『亜空間通信』729号(2004/02/01) 阿修羅投稿を再録

劣化ウラン弾燃え滓の重金属毒性は焦眉の急を告ぐ緊急課題で集中徹底議論と調査研究提言求む

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『亜空間通信』729号(2004/02/01)
【劣化ウラン弾燃え滓の重金属毒性は焦眉の急を告ぐ緊急課題で集中徹底議論と調査研究提言求む】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 時局柄、焦眉の急を告げる緊急課題は、他にも山積しているが、今の今、イラクで多数の日本人が、劣化ウラン弾の燃え滓の微細粉末の重金属毒性に関して、間違った、または不十分な、歪んだ知識に基づく、実に危険な事態に直面しつある状況が進行中なので、この問題を最優先にせざるを得ない。

 私は、一昨昨日(2004/01/28)、以下の通信を発した。「善意」(と彼等が思いこんでいる人々)の情報の誤りは、「味方」を迷わすから、この際、もっとも危険なので、厳しく批判した。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku728.html
http://www.asyura2.com/0401/war47/msg/365.html
『亜空間通信』728号(2004/01/28)
【放射能兵器劣化ウラン弾表現の安易な姿勢に露呈す自称平和主義思い込み傲慢不遜不勉強長年性癖】

[中略]
 論理的には非常に簡単なことなのに、いわゆる右翼にも、そういう連中が多いが、左翼、自称平和主義の個人や、「政治的」集団なら、なおさらのことに、丸で話が通じないことが、非常に多い。この連中は、一種の狂信者だから、一度思いこんだら、脳の神経の回路が固まってしまって、柔軟性を失い、金輪際、他人の忠告に耳を傾けようとしなくなるのである。

 劣化ウラン弾の「燃え滓」、酸化ウランの微細粉末の重金属毒性に関する「左翼」、自称平和主義の個人や、集団の自己宣伝も、この思い込み。傲慢、不遜、不勉強の長年の性癖の典型である。

 手のつけようがないので、仕方なしに、私は、わが電網宝庫に以下の「リンク集」を設けた。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/iraq-uran.html
『憎まれ愚痴』劣化ウラン弾の重金属毒性・無視・無知・不勉強・批判記事リンク集
[中略]
「核禁」と略称される連中は、「原水禁」と勢力争いを繰り広げて、双方ともに「減衰」している。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 この通信を受けた友人が、厳し過ぎて、批判の相手を潰してしまうという主旨の忠告をしてくれた。そこで、本日、緊急に本通信を発することにしたのである。

 時間がないからという弁解はしないが、事実、時間がない。最初に一部改訂を発表する。上記の通信、『亜空間通信』728号の中の「原水禁」は、以下の「主導権争い」の状況下で、「核禁」と区別するために、「原水協」が普通になっていたので、そう改訂する。

「原水協」と「核禁」とは、日本共産党系と日本社会党系の主導権争いを続けてきた。その件は後述する。最新情報から、急ぎ、紹介する。

 昨晩、阿修羅戦争47掲示板に、以下に該当部分のみを要約紹介する非常に複雑な投稿が出現した。

---------- 引用ここから ----------
天木直人氏、国会質問で小泉首相を追い詰める方法提案 [public-peace]【石破、劣化ウランによる重金属毒性認め、毒性の発現が経皮的な吸収で起こると発言】
http://www.asyura2.com/0401/war47/msg/409.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 30 日 20:33:10:dfhdU2/i2Qkk2

○天木p.p.>さくらさん、ありがとうございます。私は今日民主党の石井一議員主催の勉強会に呼ばれて行ってきましたがそのとき劣化ウランの事を伝えて国会で質問するように要求してきました。メールでいただいたコピーも渡して勉強の上、質問を事前に教えずに爆弾質問をして小泉首相が劣化ウランの件で間違った答弁をしたら審議をストップさせるぐらいの気迫をもって質問してくれと注文をつけて来ました。彼は半分居眠りをしながらそれでも私が大きな声を出すたびにメモを取っていましたので大丈夫でしょう。
[中略]
民主議員に質問原稿を用意する計画を立てておられるようですが、まず、照屋議員の質問を聞いておくのがよいと思います。照屋議員の質問にたいする答弁で注目すべきは、石破が劣化ウランによる重金属毒性を認め、毒性の発現が経皮的な吸収で起こると発言したこと。この根拠をただすべきです。
グローバル反戦メディアアクション  太田光征 tel:047-360-1470 cqf01034@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/antiwar/
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 私は、先月末の2004年1月30日のワールドフォーラム1月例会、天木直人講師の特別講演、後半には天木直人・木村愛二・マッド天野鼎談に向けて、緊急出版『外交官惨殺事件の真相と背景』の作業に掛かりきりだったが、それでも、その緊急性に鑑み、1月10日には、以下の投稿をしている。

---------- 引用ここから ----------
漫画ったら漫画、陸自、劣化ウラン弾恐くて線量計携行検討中で重金属毒性無知の日経記事
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/392.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 1 月 10 日 11:51:14:CjMHiEP28ibKM

 漫画ったら漫画、陸自、劣化ウラン弾恐くて線量計携行検討中で重金属毒性知らぬ日経報道。

 本日、日経朝刊、35面、「陸自にイラク派遣命令」「残った劣化ウラン弾から放射能」「『見えぬ脅威』に備え」「隊員、線量計を携行へ」

 いわゆる学者の肩書き、慶応大学(あっ、あの婦女暴行逮捕歴首相が幼稚舎から通っていたとこか)助教授、61歳(この年でまだ助教授?)藤田裕幸の談話で、漫画ったら漫画記事を掲載している。

 ああ、これ、実にドぎつい、極悪非情漫画なのである。

全言語のページから藤田祐幸、劣化ウラン、重金属毒性、イラクを検索しました。
約24件中1-15件目・検索にかかった時間0.28秒

 藤田裕幸は、最近、似非紳士、朝日新聞記事に載ったものだから、俗悪テレヴィにも出て、「現地」でガイガーカウンター使ってみたりして、安手の平和売人が、肩書きで「人寄せパンダ」に使い、にわかに、いかにも劣化ウラン弾の専門家であるかのように、売り出したが、わが調査では、超高温で燃焼した後の「セラミック状の酸化ウランの重金属毒性」については、まるで、しゃべってもいないようなのである。

 即刻、日経だけでなく、防衛庁にも電話をして、「防衛大学校三期生の木村愛二である。このままでは危ないから、即刻、調べ直せ」と「命令」した。

 湾岸戦争症候群として知られる状況の元米兵は、あれの最中に、灼熱の痛みを覚えるそうである。婦女暴行逮捕歴首相や「薄ら馬鹿」風の防衛庁長官に言っても無駄だから、自衛隊員の妻、婚約者、恋人、まあ付き合っている女性に、直接、ご注意、申し上げる。これは老婆心ならぬ老爺心の発露である。
---------- 引用ここまで ----------

 以上、最近の急ぎの情報を紹介した上で、以下の問題に話を戻す。
 (承前)
「原水協」と「核禁」とは、日本共産党系と日本社会党系の主導権争いを続けてきた。

 以下が、双方の電網宝庫の自己紹介の要旨である。

1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
---------- 引用ここから ----------
http://www10.plala.or.jp/antiatom/
原水協日本語もくじ
原水爆禁止日本協議会は、1955年に創立されてから、
核戦争を防ぎ、核兵器をなくすために、そして広島・長崎の被爆者と
世界の核兵器の被害者を援護するために、活動をつづけています。
あなたの参加をお待ちしています。
---------- 引用ここまで ----------

2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
---------- 引用ここから ----------
http://homepage2.nifty.com/ui-net/kakkinn-shoukai.htm
核禁会議の歴史・理念・活動
核禁会議とは
 核禁会議は核兵器廃絶、被爆者援護、平和建設のため1961年に結成され、今日も積極的な活動を続けている団体です。
 核禁会議はいかなる国のいかなる理由による核兵器の保有も許さないとする趣旨に賛同した個人、団体によって組織されています。

 核禁会議の理念・活動
 核禁会議は現在、核兵器廃絶をめざす運動・・・中央、地方集会の開催、啓蒙活動、世論喚起、国際活動
?A世界の恒久平和実現のための運動・・・各種啓蒙活動、広島の「平和の灯」や長崎の「平和の泉」「平和の森」の建設など
被爆者援護運動・・・カンパ活動による医療施設への各種器機の贈呈など
原子力の平和利用を推進する運動・・・安全・自主・民主・公開を原則とした環境にやさしい原子力発電などの活動に取り組んでいます。

核禁会議の特徴の一つは、永年にわたって続けられてきた被爆者援護運動にあります。核禁会議は、個人・団体により街頭や職場で集められたカンパ金で、レントゲンなどの医療器具や送迎バス、リハビリ器材等を購入し、医療施設への寄贈を毎年行ってきました。また、広島、長崎で被爆し、韓国に帰国した人々のために、韓国に原爆被爆者診療センターを建設し、毎年診療のため医師団を派遣してきました。この活動に対し、1996年、韓国赤十字社から核禁会議に対し感謝状が贈呈されましたが、このような活動は核禁会議だけの取り組みと言えます。

核禁会議の三原則

核禁会議の40年余りにわたる活動の基本は、結成大会で確認された次の3原則です。

1.いかなる国の核武装にも反対する。
2.特定政党および政治勢力の干渉と支配を受けない核兵器禁止運動を展開する
3.人道主義を基調とする
---------- 引用ここまで ----------

 上記のごとく、「核禁会議の40年余りにわたる活動」とあるように、「核禁」の方は、2004-40=1964であるから、1960年代、つまり、「1955年に創立」の「原水協」よりも、5年以上は遅れて発足している。

 それぞれが、「特定政党および政治勢力の干渉と支配を受けない」という主旨の原則を発表しているが、この種の基本姿勢が、守られると思うのは、ほとんど白痴である。「法律は手品の一種」(マクリン)であり、「原則は破られるためにある」のである。

 政党と称する政治屋の集団は、宗教と選ぶところのない狂信の教条の御幣担ぎを常套手段にしていて、競争相手が多ければ多いほど、ますます強力に、支配下の愚衆を思想支配するようになる。その種の支配に屈した弱い頭脳の中には、特殊で強固な神経回路が形成され、本通信の冒頭に再録した以下の状況に陥るのである。

---------- 引用ここから ----------
『亜空間通信』728号(2004/01/28)
【放射能兵器劣化ウラン弾表現の安易な姿勢に露呈す自称平和主義思い込み傲慢不遜不勉強長年性癖】

[中略]
 論理的には非常に簡単なことなのに、いわゆる右翼にも、そういう連中が多いが、左翼、自称平和主義の個人や、「政治的」集団なら、なおさらのことに、丸で話が通じないことが、非常に多い。この連中は、一種の狂信者だから、一度思いこんだら、脳の神経の回路が固まってしまって、柔軟性を失い、金輪際、他人の忠告に耳を傾けようとしなくなるのである。
---------- 引用ここまで ----------

 この状況の怖さは、その「思い込み」の被害者になってみないと、本当には理解し難いのである。だから私は、劣化ウラン問題でも、何度も厳しく、この「核」気違いの「思い込み」の危険性を指摘したのである。

 再び、論理的に指摘すると、まずは、劣化ウランそのものについて、「天然のウランにおける235Uの存在比率およそ0.72%から、0.2%程度にまで低くなった」という研究データを示す。

---------- 引用ここから ---------- 
http://www.nodu-hiroshima.org/nodu22.htm
ヒロシマ・アピール」より転載
平成15年7月26日
イラク劣化ウラン弾サンプルの測定結果について

星正治(ほし・まさはる)広島大学 原爆放射線医科学研究所 附属国際放射線情報センター教授
田中憲一(たなか・けんいち)広島大学 原爆放射線医科学研究所 附属国際放射線情報センター助手

はじめに

 ウランは、核分裂をしてエネルギーを生み出す(235U)と、核分裂を起こしにくいウラン238(238U)から成り立っています。天然のウランにおける235Uの存在比率は、ウラン全体に対しておよそ0.72%です。原子力発電では、この235Uの存在比率を3~5%まで高めて、つまり、"濃縮"して使用しています。ウランを濃縮する過程においては、しぼりかすとして、天然の状態よりも235Uの存在比率が低くなったウランが出来ます。これを“劣化ウラン”と呼びます。この場合、235Uの存在比率は0.2%程度です。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 この235Uの存在比率が、0まで下がると仮定すると、核分裂を起こしにくいウラン238(238U)ばかりになるが、それでも、重金属のウランであり、比重は天然ウランよりもよりも高いのであるから、重金属毒性が比重に比例すると仮定すると、この製品を使った劣化ウラン弾の燃え滓の放射能は、ほとんど検出されないが、重金属毒性の方は強いことになる。

 これでもまだ、「放射能兵器・劣化ウラン弾」と叫ぶ方が、「世のため、人のため」と主張する者がいれば、脳の神経回路を精査することを、お勧めする。

 中野好夫「悪人礼賛」参照、 自分を善人と思いこむ人種は、非常に傍迷惑だからである。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/pro-16.html
元日本共産党『二重秘密党員』の遺言
(その16)「渾名はクレムリン」による告発も拙劣な偽善

[中略]

悪人礼賛
(1949.10)

 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との2つにつきる。

 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。悪人というものは、ぼくにとっては案外始末のよい、付き合い易い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な人間に決っているし、それに悪というもの自体に、なるほど現象的には無限の変化を示しているかもしらぬが、本質的には自らにして基本的グラマーとでもいうべきものがあるからである。悪は決して無法でない。そこでまずぼくの方で、彼らの悪のグラマーを一応心得てさえいれば、決して彼らは無軌道に、下手な剣術使いのような手では打ってこない。むしろ多くの場合、彼らは彼らのグラマーが相手によっても心得られていると気づけば、その相手に対しては仕掛けをしないのが常のようである。

 それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。

 かりにぼくがある不当の迷惑を蒙ったと仮定する。開き直って詰問すると、彼らはさも待っていましたとでもいわんばかりに、切々、咄々としてその善意を語り、純情を披瀝する。驚いたことに、途端にぼくは、結果であるところの不当な被害を、黙々として忍ばなければならぬばかりか、おまけに底知れぬ彼らの善意に対し、逆にぼくは深く一揖して、深甚な感謝をさえ示さなげればならぬという、まことに奇怪な義務を員っていることを発見する。驚くべき錦の御旗なのだ。もしそれ純情にいたっては、世には人間40を過ぎ、50を越え、なおかつその小児の如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいるのだ。だが、40を越えた純情などというのは、ばくにはほとんど精神的奇形[ルビ:モーローン。註]としか思えないのである。

註 [2001.6.8.]:原語はmoron。ギリシャ語の「愚か」に由来し、わがiMac内臓の小学館ランダムハウス辞書には、「【1】 (一般に)愚か者,ばか,まぬけ.【2】心理「軽度精神薄弱者. 【3】性的変質者.」とある。
(上記註2002.11.22差換変更。別掲載記事で変更したものを反映し忘れていたため)

 それにしても世上、なんと善意、純情の売り物の夥しいことか。ひそかに思うに、ぼくはオセロとともに天国にあるのは、その退屈さ加減を想像しただけでもたまらぬが、それに反してイアゴーとともにある地獄の日々は、それこそ最も新鮮な、尽きることを知らぬ知的エンジョイメントの連続なのではあるまいか。

 善意から起る近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。無文法にある。警戒の手が利かぬのだ。悪人における始末のよさは、彼らのゲームにルールがあること、したがって、ルールにしたがって警戒をさえしていれば、彼らはむしろきわめて付合いやすい、後くされのない人たちばかりなのだ。ところが、善人のゲームにはルールがない。どこから飛んでくるかわからぬ一撃を、絶えずぼくは恟々としておそれていなければならぬのである。

 その意味からいえば、ぼくは聡明な悪人こそは地の塩であり、世の宝であるとさえ信じている。狡知とか、奸知とか、権謀とか、術数とかは、およそ世の道学的価値観念からしては評判の悪いものであるが、むしろぼくはこれらマキアベリズムの名とともに連想される一切の観念は、それによって欺かれる愚かな善人さえいなくなれば、すべてこれ得難い美徳だとさえ思っているのだが、どうだろうか。

 友情というものがある。一応常識では、人間相互の深い尊敬によってのみ成立し、永続するもののように説かれているが、年来ぼくは深い疑いをもっている。むしろ正直なところ真の友情とは、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性をもつものではないのだろうか。

「世にも美しい相互間の崇敬によって結ばれた」といわれるニ-チェとワーグナーの友惰が、僅々数年にしてはやくも無残な破綻を見たということも、ぼくにはむしろ最初からの当然結果だとさえ思えるのだ。伯牙に対する鍾子期の伝説的友情が、前者の人間全体に対するそれではなく、単に琴における伯牙の技に対する知音としてだげで伝えられているのは幸いである。伯牙という奴は馬鹿であるが、あの琴の技だけはなんとしても絶品だという、もしそうした根拠の上にあの友情が成立していたのであれば、ぼくなどむしろほとんど考えられる限りの理想的な友情だったのではないかとの思いがする。

 友情とは、相手の人間に対する9分の侮蔑と、その侮蔑をもってしてすら、なおかつ磨消し切れぬ残る1分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の可能があるのではあるまいか。10分に対するベタ惚れ的盲目友情こそ、まことにもって禍なるかな、である。金はいらぬ、名誉はいらぬ、自分はただ無欲でしてと、こんな大それた言葉を軽々しく口にできる人間ほど、ぼくをしてアクビを催させる存在はない。

 それに反して、金が好きで、女が好きで、名誉心が強くて、利得になることならなんでもする、という人たちほど、ぼくは付合いやすい人間を知らぬのだ。第一、サバサバしていて気持がよい。安心して付き合える。金が好きでも、ぼくに金さえなければ取られる心配はないし、女が好きでも、ぼくが男である限り迷惑を蒙るおそれはない。名誉心が強ければ、どこかよそでそれを掴んでくれればよいのだし、利得になることならどんなことでもするといっても、ぼくに利権さえなければ一切は風馬牛である。これならば常に淡々として、君子の交りができるからである。

 金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早くおぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえれば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。しかも情ないことに、そうした警戒をしておいて、後になってよかったと思うことはあっても、後悔したなどということは一度もない。

 近来のぼくは偽善者として悪名高いそうである。だが、もしさいわいにしてそれが真実ならば、ぼくは非常に嬉しいと思っている。ぼく年来の念願だった偽善修業も、ようやく齢知命に近づいて、ほぼそこまで到達しえたかと思うと、いささかもって嬉しいのである。

 景岳橋本左内でないが、ぼくもまた15にして稚心を去ることを念願とした。そしてさらに20代以来は、いかにして偽善者となり、いかにして悪人となるかに、苦心修業に努めて来たからである。それにもかかわらず、ぼく自身では今日なお時に、無意識に、ぼくの純情や善意がぼくを裏切り、思わぬぶざまな道化踊りを演じるのを、修業の未熟と密かに深く恥じるところだっただげに、この定評、いささかぼくを満足させてくれるのだ。

 もっとも、これはなにもぼくだけが1人悪人となり、偽善者たることを念願するのではない。ぼくはむしろ世上1人でも多くの聡明なる悪人、偽善者の増加することを、どれだけ希求しているかしれぬのである。理想をいえば、もしこの世界に1人として善意の善人はいなくなり、1人の純情の成人小児もいなくなれば、人生はどんなに楽しいものであろうか、考えるだけでも胸のときめきを覚えるのだ。その時こそは誰1人、不当、不法なルール外の迷惑を蒙るものはなく、すべて整然たるルールをまもるフェアプレーのみの行われる世界となるだろうからである。

 されば世のすべての悪人と偽善者との上に祝福あれ!
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 以上。


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