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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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第139号(2002年9月28日発行)

「(ま)さん」の批判に答える
 ―2002年8月27日、来間泰男―

 『一坪反戦通信』(Vol.138, 2002年7月28日  一坪反戦地主会関東ブロック発行)に、私への批判が載っている。書き手は「編集後記」の「(ま)」氏である。

 関東ブロックの学習会では来間泰男氏をお招きして沖縄の経済についてわかりやすく解説していただいた(付録に講演全文を掲載)。「軍事基地は絶対悪であるから無くすべき」という。まことにしかり。しかし、「経済問題としての基地は、カネを撒くという意味でプラスといわざるをえず、基地の撤去は経済的にはマイナスなのである。マイナスであっても基地は無くすべき」という。そうだろうか。「富」とは単なる金ではない。環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。「グリーンGNP」は環境上の「富」の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表す指標である。「経済的にはマイナスであっても基地は無くすべき」では、人々を納得させることはできないだろう。大田が稲嶺にあっさりと負けたことでもわかる。残念ながら、一般の人々は反戦地主のように高潔ではない。基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。基地撤去は経済的にも「ぺイする」ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。経済学者にはそれが求められている。「土地は万年。金は一時」(阿波根昌鴻、2頁参照)   (ま)

 そこに見えるように、私の講演記録は「付録資料」として掲載されている。若干の誤植があるが、致し方あるまい。

 この「編集後記」の「そうだろうか」以下を検討させていただく。

 「『富』とは単なる金ではない。環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。『グリーンGNP』は環境上の『富』の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表す指標である」とある。

 私は「『富』とは金である」と述べただろうか。そもそも「富」については論じていない。私が「経済問題としての基地は、カネを撒くという意味でプラスといわざるをえ」ない、といっているのは、「富」を論じているのではない。おっしゃるとおり「環境」は福祉の指標としては大きな要素であろう。しかし、「経済」というものはカネが増え、カネが動き回れば「発展」するものなのである。つまり、「経済」や「経済発展」というものは、そもそも「善」ではなく、「善悪」併せ呑むシロモノなのである。そのような「経済」にとって、基地がもたらすカネは「プラス」に作用する、と私は言っている。そして、ぜひ読みとってほしいことは、「経済的にプラス」だから基地を容認しようとは決して言っていないことである。このような私の議論に「『富』とは金である」という主張が含まれているか、再度ご検討願いたい。

 次に、(ま)氏は「『経済的にはマイナスであっても基地は無くすべき』では、人々を納得させることはできないだろう。大田が稲嶺にあっさりと負けたことでもわかる。残念ながら、一般の人々は反戦地主のように高潔ではない。基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ」と述べている。

 私は「基地がなくなれば経済的にプラスになるという主張もある。これにも私は反対する」と述べた。(ま)氏は、この「プラスになるという主張」に同調しているようだ。それでは「人々を納得させることはできない」というが、(ま)氏自身が納得していないのであり、まずは(ま)氏に納得してもらわねばならないようだ。

 私は、基地撤去が経済的にマイナスになる要素を挙げた。(ま)氏はこれを認めないのかどうか。軍用地がなくなるのだから軍用地料はなくなる、軍雇用員も解雇される、などのことを認めない人はいないと思うが。次に、認めるとしても「もっとプラスになる」という要素が提起できるのかどうか。私はできないと述べた。(ま)氏はできるのか、それを問いたい。

 大田が稲嶺に負けたのは、私の論では「人々を納得させることはできない」ことの証拠となるのか。大田は私の論とはずいぶんかけ離れていた。この言を「革新勢力が保守勢力に負けたのは」と読み替えていえば、「革新勢力」が「経済振興策」を批判できず、それに引きづられていて、「基地撤去」だけで闘うから負けるのだ、と言いたい。「経済振興策」そのものを批判しないで、それはいいことであるかのように受けとめて、基地問題を論じるようでは、沖縄に展望は出てこない。そもそも大田こそ「基地カード」を振りかざして「経済振興策」を取り込もうとしていたのであり、その限りでは、稲嶺の場合と同一なのである。

 「革新勢力が保守勢力に負けたのは」、私の論が間違っているからではなく、私の論では「人々を納得させることはできない」からでもなく、私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである。つまり、私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、「革新勢力は保守勢力に負け」続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう。

 (ま)氏は、多くの人々の立場を「基地はいや、でも金は欲しい」と描いて、「それはしかたがないことだ」と容認している。@「『富』とは単なる金ではない」と、私を批判した論理と、「金は欲しい」と言い、金を「富」として求める人々の立場を容認する論理とは、どのように調和しているのだろうか。A私は金を求めてはいない。私は人々に対して金を求めてはだめだ(勤労に基づいて獲得した金は別である)、と呼びかけているのであって、「金は欲しい」という主張を批判する。決して容認しない。Bこのような「世論」が主流である間は、世の中は絶望的なのであり、私はこれを批判する。しかし(ま)氏は「それはしかたがないことだ」と容認している。その延長線上に、どのような展望を持っているのだろうか。

 (ま)氏の答はこうである。「基地撤去は経済的にも『ぺイする』ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。経済学者にはそれが求められている」と。「経済学者」(ここでは私)に対して「基地撤去は経済的にも『ぺイする』ことを示」すよう求めているのである。私は「それはできない」と述べた。それができなくても「人々の総意に基づく基地撤去は不可能」ではなく「可能だ」と思っている。(ま)氏のように、「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ」といっていては、基地のばら撒くカネに翻弄されて、しかも「経済振興」も実現せず(私はそれを求めないが)、基地はいつまでも残り続けることになろう。

 私の論は、現在はまだ少数意見だが、(ま)氏を含む「心ある人」に受け入れられ、いずれ多数意見になる日を待っている。

編集部注
 本誌前号(第一三八号)の編集後記に対して、来間泰男氏からご意見をいただきましたので、掲載いたします(原文横書き)。編集部では、この件に関しまして読者の皆様のご意見を募集中(hankach@jca.apc.org)。なお、「(ま)」は関東ブロック運営委員の丸山和夫です。