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『一坪反戦通信』
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 第147号(2003年6月28日発行)

基地撤去
 沖縄経済にプラス?マイナス?

2003年6月24日 来間泰男


  私の「(ま)さんの批判に答える」(〇二年八月二七日、『一坪反戦通信』第一三九、〇二年九月二八日掲載)に対して、「(ま)さん」こと丸山和夫氏から「反論」が届いた。これにコメントしたい。

 主要な論点は、基地が撤去されたら、沖縄経済はプラスになるのかどうかということで、私はマイナスとしたが、丸山氏は「もっとよくなる」という主張である。両者とも基地を撤去させたいとの立場でありながら、経済の実態と将来展望で分かれているのである。以下、やや具体的に論を進めたい。

 私は「基地撤去が経済的にマイナスになる」ことを論じて、「(ま)氏はこれを認めないのかどうか」、また「次に、認めるとしても『もっとプラスになる』という要素が提起できるのかどうか」と問いかけた。

 これに対して、丸山氏は次のように答えている。「基地撤去によって、軍用地料も基地交付金も軍雇用員の賃金も無くなる。これはカネの動きとしてはマイナスである。議論の余地はない。問題は、基地撤去にこれを補う潜在的要素があるかどうかだ。私はあると思う。カネの動きだけでも」、と。

 具体的には3つの点を指摘した。そして「つまり、基地の存在によって、その土地から得られる潜在的な収入や雇用が押さえられている」と結論している。「これでも基地を撤去したら・金銭的にはマイナス・になるのであろうか。もちろん、これに『生活の質』を何らかのかたちで貨幣価値に置き換えることができれば、プラスはさらに増えるだろう」。

 つまり、丸山氏は初めには「基地撤去が経済的にマイナスになる」ことを認めた。そのことに「議論の余地はない」と。しかし、基地が撤去されたら、その経済的マイナスを補う「潜在的要素」があるかといえば、「私[丸山氏]はあると思う」として、一定の論証をした上で、「これでも基地を撤去したら・金銭的にはマイナス・になるのであろうか」と結論を逆転させた。つまり、「基地が撤去されても、経済的にマイナスにはならない」という。

 丸山氏は、その「潜在的要素」を裏づけるものとして、いろいろな数字を挙げている。これらが「面積に比して、基地から得られる収入の割合ははるかに少ない」ことを示しているかどうか。沖縄県の面積に占める基地面積の比は一〇・四%(丸山氏は数字を示してはいないが)、なのに「軍関係受取は県民所得の四%、六%を占めているにすぎない」、だから軍関係受取が2倍になるほどの所得獲得の可能性を示している、という論理である。

 県民所得は土地面積に比例するものではなく、すべての経済活動の結果である。土地をわずかしか使わないでも大きな所得をあげる企業もあれば、農業のように広い土地を使いながらも小さな所得しかあげることのできない分野もある。山林などはほとんど所得を生まない。これらすべての結果が県民所得として集計される。

 丸山氏は、基地は面積比で一〇%なのに所得比で五%しかないのは、基地が所得獲得を削減しているから、としている。面積比と所得比は対応しあうものではない。沖縄の米軍基地の七〇%近くは北部の山林に設定されている。山林の所得獲得力が、農地より低く、ましてや都市的土地利用と比べて大きく落ちることは自明である。したがって、丸山氏の示す数字は、基地の多くが山林に設定されているにもかかわらず、標準よりはるかに高い所得を獲得できている現実を示すものなのである。これは、基地が返還されたらもっと多くの所得を獲得できることを示しているのではなく、その逆である。

 北部の山林にある基地が撤去されたら、経済的にはほとんど利用ではない。つまり、所得は生まないのである。それが、高い軍用地料を受け取っているという現実が異常なのである。中部には返還後は農地となりそうなところもあるが、農業をしたら、今の高い軍用地料の水準の所得は期待できないのである。これが偽らざる沖縄の現実である。

 さらに言おう。都市地域の土地が返還されたら、一般的には商業地域や住宅地域が増加して、経済的にはプラスになることが予想され、期待されよう。しかし、沖縄本島一〇〇万の人口という「消費需要」の小ささは、これ以上のショッピングセンターの立地を許す状況にない。公共施設が立地するだろうが、その必要面積は限られている。返還地の多くは、消費するのみの住宅地として使うほかない。その住宅地も供給過剰の時代を迎えている。

 土地が接収されて困ったのは、戦後初期の農業中心時代のことである。そのときは困ったのであるが、そのうち軍用地料が引き上げられて事情は変わった。いまや、経済的(金銭的には)にペイするどころか、「軍用地に取られておいてよかった」というのが圧倒的多数の地主の気持なのである。

 丸山氏は、基地契約を拒否する「反戦地主」が激減している現状をどうみているのか。返してもらった方が「潜在的な収入や雇用」が顕在化して、経済的(金銭的)にプラスになるのなら、多くの地主が「反戦地主」になるはずではないか。

 以上述べたように、返還されると経済的にマイナスなのに、そのマイナスを覚悟で返還を要求するという、その気概こそがいま求められていることなのである。返還されたら「経済的にプラスになる」という「幻想」に頼って行なわれている「反戦」運動なら、長くは続くまい。多くの賛同は得られまい。

 以下、本題からは少しずれることも含まれるが、丸山氏の提起したことに答えるとすれば、次のようになる。

 @丸山氏は「私としては講演を拝聴して、<そもそも「富」については論じていない>ところに違和感を感じてあの文章を書いた」という。
私は「富」とは何かを論じていない。しかし、「富」をひたすら求める風潮には異議を唱えている。

 A丸山氏は「沖縄の過去・現在・未来を論じるときに、狭義の『経済』(カネの動き)だけを対象にしてもあまり意味がない。私は(広義の)『経済』とは、単なるカネの動きではなく、人々の『生活の質』をも数量化したものと理解している(門外漢が勝手な定義をしては困ると言われそうだが)」という。
 立派なご意見で、私のようなちっちゃな経済学者には手に負えない大きな課題であり、質を量で表わすにはどうしたらいいか、私には皆目分からない。

 B丸山氏は『広辞苑』から「富」の定義を引用して、「『財』は単なるカネではなく、安心して暮らせるという『生活の質』をも含めたものだ。つまり、単なる狭義の『経済』ではなく、『生活の質』を含めた『広義』の沖縄経済を論じてもらいたかったということである。『富』ではなく、そのまま『経済』を使うべきだったかもしれない。その点は反省している」という。
 『広辞苑』には「富」とは「特定の経済主体に属する財の総和。経済財で、貨幣価値を持って[以て―来間]表示される」とあるらしい。ここに、「財は単なるカネではなく、生活の質をも含めたもの」と書かれているだろうか。財とはカネで表示されるものと言っているのではないか。
 かの「編集後記」での自分の発言をその文言に即して述べるのではなく、表現を変え、新しい論点を持ち込んでくるのでは、対応は難しい。

 C丸山氏は「大田が稲嶺に負けたのは、基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスであることを選挙民に納得させることができなかったことだ」と考えている、という。「来間氏と大田が、経済振興策への評価など多くの点で異なっていることは理解しているつもりだ」ともいう。
 私によれば「基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスである」などと主張することは詐欺なのであり、大田にあらずとも、このようなプラス宣伝は事実に反しているために、県民の認めるところとはなりえない。
 なお、丸山氏が、私と大田の違いを理解を示してくれたことに感謝する。いわゆる「経済振興策」は、基地の容認と引き換え条件としてあるのであって、大田は今の稲嶺につながる、そのような「経済振興策」獲得路線の定置者であった。

 D丸山氏は次のように言う。「来間氏は、・私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、『革新勢力は保守勢力に負け』続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう・という。残念ながら氏の意見が多数意見になることはないと私は考える」。
 丸山氏がそう言うのは、次の理由からである。「・『金は欲しい』と言い、金を『富』として求める人々の立場を容認する・[これは私が丸山氏に対して言った言葉である]のは、それが悲しいかな人間の現実だと思うからである。だから、・経済的にはマイナス・だったら、それは多数意見にはならないだろうと悲観しているわけである」。
 私は丸山氏より、人間をもう少し信頼したい。人間のすべてがカネの亡者ではない。そして、時代の進展とともに、カネよりも、心や自然や環境を大事に思う人々が増えつつある。その方向に期待し、それを助長したい私と、そんな人間が多数になることはないと「悲観」する丸山氏との、違いが対照的に示されている。
 基地撤去は「経済的にはマイナス」である、「マイナスであっても、基地は無くすべきだ」というのが、私の主張であることは、丸山氏も紹介していただいているとおりである。しかも、私は「経済的にはマイナス」であっても、「打撃的なマイナスではない」とも述べている。基地問題は平和の問題であり、経済をからませてその是非を論ずべきではない。この主張が多数意見になる日を夢見ている。

 E丸山氏は「しかし、私は、右記のように・基地撤去は経済的にも『ぺイする』・と楽観している。だから、多数意見として基地撤去は可能だし、そのことによってのみ沖縄の未来が開けると確信しているからこそ一坪地主になったのだ」という。
 カネの亡者となっている人間を変えることに「悲観」している丸山氏は、ここでは「独自の経済論」を持ってきて、基地撤去後の沖縄経済を「楽観」している。

 すでにみたように、丸山氏の経済論は勘違いの論でしかない。その勘違いをもとにして「楽観」されても、展望は開けないと言わなければならない。
 私は、「基地がなくなれば経済的にプラスになる」という論に対して「反対」だと主張した。丸山氏がそれと反対の意見を言うのであれば、なぜ私がそのように主張したかを、その論拠にそって検証すべきではないか。
 丸山氏に限らず、通常聞きなれた議論とは異なる私の議論に初めて接した多くの人々が、「すぐに納得」ではなく、「まず反発」を感じただろうと私は予想する。しかし、互いに真実を求めていこうではないか。私の議論が基地の撤去運動にマイナスと考えるのか、どうか。沖縄経済のきびしい、か弱い真実にいつまでも目をつむって、「経済発展」の幻想を、いつまで追いかけ続けるのか。
 そうであれば、政府は、今後とも次から次へと「経済振興策」を提起して、基地容認者を増やし、沖縄県民を懐柔していくことであろう。