『亜空間通信』808号(2004/06/29) 阿修羅投稿を再録

封印『マルコポーロ』1995.2松本サリン緊急特集-2「テロリスト犯行」米専門家予言次の舞台的中

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『亜空間通信』808号(2004/06/29)
【封印『マルコポーロ』1995.2松本サリン緊急特集-2「テロリスト犯行」米専門家予言次の舞台的中】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 政教分離の憲法に違反し、北朝鮮の対日秘密工作部隊、創価学会の支配下にある似非政党を粉砕せよ!

 前号に引き続き、1994年6月27日に起きた松本サリン事件の10周年に寄せて、発売直後に廃刊・回収・公式には存在しない『マルコポーロ』(1995.2)の緊急特集-2を再録する。

 冒頭のゴシック・リードの最後、「事件はもう一度起こる。これをやった人間は『次はもっと大きな舞台でやってみせる』とほくそえんでいる」の予言は、発売日、1994年1月17日の3日後、都心、霞ヶ関周辺の地下鉄サリン事件として、恐るべき的中となったのである。

 むしろ、この記事の出現が、かねて企画されてた作戦の発動を早めたのかしれないのである。背後の闇は、いまだに探索されていない。

読みやすくするため区切り線を入れています。2017.8.7

p. 156
緊急特集2
米化学兵器研副所長が松本で徹底検証。
松本サリン事件は、テロリストの犯行だ。

死者七名を出した松本のサリン事件は、半年を経た現在も解決をみず警察の捜査は難航している。それというのも、日本にはサリンを実際に扱える専門家がいないからである。警察は完全に初動捜査を誤り、事件はうやむやのうちに忘れられようとしている。そこでついに、米国生物化学兵器研究所副所長のオルソン氏が事件の解明に乗り出した。事件現場を徹底して歩き、第一通報者河野義行氏との会見は二時間半にも及んだ。オルソン氏は警告する。「事件はもう一度起こる。これをやった人間は『次はもっと大きな舞台でやってみせる』とほくそえんでいる」と。

カイル・オタン●文
text by Kyle B. Olson
丹 英直●写真
Photographs by Hidenao Tan

1954年、米国モンタナ州生まれ。1977年ウエスト・バージニア大学院1980年モンタナ州立大学院修了。1985年米国化学製造者協会安全及び運営担当研究員として化学分野の実績を積み、1990年ジュネーブ国際平和会議メンバー、1991年対イラク化学兵器処理活動コンサルタントを歴任。1992隼には米国政府の生物化学兵器処理などに協力する非営利団体「米国生物化学兵器研究所の設立メンバーとして副所長就任。

 松本のサリン毒ガス事件の知らせを聞いたとき、私はまず、「起こるべくして起こってしまった」と、思いました。

 日本では、第一発見者の河野義行さんが、ほとんど容疑者として扱われているようですが、この事件の本質はそんなに単純なものではありません。これがアメリカであれば、すぐに軍が現場を封鎖するとか、CIAやFBIが事件の解明に乗り出すことになる。あるいは、一週間以内に私のような専門家が派遣されているはずです。これは国家安金保障上の重大な失敗と言わざるをえません

 日本から送ってもらった報道記事の内容を子細に検討しても、疑問の点がたくさんあります。このレポートで私はその疑問点を詳述して、事実の解明に少しでも役に立ちたいと願っています。

 さて、事実の解明を始める前に、サリンがいかに危険な物質であるかをお話ししましょう。

 サリンは一九三〇年代にドイツで開発されました。すでに一九二五年のジュネーブ協定で化学兵器の使用は禁止されていましたが、その開発と備蓄には何の規制もなく、また、報復としてのみ使用することが許されていたのです。

 一九六〇~八○年代NATOドクトリンでは、ヨーロッパで対ソ連戦が起きた場合、一日に最大一万トンの化学兵器を使用する計画がありました。

 もしもこの計画が実行に移されれば、東ヨーロッパは数日のうちに存在しなくなってしまう。化学兵器というのは、それくらい危険なものなのです。

 そこで七〇年代末から再交渉を行ない、化学兵器の開発、研究を禁止し、貯蔵量をなくそうと努力していますが、未だに締結されていません。現在においてもサリンを始めとする化学兵器がアメリカに四万トン、旧ソ連に四万五千トン存在しています。

 アメリカの化学兵器のうち最も危険なのは、ケンタッキーやアーカンソーに備蓄されている二十万発のサリンを積んだミサイルです。当時つくられたサリンの質が悪く、腐食が進んでいるため、これらの処分を巡ってアメリカでは大変なツケを払わされています。なにしろサリンの分解は簡単なものではありませんし、それ以上に、少しでも人体に触れれば死に至らしめてしまう危険なものだからです。

 結局、完全に密閉された部屋で、ロボットを使って遠隔操作で裁断しますが、その時にミサイルが爆発しても大丈夫なように、かなり頑丈な建物が必要になるのです。

 太平洋のジョンストン島に唯一の処理場がありますが、とても間に合いません。そのためアメリカ本土にあと八力所の処理場を建設する計画はあるのですが、そんな危険なものを、どこが喜んで引き受けるでしょうか。地元住民の反対で頓挫しています。

 すでにアメリカはこのミサイル処理に百二十億ドルを投じていますが、これは最初にミサイルを作った予算の、なんと十倍以上です。

 それだけではない。太平洋沿岸の各国などに置き去りにしたミサイルの処理のために、さらに二百五十億ドルの予算が必要です。

 そもそも、サリンが戦場で使用された例は、歴史上一度もないのです。湾岸戦争で使用したと言われるイラクのケースでさえも、実際に使用したかどうか、確認はできていません。

 その理由は二つあります。

 よく、化学兵器はA液とB液をミサイルに積んで、爆発時に混合させるといわれます。バイナリー・ウェポンと呼ばれるものです。しかし、サリンは化学反応に時間がかかるので、この方法は適当ではありません。

 となると、非常に危険な物質を戦場に持ち込まなくてはなりません。そのためには設備が大がかりなものになって、すぐ敵の目についてしまう。

 仮に首尾よく敵に打ち込んだとしても、風によって思わぬ方向に拡散します。ドイツが第一次世界大戦で学んだ教訓は、風が毒ガスの向きを変えてしまうということでした。それでも使用しようとする場合には、防毒マスクと防護服で全身を覆う必要があるわけで、そんな恰好で戦闘を行うことは、あまりにも非現実的です。

 無理にサリンを使用する実例を想像するならば、戦術上どうしても必要な町を落とす前に無人化しておきたいような場合。しかし、それも賢明な方法とはいえません。あとは、抑止力としての存在。その程度です。

 私は幾つかの疑問を解くために、まず第一通報者の河野義行さんのお宅を訪ね、二時間半にわたって事件当夜の現場を案内していただき、また詳しいお話を聞きました。

河野さん、あなたと家族の皆さんはモルモットにされたんです。

オルソン いろんな資料読んだときに、なぜ、誰がやったのかに非常に興味をもちました。今回お話があったとき、ああ、やっとこのいくつかの疑問を自分が解けるチャンスが出来たと、正直言って興奮しました。

 河野さんご自身はどんなふうにお考えだったんですか。

河野 私はまったく何がなんだか分からないという状態です。人為的ということが、警察のほうで言われてるわけなんですけど、いままでのマスコミの報道をいろいろ見てると百パーセント、それも信用してるのかどラなのか疑問です。

オルソン サリンというのは絶対、偶然には出釆ません。つまり、非常に明確な意図を持った人物が作ったものだと私は思っています。

 ご自身、いちばん初めに普通じゃないと感じられた症状は何だったんですか。

河野 まず目のほうで、見える像が非常に歪んで釆ました。

オルソン 呼吸困難とか、あとはのどがごくっと詰まるとか、呼吸器官でそういうことが何かおありになったですか。

河野 そういうふうには感じなかった。

オルソン 耳鳴りとか……。

河野 幻聴というんですか、ドドドドドというような音がしました。そのときは幻聴と思ってなかったんですが、娘のほうもやはりそういうような音を聞いたようです。

オルソン たとえば唾液が出るというようなことありませんでしたか。

河野 唾液はかなり出ましたし、救急車の中でかなり吐きました。

オルソン ああ、そうですか。日本ではあまり注目されていないようですが、これは非常に重要なことなんです。いわゆる神経に障害を与えるある種のガスの非常に典型的な症状なんですよ。

 あの夜は、具体的に皆さん、どうしていらしたんですか。

河野 まず八時から九時のあいだ私、長男、妻の三人が居間でテレビを見ながら食事をしておりました。長女がこの家の二階にいました。次女は離れにいました。長男は九時から十時頃までこの部屋で寝まして、それ以後起きて、離れの自分の部屋に戻ってるんです。

 私は九時から十時頃まで新聞等読んでおりまして、妻は台所と居間を行ったり来たりしながら、洗い物とか片付けとか、そういうことをしておりました。

オルソン 最初に犬の異変にお気付きになったということを聞いてますけども、それまで奥様はべつに何でもなかったですか。

河野 十時から十時四十分、NHKの歌謡番組を妻と一緒に見ておりました。その番組が終わってしばらくしてから、妻がちょっと気持ちが悪いと言い出しまして、このときはまだ異変とか異常とかいうふうに感じてませんでした。それで、私が居間のほうで横になったら、ということで横たえました。それとほぼ同じ時間に犬小屋のほうから音がしたわけなんです。

 私はなぜかなと思って、犬小屋を見ましたら、親犬が横になっておりましたもんですから、外に出ていったんですよ。親犬は白い泡を吹いていました。

 玄関のところに緑の車があるんですけど、その前においた漬物桶に水が張ってあります。それで泡を拭いてやろうと恩いまして、その桶を犬のところへ運びました。

 それから、同じ車の中に軍手がありましたもんですから、もう一度、車のほうへ戻りました。それで犬を拭いたんですけど、とても助かりそうもないと判断して犬小屋の前の簀子の上へ親犬を横たえたんです。

 そのときには子犬はもう横たわって、ぜんぜん動かないような状況でした。

 同時に二匹が具合が悪くなるというのは、普通では考えられませんから、外から毒物かなんかを投げ込まれたんじゃないかなと思いました。それで、中にいる妻に対して、警察のほうへ連絡したほうがいいんしゃないかと声を掛けた。ところが返事がなかった。それで、居間のほうヘ戻りましたところ、もう妻が非常に痙攣を起こして苦しんでいた。そんな状況ですね。

オルソン そのときに救急車を?

河野 妻が非常に苦しがってまして、衣服をちょっと緩めたんですけれども、痙攣とか異常な状態だったもんですから、まず救急車が先だと思い、一一九番しました。

 私に具体的な変調が現れたのはその時です。先程言ったように、ドドドドッという音がしました。また、非常に画像が歪んだというか、テレビの垂直同調が合わないときのようにバタバタバタと見えて、非常に驚きました。また、ライトが暗く感じたんですけど、うちはいつもわりと暗いもんですから、それはちょっと判断がつきませんでした。

 それから私はみんな集まれというようなことで、子供を呼んだんです。

 その後は、一秒でも早く救急隊員を呼ぼうと歩きだしましたが、玄関で座り込んでしまいました。その時に次女とすれ違っています。長男には「ちょっと駄目かもしれない。駄目だったら後を頼むよ」というようなことを話しました。

 それからサイレンの音が聞こえてきたので、フラフラと歩きながら外へ出て、救急車の中で倒れたわけです。

オルソン いちばん初めに第一容疑者として扱われたときに、河野さんはどのようにリアクションなさったんですか。

河野 警察のほうは容疑者という一言い方はしてないはずです。あくまでも被害者という言い方で一貫しております。

オルソン ただし、いろいろ私が読ませていただいた報道だと、かならずしもそういう扱いではなかったような……。

河野 ですから警察は被害者というスタンスの中で、容疑者的扱いをしたということです。

オルソン じゃ、河野さんが薬学的な知識をお持ちである。ただし私に言わせれば、サリンとぜんぜん関係ない薬学だと思いますけど、とにかく知識をお持ちになってる。それから日本の非常に保守的な社会の中で、職を転々とする生き方が少し変わっていらっしゃるとかということから、一+一=二ではなく三も四もという形になったことをどう思われますか。

河野 捜査員自身が薬品に対する知識というものがおそらくなかったと思います。たとえば硝酸銀という薬品がありますんですが、これがAgNO3という化学記号になるんですが、Agって書いてナンバー3というような押収リストになってるんですよね。化学的知識がかなり低い方だと思うんです。

オルソン 県警以外にどなたかいわゆる専門家と話をなさいましたか。

河野 まず私のほうで、七月十五日の日に独自検証ということで、有機化学の田坂興亜先生(国際基督教大学)をお呼びしまして、私のほうの自宅でそういうものが出来るかどうかというような検証をしております。そのときにサリンのつくり方、第一段階物質、それから第二段階物質に対して、サリンがどういうふうにつくられるかというような説明は聞いております。

 サリンの作り方は八通り以上ある。大学生なら理解できる程度の知識。

オルソン なぜ私がこのような質問をするかと言いますと、犠牲者と呼んでも容疑者と呼んでも何でもいいんですが、河野さんに対する警察側の態度みたいなものですね。それは私としてはどうしても確かめたかったんで、こんな質問をしました。

 そもそも、はっきりとした知識に基づいてあのような危険な物質をつくり出した人間が、自らも被害を蒙るような場所に戻るということが、論理的に全く考えられないことだからです。

 実はこれは私自身の見解であって、なおかつ自分と一緒にこの仕事に関わっているプロフェッサーも含めた意見なんですが、今回の事件を、いわゆる中央官庁が一切調査してないというのは、たいへんな驚きです。これはテロリストがつくったのかもしれない。こういうものをテロリストが手にλれればどうなるか。

 つまりあなたを含めてご家族、かなりの人がモルモットだったと思います。まず松本で一応使ってみてどんな反応になるか。将釆、たとえば都会のど真ん中で使うということでの、テロリスト集団による一種のトライアルだったということをなぜ考えないのかと私は不思議に思います。

 私に言わせれば、誰か個人が自分を含めて近所、家族も危険にさらすようなことをするという可能性よりも、このテロリスト説のほうがよっぼど信懸性がある。

 私どもの見解に関して河野さんにあえて、どういうふうに思いますかなんてことは聞きません。ただ実際に政府の中央機関がなんら関心を持たず、なおかつ世界的なレベルでの一連のテロリスト、海外で活躍しているテロリストとの関係みたいな形からの視点でものを見ないということを、私は危倶します。

 ところで、事件当時にお撮りになった写真を見せていただけますか。

河野 七月四日ですね。私の友だちが警察の方と一緒に並んで撮った写真なんですけど。

オルソン 縁側の前には何かありましたか。

河野 ドラム缶が置いてあるだけで……。

オルソン 家屋の犬小屋に面した壁の、床下にあたる部分が格子になってましたよね。縁側の下が通風口になっていて、その吹き出し口が犬小屋のところなのです。この縁側の下は、警察は調べましたか。

河野 さあ、私にははっきりとわかりません。

オルソン これは重要だと思いますよ。つまり、池で発生したサリンはまず縁側の下を通って犬小屋を襲った。遅れて、台所や縁側のガラス戸の隙間、あるいは床板の間からサリンが拡散して来て、奥さんや河野さんを襲ったと考えることができるからです。

河野 たとえばですね、先ほど居間のところのガラスが割れたところを見ていただきましたよね。いわゆる浸透性というんですか、そういう性質に対してはどんなかなと。

オルソン 少量でもたいへん大きな影響を与えるということをまず言いたいと思います。つまりサリンというのは、雫が肌に触れただけでその人を殺す。そのぐらいの毒性のあるものだということを理解していただくとすると、たとえばさっきの床の裂け目で充分ですね。

 特にこういう日本的な家屋ですから、普通のところよりは当然、浸透性は高いでしょう。

 今回の場合は、マンションで亡くなった皆さんは窓を開けていらっしゃった。逆に、河野さんは風の通りがいいから閉めていらっしゃったというのがあるわけで、どっちが幸運だったかということです。

河野 サリンは重い物質で、しかも草木を枯らすことはないということのようですけれど……。

オルソン その通りです。つまりサリンをつくる過程で副作用としてガスが発生して、樹木や下草を枯らしたんだと思います。

 サリンのつくり方は、使ってる装置によって、それこそ八通り以上あるんですね。もちろん最終的なデータがないのでこういう結論を出すのは怖いんだけれども、かなり可能性があるのは、アルコールを最後にたすことによってそれが完成するわけですけど、それ以前の二つぐらいのステップをここでやったのではないかということは言えます。

 最初に聞いたとき思ったのは、フッ化水素ですか、それとあと……。

河野 塩化水素と、東京大学の森謙次先生もそラいうふうなことをおっしゃってます。

オルソン 私もそう思います。木が枯れたのは、そのガスによる影響だと思います。フッ化水素はガラスのエッチングにも使うような非常に危険な物質です。質量の違いや、発生した時間の違いから、拡散したガスの層が違っていたのでしょう。

 入院した直後はどのような処置を受けられましたか。

河野 薬品名は分かりませんけれども、入院した当初というのは、かなり吐き気がひどくて、それから熱も三十八度五分から九度近く出まして、注射、座薬なんかを入れても全く効かなかったです。それから、ずっと点滴というような形で一日四本とか五本とかいうような量の点滴をやってます。下痢が一カ月ずーっと続きまして、体重が十キロ以上減りました。

 妻に関しては、いわゆる血液透析というんですかね、毒物を活性炭に吸着させるというような処理を施したそうです。

 被害にあわれた方のほとんどが、中性脂肪が減っていると、病院の先生から聞きました。

オルソン 最近の症状はいかがですか。

河野 微熱ですね。三十七度二分ぐらいまで上がるんです。それから朝起きたときが六度八分ぐらい。その間で振れてます。それから頭痛と不眠が残ってますね。

 仕事は一応長期欠勤という形をとっています。九四年中の職場復帰をめざしていたんですけど、今の筋肉の状態ではまだ無理です。落ち葉をかき集めて燃やしたりとか、軽い運動をするようにしています。

オルソン 奥さんをはじめ、他のお子さま方の病状というのはいかがなんですか。

河野 妻のほうは、依然として意識不明の状態です。それから視神経のほうがやられてるということです。目は開いてるんですけど、見えてない。刺激与えても脳波に変化がないというような状況が確認されています。

 現在、自分の診察も兼ねて週に二回見舞いに行っています。本当はもっと行ってやりたいのですが、まだちょっと無理です。

 子供については、たまに微熱が出ることがありますんですけど、まあそれが後遺症なのか、ちょっと断定出来ません。

 先ほどおっしゃったように第二、第三の事故というか事件が、可能性あるわけですから、ほんとに全容を解明していただかないと安心出来ないですね。


 その後、幾人かの被害者や、河野さんの主治医を始め、治療に当たった医師に話をききました。

 たとえば明治生命寮に住んでいた大西英夫さん(50)は、当夜の状況を次のように証言してくれました。

「わが家は一階で、池とは反対側の部屋でした。暑いので南と北の窓を開けてありました。

 十時半頃、頭が痛くなって、鼻水、くしゃみが出ました。そして、その後に吐いてしまいました。横になったのですが、眉間のところが痛くて寝るどころではありません。

 妻は十一時半まで長電話をしていましたが、途中から息苦しさを感じています。また、電灯が暗い感じがして二人でつけたり消したりしていました。妻には下痢の症状が出ました。

 十二時頃、救急車のサイレンの音がしましたが、近くの大学生が騒いでいるんだと思ったんです。それが裁判官舎にも赤色灯が見えたんで妻が聞きにいきまして、『ガス漏れじゃないか』と消防署の人に言われました。

 ところがしばらくして警察の人が、『明治生命寮は無事か』と聞いてきましたので、驚いて各部屋を回ったんです。

 三階の榎田さんの部屋から返事がなく、マスターキーで開けて部屋に入ると、風呂の中で死んでました。肌の色が異様な黒っぽい感じだったのを党えています。同じ三階の稲田さんは突然意識不明になったそうです。発見された時は口から血が流れていました。それに比べれば、うちは軽症でした。榎田さんを相沢病院に運んだのは午前一時すぎ。ご臨終が二時十八分です。

 報道陣に、『あなたも見てもらったほうがいいよ』と言われてたんですが、すでに相沢病院は一杯で城西病院に行きました。そうしたら先生が『帰ってはいけません』と。亡くなった方の次に酷い検査結果が出たそうです」


 城西病院の薄井尚介副院長は、当夜の様子を語るとき今も興奮を抑えられない様子でした。

「その夜は救急担当病院ではなかったのですが、ほかの病院に収容しきれなくなった患者さんが続々とやってきました。救急担当病院では、ベッドに収容しきれず、一時は患者を待合室のソファに横たえていたようです。

 患者に共通して見られた症状は目がピンホールのように暗くて見えない状況でした。それとコリンエステラーゼ(神経の伝達をスムーズに行うために不可欠な酵素)の著しい低下です。

 うちの病院で亡くなられた患者さんは一人だけですが、電気ショックみたいにベッドから飛び上がって手が付けられない状態で、この人の命を救うのに手一杯でした。抗痙攣剤を致死量に近いくらい使いましたが、全く駄目でした。

 硫酸アトロピン(縮瞳・唾液・嘔吐・尿失禁等に効果がある)をどんどん打ちましたが、効果がない。一人のために外来用の硫酸アトロピンを金部使いました。ほかにも、なんとか呼吸をさせようと気管切開までしたんですが……、結局一時間ほどで、なす術もなく亡くなりました。

 大西さんご夫妻が入院されたのは明け方の六時五十分。それまで同僚の命を救おうと必死だったようです。

 ご主人の場合、正常値が百から二百五十といわれるコリンエステラーゼがわずかに三十九。亡くなった患者さんが十とか二十という値で、その次に深刻だったんです」


 また、河野義行さんの担当医、松本共立病院の鈴木順氏は次のように語っています。

「この事件の被害者は二百名。うち死者が七名。当院入院患者は十八名です。

 その夜はドクター五人と看護婦十人が緊急に呼び出されました。

 興味深いのは警察官や救急隊員、医師や看護婦に頭痛や呼吸苦、目がチカチカするといった二次汚染があったことです。特に患者と同じ部屋で長時間接している看護婦に症状が現れました。手袋などはしていたんですが患者の吐き方が酷いので、手についてしまったんでしょう。

 最初は心理的な問題かという意見もありましたが、サリンと分かる前から訴えがあったし、やはり患者と長く接した人間に顕著に現れています。

 原因がサリンと分かってからは、日本医師会から『有毒化学剤等障害者に対する処置・治療に関する参考資料』というのが送られてきました。そこに書かれている症状はいちいち納得できるものでしたね。

 呼吸器官の組織のただれですか? なかったと思います。

 自衛隊やその他中央からの情報提供や実態調査もありませんでした」


 私は二次汚染の原因は、衣服に付着したサリンだと思います。いずれにしても、恐るべき威力というしかありません。

 これらの人物へのインタビューで得た最も重要な情報はすべての患者において、コリンエステラーゼの数値低下が見られることです。これは、全く新聞の報道では知ることができませんでした。現地へ来て初めて分かったことですが、疑いなく、サリン中毒にみられる顕著な症状です。

 また、呼吸器官の組織がただれていないということは、多くの患者に塩素やフッ化水素の被害が少いことを示しています。

 私は松本を訪れる前まで、サリンはかなり純度の低いものではないかという漠然としたイメージを持っていました。それは、サリンが、一滴でも体に触れれば死に至らしめる劇薬であるにもかかわらず、一命を取り留めた人達がたくさんいたからです。

 しかし、それは間違いだったようです。むしろ犯人はきわめて純度の高いサリンを作っています。このことに、あらためて背筋の凍る思いがしています。

 百六十ページの表を見てください。ここに示しただけでもサリンの作り方は八通りあります。余談ですが、この図を掲載した私の本の共著者は大学院生です。つまり、それほど簡単な知識なのです。大学で化学を勉強した程度で充分理解できるでしょう。

 このうち松本で作られたサリンの製法は、最も低い百度で生成するルートをたどったと思われます。一番最後にフッ素化合物と五塩化リンとアルコールを混合するとでき上がりです。

 この結果生じるものは、サリンと塩化水素、また化合しなかったフッ化水素が気化することもあるでしょう。サリンは重たい気体ですから、河野家の庭木が高いところまで枯れていたのは塩化水素やフッ化水素によるものと考えられます。

 サリンは植物を枯らすことはありません。また、池から風下に行くに従って樹木の上のほうが被害が大きくなっています。

 犯人たちは、サリンの精製という手順を省いただけで、実験自体は非常に上手くいったと、今頃ほくそえんでいることでしょう。

最終段階の薬剤を混ぜるだけなら犯行はたったの二、三分だ。

 もう一つの疑問は、サリンが重たい物質であるにもかかわらずアパートの住人には、上の階に深刻な被害者が多かったことです。現場を見てみてわかりましたが、河野家の付近は昔のお屋敷があったところで一軒一軒の敷地が大きく、最近ではそれを取り壊してマンションを建てているとのことでした。

 鉄筋コンクリートの建物と木造家屋が混在する点は、サンプルとしても興味深いものです。

 辺りにはそれほど高い建物はなく、サリンの発生現場からみて風下はコの字形の吹き溜まりになっています。こういった地形では一種のビル風のようなものが吹きあがったり、風が巻いたりします。重いといっても、あくまで気体ですから、風に乗って思わぬ広がり方をすることは当然です。テレビのシミュレーションでやっていたようにじわじわとは広がらないのです。

 ただ、もしもこの何棟かのアパートが無かったら、被害は付近の多くの家に広がっていたでしょう。そのことを考えるとさらにゾッとします。

 私の感覚では作られたサリンの量は約一キログラムです。これはあくまで仮定ですが、アルコールとフッ化水素を加える前の液体はまだ安全ですから、これを氷でできた容器に入れて最後の作業を現場で行なったとしたら、私ならわずか二、三分で現場を立ち去ることができるでしょう。そして、氷製の容器はサリンの化学反応で起きた熱によって溶けてしまうのです。化学反応が起きるまでには、最短で二十分、最長で二時間。無事に逃げるまでには充分な時間があります。

 いずれにしても、サリンは現地で最終段階の作業を行なったのです。決して純粋なアンプルなどを用いたわけではありません。つまり、犯人は作ろうと思えば何度でも作ることができる。

 松本という街は、来年長野オリンピックの舞台の一つになるそうですが、私にはテロリスト達が実験をするのにふさわしい場所だと思えました。

 つまり、通りすがりの人はほとんどいない。結果は必ずマスコミが伝えてくれる。そして、地方の警察がオタオタするだけで、やがてうやむやのうちに忘れ去られてしまう。

 もちろん、それがなぜ松本なのかは、犯人に土地カンがあったとか、何らかの理由があったには違いありませんが。

 サリンの実験に適した気象条件は、気温が高く、湿度が低く、直後に雨が降って痕跡を消してくれることです。

 事件の起こった六月二十七日は、梅雨の合間でした。前日までシトシト降り続いた雨がやみ、初めて気温が三十度に達して、部屋の窓を開けている家がたくさんありました。しかも、その後に雨が降る確率は非常に高かった。湿度が高いことを除けば、非常に適した条件だったのです。

 いずれにしても私には犯人のほくそえむ顔が見えるようです。もしもこれが、新宿の地下街で起こったら。あるいは大阪の繁華街で起こったら。いや、ニューヨークやロンドンかもしれない。

 犯人たちは、次はもっと大きな舞台で、大きな悲劇を起こそうとしているのです。

(取材協力・大野和基)

 以上。


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