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『一坪反戦通信』
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 第152号(2004年1月15日発行)

沖縄経済と基地問題

来間—丸山論争を考える(文化研究の視点から)

井上 雅道

*はじめに

 『一坪反戦通信』138号以来、来間泰男氏と丸山和夫氏との間で「基地撤去は沖縄経済にとってプラスかマイナスか」をめぐって論争が続いている。本稿では、二氏の論争を通じて浮かび上がってきた様々な論点を整理しながら、沖縄——そしてこの論争——が置かれた社会的政治的文脈を可視化し、反基地運動の現状とこれからを考えたい。

 もとより私は経済学の専門家ではなく、1997年以来辺野古を中心にしてフィールドワークを行ないながら沖縄の基地問題を考えてきた、一介の文化人類学徒に過ぎない。にも拘わらず、ここに拙文を寄せて論争に介入させていただくことにしたのは、基地問題が、文化や歴史やアイデンティティをめぐる政治学——それを明らかにすることが近年の文化人類学/文化研究の基本的関心であると密接に連動しており、このような文化の政治学を考察する際にお金の問題を避けて通ることは出来ないと感じているからである。従って本稿の目標も、二氏の議論を専門的な経済学の立場から論評することにではなく、むしろ文化研究の視点から、二氏の論争が提起しているお金が孕む複雑な問題系の困難と可能性を、基地問題と絡めて批判的に提示することに置かれている。


*論点1:量か質か

 丸山氏は、基地撤去が沖縄経済にとってプラスであるという持論を展開するにあたり、自身が経済の専門家ではないことを断った上で「『経済』とは、単にカネの動きではなく、人々の「生活の質」をも数量化したものと理解している」(146号14頁)と述べる。来間氏は「立派なご意見で、私のようなちっちゃな経済学者には手に負えない大きな課題であり、質を量で表わすにはどうしたらいいか、私には皆目分からない。」(147号12頁)と応じ、更に「丸山氏がそれ(基地がなくなれば経済的にマイナスであるという来間氏の主張——筆者注)と反対の意見を言うのであれば、なぜ私がそのように主張したかを、その論拠にそって検証すべきではないか。」(147号13頁)と問うた。この問いに呼応する形で書かれた150号における丸山氏の議論は、もっぱら経済学=量の世界という土俵の中で展開されることになった。

 このような一連のやりとりを見ていると、二氏が経済の問題を「量」の問題に限定していった様子がよくわかる。それが経済の問題を専門的に論じる時のマナーなのかもしれないが、同時に、まさにそのことにより、経済学の専門家(「量」の問題を考える人)と非専門家(「質」の問題を考える人)との間の豊かな対話の可能性が閉ざされてしまったことにも目を向けたい——そのような対話の可能性の萌芽が、来間氏自身の講演の中にすでにあったにもかかわらず。来間氏は、例えば、区に入る軍用地料の使われ方をめぐり「村の行事が増える。老人会、婦人会、青年会。その行事に金を使う。競技会や演芸会をして、賞金や謝礼金を配る。飲食させる。お土産を持たせる。旅行をさせる。」「軍用地料は、それが高いがために、多くの弊害をもたらしている。」(いずれも138号付録8頁)と述べ、軍用地料という「量」の問題が文化の生産や消費(浪費)という生活の「質」の問題に密接に絡み合っていることを的確に示しているのだ。つまり、丸山氏は生活の質(とりわけ環境)の問題のみを主題化する事で来間氏の議論の要点の一つを見落とし、来間氏は質の問題は自分にはわからないと述べることで自家撞着に陥っている。だが質を伴わない量はなく、また量を伴わない質もない。私たちは、経済学とはいうまでもなく量のみならず質の問題を含んだ話であるということを、「価値」(使用価値と(交換)価値)の問題を通じてすでにマルクスから学んだのではなかったか。


*論点2:短期的ビジョンか長期的ビジョンか

 「量」と「質」の対立は、この論争の中で他の様々な二項対立として変奏されている。「短期的ビジョン」(来間氏)か「長期的ビジョン」(丸山氏)かという時間的な枠組みの問題も、その一例である。来間氏は、基地が「返還されたら『経済的にプラスになる』という『幻想』」(147号12頁)を批判するのだが、その論拠となっているのは、数量化しうる様々な短期的指標(軍用地料、基地関連交付金、軍雇用者の賃金など)である。つまり、来間氏は、短期的な時間の枠組みを設定することで「量」の問題を主題化することに成功している。それに対し丸山氏は、「潜在的要因」という数量化をいわば拒む概念を立ち上げることを通じて、数量が支配する時間の外部に長期的な時間の枠組みを設け、そしてその枠組みの中で、基地撤去は沖縄経済にとってプラスであるという議論を展開している。「私がこの間の議論で、『潜在的要因』と何度も繰り返しているのは、逃げ道として使っているわけではない。行政が地主を支え、長期的展望で基地の跡地利用を考えることが不可欠なのだ」 (150号10頁)。

 こうしてみると、二氏の主張は実は矛盾していないことがわかる。というのも、二氏の議論を総合すると、基地撤去は短期的にはマイナス(そのことを丸山氏も否定してはいない)だが、長期的にはプラスかもしれない(そのことを来間氏も否定してはいない)、という構図が現れるからである。二氏の議論は相互補完的な関係にある。


*論点3:沖縄がこれから進む方向性

 にもかかわらず二氏の議論が噛み合わないのは、沖縄がこれから進んでいくべき方向性について根本的な立場の違いがあるからではないかと思われる。来間氏は講演の中で「沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘めながらも、基地に反対しない風潮を蔓延させているのは、経済の問題からきている」(138号付録4頁)と述べた上で、今後の沖縄の(とりわけ反基地運動の)方向性について「基地問題は平和の問題であり、経済をからませてその是非を論ずべきではない」(147号13頁)こと、そして基地問題=平和問題と経済問題を峻別した上で「『経済振興策』そのものを批判」(139号5頁)するべきことを説く。このような氏の主張から透けて見えてくるのは、戦争体験に基礎付けられた「原沖縄」救出の切実な願いである。つまり来間氏は、沖縄のあるべき将来を、カネにまみれた現在の沖縄の延長線上には見ていない——そのような展望は「幻想」「詐欺」もしくは「勘違い」(いずれも147号)として氏の所論では否定されることになる。氏は沖縄の未来を、 「『金は欲しい』という主張」(139号5頁)とは無縁の沖縄、貧しくはあっても古き良き沖縄、「勤労に基づいて獲得した金」(139号5頁)(どういう種類の勤労が想定されているのかは不明である。氏の専門と関連する農業か)に支えられた沖縄、への回帰の中に見ているように見える。そこでは現在の沖縄は否定はされないまでも、原沖縄によって補完されるべき二義的なものとして現れ、他方原沖縄は、「気概」や「信頼」に支えられた一枚岩的な沖縄の民衆共同体として表現されることになる。氏は述べる。「返還されると経済的にマイナスなのに、そのマイナスを覚悟で返還を要求するという、その気概こそが今求められていることなのである」(147号12頁)。「私は丸山氏より、人間(すなわち沖縄の人間——筆者注)をもう少し信頼したい」(147号13頁)。

 それに対し丸山氏は、このような沖縄ナショナリズムを共有していない(あるいはできない)。だから氏の所論——例えば「環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。『グリーンGNP』は環境上の『富』の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表わす指標である」(138号12頁)という書き方——に、古き良き沖縄へのノスタルジーの匂いもない。むしろ丸山氏は、「環境」というグローバルな市民言説を援用しつつ、沖縄のこれからを、古い沖縄への回帰ではなく、沖縄のいまをどう組み換えて行くかという観点で考えているように見える。だからこそ氏は、長期的なビジョンの必要性を訴えるのだ。付け加えれば、両者の立場の違いに、沖縄戦体験の有無を軸にした世代間対立(若い丸山氏と先輩の来間氏)やヤマト(丸山氏)とウチナー(来間氏)の葛藤——これらもまた先に述べた二項対立の一例である——が影を落としていると見ることも可能かもしれない(もちろん的外れかもしれない)。

 そして私はと言えば、来間氏の掲げる沖縄民衆論にも、丸山氏の掲げる環境言説にも、それぞれ意義を認めつつも、一定の留保を付けたいと考える者である。そのことを、「大田知事・革新勢力はなぜ負けたのか」という二氏の論争における第4の論点に沿って考えたい。


*論点4:大田知事・革新勢力はなぜ負けたのか

 来間氏は、大田知事・革新勢力が稲嶺知事・保守勢力に負けたのは、「私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである」(139号5頁)と述べる。沖縄戦および戦後の歴史的体験によって基礎付けられる沖縄民衆共同体を以て、今なお厳然と存在する米軍基地とそれを容認するヤマトの暴力(経済振興策)の問題を照射しようとする来間氏の論考に深い共感を覚えつつも、そこに欠けていると感じるのは、復帰後、特に冷戦後の沖縄が遂げている構造的変容のありさまと、それが人々の意識に与える影響の具体的な分析である。豊かさという「他者」が沖縄社会に与えている不可逆的な影響と言い換えてもいい。復帰後の「本土並み」政策(基地押し付けのための沖縄懐柔策)のみならず、経済・文化活動のボーダーレス化(外部世界の資本・商品・生活スタイル・思想・人(例えばアメラジアンや旅行者)の沖縄社会での増殖)、メディアの脱場所化(ケータイやコンピュータの浸透)、沖縄戦や復帰前の沖縄を知らない世代の登場、沖縄ブランドの全国的認知とその商品化などの複合的な理由によって、沖縄社会の流動化・断片化・多様化や歴史感覚の揺らぎが起きているのだが、そういった沖縄の「いま」に対する目配りを感じないのだ。例えば、氏は「沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘め」(138号付録4頁)ていると述べるが、戦後生まれが人口の7割以上を、また復帰後に生まれた世代が人口の3分の1以上を、それぞれ占める現状を考えるとそのまま首肯できない。名護や辺野古の問題に限っていえば、今新たに生まれつつある階級格差の問題を考慮することなしに、革新(基地に反対する人々)が善で保守(基地を容認する人々)が悪であるという単純な二項対立をふりかざすこと(138号付録8頁の辺野古やヤンバルに関する記述参照)にあまり意味があるとも思えない。例えば、(1)復帰後北部中産層の経済的自信を取込んで成長した革新勢力(「逆格差論」はそのような自信の政治的・思想的表現である)が現在の不況の中で細っていく一方、中産層からこぼれ落ちた人々の不安や彼らのヤンバルの人間としての誇りや意地を、保守勢力(ひいては日本政府)が公共事業という社会福祉事業で救済しながら回収している状況や、(2)基地に反対する人々の中に多額の軍用地料を得ている人々が含まれている事実、などを見据えることなしにヤンバルの複雑なリアリティに肉迫できるとは思えないのだ。

 他方、丸山氏は、「大田が稲嶺に負けたのは、基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスであることを選挙民に納得させることができなかったこと」(146号15頁)にあると述べる。そして、プラスであることを選挙民に納得させるために、氏は「環境」を中心とする市民言説をもって沖縄のこれからを語る。私は、資本主義下で数量化できる生産活動のみが労働ではない、という視点につながる氏の論点を一般論としては評価するものだが、沖縄という文脈の中ではこのような行き方にも一定の留保をつけたい。ヤンバルの基地容認派のみならず反対派の中にも、北部を薪や水や人材の供給地として使い、あるいは振興策(=美味しいところ)取りをし、あるいは人々を「名護ヤンバラー」と呼んで揶揄してきた中南部への、独特の歴史的対抗的感受性が存在する。そういった感受性が、環境や平和や人権といった「一般的」な——と彼等には感じられる——理念の中に解消されていくことへの反発を看過して(氏の所論には全般に、沖縄の「現場感覚」とでもいうべきものが欠けているように感じる) 、「環境」の言説——誰も反対することができない、いわば無誤謬な言説——を使うことに危惧を感じるからだ。

 大田知事・革新勢力が負けた理由は、おそらく二氏の所論のどちらにもない——その〈間〉にある、というのが私の見方である。具体的には次のようなことだ。世界および本土の経済力は時の流れと絡み合いつつ、一方で、復帰以前に存在した沖縄の「民衆」の基盤を掘り崩している。けれども他方で、この外部の経済力を主体的に取り込んでいく時、沖縄は、文化的自己肯定感覚とともに、新しく多様な政治のスタイルも獲得しつつあるように見える。つまり、沖縄県民はもはや抑圧された一枚岩的な「民衆」としてよりは、むしろ多様で自信を持った「市民」として、沖縄社会という複雑なキルトに、その多様な生きざまを、想念を、織り込みつつあるのではないか。「市民」とは、地域共同体の持つ、ある意味で抑圧的な、またある意味では心地良い空間から一定の自律的批判的な距離をもちつつ、なおその共同体に根ざして生きる者の謂いである。つまり、今日沖縄のさまざまな運動の中で謳われる「市民」という言葉は、沖縄の地縁や血縁に基づいた伝統的人間関係を脱した、自由で平等な近代的 個人(丸山氏の掲げる環境言説は主に彼らに(だけ)向けられているように見える)という意味合いと、沖縄県XX「市」という、かけがえのない場所の歴史の記憶を畳み込んで生きる地域住民(来間氏の標榜する沖縄民衆共同体論は主に彼らに(だけ)向けられているように見える)という意味合いの二つがかけられている、いわば政治的な掛詞なのだ。そういった「市民」——そこには基地や安保に対して態度を明確にしない多数の人々が含まれる——によって生きられる多様な現実に接近する努力が、大田知事・革新勢力・私たちによって充分になされていなかった/いないのではないか、と私は考えている。


*おわりに
 「市民」の抱える多様な現実への接近は、経済問題が様々な生活社会領域(とそれを考察する学問の諸分野)を横断している、という基本的な認識なしにはなしえない。つまり、経済学は、好むと好まざるとにかかわらず、専門家だけにではなく、すべての人に開かれ、生きられているのだ。経済問題をそのような観点から取り上げ、また掘り下げてくださった来間氏と丸山氏に謝意を述べ、またこの論争がより豊かで建設的なものになることを願いながら、本稿を終えたいと思う。(なお、本稿の論述に、雑誌『思想』(岩波書店)2002年1月号掲載の拙稿「グローバル化の中の『沖縄イニシアティブ論争』——記憶、アイデンティティ、基地問題——」と一部重なる所がある事をお断りしておく。)