Political Criminology

IV オートポイエーシス論

 これまでに述べてきた流れを背景にして、オートポイエーシス論は、システム論の新しい世代を代表するものとして登場した。

マトゥラーナの生命システム論

 「オートポイエーシス」とはヴァレラとマトゥラーナが「オートポイエーシス−生命システムとは何か」(1973)で提起した造語である。かつて自己増殖、自己形成、自己産出、自己組織化、自己制作といった訳語があてられたことがあるが、他の概念との混同が起こりやすいため、最近ではオートポイエーシスと原語のまま表記される。自己言及、ハイパーサイクルといった概念と混同されることも多いが、オートポイエーシスには、かなりはっきりとした定義がすでに存在している。

 発案者のヴァレラとマトゥラーナ両者のうち、ヴァレラは、後に「自律性システム」をオートポイエーシスにかえて生命システムの中心的な概念とするにいたった(「自己組織化システムにおけるオートノミーとオートポイエーシス」1981)ので、オートポイエーシス自体は、主にマトゥラーナの着想によるといわれている(河本1992など)。彼らは主に、生殖や生命発生のプログラムを探求するうちに、神経組織の自己組織化を表現しようとしてこの概念を生み出したようである(ヴァレラ=マトゥラーナ「知恵の樹」1984)。

 マトゥラーナはオートポイエーシスの組織を、一定範囲に維持される変数としての有機構成を持つホメオスタシス的なシステムであると表現し、次の4つの条件にまとめた。

  1. オートポイエーシスは自律的である。それがプロセスの中でどのように形態を変えようともオートポイエーシスはあらゆる変化をその有機構成の維持へと統御する。
  2. オートポイエーシスは個体性を持つ。すなわち絶えず産出をおこない有機構成を不変に保つことによって、観察者との相互作用は無関係にオートポイエーシスは同一を維持する。
  3. オートポイエーシスは、特定のオートポイエーシス的な有機構成を持っているので、まさにそのことによって単位体を成している。オートポイエーシスの作動が自己産出のプロセスの中でみずからの境界を決定する。
  4. オートポイエーシスには入力も出力もない。

 この規定により、オートポイエーシスが自己自身の要素を自ら生み出し、自己を再生産する自己組織化型のシステムであることが明らかになる。システムの基本は産出プロセスであり、自律性、個体性、境界の自己決定はこの観点で規定される。産出プロセスを中心にして見ると、有機体は自分の構成要素を連続的に産出し、この構成要素が有機体を構成し、さらに有機体は新たな構成要素を産出する。この産出の循環プロセスは有機体そのものにとって生じている。オートポイエーシスはこの循環性を有機体の条件としている。(河本:1993参照)

 ここで自己産出の過程を外的な要素の変化と関連させようとしても、それは必ずしも一致しない。オートポイエーシスの場合、有機体自体が作動システムとして自己の要素を産出しているのであって、外的な刺戟に対応する形でおこなわれているわけではない。つまりこうした自己要素の産出については、入力も出力も存在しない。外部からの働きかけは、システムの内部ではなく、システム全体への影響という点で、システム外部の観察者により確認されるのみで、システム自体が入出力を判定するものではない。

ハイパーサイクル

 こうした過程を理解するために、ハイパーサイクル(アイゲン=シュスター:1977)の概念を検討しておく必要があるだろう。ハイパーサイクルは、主に酵素系のタンパク質と、遺伝子系の核酸が、それぞれ別々に確立した上で関係しているというより、複合的に相互依存しているという点に着目して提案された概念である。その具体的な働きかたは次の例に示されている。

 RNAは、DNAと異なり核酸として自己の複製を作成する機能があると同時に他のタンパク質合成の触媒としての役割も果たす。RNAファージが細菌症に感染すると、感染したプラス鎖はまずタンパク質のサブユニットの合成を指示する。サブユニットは宿主のタンパク質と結びつき、ファージに特異的なRNAレプリカーゼを形づくる。このレプリカーゼ複合体はRNAファージの表現型を特異的に認識するため、ファージRNAが爆発的に生産される。(アイゲン=シュスター:1978)

 アイゲン自身、すでにこうした機構が他の系でも応用可能かもしれないと示唆している。この文脈に沿えば、2つの異なる循環系があるように見えた場合でも、それらの系同士を触媒するような自己組織化機構が存在し、より大きな循環系を作り出している可能性があることになる。これをシステム論に全体的に応用することがどこまでできるかは疑問の余地があるが、発想としては、システムの自己完結性とそのシステム鎖同士の関係について有益な示唆を与えてくれる。

 ハイパーサイクルは、一定の条件下で、システムの自己完結性と自己増殖が加速度的に進行する姿を示している。これを一歩進んでオートポイエーシスとなると、こうした自己増殖を可能にする条件や環境の設定もシステム内でおこなえるような、安定したシステムが構想される。

免疫超システム論

 もう一つ検討しておくべきなのが、免疫系のシステム論である(多田:1993)。免疫系は自己と非自己との区別によって作動すると考えられているが、どのようにして自己、非自己を認識するかは、かなりむつかしい問題である。たとえば遺伝的には同一のはずの一卵性双生児でも、免疫的には他人同士である。同じ造血幹細胞から生まれた免疫細胞でも、育った環境が異なると(移植等で他の個体の胸腺に移った場合)非自己と認識する。さらに、免疫系は、抗原に対してさまざまな抗体を生成した後、一定数を消していくという機構も備えている。その抗原も基本的には外部からの侵入者ではなく、まず胸腺で上皮細胞上のHLA抗原を認識できるかを試し、認識はするが、あまりに強く反応しない細胞のみをT細胞として送り出すことになる。外部からのあらゆる抗原は、自己のHLAに反応した場合のみ、非自己と認識され得る。言い換えれば、免疫系には入出力はなく、自己の内部において非自己に対応する要素を持つことで免疫システム内部で反応を繰り返しているということができる。

 このように自己に言及しながら自己組織化をしていくような動的システムを超システムと呼びたい。いうまでもなくマスタープランによって決定された固定システムと区別するためである。(略)超システムの概念は、言語の生成過程、資本主義下での大都市の成立と発展、会社の多角経営組織、あるいは多民族国家の成立などにも適用されると思う。 (多田、免疫の意味論:1993)

 この超システムの概念がオートポイエーシスと同じであるかどうかは別にして、両者はともに自己言及による自己組織化という作用をシステムの根本においている。そして外部との関係でいえば、内部に外部のレプリカを持ち、それとの相互作用を基本におくことで、閉鎖系としての形を備えている。オートポイエーシスが目指した、閉鎖系としての非平衡システムが自己の構成要素を自己増殖させるという筋は、ここでもまた承認されているのである。

ルーマン社会システム論

 しかし、こうした生命システムを中心に発展してきたオートポイエーシス概念を、社会システムにそのまま適用できるか、さらに法学に応用できるかという点は、より慎重な考慮が必要だろう。ルーマンは「社会学はオートポイエーシスの概念を採用すべきである。そうすれば、より徹底した、基礎的な作動にまで及ぶ自己言及的システムの理論を確立することができるであろう」(1984、1987)と宣言したが、現実にルーマンがどのようなシステム論構想を描いているのかは明らかでない。

ルーマンは、システムの認知について観察→記述→認知の順で説明し、「観察は、ある区別を用いて区別を構成する2項のうちの1項を指し示すこと、記述とは、観察結果をテキストに固定すること、認知とは、観察や記述によってシステムの状態を変化させることである」としている。そして「システムはシステムと環境の差異をシステムの中に導入する。ある区別をそれによって区別されたものの中に「再参入」させるという形式をとるのである。言い換えるなら、システムは、自己のオートポイエーシスを閉じられていると同時に開かれているものとして、回帰的であると同時に外部に対して反応可能なものとして、組織し得るような形式を求めるのである」という。(社会学的概念のオートポイエーシス:1987)

 ここに述べられているオートポイエーシス理解は、これまで述べてきたものとはかなり異なる。特にスペンサー=ブラウンの自己言及性の算術(形式の法則:1969)を援用しつつ語っている部分は、本質的に認識論であり、スタティックな構造を持つスペンサー=ブラウン式の自己言及システム理解と動的な作用システムとしてのオートポイエーシス概念とをほとんど同一の地平の上で論じており、理解し難い。またルーマンの著作中には、ハイパーサイクルという語もオートポイエーシス類似の概念として用いられており、自己言及システム(さらにパラドックス回避という概念も登場する)との異同の問題も含めて、その体系が明らかではない。

 しかし、それでもルーマンらの社会システム論者たちがどのようにしてオートポイエーシス概念を応用しようとしているのかを検討することには意味がある。ここではトイブナー(オートポイエーシスとしての法:1989)にならって整理してみることにする。

生命体の社会としてのオートポイエーシス
オートポイエーシスを生物学や心理学の中にとどめ、社会現象を、オートポイエーシスとして理解された個人の相互行為と構成する。「連結された人間からなるシステム」としての社会。最終的には、全体社会の擬人化、擬生命体化につながる。

社会システム独自のオートポイエーシス
社会システムとしてのオートポイエーシスは、コミュニケーションを要素としており、個々の人間、生命体を要素とするものではない。この場合のシステムは、生命システムではなく意味システムである。社会システム自体を擬人化ないし擬生命体化する必要はない。

この後者の場合について、トイブナーはルーマンとともに社会システム独自のオートポイエーシス概念を認め、次のように述べている。

「社会システムは、自発的に自律的秩序を産出するというように自己組織的であるだけでなく、みずからの要素をその要素のネットワーク自身によって産出するという点で自己産出的である。土台は生物学的システムと異なり、生命ではない。むしろ社会システムは、意味という土台の上に再生産される。これらすべての社会システムの要素はコミュニケーションであって個々の人間ではない。伝達、情報、理解を構成する単位としてのコミュニケーションは、回帰的にコミュニケーションを再生産することによって、社会システムを構成するのである。」(1989)

トイブナーの法システム論

 ルーマンは、オートポイエーシスを社会システムに応用したのに続き、彼が社会の全体システムの部分システムであると考えている法システムにも、同概念が当てはまるものと考えた。その場合問題となるのは、社会的オートポイエーシスを超えた、法的オートポイエーシスは存在するか、すなわち独自の意味を持った法的オートポイエーシスは存在するかということである。

法システムという基本的統一体は法律家がそれを描くような法規範でもないし、社会学者がそれらを定義する行為者や組織でもない。法はコミュニケーションのシステムである。しかしながら法のオートポイエーシスは、法システムの表出的な要素が産出されるときにのみもたらされる。法的行為は法の構造を変化させるコミュニケーション的事象である。この点にわれわれは法システムを定義づける基本的循環性を見いだす。すなわち、法的行為と法規範の間の循環関係である。循環性はケルゼンの根本規範という擬制がそうしたように法を法の外部から基礎づけることにとって代わる。法の循環的再生産が法のオートポイエーシスを構成するならば、作用としての閉鎖性は、その環境世界に対する開放性の主要条件である。開放性と閉鎖性のこの相互作用は法システムにおいては、規範的閉鎖性と認知的開放性のコンビネーションによって表現される。(トイブナー:1990)

 トイブナーの眼目は、法の政治的道具化を制限しつつ、法自身による法的概念および要素の自己組織化を可能にするという点である。したがってむしろ法の自律性を強調する主張も強い。法が自分自身の要素を作り出すことで自分自身を変化させるようなシステムであるかどうかは、そういった自律性、あるいは要素導出のコードがどのように設定されているかにかかっている。ただし、このコードを一般的な法則として定立したのでは、ヴィトゲンシュタインのパラドックスがそのまま妥当する。法の場合、おそらく法解釈過程をめぐって、こうしたコード化が必要となるだろう。

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    Criminological Theory Autopoiesis and Law

    「オートポイエーシス論」の法学分野への応用

  1. 初期システム論
  2. 自己言及:論理学の立場
  3. 法の自己言及性
  4. オートポイエーシス論
  5. まとめ:法学分野でのオートポイエーシス論の可能性
  6. 引用、参考文献
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