『湾岸報道に偽りあり』(23)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.2.1

第四章:ジッダ会談決裂の衝撃的事実 3

「致命的な侮辱」の背後にいた「強力な友人」たち

 以上のような状況認識の上に立って、ジッダ会談の「真実」を再度検証してみよう。

『湾岸戦争――隠された真実』の「第5章:クウェイト侵攻」の冒頭では、「ジッダ会談」が次のように要約されている。

「ジッダ会談は混乱した劇的な瞬間であり、戦争への道を開いた。戦争回避を望んだ者、あるいは戦争を回避し得た者がいなかったからである」

 この「混乱した」会談はしかも、すでに始まる前から、決裂の場となるよう条件づけられていたのかもしれない。なぜなら、「会談のわずか三時間前、ジャビルは出発しないことを明らかにし、皇太子が代わることになった」のである。クウェイト側で最高決定権を持つジャビル首長が出席しないとなれば、イラク側のサダムも出るわけにはいかない。

「このニュースはサダム・フセインにとって『致命的な侮辱』と感じられた。彼もジッダに出掛けないこと、バース党ナンバー2のイザト・イブラヒムを代わりに派遣することを決めた」。

 形式的に見れば、いわば代理交渉か予備交渉への格下げである。事実、会談が終了した時点では 「交渉はバグダッドで継続することに決まっていた」。イラクの首都バグダッドで会談を続行するということは、当然、招待側としてのフセイン大統領の出席を予定していることになる。しかもクウェイト側は八月一日、「話し合いは進展した」という表現入りの「共同コミュニケ」発表を提案し、イラク側がこれを「事実ではない」として拒絶したという。これだけを聞けば、いかにもクウェイト側の方が会談継続と平和的解決を望んでいたかのようだ。

 一方、サアド皇太子が「メモ入り文書」を懐に隠しているという想定に立てば、ことは単なる会談の格下げにとどまらない。サアドは決して交渉のまとめ役、もしくはつなぎ役ではなくて、むしろ喧嘩役だったのかもしれない。

 以上の、一見相矛盾するいくつかの情報を頭に入れた上で、ジッダ会談の「秘密の記録」または 「隠された真実」を検証しなおしてみよう。果たして、交渉をつなぐ努力がなされていたのか、それとも意識的に決裂に向かったのか。

 イラクの要求は、色々な経過を経た後、領土問題と債務の取り消し、百億ドルの供与にしぼられていたようである。このうち、最も緊急を要したのは、百億ドルの現ナマであろう。債務はそのままにしておいて、あとでバクシーシ(贈りもの)という手がある。領土は、少しぐらい時間をかけても、逃げる相手ではない。だが、借金だらけで利息がかさむ一方、しかも、イラン・イラク戦争で経済が崩壊し戦後復興を急ぐイラクにとって、現ナマはまさにノドから手が出るほど欲しいものだった。

 事実、会談の内容として具体的に描かれているのは、カネをめぐる話である。

 イラク側交渉団は、「百億ドルの要求を持ち出し、無償供与が不可能ならば借款でもよいと付け加えた」。本来なら賠償要求だから「借款でもよい」わけはないのだが、これもあとでバクシーシにさせる腹であろう。ところがクウェイト側はなぜか、百億ドルの要求に対して「九十億ドルの借款供与に同意した」。そして、「残る十億ドルを拒否したことは、侮辱の意思を示すものとイラク側には感じられた」のである。

 さて、ここが微妙なところだが、「食事の終わるころ、ファハド国王は二人のゲストに笑顔を向け、差額の十億ドルはサウジアラビアが『イラクに対するわが国からの無条件の贈与』として提供すると発表した」というのだ。これに対して、「イラク側は国王に熱烈に感謝」したとあるから、事態収拾は可能だったのかもしれない。

 ここまできた「百億ドル」の話が、なぜ壊れたのだろうか。

『湾岸戦争――隠された真実』によれば、クウェイト側が国境線の画定という条件をあとから持ち出し、イラク側が「激怒」したという順序になる。さらに「サアド皇太子は、イラクはクウェイトを攻撃しないという保障を英政府から受けていると言い切った」

 サアド皇太子の最後の台詞はこうだ。

「脅しても無駄だ。クウェイトには強力な友人がいる。われわれにも同盟国がついている。借金は全部払わざるを得なくなるぞ」

 この深夜の捨て台詞と、「話し合いは進展した」という表現入りの「共同コミュニケ」発表の提案とは、いかにも矛盾がはなはだしい。そして、そういう会談自体の「混乱」のせいであろうか、ジッダ会談にふれた他のいくつかの論評にも、「混乱」が見受けられたのであった。あるものは、ジッダ会談でクウェイトがイラクの要求を拒絶したとし、あるものは、クウェイトがイラクの要求に対して譲ったにもかかわらずイラクは侵攻したとする。結果として、イラクの方が、なにがなんでもクウェイトを攻める予定だったのではないか、という印象が作り出されていた。

 それにしてもイラクの出方は、あまりに下手だな、どうしてかな、というのが私の実感だった。会談の決定的決裂、やむなくクウェイト侵攻という必然性が、もう一つ弱い。しかも、クウェイトの改革派が決起して援助を求めてきたと発表しながら、それらしき芝居も打っていない。あとから取ってつけた口実という感じ丸出しである。いかにも準備不足。どうにもストンと胸に落ちなかった。


(24) サダムの故郷タクリットから伝わった昔話の「真実」