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第138号(2002年7月28日発行)

一坪関東ブロック学習会:第5回

 沖縄の振興策をめぐって

2002年7月26日 中野商工会館

講師:来間泰男氏(沖縄国際大学教授)

 来間です。資料を三つ(脚注)用意しました。今日のために特別に用意したものではないですが、いずれも最近書いたものです。ひとつは、『やんばるの経済と「振興策」』というものですが、これはヘリ基地反対協で講演したときのメモを文章の形にしたものです。これについては今日はふれません。『翰林日本学研究』というは、韓国に引っ越して事務所がソウルに移りましたが、翰林大学校の日本学研究所の機関誌です。このメンバーが那覇に調査に来まして、特集の2ということで、向こうの研究者が5人、こちらは僕と最後にのっています吾錫畢、――彼はうちの大学の先生です――、の二人が地元から参加して、調査に協力して文書を出したということです。

 この「日本復帰前後の沖縄経済」というのは韓国の人に入門的に沖縄経済の話をするにはこういう組立が良いかなということで書いたのですけど、実はこれは2度目の発表でして、元は、『家庭科教育』という雑誌に書いた文章ですが、今回は、そこにあるようにたくさんの注を付けました。いろいろといちいち説明すると煩わしいという方もおりますし、一応は筋を読んだ上で、細かくほんとにこうなのか、これは何を根拠に言っているのかということを、後で点検した方がわかりいいという人もいるでしょうから、僕としてははじめてこういうスタイルを取ってみました。本文だけを読んでも、むしろ頭が整理しやすいのではないかと思います。これも、沖縄経済入門としては、巧く構成したつもりでいるんですけど、ちょっとだけふれましょう。

 1は「復帰前・アメリカ軍の占領下」としてまず、@「基地経済」と書いてあります。そしてその占領下においてもAでは「基地経済」というのは動揺していたと。つまり、「基地経済」では沖縄の経済は持ちこたえられなくなっていたという話を書き、そこに、日米の政府援助が入ってくることによって、実は、占領下の後半期は、「基地経済」プラス「財政依存経済」だったんだと書いてあります。そして、「2 1972年の日本復帰」で、@「行財政体制の変化」がどういうものだったかというものを整理して書いてあります。そして、Aで、「転換した人々の暮らし」として、何が世の中変わったのかを書いてあります。そして、「3 復帰後・日本の行財政体制下」に入ったということで、そこでの@「人口の動向」、A「産業の動向」、B「暮らしの動向」、それから、C「基地との関わりの変化」というものを説明してあります。これには資料も若干付いていますので、そういう筋道でたどれば理解できると思います。

 今日は、『地理教育』に書いたものをお話ししたいと思っています。地理教育研究会というのは、僕は別につきあいはないのですけど、実は明後日沖縄で全国大会があります。それの予稿として、原稿を請求されました。向こうで“「常識」を見直す"という言葉を入れてきましたので、それに沿って書いたわけです。これに沿って話を進めたいと思います。

 まず、沖縄経済の現状ですが、沖縄経済というと、一人あたり県民所得が全国最低、失業率は全国最高だと、こういう言い方がなされるわけです。まあ、それは嘘ではないのですけど、それが大問題だとは僕は全然思っていません。まず、一人あたり県民所得が全国最低というけども、まあ、それでもいいじゃないかと。差はありますけど、段差を持っての差ではない。もちろん全国平均という数字を取りますと、平均以上の県が23でしょうか。平均だからほぼ半分で別れるんですけど、その中で東京などは突出してまして、とても高い水準です。県民所得というのは、ご承知のように個人の賃金所得だけではないわけです。会社の所得が入っているわけです。しかも、東京に本社があって全国に支店をめぐらしてところも、所得は東京で計上されますから、どうしても高くなる。突出して高くなる。例えば、沖縄の場合だと、本土系の企業が沖縄に支店を持っていても、東京で計上されます。沖縄の場合には、沖縄独自の企業と我々の賃金というものが基本的にはカウントされるわけです。最低ではあるんですけど、鹿児島・宮崎あたりと比べてもそれほど大きな格差があるわけではない。それをいちいち問題にしなくてもいいのではないか。復帰前は、はっきりと数字的な根拠に基づく議論ではなかったんですけど、所得は2割低いとか、それから物価は3割高いとか、いろいろな言い方がされました。そういうのは生活実感としてあったんです。しかし、復帰したら、これはもう一つになった。並べてみると沖縄はまだ最低なんですけど、しかし、その格差はなくなったというのが実態です。そういう意味で、一人あたり県民所得が全国最低ということを問題にする必要は僕はないと思う。

 それと、県別の人口をみますと、減少に入っているところがたくさんある。おそらく半分以上ある。しかし、沖縄は増え続けている。今度の選挙区割りの改正で、沖縄は一人議員が増えることになりました。それはまさに人口増加地域ですから、それを反映する形になるわけです。ついでに言いますと、人口は、沖縄は全国の人口の1%です。この1%は、かなり前から1%ですが、四捨五入して1%なんです。ですけど、10年ほど前でしょうか、四捨五入しなくても1.0何%の水準になりました。今完全に1%です。たとえば、青森とか人口が減少している。その中で一人あたりの県民所得を計算すれば、所得の総額が変わらなくても、小さくなりますから、一人あたり県民所得というのはあがっていくわけです。

 沖縄は、人口も増え、総額も増えながら、しかし、一人あたりにするとなかなか追いつかない。こういう状況ですから、経済の活気という点から言っても、沖縄の方が活気がある。しかも、イギリス・フランスと比べても、沖縄の水準は高い。一人あたりでいうと。そういうことを問題だという認識はおかしい。で、ほんとにそこが問題ならば、東京に来た途端に、いちいち物価が高いだとか、自分の所得に比べたらこの支出は重たいなというようなことを感じるはずなんですが、そういうことはありません。もちろん統計上、東京の物価は沖縄に比べて1割以上2割くらい高いとは思いますが、所得はそれに対応しているのでしょうし、我々が全国何処を旅行しても、沖縄は所得が低くて、物価とバランスが取れなくて、というようなことは全然思いません。これは庶民的な感覚からいって、そうだと思います。

 ただ、一人あたり県民所得が最低だというのは、行政のレベルからいうと、一つの宣伝材料なんです。いろいろ政府に要求するときに、最低なんだから何とかしてくれ、という根拠付けに使われている。だから、昼間は県の職員も、「一人あたり県民所得が最低だからな」というのですけど、夜一緒に飲んでいたら、「あれは建前、政府の人を相手にしてですよ」という話をするのです。だから、これは問題ではない。

 失業率は全国最高だということですが、これも理解の仕方は難しいのです。ここに書いてあるように、就業者数の拡大テンポが極めて高い。復帰後30年間で60%も増えました。こういうところは他の県にはないと思います。いちいち計算はしていませんけど。就業者が、6割増えた。これはとても大きな数字だと思います。その間に人口も増えている。そうすると、その間にでてくる失業者というのが、数の上では数千人のレベルですが、増える。そうすると率としては高くなる。人口の増加率が高いために、就業者の増加率が高くても追いつかないという状態ででてきたのが、沖縄の失業率。高いのはいいことではないのですけど、しかし、失業率の統計というのは信頼性の問題もあると思いますし、あまりこれを大きな問題とは言いたくない。企業が倒産して、失業者が生まれるというのが全国的な状況ですけど、沖縄ではそういう形の失業はこれまでない。最近、ダイエーの各店舗が全部引き上げるということで、千人以上解雇されるという話が出ています。先週の話ですが、煙草会社の沖縄の工場が閉鎖するということで、何百人かが解雇されるという話は出ている。これまでのところはそういう問題はあまり無くて、失業率が高いというのは、やはり、適当な職場がない、企業が弱い、一応就職した形になっていても、安定した職場ではないという問題がありますから、これは、失業率の問題として扱うのも一つですが、企業の力量の問題という局面で扱ってもいいのではないかと思います。

 沖縄経済が死んだということを、この二つのことを材料に議論するわけですが、僕はこの二つはあまり重要ではないと思っているということがあります。それを政治のセイにするとか、基地があるから沖縄経済がなかなか変わらないという言い方が多いわけですが、僕はそれは違うと思っています。政治のセイにするということで言えば、稲嶺知事がこの前の知事選挙で勝った知事選挙で言いますと、大田知事の下で「県政不況」といって失業率が何%になったと、これが大田知事の責任だ、という宣伝をしたわけですけど、じゃあ、稲嶺知事になったら失業率が下がったかというとそんなことはないわけで、こういうものを、政治の力で急にどうこうするということは、できる話ではない。知事が替われば失業率が下げられるというなら、ほんとに経済というのはやさしいものですが、そういうものではないわけで、そういうことを県政、あるいは政治レベルで扱うのはおかしいと思います。

 日本政府は何をやったかと考えますと、30年間で、8兆円近くと書いてありますが、――7兆円近くかな――、ただ、これは開発庁サイドの予算の規模ですから、本当は防衛施設庁の予算を加えないといけないと思いますから、そういう意味では8兆円は越すと思います。そういうすごい財政資金が投入されたわけです。金額としては少ないというよりは多すぎるかもしれない。多すぎると言っていいかというと、問題は何に支出したかということになるわけで、これは公共事業なんですね。まあ、国の支出というのは公共事業に出すのが基本なんですが、あとは、県の財政を通して流す形があります。これはこの8兆円には入っていません。国が行った公共事業というのは、「道路、下水道・環境整備等、港湾・漁港・空港、農業農村整備、」――土地改良ですね――、こういうものは、じゃあ無駄な支出だったといえるかと、これはなかなか難しいわけで、整備すべき道路もあるわけですし、やりすぎの道路もある。橋も、かけて良かったと思う橋と、ここまで金を使うかというようなものといろいろあるのです。ですから、まとめて国が金を出しすぎたから問題だという言い方は難しい。一つ一つを吟味して、論評すべき課題だと思います。

 日本政府は基本的に言って産業基盤の整備をやった。ただそれだけではないのです。生活基盤の整備もやったんです。学校の校舎、体育館、プール、運動場の建設とか本当に良くやりました。それから、県立病院の整備・拡大、こういう事もやりましたし、福祉施設もたくさんできました。だから、産業基盤の整備だけで、生活基盤の整備をやらなかったという言い方もできない。みんなやったんです。そこでなお問題が、何処にあるかと考えると、僕は、経済の問題というのは国の責任とは思わないんです。国がやるべき事は、産業基盤・生活基盤の整備という経済というよりはもっと別の分野です。道路を造り、港湾を整備して、橋を架ける。これは国の仕事。だけど、それを利用して企業活動をするのは民間の仕事。企業の仕事です。ところが、わが沖縄県の産業界はそれをやりきれなかった。その力量がなかった。弱い、そこに問題があると思っています。ですから、政治の責任論に僕の議論はならない。それについても、後で話ができるかと思います。

 もう一つはアメリカ軍基地が沖縄の経済発展を阻害している、これがきちんと言えたらもうわかりやすい構図ですよね。だけど、それが言えない。沖縄経済が発展しないのは基地があるからだ、基地のセイだと言えたらいいなと思いますが、これが言えないというのが現実です。

 この50頁の「2. アメリカ軍基地の現状」というところでは、面積がどうとかが書いてありますが、これはもう皆さんご承知の所で、省略しますが、一つは軍用地料という問題ですね。軍用地料というのは民有地があるから、――民有地というか私有地――、があるからですね。民有地の中には、県有地、市町村有地も入ります。そういうものがあるから軍用地料が発生したわけです。

 安保条約の体制というのは、基本的には国有地を米軍に提供するという制度なんです。したがって、本土では、日本政府が米軍に基地を提供するときには、提供する前に私有地を買収して国有地にした上で提供するという形になっているわけです。もちろんそれがうまくいかずに、私有地を強制的に使っているという例はないわけではないのですが、これはごく少ない。沖縄ではそれが基本。そこに問題があるわけです。

 まず、総論的には基地がなかなか返還されないというのが問題なんですが、復帰後500haぐらいは返還されている。復帰の時点とその後ですね。ですから、それをめぐる跡地利用の問題というのが、あるということです。それから、基地で働く人は七千人まで減ったんですが、最近8500人もいるんです。これは何で増えたんだと思ったらですね、日本政府が例の「思いやり予算」で給料を払ってくれるんですね。そして、アメリカ軍に予算を割り当てるわけです。そうすると、この予算だったらもっと雇えると、増やしています。まあ、そういう新しい現象もあります。

 在沖アメリカ軍人数が25000人ほどいまして、軍属家族を含めると5万近くいるわけです。県人口を133万人とすれば、それは4%弱くらいの割合になります。この人たちは基地の中に住んでますから、基地の中に小学校から大学まであります。教会があるし、スポーツ施設がありますし、もちろん床屋とか日常生活に必要な施設・商店がありますから買い物もできます。そこから一歩も出なくても暮らしができる。基地の中には大きな街があるわけで、彼らは日常的には外にはでません。外にでたら、――復帰前は1ドル360円でしたけど――、今は1ドル120円を割って、110円くらいになっています。とても円が高くなって、彼らは外にでてドルを使うことができない。彼らの所得では、とても日本の街で買い物をしたり飲んだりはできない。そういうレベルになっている。だから外にはなかなか出られない。たまに外に出た人が、たまに事故を起こすということがある。まあ、そういう暮らしをしているわけです。しかも、基地の中は免税ですから、暮らしは相当楽にできる。

 犯罪の問題ですが、もちろん犯罪・事故は絶えません。2・3日前にも新しい事件が起きました。実弾が畑に飛んできたわけですね。農家の方の2メートル近くに飛んできたというのです。沖縄というところは事件事故が絶えないという印象を皆さんはお持ちでしょう。けれども、復帰後は数字がどんどん落ちているんです。事件・事故の数は減っている。これは何故かというと、基本的には地位協定だと思います。地位協定というのは、今、沖縄では不満だと言って改正しろと要求を出しているんですけど。県をあげてそう言っているんですけど。地位協定というのは復帰前にはなかったんです。沖縄には適用されていなかった。安保条約もなかった。安保条約とは別の体制の、いわばサンフランシスコ条約に基づく支配だったわけですから。アメリカが沖縄を日本に返還するときに、安保条約が適用される事は彼らにとっては、避けたいことだったわけです。沖縄だけは今まで通りに治外法権でやりたかった。だけど、体制としてそれは認められずに、いわゆる本土並みという言葉で表現されたように、安保条約と地位協定が沖縄に適用された。そうすると、今まで通りに暮らすことはアメリカ軍人にとってできなくなった。そういう追い込まれた形が、犯罪の減少につながっている。もちろん犯罪というのは一つでも問題ですから、数が少なければいいわけではないのですから、それはそれとして問題として扱うべきですけど、数は減っているということは頭に入れておいた方がいいと思います。数字的なことは、皆さん、沖縄に行かれることがあったら、これ(『沖縄の米軍及び自衛隊基地』)を県庁でもらったらよろしいと思います。基地対策室に行けばすぐくれますから。毎年出ています。この中には経済関係の統計がいろいろありますけど、最後の方には、火災とか犯罪のこととかそういう数字も復帰後ずっと通して出ていますから、これはいろいろ参考になると思います。

 さて、51頁の「3. 基地と経済」ですが、“さて、経済問題にかかわらせて基地問題を考えよう。沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘めながらも、基地に反対しない風潮を蔓延させているのは、経済の問題から来ている。基地は「平和の障害物」であり被害を与えるが、その一方で、さまざまなカネをまき散らすからである。
 最大の問題は軍用地料である。それは多くて、かつ単価が高すぎる。多いのは面積が大きいからであるが、それだけでなく単価の高さによって増幅されている。そして、物価が上がらず、地価が下がっている中で、ひとり上昇を続けている。もちろん、地主が基地に反対しないようにし向けているのである。"

 今日は皆さんにご用意できませんでしたけれど、3月18日に沖縄タイムスに、軍用地料について書きました。鈴木宗男が軍用地料の引き上げにも関与しているという情報が内部告発の形ででたんですね。決定的な資料ではありませんけれども、「今年の軍用地料は、鈴木宗男先生と調整して決めた」と内部文書に書いてあったんですね。これを各政党に配ったようですけど、僕のところにも廻ってきました。週刊誌の取材の人も僕にこっそりと見せてくれたりしていましたが、僕は別のルートでも手に入れたんです。いつも僕が言っていることですけれども、軍用地の引き上げというのが問題だというのをこの際書いておくべしと思って沖縄タイムスに持ち込んだのがこれです。

 軍用地料は、普通年率5%くらいあがると言われています。細かくいうと最近は2%とか、上昇率が落ちたりしているようですけど、しかし、物価の上昇はもう止まって、99年以降は下落している。地価はどうかというと、地価にもいろいろな統計がありますが、ほぼ9年か10年連続して下落している。そういうなかで、軍用地料だけが、7%、5%、3%、2%と(率は減少しているが)あがっていく。この矛盾をどう説明するかというと、やはり政治家が動いているのではないか、ということを僕は書いたのです。実は三月の国会で参考人として呼ばれたときに、委員会でこれを配りました。これを受けて、民主党の議員が、「物価と地価が下がっているのに、軍用地料だけが上がっているのはどうしてか」と質問したら、防衛施設庁の答えは、「軍用地料の上昇率は落ちています」というものでした。その後もこの議員は追求しているようですけれども、まあ、そういうことで、鈴木宗男が間に立って、防衛施設庁に働きかけて、理屈に合わない上げ方を要請した事が明らかになってきたわけです。

 まず、数字をそこに書いておきましたが、51頁の右側ですね。“軍用地料の総額は、復帰前年が31億円、復帰の72年が126億円で、この時に4倍になった。年度移行のため、両年とも10.5か月分である。"――これはどういう事かというと、沖縄は会計年度はアメリカ式の年度でした。つまり、西暦で表現すると、1972年度は、1971年の7月から72年の6月までなんですね。ところが、6月になる前に、5月15日に復帰したもんだから、1972年度は72年の5月14日で終わった。15日から日本の年度に変わりまして、昭和47年度になった。72年度と昭和47年度は同じではないかと思う方もいると思いますが、沖縄にとっては全然別のものなんです。昭和47年度は5月15日に始まって翌年の3月に終わったわけです。それで両者はそれぞれ10.5か月。つまり、復帰が5月15日になったというのは、こういう意味があったかもしれない。これについては、何故か明確に書いたものはないのですけど、日本政府は4月1日返還を要求し、アメリカは7月1日返還を主張して、その中間を取ったという表現が多いのですけど、単なるそういうことではなくて、会計年度の問題があったと思います。ともかくその10.5か月同士の比較で、こうなっている。4倍と書いてあるんですけど、このときには協力謝金などのいろいろな名目の金が出ていまして、実質6倍になったというのが、土地連などの表現にあります。それほど一気に軍用地料を引き上げた。“翌73年は182億円、その後の継続的な上昇の結果、00年度の当初予算で826億円である。"――今は、850億円くらいでしょうか。“18年間"――これ、18年ではなく28年です。28年間で“約6倍になった。この額は、農業粗生産額953億円の87%、経費を除いた農業生産所得489億円の1.7倍にあたる。沖縄は「農業県」であるよりは、はるかに「軍用地料県」なのである。

 単価は地目によって異なるが、山林でも農地並みの高さというように、割高になっている。そして、嘉手納以南の地域では、宅地が宅地なのは当然として、その他のすべての地目までも「宅地見込み」とされる。復帰前に山林・原野として地料を受け取っていた土地も、復帰後は都市近辺だから宅地に準ずるとされたために、いきなり100倍になったところもあるわけである。"――つまり、元もと宅地であったところは、1点何倍にしかなっていません。しかし、農地だったところがいきなり宅地として評価されればいきなり5倍・6倍・7倍になります。しかも、農地も田圃と畑では格付けが違います。田圃だと例えば5等級に分けて、田圃の1等級はどれだけ、というふうに決められています。畑だと、10等級くらいに分けられています。そして、原野があります。山林もあります。そういうところは軍用地でも非常に安い軍用地料しかもらっていなかったわけです。ところが、復帰したらこれがみんな宅地の評価になった。そうすると地目によっては100倍になったところもあります。

 “この軍用地料を受け取る地主数は約3万人いる"――農家はどうかというと、販売農家という統計が最近あります。いわゆる農家の中で、自給的農家と販売農家を分けるんですね。自給的農家を含めれば約3万人くらいですけれど、販売農家というのは1万2500しかいない。“一人あたりでは275万円となる。月20万円以上の「不労所得」を受け取る「地主階級」が分厚く存在している。"――「地主階級」とわざわざ言っている。“とはいえ、彼らは好き好んで基地に提供したわけではない。強制的に収用されたのである。だから、戦後の20年ほどはさまざまな辛酸をなめさせられたであろう。これは同情に値する。

 しかしながら、歴史はそこに止まってはいなかった。1959年"――復帰前です。1956年をピークとして島ぐるみの土地闘争がありまして、みんな軍用地料が安すぎると言って怒ったんですね。で、その結果アメリカも譲歩して、地料を上げることにしました。結果が59年に決まったんです。“1959年に地料水準が引き上げられ、立場の逆転が始まった。軍用地料のある者は喜び、ない者はある者をうらやむようになっていった。そして、先ほど述べた、復帰の時の大幅値上げがきた。一気に四倍になり、その時から今日まで、更に6倍に上昇した。

 当初は、県民の多くが軍用地主に同情していた。県民の生活苦を象徴するような存在であった。だから50年代に「島ぐるみ土地闘争」が燃え上がった。ところが、しだいに状況は変化してきて、地主は軍用地料の高さに満足し、今日では基地の返還には反対だと公言するようになった。彼らの生活の実態も豪華な住宅に住み、豪華な家具や車を備え、豪遊する姿が見え始めた。もはや同情の対照にすべきでないのである。

 このように言うと、軍用地主らの会である土地連は、大半の地主は100万円前後であって、生活費に使っているだけだと弁解する。入ってきた金を生活費に使うのは当然であって、問題は生活の中身と水準にある。通常の月給取りの元に毎年100万円もの「追加収入」があることを想定してみるといい。その大変さが自覚されていない。

 とはいえ、それは地主が進んで求めた結果でないということも事実である。他人の収入をうらやみ、使い方をなじるのはよしたほうがいいかもしれない。

 ところが、このような実態が、地主でない県民一般にもマイナスの影響を与えているのである。それは地価水準の上昇である。沖縄の地価は高い。一人あたりの県民所得が47位であるというのに、地価は14位である。
 軍用地料の次に問題になるのは、自治体に対する基地関連交付金などである。県や市町村は、「基地があるから」を理由に国に迫り、国は「基地が維持できるなら」と、その要請に応える。その額はどんどん増額され、県内でも「基地のない市町村のことも考えてほしい」という声が上がっている。"

 ここで追加すると、サミットの時にオリオンビールが記念ボトル、――缶――、を出しました。沖縄の地図がここにありまして、ここに輪があって、7つですか、サミット参加国の輪があって、沖縄の地図があった。これを見て、「あー、沖縄が沈んでいく姿だな」と話したんですがね。そうしたら、南部の、――ちょっと有力な人ですけど――、この人が、「あー、やっぱり南部が沈んでいる」というんですよね。北部だけ浮き上がって、ちょうど真ん中に輪があるものですから、南部が沈んでいるように見える。ある人は、農林大臣が来て、名護でパーティーをやったときに、何で南部の市町村長が行く必要があるかといって出席を断ったそうですけど、そういう感じに県内でも見られているんです。そういう意見が出るような状況です。「基地のない市町村のことも考えてくれ」と。こういう言い方が出ているんですね。

 “自治体財政の基地依存度は、次のとおりである。金武町33.1%、恩納村31.6%、宜野座村26.6%、嘉手納町25.6%。絶対額で多い方をあげると、名護市37億円、沖縄市31億円、金武町30億円、恩納村25億円、嘉手納町21億円なととなる。"――宜野座高校が甲子園に出場して1勝しました。二十一世紀枠という特別枠で出場したんですね。で、宜野座村は今度その球場を阪神タイガースのキャンプ地に提供するんです。もう決まりました。行ってみたらわかりますけど、立派な球場です。あの宜野座村にこんな立派な球場があるか。本当にビックリするような球場があります。この立派な球場だけでなくて他にも球場があるわけですけど、宜野座高校があそこまで行けたのは、やはりこういう施設のおかげだなと僕は思っています。これは軍用地料のおかげなんです。ついでに言いますと、宜野座高校は宜野座一村の高校ではありません。金武町からも来ます。そして、名護で言うと旧久志、あの地域まとめて宜野座校区なんです。NHKのアナウンサーが宜野座村というあの小さな村でこれだけのチームを育てたみたいな言い方をするのは間違っている。

 “軍雇用員の問題もある。復帰後7千人まで減少していたが、最近は8500人に増加している。これは、その賃金を「思いやり」と称して、日本政府が肩代わりしているため、アメリカ軍が潤沢に使うようになったためという。2000年度末には、「予算が残っているから」と、雇用員の駆け込み募集があって問題化した。
 このほか、漁業補償が19億円もある。

 これらによって、「基地の返還は求めず、カネを求める」、「基地被害には抗議するが、基地の返還は決して求めない」という沖縄のあり方、近年特に目立ってきた沖縄の卑屈なあり方がでてくるのである。その文脈の中で日本政府に対して、時に強くあたる場面がある。「地位協定を見なおせ」「移転先の基地は15年の使用期限を設けよ」という。しかし、「基地には協力して、カネは出してもらう」という基本姿勢に立っているので、政府から見て少しも痛くはない。"

 基地の代償としての「経済振興策」。今日のテーマは振興策ですが、“いま政府は、沖縄県からの要求は、それがカネで解決のつくことであれば、すべてを受け入れる態度を取っている。その中には理屈では説明がつかないものも少なからず含まれている。行政の原理からは容認できないもの、他の府県との公平性を欠くことになるものなどもある。そのような要求があったとき、行政官は"――いわゆる官僚です――“一応問題点を指摘するが"――「そう言ったてこれはねー」と言うんですね。“それでも沖縄側が粘れば、背景に政治家があって結局は容認する。"――だから、政治家が官僚を押さえるべきだというのが最近の風潮ですが、僕は全然そうは思ってないんで、官僚の方がまだ話が通じるんですよね。官僚のレベルから見て、これはちょっとどうだろうという話も政治家を入れると通ってしまう。特に沖縄の問題はすべて政治で動くことが問題だと思います。“このことは、沖縄にとっても決していいことではない。政治家の「活躍」の場が広がり、見返りに票はもらえるし、献金を受け取りれる。そのことは、国レベルだけでなく、県・市町村のレベルでも言える。

 普天間基地の移転先とされる本島北部地区に対する「北部振興策」が、一昨年決まった。向こう10年間、年に100億円を提供するという。地元は、それが「基地容認」と引き換えだと知りつつ、それには触れずに受け入れた。ところが地元からは有効な提案がでてこない。"――その100億円をどう使うかということですよ――“それでも、そのことは政府の責任にはならず、提案できない地元が悪いということになる。復帰後すでに過大な投資がなされてきた、その上に積み上げる投資だから、アイデアはそうそう出てこないのである。"――架けるべき所にはもうみんな橋を架けちゃった。残るのは伊江島くらいだ。そこまで架けるか、という話になりますね。道路はどうですか。やんばるに行った方がおられると思いますが、何でこんな所に道路を造ったかと思うようなところがたくさんあります。そこまでやっているわけですから。そうすると、あと100億円やるから何かアイデアを出せと言われても、出し切れない。何を要求していいかわからない。

 “02年4月から、旧法を衣替えして「沖縄振興特別措置法」がスタートした。その理念も内容も、上に述べた状況の延長線上にしかない。したがって、政府は「こんなことが本当に必要なのか、有効性があるのか」と問われれば、「沖縄県の要望に沿いました」というだけなのである。

 例えば、「特別自由貿易地域」は旧法にもあったし、すでに動いているものであるが、想定されたように企業はよって来ず、広大な敷地が空いたままである。また、空港の免税売店制度も旧法にあったが、これを空港外にも認めることになった。しかし、空港の免税売店は復帰当初とは異なって、しだいに利用者が減っていって、ついに撤退し閉店したばかりである。もっとも、アメリカの会社が入るというので、そのための工事をしているところであるが、会社がかわれば成功するというものでもあるまい。"――これはもう工事が終わって開店しています。アメリカのduty-free shopの代理店が入っています。今日も見てきましたけれども、まあ、客は来ないんじゃないかと思いますね。昔は免税店があれば、ウイスキーなどもあまり値段を吟味せずに買うというようなこともありましたけれど、今はそういうことはありません。我々が外国に行って免税店を見ても、ウイスキーなどを買おうとはしません。国内で結構安い価格で買えますから。化粧品だとかハンドバックの類で免税品の魅力があるんでしょうかね。今まで沖縄で戻し税というのがありましたけれど、一ヶ月くらい前の新聞に、グラフで示して、もう戻し税の役割は終わったというのがありました。実績はほとんどゼロです。そういう時代に免税売店を作る必要はないと思います。しかも、免税売店は、宜野湾市のコンベンションセンターのあたりにも作るそうですよ。あんな所に誰が買いに行くのだろうと思いますけど。

 最後のページですが、“また、金融業務特区、情報通信産業特区、産業高度化地域などを設けるというが、そのいずれに精算があるというのか。このようなことは、単なる税制優遇措置で立地するかどうかが決まるものではなく、沖縄の現実からくる何らかの必然性のうえに立っていなければならないはずである。

 このように、政府自体が精算ありと思っていないことが、沖縄県の要請だからと制度化されていく。この構図では、どう転んでも政府には責任がなく、政府は基地容認という回答を取り付けることで満足することになる。"――金融特区を造ると名護市がいい、沖縄県が支援して国にのませた。これについても、ヘリ基地反対協で話してくれといわれて話してきましたけれど、その時に一生懸命勉強してみたんですけれど、これは一言でいえば、「やくざ金融」だと。――講演の場ではそんな言葉は使わなかったんですけれども――。つまり、世界中を見回して、何処が金利が高いか、今はもうコンピュータで瞬時にわかります。何処が金利が高いか、金利の高いところにぱっと金を動かす。そして、もう一つは税金がいかにに安いかですよね。この両方を見ながら、大量の金をあっちに動かしたり、こっちに動かしたりする。それの手伝いをする組織。だからそれは、キーを叩くだけでできる仕事なんです。たくさんの人が必要なわけではないのです。しかし、国はそれに20人以上の雇用がないと認めないとやったんです。名護市なんかは反対した。何で20人なんて制限を設けるのか、と。4、5人でもやらせてくれという意味です。確かに4、5人でできる仕事です。だけど、これは雇用を拡大するために提案されているわけだから、――金融制度を変えようという提案ではなくて――、名護市の雇用を増やすために提案されているのだから、雇用のないようなものを認めてもしょうがないというのが政府の言い分です。もう一つは、税を下げるといっても、先進国としての日本は国際的な約束事がありますから、下げられる限度というものがある。これは今の自由貿易地域にも適用されていて、もうこれ以上下げたら税金逃れだと、他の国から非難される。――発展途上国の場合には、まあ、大目に見ようということはありますよ――。だけど先進国の日本で、そういう税金を下げるということを公然とやったら、とても国際社会では認められない。そのぎりぎりのところで国は線を引いたわけです、今度の場合も。そしたら、国際的に見たらこの金融特区は魅力がないのではないか。もう少し税金を下げてくれとか、人数の制限をおろしてくれとか、言っているのですけど、それは名護市や沖縄県の要求の方がおかしいと僕は思います。国はこういう制度は認めたくないわけです。国際金融制度を乱すようなことを日本政府は率先してはやりたくないわけです。ただ、沖縄が要求して頑張るもんだから、一応、かたちは認めたことにするが、実際はできないようにする。このようなことが今回の金融特区の制度だと、僕は思っています。

 税制優遇措置というのは、税金を払っている企業にとっては意味がある。だけど、日本の企業の中には税金を払ってない企業がたくさんある。自由貿易地域だとか産業高度化地域などといったところに企業が立地して、いろいろ条件はありますが、それを満たせば税金を安くしますよ、といったときに、そこで企業として経営が成り立つならば、税金をまけてもらうのは意味があります。だけど、成り立つかどうかというレベルで、企業は敬遠しているわけです。自由貿易地域に来ないわけです。そこで、経営が成り立つということならば、税金の優遇は意味がある。しかし、経営が成り立つかどうかの見通しが成り立たないから、企業は来ない。だから、そこに税制優遇措置を設けても、企業は来るわけがない。

 “5. 再び、基地と経済
 復帰後の8兆円にも及ぶ国の財政投資は、産業基盤・生活基盤の整備には役立ったが、その下で産業はあまり育たなかった。近年出てきた基地容認の代償としての「経済振興策」も、同じ路線上にあるので、結果に変わりは出ない。そして、新しい制度としてもてはやされている特別自由貿易地域や金融特区には実効性がない。
 これらのことを含めて、やはりすべて基地が問題なのではないかと考えるのも自然な成り行きかもしれない。しかし、これも当たらないのである。
 製造業や農漁業が発展しないのは基地のセイではない。地価が高いことの影響は受けている"――これは基地のセイです。“土地が足りないからではない。"――農地はもう余り現象です。“基地の事故や騒音のためでもない。"――工業が成り立たないのは騒音があるというわけではない。“基地は街づくりをゆがめているとはいえるが、経済的には所得をもたらしているものであって、マイナスには作用していない。

 軍事基地は、戦争につながる装置であるから、「絶対悪」というべきであろう。そして、日常的にも危険を抱えさせられている。無くすべきである。
 だが、このことと経済問題とは別なのだ。基地がない方がいいというのは、経済問題からきていることではない。経済問題としての基地は、カネを撒くという意味でプラスといわざるをえず、基地の撤去は経済的にはマイナスなのである。マイナスであっても基地は無くすべきだと主張したい。
 そのマイナス面は、先に見たことの裏返しだから、くり返しを避けることはできないが、簡単にまとめておこう。まず軍用地料の826億円が無くなる。自治体の受け取っている交付金が無くなる。9億円の漁業補償金が無くなる。8500人の軍雇用員が職を失う。それでも、基地は返還させようというのが私の立場である。
 軍用地料はなくなるが、その代替利用によって全額とはいかなくても、ある程度(半分くらい)は新しい収入源が得られよう。そこには雇用の増加も期待できる。地主たちは、これまでの異常な収入に頼った生活から、勤労に基づく健全な生活に転換すればいい。自治体は、これまでの異常な特別収入に頼った運営から、通常の慎ましやかな運営に戻ればいい。漁業者は漁業を再開すればいい。軍雇用者は、以上の結果生まれてくる新しい健全な仕事に従事すればいい。
 基地が返還されれば経済的にはマイナスなのだが、打撃的なマイナスではないのである。
 だから、これらを理由に基地の返還要求をちゅうちょしたり、反対するのは許されない。
 反対に、基地がなくなれば経済的にプラスになるという主張もある。これにも私は反対する。基地の跡地利用では現在の軍用地料を上回る収入は発生しない。それほどまでに地料は高くなりすぎている。沖縄にはこれ以上のショッピングセンターは作るべきではない。商業以外の立地は、工業でも農業でも収益は上がらない。
 だだ、いびつな街が是正され、不労所得が排除され、平和で健全な生活の場が拡大することは期待できるし、経済的にはマイナスであり、産業を興すことは困難であっても、それに立ち向かうしかあるまい。だから、基地は撤去させたいのである。"

 時間ですが、もう一つ付け加えておきます。『やんばるの経済と「振興策」』の57ページ。「軍事基地とカネのばらまき」というタイトルがあって、市町村有地が多いという話です。表が三つありまして、その下に、“軍用地は、地料をもたらす。これはアメリカ軍ではなく、日本政府が支払う。

 県有地や市町村有地であれば、その自治体に「財産収入」として入っていくし、特に問題はなさそうである。ただ、それの多い自治体は財政が豊かである。基地に関連した交付金も受けている。そこで、豪華な庁舎や諸施設を建てている。甲子園に出場した宜野座高校のある宜野座村の野球場は、プロにも通用するような立派なものである。

 表で示したのは、市や村に入ってくる軍用地料が、それが元々字有地であったという認識によって、字(行政区)に配分されているということである。これを分収金という。配分割合は5対5が基本であるが、若干の変動を認めているところもある。

 その金額は、宜野座村では4つの区で7億円、1つの区で1億5千万円から2億円もある。名護市では分収金総額で5億4千万円、区有地で6千万円の、合計6億円である。これは辺野古、久志(どちらも1億5千万円)を含む旧久志村を中心に分布している。

 区に入ってくるお金はどのように使われているか。区は町村とは異なって、そもそもなすべき仕事がほとんどない。使いようがない。祭祀や奨学金の提供くらいである。ところが、そこに年間億を超える金が入ってくる。区の戸数は100戸前後である。

 まず公民館という名の立派な建物を建てる。そこに職員を置き、給料を払う。公務員並みである。体育館や図書館を造るところもある。もちろん、祭祀は活発になり、奨学金は増額され、対象は拡大される。村の行事が増える。老人会、婦人会、青年会。その行事に金を使う。競技会や演芸会をして、賞金や謝礼金を配る。飲食させる。お土産を持たせる。旅行をさせる。PTA会費、水道料、電気料、肥料代、農薬代の補助をする。区民専用のバスを持って運営する。

 それでも使いきれない。個人の軍用地料もある。これももとをただせば、字有地を分割したものがある。"辺野古は、字有地を分割して個人有地にしたそうです。

 “このような実態は、人々の正常な感覚を麻痺させていくであろう。他所に出ては生活することができないであろう。
 軍用地料は、それが高いがために、多くの弊害をもたらしている。勤労意欲が減退する、生活が投機的になる、高価な家具や車を買う、遊興に散財する、などである。それは個人の収入の使い方であるから、他人がとやかく言うことではないかもしれない。"――あとはまた同じような話になりますので、やめましょう。

 で、下から4行目、“そのなかでも、この字有地の軍用地料のもたらしている常識はずれの経済生活は、人々を堕落の道に追い込みつつあるといっていい。ここに、軍用地料のもたらす問題点が集約的に現れているというべきである。
 辺野古の人々は、1950年代後半の「島ぐるみ土地闘争」の最中に、県民の意思に反して、率先して基地を受け入れた。そして、その周辺には「バー街」が生まれ、その後消えていった。彼らに代表される、やんばるの一定地域の人々は、基地からもたらされるカネにまみれて暮らしてきた。軍用地がカネをもたらすことに頼り、軍用地の設定を歓迎してきた。今また、近くに普天間の代替施設が来ることを容認しようとしている。
 「北部振興策」は、このような沖縄のゆがんだ側面を助長し、「基地に依存した生活」を作り出しながら、軍事目的を追求しようとしているのである。"以上です。
  


(講演の全体を編集部の責任でまとめた。“”は資料からの引用部分)

  • やんばるの経済と「振興策」:歴史と実践 第22号(沖縄歴史教育者協議会) 52-59(2001)
  • 日本復帰前後の沖縄経済:翰林日本学研究 第6集(翰林大学校翰林科学院日本学研究所) 271-281(2001)
  • 沖縄――「常識」を見直す視点:地理教育31号(地理教育研究会)49-55(2002)