自治労音協通信

 5面  NO42号/2001.1.1発行

☆光州訪問記その2 百済の風が吹いた5・18前夜祭
第二話 歴史に翻弄された在日画家の『望郷』の思い

自治労音協事務局次長 小川典子

ビエンナーレパンフレットより

画集にリンク

★光州行きは難儀

十六日、午後五時、金浦空港から一時間ちょっとでカンジュ空港に到着。同行の内二名が頭痛と、五十肩?を訴える。緊張のせいか?私は二度目の訪問でリラックス気分、おまけに同行者もいて安心な旅とは言え、二人が気になる。慣れない地方で具合が悪くなったら大変だ!
空港には一昨年お世話していただいた朴敏正さんが出迎えてくれていた。呉さんのお弟子さんで、現在全南大学で講師をされている。宿泊先のホテルで呉さんと再会。といっても呉さんはしばしば来日され、年に2・3回お会いする機会があった。
夕食を食べに、土地の料理屋に向かう。東京にも韓国家庭料理屋があり、よく呉さんと食事にいったが(呉さんは冬休みに東京で地方自治制度を勉強している)その店のオーナーは呉さん(オ)という。ちじみや石焼きビビンバ、その他肉料理をマッコリを飲みながらいただく。病人の二人も取りあえず食欲はある様子。二年前からの知り合いが続々集まってきて宴会は盛り上がる。
呉先生は日本語で話す時は優しいが、自国語では厳しい口調になり、つい同じ人かという感がある。学生さんや市民活動家はこの先生を大変尊敬している。
私は日本語しか解せず特別優しく?していただいており日頃から感謝しているのだ。年は私より一つ年上だが、どう見ても貫禄と才覚で十才は年上に見える学者さんである。

★ビエンナーレ見学

翌日十七日は、先生は大学で授業があるため、午前中はジョンさんとその友人(道庁職員の時高知県に単身赴任していたので日本語が得意)に、ビエンナーレの美術展示場を案内していただく。現代美術から歴史的な人権活動家の画家達の芸術作品が一同に展示されている。話が前後するがこの日はざっと見学したが、十八日夕方、呉さんとやはりこの歴史的な5・18に招待された伊藤成彦(中央大学教授、金大中救援委員会)さんと、沖縄の安里英子さんといっしょに、ビエンナーレの展示場でもっとも貴重な作品が展示されている館に案内していただいた。
館は五時で閉館していたが、先生のお弟子さんがこの館の作品の収集責任者でもあり、特別の計らいでガイドをしていただいた。日本での収集の際の苦労話などをされ、在日の芸術家の生きざまや、「望郷」の思いを実現すべく、憧れて渡った理想郷であるはずの朝鮮民主主義人民共和国で評価されずに、表現の自由を奪われた、特に前衛芸術家達の渡朝前の作品を目の当たりにしてじっくり鑑賞することが出来たことに感謝感激。

★十八日前夜祭

この夜は5・18前夜祭が道庁まえの大通りで、二十年前学生と市民が集会を行った噴水の上に例年のごとく特設ステージが作られ、今年から市も予算を計上し大々的に開催された。ゲストも海外から多く参加し、沖縄からはアジア圏を代表する芸術家として喜納昌吉さんが出演した。沖縄民俗楽器の演奏、花、はいさいおじさんの三曲の演奏。ステージは予定の時間を二時間以上遅れている。芸術家の演奏の前に、パンソリ「光州事件」が上演され、松明行進にはアジア人権フォーラム参加者も参列した。追悼集会のスローガンのもと、市民五万人の大合唱「光州の五月」が盛り上がった後の出番は、特に緊張するものだ。
そういった状況のなかで、チャンプルのメンバーと喜納さんの奏でる三振の沖縄音階の古典演奏は、古き時代に「百済から沖縄へ繋ぐ風」を感じさせるものであった。
こうして、夜遅くまで光州市民と過ごした集会の模様は次回に詳しく報告いたします。みなさんも、韓国の民主化運動の先駆けとなった市民のエネルギーと、とおく古代にまでさかのぼる朝鮮半島の歴史を知る旅にいつか参加して下さいね!   (つづく)

松明行進の女学生達

喜納昌吉さんの演奏風景

自治労名古屋市職労の山口 真さんのまんがにリンク(パート8)


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