『湾岸報道に偽りあり』(56)

第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔

電網木村書店 Web無料公開 2001.7.1

第九章:報道されざる十年間の戦争準備 6

「シュワルツコフ報告」とCIA=クウェイト「密約」

 一九九〇年の前年、一九八九年十一月には問題のCIA=クウェイト「密約」が結ばれている。この密約のタイミングの選び方は、当然といえば当然なのだが、決してCIAの独断によるものではなかったであろう。というのは、密約が結ばれた一九八九年十一月に先立ち、一九八九年二月と四月に、中央軍司令官シュワルツコフは上下両院の軍事委員会で詳しい準備状況を報告しており、その中で、次のように述べていたのである。

「イラクはイランとの戦争を通じて湾岸地域で圧倒的な軍事大国となった。より弱体で、保守的な湾岸協力会議加盟国(GCC)にたいして潜在的な脅威を与えている。クウェイト北東部の戦略的重要地点にたいする執拗な領土要求は将来、問題となりうる」

「クウェイト北東部の戦略的重要地点」というのは、イラク側にいわせれば、ルメイラ油田の盗掘問題をめぐる国境紛争地帯のことであり、石油輸出のための水路確保問題なのであった。もちろん、タンカーのための港は軍艦の基地にもなり得る。しかし、シュワルツコフはもっぱら「戦略的重要地点」としての性格を強調していたのだった。

 シュワルツコフは、こういう情勢報告を議会に出しただけではない。その時すでに総勢数十万名に達する大軍の動員計画は、あらゆる軍需物資を含めて整っていた。中央軍の準備状況に関しては、前年の一九八八年三月、シュワルツコフの前任者クリスト大将が上院軍事委員会で証言し、病院のベッド数にいたるまでの詳しい報告書を提出している。第一次、第二次と、十年を経た「緊急展開軍」改め「中央軍」の増強計画は、ほぼ達成されていたのである。

 さらに「大森実のアメリカ日記」(『サンサーラ』91・5)によると、「昨年八月二日のサダムのクウェイト侵攻前の段階で、ペンタゴンで催された『図上作戦ゲーム』(戦争ごっこではない)で、『イラクのクウェイト侵攻』という仮想ゲームを彼(シュワルツコフ)が提出したという事実がある」というのだ。これらの「事実」の符節は見事に合っている。ブッシュ「最高司令官」だけではなく、シュワルツコフ「司令官」殿も、腹の底では、やる気満々だったのではないだろうか。

 ただし、ブッシュもシュワルツコフも、その時期にたまたま舞台に上がった役者にすぎない。

 以上のようなアメリカ帝国軍の「前方展開」、平たくいえば「電撃的侵攻作戦」計画の十数年を振り返ってみると、カーターの民主党政権からレーガン・ブッシュの共和党政権へといった騒ぎは、いかに嵐が荒れ狂おうとも、巨大な海流の表面をひっかく大気現象にすぎなかったのではないか、という気がしてくる。

 アイゼンハウワーが退任演説で「軍産複合体の怪物を警戒せよ」と訴えたのはあまりにも有名な話だが、あれほどの軍事英雄だった元大統領の遺言も、いまだ効果をあげていない。なぜなら、「軍」といえども所詮、真の支配者に仕える「暴力機関」にすぎず、軍需産業も独占本体の出店にすぎない。政党も軍も、本来のご主人の、あくまでもより高い利潤を求めての、強引なうねりくねりを制御し得ない。巨大なエネルギーの持主のご主人は、また、大手メディアの支配者でもあり、それを通じて大多数のアメリカ国民の思想を支配してきた。

 ここ十数年、光の届かぬ海の深みを右旋回しながら流れ、よどみ、地鳴りを響かせてきたのは、「リメンバー・ヴェトナム」「リメンバー・オイルショック」「リメンバー・テヘラン(アメリカ大使館人質事件)」などなどの、ご主人たちのダミ声コーラス、アメリカ流「復讐のヴェンデッタ」だったのではないだろうか。


(57) 決定的な問題点はカーター・ドクトリンの歴史的評価