わたしの雑記帳

2005/6/15 山口県光市の爆弾事件といじめ報復事件

2005年6月10日、午前10時頃、山口県光市の県立光高校の校舎2階の3年生の教室に、別のクラスの男子生徒(高3・18)が、手製の爆弾(火薬入りのビン)の導火線にライターで火をつけ投げ込んで爆発させた。ガラスやビンのなかに仕込んであった数十本のクギが飛び散り、付近の教室を含む生徒58人が病院に運ばれ、重傷の男子生徒1人を含め、17人が入院した。
爆弾を投げたあと、1階ポンプ室付近でうずくまっているところを養護教諭が保護。現行犯逮捕された男子生徒は、「○組の生徒にプライドを傷つけられ、恨みがあった」「爆弾は作り方をインターネットで調べて、自分で作った」と供述。男子生徒はカバンに、もう1個の爆弾とモデルガンを用意していた。
学校側は当初、「動機に思い当たる節がない」とし、担任教師のことばとして「いじめを受けている状況はなかった」と言っていたが、その後、「いじめはあったかもしれない」と変化した。


この事件で、県教育委員会の幹部は「想定外の事件」と漏らしたというが、果たしてそうだろうか。
いじめが、すでにニュースにさえならないほど日常化するなかで、むしろ十分に予測しえた事件ではなかっただろうか。いじめ自殺があると必ずのように言われる「被害者の弱さ」。「やられたら、やりかえせばすむことだ」と大言してはばからない大人たち。被害者の「弱さ」を責め、子どもたちに「強さ」を求める社会のなかで、起こるべくして起きた事件ではないだろうか。
少年は、いじめの「生き地獄」のなかで、その苦しさから逃れるために、自分を殺すか、相手を殺すかの選択肢を迫られたとき、相手を殺すほうを選んだ。

アメリカではすでにいくつもの学校内銃撃事件が起きている。(2001/3/5 米カリフォルニア州南部サンディエゴ郊外のサンティーのサンタナ高校で、男子生徒(15)が短銃を乱射。生徒2人が死亡し、生徒11人と高校職員2人の計13人が負傷。同生徒は日ごろからいじめにあっており、前週末、級友らに「銃で仕返ししてやる」と漏らしていたとの証言もある。級友らはこの日の始業前、容疑者の体に触って武器を探したが、リュックサックに隠されていた銃を発見できなかったetc)。死ぬにしても、憎い相手を殺してから、自分も死ぬ。

日本は今まで、やり返さない子どもたちの「やさしさ」に依存してきた。相手より自分を責め、心と体を病んでいく。自分は死ぬほどの目にあわされてなお、相手の痛みを思いやる。自分が犯罪者になれば苦しむ家族のことを思いやる子どもたち。
自殺を美化するつもりはないが、その命をかけた思いに応えてこなかったことのツケが、来ているのではないだろうか。

事件があると大人たちは言う。「何かあったら先生に言いなさい」「お父さん、お母さんに相談しなさい」「ひとりで抱え込まないで大人に相談しなさい」。しかし、実際に子どもたちが相談にいくと、「いじめられるにはそれなりの理由があるはずだ」「自分で解決しなさい」「大したことではない。気にしなければいい」と言う。「被害妄想だ」と言われる。あるいは、単なるけんか扱いしたり、一時的、表面的な対応の結果、いじめはエスカレートする。「スクールカウンセラーのところに行きなさい」「転校すれば」と切り捨てられる。

いじめ自殺も、報復殺人も、大人たちがきちんと、子どもたちの解決の道筋を明確に示せないことから起きる。
もし、子どもたちの身近に、先生に言えば、親に言えば、教育委員会に言えば、人権擁護委員会に言えば、せめて裁判に訴えれば、「確実に解決する」という事例がたくさん積み上がっていたとしたら、いじめはこんなに蔓延しない。追いつめられて死を考える子どもたちはずっと減るだろう。
大人に言っても無駄。よけいひどくなる。かえって大人からも傷つけられる。そう思うから、追いつめられた子どもたちは自分たちなりの結論を性急に出してしまう。毎日、毎日が、1時間ごとが、針のムシロに座らされているような子どもたちは、もう一時も待てない。その後、どうなるかなどと考えている心の余裕もない。

いくつかのいじめ報復事件をリストアップしてみた。
注: あくまで、加害者側が供述のなかで犯行動機を「いじめに対する報復」と主張しているものであって、実際のところはどうかわからない。ただし、「いじめは、いじめられている側がいじめと感じたなら、いじめ」とするなら、受けた側の感性を大切にするなら、やはり「いじめられていた」と感じていたのだろうと思う。

事件の発生 主ないじめ報復事件・概要 参照
1969/4/25 神奈川県川崎市の私立サレジオ高校の男子生徒A(高1・15)が、同じ寮に住む同級生の男子生徒(高1・15)を登山ナイフで刺殺。首を切り落とした。
2人は日頃、仲が悪くはなかったが
、中学時代からAは被害生徒にいつも馬鹿にされたり、いじめられていた。
初等少年院送致。
690425
1978/2/12 滋賀県野洲(やす)町で、野洲中学校の男子生徒2人(中3)が、友人宅でザコ寝中、日頃いじめられていた同級生4人(中3)を襲い、3人を順に包丁でメッタ突きし、部屋にあった3本の木刀で殴った。当初、殺害する予定だった生徒は、たまたまその場を離れており、無事だった。
包丁で刺して1人を殺害、2人に重傷を負わせた。
780212
1978/2/24 大阪府枚方(ひらかた)市の招提中学校で、男子生徒4人(中2)が、日頃自分たちをいじめているグループに仕返しをしようと、昼食時に全員に配るお茶の中に劇薬の水酸化ナトリウムが混入、飲んだ生徒10数人が吐き気を催し、気分が悪くなった。
4人の内3人を殺人未遂で、大阪地検に書類送検。1人は児童相談所に通告処分。いじめていた男子生徒1人も、暴力、暴行容疑で大阪地検に書類送検。
780224
1984/11/1 大阪府の私立大阪産業大学高校の男子生徒2人(高1)が、いじめていた同級生の男子生徒(高1・16)を呼びだし、カナヅチで頭などを70回以上もめった打ちにし両目をつぶして大川に捨て、殺害
男子生徒2人を中等少年院送致。
841101
1985/3/5 千葉県野田市の野田二中の男子生徒2人(中3)が未明、使い走りなどをさせる同級生の男子生徒(中3)宅に侵入。部屋に灯油をまき、ライターで放火して逃げ帰った。男子生徒は大やけを負った。
男子生徒2人を中等少年院送致。
850305
1987/5/25 愛媛県野村町の町立野村中学校で3年3組の給食のみそ汁に農薬が混入され、生徒と担任教師の計43人に農薬反応が出て入院。
同クラスの複数生徒らからいじめにあっていた
女子生徒(中3・14)が、犯行を認めた。A子のクラスと3年3組の生徒は仲が悪く、A子を含めて複数の生徒を巻き込んでのいじめやけんかが繰り返されていた。
870525
1988/2/29 大阪府大阪市福島区のアパートで、市内中学校の男子生徒2人(中3・15)が、中学の野球部の先輩で無職・少年(15)に強要されたトランプ賭博で負けた借金が払えず、殺害
男子生徒2人を初等少年院に送致。
880229
1990/12/ 佐賀県神埼郡の三田川町で、無職・男(27)が、中学時代に受けたいじめの仕返しに、爆発物や致死量に達するヒ素入りビールを用意し、自らが幹事になって開く予定だった同窓会の席で元同級生ら殺害計画。気づいた母親の通報で未遂に終わったが、開けようとした爆発物が爆発。警察官3人が重軽傷を負う。
1審で懲役6年の判決。男は重すぎるとして控訴したが、高裁で、「中学時代にしつようにいじめを受けたとはいえ、卒業後11年余りが経過している。常軌を逸しており、動機に酌量の余地はない」として控訴棄却。
1992/5/29 山梨県中巨摩郡竜王町の町立玉聡中学校で、男子生徒(中3・14)が、自分を呼び捨てにしたり、殴ったりする下級生の男子生徒(中2・13)ナイフで刺殺 920529
1992/6/2 東京都文京区の日本大学豊山高校で、男子生徒(高3・17)が、いじめられたとして、同級生の男子生徒(高3・17)を文化包丁で刺し、全治1カ月の重傷を負わせた。 920602
1995/2/19 福岡県宗像市で、城山中学校に通う男子生徒(中2・14)の父親(49)が、息子が1年間にわたっていじめられていたとして、同じ学年の男子生徒2人(中2)を監禁し、頭を包丁の峰で殴るなどして5日間のけがを負わせた。
父親を書類送検。傷害罪で罰金50万円の略式命令。
950219
1996/2/12 兵庫県小野市の県立吉川(よかわ)高校で、男子生徒(高2・17)が、同級生の男子生徒Tくん(高2・17)殺害
Tくんが友人に悪口を吹聴したり、無視したりしたとして恨みに思っていたと供述。
「動機は短絡的で自己中心的。犯行も残虐で悪質」として、懲役5年以上8年以下の判決。
960212
1997/9/5 兵庫県で、中学生の少年(中3・15)が、中学時代から自分をいじめていた有職少年(16)に金を要求される等したことから、バットで頭部を殴打して殺害
死体をビニール袋で覆い、空き地に遺棄していた。
1998/3/9 埼玉県東松山市での市立東中学校で、男子生徒A(中1・13)が、他クラスの加藤諒(まこと)くん(中1・13)を折りたたみ式ナイフで刺殺
Aはかつていじめをしていたが、別の生徒にけんかで負けたことから立場が逆転。諒くんらのグループからもいじめの仕返しとして、いじめられていた。
Aは14歳未満のため、児童自立支援施設(旧称・教護院)に送致する保護処分。
980309
1998/8/26 東京都港区立港中学で、女子生徒(中3・15)が、同級生と教諭計27人に消毒液のクレゾールを郵送。男子生徒(中3・14)が自宅に郵送されてきた「やせる薬」と書かれた小瓶の液体を飲み重症で入院。
女子生徒(中3・15)が、いじめや受験ストレスから、「(毒物事件の)大々的な報道を見て、いたずらしようと思った」「2学期になって学校に行くのが嫌だった」と供述。傷害容疑で書類送検。
2000/7/21 岡山県の高校で、野球部員の男子生徒(高3・17)が、丸刈りを強要したり殴るなどした下級生部員4人に金属バットで殴りかかり、内1人(高2)が頭の骨を折る重傷。同日夜、少年の自宅で母親(42)を金属バットで撲殺
少年鑑別所へ送致。
いじめの中心にいたとされ、男子生徒にバットで殴られて重傷を負った部員(高2・17)を暴行容疑で書類送検。
2001/2/9 東京都江東区で、専門学校生ら(16)3人が、内1人が中学生時代に万引きを強要され、現金50万円を取られるなどのいじめを受けた相手の都立高校生(17)を公園に連れていき、刺身包丁で腹部などを刺し、全治2カ月の重傷を与えた。 010209
2001/6/9 福岡県小郡市の公園で、男子児童A(小6・11)が自宅から持ち出した文化包丁で、同級生の男子児童Bくん(小6・11)の胸や頭など13カ所に刺し傷や切り傷を負わせ、全治1カ月の重傷を与えた。
男子児童Aは、「Bくんに日頃からいじめられ、この日も十数回殴られたりしたため、刃物で刺した」と話した。顔などに殴られたような跡があった。
14歳未満のため、児童相談所に通告。児童福祉施設に送致。
010609
2002/5/21 長野県諏訪市湖南の県道で、市立諏訪西中学校の男子生徒(中1・13)が一緒に登校中の同級生の男子生徒(中1・12)の背中をナイフで刺し、重傷を負わせる。
2人は小学校3年生からの友人で、同じサッカー部に所属。刺した生徒は被害生徒に泣かされたこともあり、「刺すつもりで、家にあった父親のナイフを持ってきた」と供述。
2004/8/8 北海道石狩市のアパートで、Sさん(46)が長男を訪ねてきた私立高校生の少年A(高1・15)刺殺される。
少年は中学時代に同級生だったSさんの長男にいじめられ、「中学の卒業アルバムを見ているうちにそれを思い出し、次第に腹が立ってきた」「母親を殺せば長男が悲しむと思った」などと供述。
040808
2005/2/14 大阪府寝屋川市の市立中央小学校に卒業生の少年(17)が侵入。鴨崎満明教師(52)を包丁で刺殺女性栄養士(45)女性教師(57)にも重傷を負わせる。
「小学校時代、いじめられていたのに、担任がかばってくれなかった」と犯行の動機を供述。中学時代は不登校だった
me050216
2005/6/10 山口県光市の県立光高校の校舎2階の3年○組の教室に、別のクラスの男子生徒(高3・18)が、手製の爆弾を投げ込んで爆発させ、生徒58人が病院に運ばれ、重傷男子生徒1人を含め、17人が入院。
男子生徒は、「○組の生徒にプライドを傷つけられ、恨みがあった」と供述。



これらはいじめ報復事件の一部でしかない。しかし、いじめの報復による殺人や傷害事件は、いじめの延長としての殺人や傷害事件に比べると圧倒的に少数だろう。

報復事件では、きわめて残虐な方法で相手を殺害、もしくは殺害しようとしていることも少なくない(a b d e g l r v)。「たかがいじめで、なぜここまでするのか」と多くの大人たちは思うだろう。
少年事件の特性と、被害者も加害者も、加害者であると同時に被害者であるということもあって、事件後も具体的にどのようないじめがあって、報復を企てた少年たちがどれほど追いつめられていたのかの情報が出づらい。
しかし、多くの子どもたちが、いじめのなかで、死を意識している。このままでは殺されてしまうかもしれないという恐怖。出口の見えない、この苦しさから逃れるためには、死んでしまいたいと思う絶望感。

「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」ということわざがある。いじめられている人間が、その恐怖心を取り払って復讐するときには、かなり切羽つまっている。父親が介入してさえ、今のいじめは容易に解決するものではない(k)。その恐ろしさを、誰よりも子どもたちは実感している。
長途半端は絶対に許されない。失敗すれば、死ぬほどの目にあわされる、殺されるかもしれない。実際に、逆らった、生意気だ、悪口を言っていたなどという理由で、多くの子どもたちが集団リンチにあい、大けがを負ったり、殺されたりしている。
勝つか、負けるか。負ければ、かつての勝者も、今度はいじめの対象になる(n)。暴力の連鎖はとどまることを知らない。やがて、殺すか、殺されるか。
子どもたちは決死の覚悟で、ほとんどが武器を準備し、相手を殺すつもりで犯行に及んでいる。
テレビゲームに夢中になっているとき、遊んでいるとき、寝ているときなど、相手が無防備なときに襲う(b d e g)。仲間を募って襲う(b d e g q)。放火という手段を使う(e)。

いじめの報復であると主張する子どもたちの多くは、相手を傷つけたり、殺したりしても、反省が薄い。
罪悪感よりまず、これでいじめから逃れられるという思いにほっとする。
今まで、いじめた相手は罪悪感のかけらもなく、自分をいじめた。自分は死ぬほど苦しい思いをしてきた。そのことを誰もわかってくれなかった。周囲は一緒になって責めることはあっても、味方にはなってくれなかった。誰からも共感してもらえなかった子どもたちに、相手の痛みを理解しなさいというのは、難しいことだろう。

一方で、いじめたとされるほうは、いじめた自覚がなかったり、まるで大したことをしたとは思っていないことが多い。周囲も、いじめがあったにしても、「そこまでするほどのものではない」と言う。
大勢でいじめると、されたほうは何倍もの痛みを感じているにもかからず、係わったほうは、「みんなもしていたのだから」と罪悪感が薄められていく。いじめている側、あるいは傍観者と、いじめられている側のギャップは大きい。

いじめは、肉体だけでなく、心を深く傷つける。言葉や態度の暴力は、想像以上に子どもたちの心を蝕んでいく。
とくに、思春期ともなれば、プライドがずたずたにされることを、子どもたちはがまんできない。
報復事件の加害者に、圧倒的に男子生徒が多いのは、女子生徒に比べて肉体的な暴力が多く、このままでは殺されていまう。殺されるくらいなら、殺してしまおうという思いがあるから。そして、「男は強くあれ」というジェンダーの呪縛から、逃れられないからではないだろうか。
iでは、加害生徒は、いじめへの報復ではないかという見方を否定し、「このままではなめられると思った」と屈辱感が動機であるとした。同じく下級生部員からいじめられたpや、かつていじめていた相手からいじめられるようになったn、「プライドを傷つけられ、恨みがあった」というvにも共通する。

今のいじめは、一対一ではなく、多勢に無勢であることが多い。いじめの中心になっているのは数人だとしても、自分がターゲットにされることを恐れて、あるいはストレス解消の手段として、いじめる側に多くの生徒が加担する。救ってくれなかった教師、自分を追い込んだ学校という場に対しても恨みが募る。
いじめた側、傍観した側はすぐに忘れてしまう。しかし、いじめられた側はけっして忘れない。何かの拍子に思い出して、復讐しようと思うこともある(h t u)。相手が見つからない場合には、別の人間に転嫁される(t u)。
爆弾や毒物を使ったり、放火や学校侵入事件など、社会に対する怒りとして、無差別殺人を企てることもある。いじめを背景とする様々な少年事件がすでに起きている。

事件があるたびに、子どもたちからナイフなどの危険なものを取り上げるべきとの意見が出る。しかし、その気になれば、あらゆるものが凶器になる。
一度に多くの相手に復讐する手段としては、今までは毒物が混入がされた(c f h o)。誰が犯人か、わかりにくい。自分は安全な位置にいて実行できるという利点がある。
当然のことではあるが、人を殺す方法を学校では教えない。しかし、今はインターネットや携帯電話、図書を通して、子どもが大人と同じ情報に接することができる。得たい情報を子どもたちは得ることができる。
今回、少年は爆弾の作り方を入手したが、日本でもいずれ、子どもたちが銃を手に入れる日が来るのではないか。あるいは、モデルガンの改造してみせるかもしれない(すでにそういう事件があった)。
まさか、と思うだろうか。しかし、かつては暴力団など特殊な大人しか手に入れることができなかったドラッグを、中高生、場合によっては小学生までもが手にできる時代だ。金と情報さえあれば、大人と同じものが手に入る。

今、私たちの周囲には暴力があふれている。ひとつの暴力は新たな暴力を生み出す。
暴力を受けた子どもたちが、自らの身を守るためと称してナイフを携帯する。パニックに陥ったときに、安易に、あるいは反射的に頼ってしまう。殺すつもりがなくても、殺してしまう。
もちろん、子どもたちの手に銃器を渡さないことはとても大切だ。そのためには、大人社会からも閉め出さなければできないだろう。そして何より、子どもたちが、武器に依存しようと思わない社会を大人たちがつくることが大切だろう。そのためには、有形無形の暴力をひとつひとつなくしていくことだと思う。

「クギ入りの爆弾」と聞いたとき、イラク戦争で使われているクラスター爆弾を思った。殺傷力は通常の爆弾に比べて劣るが広く被害が及ぶという。地雷のように、たくさんの負傷者を生み出す。
飛び散った金属片で、多くの子どもたちが犠牲になった。麻酔どころか、痛み止めさえ手に入らないなかで、涙を流しながら痛みに悶える子どもたち。目を覆いたくなる映像を何度か見た。
今、日本の子どもたちに、そのことを伝えたとしても、きっと武器を使うことの抑止力にはならないだろう。むしろ、そんなに相手を苦しめることができるものがあるなら使ってみたいと言うかもしれない。

子どもたちの心がこんなにも荒んでしまったのは、私たち大人の責任だと思う。
「やさしい心がいちばん大切だよ」。そう言って、自死した小森香澄さんを思う。今の社会に「やさしさ」が足りない。
だから、暴力が蔓延するのだと思う。私たちが今、子どもたちに伝えるべきは、相手を屈服させる「強さ」ではなく、相手を思いやる「やさしさ」なのだと思う。

少年たちがやったことは、どんな理由があったとしても、けっして許されることではない。しかし、そこまで少年を追いつめた私たちはもっと反省し、子どもたちへの理解を深めなければならないだろう。
北風と太陽。子どもたちの手から武器をむりやり取り上げようとしても、子どもたちはますます武装化する。手放すまいと必死になる。それよりも、安心・安全な社会をつくることで、武器はもう必要ないということをわからせたい。





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