電波メディア「学界」批判

その7。ジャーナリズム本来?

1998.4.30

「ジャーナリズム」の語源

 「ジャーナリズム性善説」の基本構造は、アメリカの歴史に発している。にもかかわらず日本に輸入される際には、歴史の発端が消え失せてしまった。日本では、あたかも人類史はじまって以来の神話のごとくに、「ジャーナリズム性善説」がまかり通っている。これも呆れた話だ。

 日本には、「ジャーナリズム本来」あるいは「本来のジャーナリズム」という「何か」があって、その「本来」の姿からみると「日本のマスコミは腐敗している」という批判をする人がおおい。こういう批判をする人々には、「ジャーナリズム」とは本来大変に立派な仕事なのだ、もしくはあるべきだという気負いが見られる。その気負いそのものは結構なのである。だが、そのためにかえってジャーナリズムの本質が、曖昧にされ、ごまかされてきたのではないかというのが私の考えである。

 そこでまず原点にたちかえって、「ジャーナリズム」の語源から確かめてみよう。

 情報活動は、なにもヨーロッパにはじまったわけではないが、これは言葉の問題だから仕方がない。残念ながら「脱亜入欧」根性の日本で今や国語として通用する「ジャーナリズム」の語根「ジャーナル」の語源は、ラテン語の「ディウルナ」(原意・日毎の)であり、カエサル(英語読みはシーザー)が始めたローマ共和国の日刊情報紙に溯る。

 紀元前五九年、カエサルは二種の手書き新聞を創刊し、ローマ政庁前の掲示板に張り出させた。一つは『アクタ・セナトゥス』(Acta Senatus.元老院の活動の意。アクタは転じて「日報、官報」をも意味)であり、もう一つは『アクタ・ディウルナ・ポプリ・ロマニ』(Acta Diurna Populi Romani.ローマの人々の日々の活動の意。通称アクタ・ディウルナ。ディウルナも転じて「日刊新聞、官報」を意味)であった。ともに、文筆業の教育を受けた「奴隷」による筆写版が配られた。遠征中の将軍にも騎兵が届けた。将軍はさらに現地で筆写をさせて、前線兵士にまでローマの状況を伝えることができた。

 「ディウルナ」の原意が示すのは「日刊」のみであって、言葉そのものにイデオロギー的性格はなかった。実際上の機能を強いていえば、軍事的独裁権力を握っていた当時のカエサルに奉仕する「速報」の道具である。内容はまさに「官報」そのものだったから、「アクタ」にも「ディウルナ」にも、その「官報」の意味が加わったのである。

 以上の事実経過からみるかぎり、起源を明らかにしない「ジャーナリズム本来」などという言葉をつかって、民衆の側に立つのが「ジャーナリズム」の「本来」の社会的役割であるかのように論じるのは、かえって「ジャーナリズム」の歴史的な本質を見失わせることになる。確かに民衆の側も「ジャーナリズム」という装置をわずかながらに、またはときには効果的に自らの武器として用いるようになった。トマス・ペインのパンフレット、『コモン・センス』や、独立戦争中に発行され続けた『危機』シリーズなどは、その最も効果的な実例であろう。だが、歴史的に「本来」とは何かとなれば、むしろその逆に、権力支配強化のための道具だった。

 また、ギリシャ・ローマ時代には、筆写だけでなく、哲学までが「奴隷」の仕事だったことを考え合わせれば、初期の「ジャーナリズム」の従事者の社会的地位は、決して高いものではなかった。

 「ディウルナ」の創始者カエサルは、独裁権力を恐れる元老院議員らによって暗殺された。だが、かれが意図した遠距離コミュニケーション手段をもつに至ったローマ共和国は、さらに巨大な、あまたの異民族を支配下におく帝国へと発展したのである。

 「メディア」(媒体)または「マスメディア」(大量媒体)についても、「マスコミ」マス・コミュニケーション、大量伝達機関)の語意についても、やはり、同じことがいえる。基本は情報伝達の手段、道具であり、それ自体にはもともとイデオロギー的立場はない。このような「ジャーナリズム」の歴史と原理にてらして考えるならば、「翼賛ジャーナリズム」などと論評される日本の大手メディアの現状こそが「ジャーナリズム本来」であり、歴史的な本質をむきだしにした「先祖返り」の正直な姿なのである。

 「社会の木鐸(ぼくたく)」の方は、日本語というよりも中国語というべきであろうが、この起源も権力側の道具にあった。木鐸は木製の鈴のことで、役人が法令などを触れ歩くときに鳴らしたものだ。これに「社会の」という形容詞をつけて、民衆の側の警報を自称したわけだが、その自称に相応しい仕事を果たした実例は、どれほどあったのだろうか。これなどは言葉の出自がはっきりしているだけに偽善を暴きやすい。

メディアと言論の根本に潜む人権と人類史の深渕

科学的に考えるための基本的姿勢とは、相手がいかなる権威であろうとも、まず、すべてを疑ってかかることにある。とくに当局発表は徹底的に疑うこと。建前よりも本音を追及すること。時代背景を確かめること。誰の仕事か。どういう人脈が動いたか。誰が利益をえたか、などなどの調査の初歩的原則は、いわゆる犯罪捜査の基本と同じである。

 ひところしきりにテレヴィを「一過性」とか「一時的で表面的」と見下しては得意がる活字メディア人種が見受けられたが、いまではほとんどの大手の活字メディアも「一過性」の傾向に陥っている。そんな活字メディアをふくめた「喉元過ぎれば熱さを忘れる」習性は、結局のところ体制迎合に陥ってしまう。やはり、じっくりと問題点を煮詰めて論じなければ、同じ嘆きを何度も繰り返すことになるだろう。

 ただし、「問題点を煮詰める」とか「愚直な作業」とかいってみても、言葉だけが先走っていたのでは仕方ない。

 まずは「問題」の範囲を大胆に「人権」とか「人類史」とかの深淵にまで広げておく必要があるだろう。メディア全体をも視野にいれる必要がある。電波だとか活字だとか印刷だとかの分類はあるにしても、その機能は結局、メディア(媒体)であるにすぎない。それをつうじて市民個々人、または人間、人類、ホモ・サピエンス、はだかのサル、そのほかなんとよぼうとかまわないが、この動物が情報をつたえあうことにこそ真の意義がある。メディアは、こえ、みぶり、めくばせ、さわりあう行為などの延長である。人間が集団生活をするための手段の延長である。さらにそれをうらがえせば、個々人が集団のなかで自己主張をする手段の延長でもある。この相互関係の必要性こそが、人類史の発端において声帯の発達をうながし、ついでは異常なまでの新皮質の発達を刺激した。ところが現在、民主主義とか人権の尊重とかが表面上こわだかにかたられているにもかかわらず、人類のみが所有するメディアの機能は決して個々人に平等に配分されておらず、その不平等状態を告発する運動はほとんどみあたらない。

 1989年、フランス革命の「人間と市民の権利の宣言」には、こう記されていた。

 「思想および主義主張の自由な伝達は、人間のもっとも貴重な権利の一つである」

 以後、 200余年、この「もっとも貴重な権利」は、いかにも粗末に取り扱われてきた。電波メディアの発達は、ますますその傾向を加速した。ジョージ・オーウェルが警世と予言の書に描いた年限の『1984年』をすでに10年以上も越えた現在、不気味な暴走を続ける電波およびエレクトロニクス技術のメディア状況を直視しながら、人類史の発端と、または、もしかすると終末の底なしの深淵とを、同時にのぞきこんでみたいものである。