供はいないし、体力には自信があった。食えない時には、ラーメンの屋台をひっぱるつもりだった」(『マスコミ評論』’75・11)

 この話のなかには、部外者にはわかりにくい所があるだろう。とくに、「原稿料収入が月給の二倍近くにはなっていた」とあるのに、なぜ、「屋台をひっぱる」決意が必要なのか、というあたりだ。

 ひとつの答えは、すでに紹介した話。NHKとフリーランスの関係に象徴されるものだ。大手紙の記者という“身分”を失えば、取材も困難になる。もう一方には、「サンケイ文化部」などと末尾につけ加えることが、それまでのアルバイト原稿掲載誌の注文でもあったはず。つまり、名の売れた評論家に書かせる代りに、名の売れた新聞社の社名と抱き合わせで、安い原稿料の記事を確保する出版社がある。そして一方に、低賃金に押えている手前、アルバイトに目をつむる新聞社があったのだ。それが、いまのマスコミ“体制”の一端である。その“体制”からはみ出した“元記者”には、場合によれば、「アカ」のレッテルはりによる業界からの排除さえやりかねない。しかも、書き手同士の競争も激しいのだ。

 こういった状況が、放送担当の新聞記者をも取り巻いている。余程の実力がなければ、ポイと辞表を投げつけるわけにはいかないのだ。だから、ついつい“第一記者クラブ”の身分に安住してしまうことにもなる。“スト破りアナ”の飯田次男を増長させた“封建的”支配関係には、それなりの歴史的構造があったのである。

 それにしても、「おまえらはできた番組だけを批評してりゃそれでいいんだ」とは、よくもいったもの。この台詞に飾り枠をつけて、NHK内の記者クラブの壁にでも張り出しておけば、毎日腹を立てて、よい記事を書く励みになるのではなかろうか。NHKはおそらく、“個人的発言”といって逃げきったのだろう。しかし、この暴言で引責辞職したはずの飯田次男が、「顧問」として遇され、仕事もせずに高給をむさぼり続けていたのだから、NHKの体質は許せない。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-3-3.html
(3-3) 郵政省詰め“波取り記者”とNHKの微妙な関係

 もうひとつの放送関係記者は、郵政記者クラブの要員だ。こちらは、いくら何でも「番組の批評だけ」というわけにはいかない。すでに一九七三(昭和四十八)年の記者会見の模様を紹介したところ。むしろ、飯田次男の台詞を借用すれば、「NHKの組織がどうのこうの」ということを、郵政行政の面から追及するのが、仕事の本筋である。

 だが、例の記者会見の時は、まさに異例。飯田次男の暴言と、のちにふれる土地問題、市民運動の盛り上がりなどがあって、初めて出来た追及といえる。それというのも、郵政省は戦前の内務省なきあと、唯一の言論統制監督官庁という立場。新聞社との利害関係が強いから、記者クラブとの癒着が最も進みやすいところだ。電波免許はもちろんだが、それも放送だけではない。

 一般には、新聞と放送の系列化、そのための電波利権をめぐる政権党との癒着関係が問題にされている。だが、郵政省の電波監理は、新聞社や通信社には必要不可欠な通信用電波も含んでいる。しかも、無線だけではない。有線の電信電話回線のすべてから、宇宙衛星による通信までが、郵政省の管轄下にあるのだ。具体例を示すと、戦前の同盟通信への一本化に際しても、国際電話回線の取り上げの脅しで最終的なダメ押しがなされている。そういう長年の政治的構造が、テレビ用電波の分捕り合戦で、さらに利権臭を強めるに至ったのだ。

 郵政記者クラブには、民放テレビ局は参加していない。このことも、郵政省=大手紙=テレビ局の関係を端的に示している。郵政省の広報室員からは、面白い答えが返ってきた。「民放は郵政省の取材はしないんですか」と聞くと、「本社の方からお取りになっているのだと思います」というのだ。

 つまり、郵政省広報担当者の頭の中では、テレビ局は大手紙「本社」の出先機関でしかない。そして、少なくとも郵政行政に関する限り、そうとしか考えられないのである。KDD事件の際には、テレビ朝日が郵政省の入口で取材をやり、その質問を受けた電波監理局のエリート官僚が怒って、「監督官庁に何を聞くんだ」と、つい本音を洩らした。これなども、“日常的なつながり”を欠いていたための“暴発”であろう。郵政省は、それほどの奥の院になっているのだ。

 しかし、同じKDD事件をひとつの突破口にして、郵政記者クラブの実態は、わずかながら活字にされ始めた。

“タカリの構造”といえば、忘れてならないのが『新聞記者氏』の活躍である。ある消息通氏にいわせると、松井や日高なんて比じゃない、一ケタ違う『現金収入』を得ていた“大記者”もいたという。

『郵政省の記者クラブに、大物記者が二人いたんだが、この二人は、板野とも仲がよかった。板野の意に沿わない政策が電監室で計画されていると、役人の個人攻撃の話が流される。この情報を伝達するのが新聞記者だ。誰々は生意気だとか、官僚的だとか、それが紙面に出なくとも国会に流される。国会議員に顔の広い記者もいるからねえ』……」(『週刊新潮』’81・4・3)

 そして“KDD太り”といわれる美食の日々。だから、KDD事件を担当した社会部記者たちは、「情報が洩れる」と警戒して、郵政省詰めの政治部記者をシャットアウト。しかし、「本社」は依然として大物記者を郵政省に送りつづける。

 なぜだろうか。

「“波取り記者”と呼ばれる記者がいる。“波”とは『電波』のことだ。毎日、郵政省三階の豪華なソファのある郵政記者クラブに出かけるが、記事は書かない。書かないが、郵政十年、二十年という大記者なのだ。肩書も次長、論説委員が十数人いる。彼らは、書かずに何をしているのかといえば、きょうは大臣とだれとが会ったかとか、どの地方にどんなテレビ、ラジオ電波が計画されているのかなどの情報を探っている。この記者クラブを別名『日なたぼっこクラブ』と呼ぶのも、一見のんびりと、毎日の締切りに追われていないからだ」(『現代』’80・7)

 情報の送り先は「本社」だったり、派閥だったりする。朝日新聞にはラジオ・テレビ本部があり、本部長は元政治部長の畠山武。読売新聞にもラジオ・テレビ推進本部があり、本部長の青山行雄は常勤取締役の実力者。テレビ局九社の社外取締役にもなっている。元政治部記者だが、内務省事務官を経て読売に入ったところがミソ。元警視庁警務部長の故正力社主やその女婿で内務省から自治省事務次官までやった小林与三次社長(前日本テレビ社長で現会長)という、読売新聞社内の内務省閥の系統だ。当然、政界にも“同期の桜”や先輩・後輩、元内務省グループを通じての太いパイプを持っている。

 毎日新聞には、この種の組織がない。TBS系列やそのバックの電通が、イニシャティブを握っているためだ。サンケイ系列では、フジテレビの方がはっきりと優位に立っており、フジテレビの電波企画室が中心になっていた。いまサンケイのラジオ・テレビ室長である播上英次郎は元フジテレビ電波企画室長。鹿内ワンマンが、フジテレビの社長からサンケイ社長になる際に、一緒に連れこんだという人事。その下で、前述の青木貞伸退社の一幕が演じられたのである。

 こうして、“波取り”専任の記者さえ常駐体制となった。しかし逆に、郵政行政のベールは厚くなるばかり。NHKでは“第三記者クラブ”の電波記者会所属の業界紙記者の方が、よっぽどジャーナリストらしい仕事をするという現状になっている。取材対象も、郵政省、NHK、民放、電機業界と、全体をカバー。大手紙が人員ばかり増やしても、権力に癒着するクラブ取材では全く真相に迫る報道は出来ないという例証が、ここに典型化されている。

 さて、新聞側の問題が長くなったが、もうひとつNHKそのものも、郵政記者クラブのメンバーなのに、その活躍ぶりについては、あまり知られていない。しかし、構造的には、NHKそのものが新聞の「本社」とラジオ・テレビ局を合わせたようなもの。民放と並行して、全国にテレビで三系統、ラジオは中波で二系統、FMで一系統を張りめぐらす、日本最大のネットワークである。

 放送の免許は施設免許なので、NHKといえども出先のUHF局のひとつひとつまで、大臣のハンコを頂かなくてはならない。その上、毎年の予算承認、何年置きかの受信料値上げの際には、郵政省どころか、自民党の総務会にまでNHK会長らが伺候する慣行。とてもとても、郵政省や逓信族議員の御活躍ぶりを、非難申し上げる立場ではない。ローカル放送局の免許では、民放と競合しながらも、一面では共同作戦。《チャンネルプランの修正》と称する使用電波の拡大については、アベック闘争ということになる。

 これだけの関係があれば、かの有名な建設業界なみの癒着は、ただちに完成する。しかも、テレビ時代の初期には、その建設業界出身の《元祖》闇将軍、田中角栄が郵政大臣だったのだから、あとはいうだけ野暮な話なのかもしれない。

 さて、こういう政界とマスコミ界の癒着関係が、NHKの周辺をぼやかし、受信料を含めた実態追求を困難にしている。くり返しになるが、その接点こそが、他ならぬ《記者クラブ》なのである。

 一般人の眼には、《記者クラブ》が取材基地のように見える。当の記者を含めたマスコミ関係者のほとんどさえ、うすぼんやりと、そういう位置付けをしてしまっている。

 しかし、ちょっと頭を冷やして考えれば明らかなように、本来からして官許で貸与の場が、政財界の内幕追及の場になるわけはない。官庁クラブは、政府側発表のコピーを入手する場所だが、この発表記事(リリース)方式の先輩国アメリカでは、《ハンド・アウト》という新聞記者用語がある。《ハンド・アウト》とは、裏口でこじきに与える残飯のことであり、発表コピーで記事を書く記者は、さしずめ《こじき記者》、そして官庁記者クラブは、《こじき記者のたまり場》というべきだろう。アメリカでもまだ、クラブ取材に頼らぬ伝統が生き続けていることは、さきのニクソン=ウォーターゲイト事件で、ワシントン・ポストの二人の記者が示してくれた。日本でも、さきごろ、朝日新聞の記者が《盗聴事件》を起こしたが、当の記者は、クラブ取材をしないので恐れられていたという。惜しい人物だ。

 だが、わずかな例外を除いて、大半のサラリーマン記者は、クラブ勤務を守り切るのが精一杯。気持はあっても、裏面(いや、本来の正面か?)取材には手が出ない。下手に動けば、デスクに怒られることさえある。つまり、ジャーナリストとして、一本立ちの判断が出来ないのだ。しかも、総合紙とか総合テレビとかいいだすと、そのこと自体が足かせになる。急所の弱みが出来てくる。いわゆる頂門の一針である。

「新聞・電波関係の記者とは“平河クラブ”を通じて結ばれており、特にリレーションについての問題はないと思われる」

 一九七三年二月に、電通が提案した「自民党広報についての一考察」には、こう書かれていた。“平河クラブ”とは、千代田区平河町にある自民党本部の記者クラブの通称。新聞・放送記者百五十人ほどが登録されている。これに加えて、“永田クラブ”と通称される内閣記者会にも約三百人の記者がいる。そして、政府、政権党=自民党、派閥の発表をセッセと“たれ流し”報道。時折は野党筋からの批判も加わるが、おおむね中央からの世論操作に一所懸命というのが、大勢である。つぎの段階では、こじき根性を見込まれて、台所に上げられる。いわゆる夜討ち朝駆け取材で、果ては日本でも、《ポチ》というマスコミ俗語が生れた。つまり、こじき以下、飼犬同然という状態。これでは、チョウチン記事は書けても、田中金脈やロッキード汚職の追及には、立ち遅れるのも当然だ。

 話がひろがり過ぎたが、こういう“総合”マスコミともなれば、一人の記者や一部門だけが出過ぎた真似をすれば、“総合”的観点からのチェックがなされる。鋭い追及は、構造的にも困難なのである。
 [後略]

 以上。


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