『湾岸報道に偽りあり』(30)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.3.1

第五章:イラク「悪魔化」宣伝の虚実 6

「アラブの大義」=「リンケージ」の歴史的脈絡

 OAPECの「石油戦略」は、「アラブの大義」と結びついて発揮されていたから、二重の意味で反米的だった。

「アラブの大義」の同義語としての新しい意味を加えた「リンケージ」が、湾岸危機で有名になった。マスコミの一般的な報道では、クウェイト侵攻の後からサダムが「パレスチナ問題」を持ち出し、 「リンケージ」したかのような論評がなされていた。そして、サダムは「アラブの大義」を利用する陰謀的な「野心家」だというイメージが振りまかれた。しかし、多かれ少なかれ「野心」を持たない人間などは、どこにもいない。特殊な宗教的指導者は往々にして、自分自身の心の奥底を探ることをせず、自分が聖人君子のようだと誤解し、自己陶酔している。普通の人間の場合は、上手に本心を隠しているか、露骨に、または正直に表面に出しているかの違いだけである。特に政治家の場合、お互いに「野心家」だと中傷し合ってみたところで、なんの意味もなさない。ここでの問題は、果たしてサダムがそれまでに、「アラブの大義」を意識していなかったのか、発言し行動していなかったのかという事実の確認である。以下、要点のみを示す。

 第一に、サダムは早くからバース党員であったし、イラクでの党の最高指導者であった。バース党は、アラブの統一と伝統の復興を目指す点で、最も明確な思想を表明している組織である。パレスチナ問題は最重要課題になっている。

 パレスチナ問題でアラブ諸国の足並の乱れが表面化したのは、アメリカが取り持った一九七八年の「キャンプデービット合意」である。このとき、単独でイスラエルと平和条約を結んだエジプトのサダト大統領を「アラブに対する裏切り者」として糾弾し、アラブ連盟からの追放運動で先頭に立ったのが、他ならぬサダムであった。その後、サダトはイスラム原理主義者によって暗殺された。ムバラク大統領が政権を握ったエジプトは、サダムがイランと戦っている間に、シリアのアサド大統領らの取り持ちでアラブ連盟復帰を果たした。湾岸戦争でエジプトがイラクの敵側に回った遠因は、意外にも、この遺恨十年にあるのかもしれないのだ。そしてもちろん、「キャンプデービット合意」を侮辱したサダムは、パックス・アメリカーナへの許されざる反逆者であった。

 一九七九年に大統領になったサダムは、「アラブの大義」を中心課題とする「アラブ憲章」をまとめ、盛んに宣伝していた。

 イスラエルも、特にイラクを敵視していた。一九八一年には、イラクの原子炉を「原爆関連施設」と称して爆撃した。湾岸危機の直前、一九九〇年三月二十八日にはロンドンのヒースロー空港で、核爆弾の起爆装置をアメリカから密輸入しようとしていたイラク人が逮捕され、イスラエルは「憂慮」の声明を発表した。同三十日には、「イラクがイスラエル攻撃用のミサイルを6基配備した」というCIA情報が流され、アラブ諸国には、再びイスラエルが対抗策をとるのではないか、という懸念が広がった。サダムは四月二日、「われわれには原爆は必要ない。イスラエルが攻撃してくれば、イスラエルの半分を焼き払う。科学兵器で全滅させる」という趣旨のラディオ演説を行なった。

 これらの「イラク・イスラエル緊張」の見出しで報じられた一連の事件の背景には、現在も主要な問題となっているソ連からイスラエルへの「ユダヤ人」大量移住の動きがあった。五月二十八日にはバグダッドでアラブ首脳会議が開かれ、サダムはソ連とイスラエルの動き、およびそれに呼応するかのような「一部アラブ諸国」の「裏切り行為」を糾弾した。この最後の部分が、クウェイトなどによる石油増産と安売り問題であった。

 つまり、パレスチナ問題とクウェイト侵攻とは、少なくともこの三月から五月二十八日のアラブ首脳会議を通じて、「リンケージ」されていたのである。

 湾岸戦争中、私は後日の参考のために可能なかぎりテレヴィの湾岸報道を見た。ヴィデオ収録分も含めて、主要な解説番組はほとんど見たはずだ。「リンケージ」問題に関して最も印象的だったのは、NHK解説委員平山健太郎の発言ぶりであった。平山は一九七四年から一九七七年までカイロ特派員、一九九〇年十月にはサダムとの単独インタヴューに成功という経歴の持ち主で、これらの中東報道によって「ボーン・上田賞」を受けている。そういう「中東専門家」という立場だからだと私は感じたのだが、ある番組で、いかにもいいにくそうな口調であったが、この五月二十八日のアラブ首脳会談の内容にふれ、「そういう意味では、あのときからリンケージはされている」と語ったのである。

 だが、他の出演者は話を合わせもせず、ギクシャクと話題が変わった。その時期は、まさに世を挙げて「パレスチナ問題を都合よく利用するサダムの野心」というアメリカべったりの宣伝、「調査なし報道」垂れ流しの最中であった。しかし、私自身も注意深く観察していたのだが、平山は、知るひとぞ知る中東の常識問題に関する誤報を、沈黙のままで聞き過ごすわけにはいかなかったのであろう。それは「専門家」としての自殺行為なのだから。

「リンケージ」問題への踏み込みを恐れる大手メディアの姿勢は、とりもなおさず、アメリカ批判を避ける権力迎合の姿勢にほかならない。それゆえ、湾岸戦争報道で最も欠落していたのは、アメリカ「帝国」の実像追及であった。


(31) 第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔