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2013年11月3日 討論集会〜患者の生きる権利を奪う「医療社会保障改革」〜報告

会場の様子 会場の様子
雨の中、41名の参加で、討論集会が開催されました。

集会に先だって、参加者で、藤井さつきちゃんに哀悼の意を表しました。
2012年2月18日の当会の結成1周年集会で、バクバクの会からお話ししてくださった、 藤井真希さんのお子さん さつきちゃんが、10月10日10時に、旅立たれました。
本当に残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます。

【T】はじめに、今回の討論集会にあたっての問題提起

(1)「尊厳死法案」・新型出生前診断等々が出されてきた背景にあるものは何か?を考える
私たち、<やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!市民の会>は、「脳死」と臓器移植の問題を中心に考えてきました。その活動の中で、「安楽死」・「尊厳死」・「平穏死」等々の言葉がさまざまなところで使われ、何かしら「美しい死」として死ぬことを強要されているような印象を受け、違和感を感じるようになりました。そのような時に、「尊厳死法案」が超党派の議員で提案され議論されていること、いつ国会上程されるかもしれない状況にあることを知りました。
 この法案の内容とともに、「終末期」にある患者に対し「死への自己決定を強要する」ような流れが、何らかの意図を持って出されてきている現状に大きな不安を感じていました。そして、この流れの根底にあるものは、「脳死」を人の死だとする考え方と同じ潮流にあることを確信しました。「脳死」は生きている人を死者として扱うことを本人や家族に同意させ、「尊厳死」は「終末期」の状態にある人や家族に、「死を自己決定することを了解させる」というものです。より多くのひとびとに対象がますます拡がっているのです。「尊厳死法案」についても、私たちの考えを明らかにし、反対の声を拡げていくことが必要であるとの思いで、取り組んできました。
 この「尊厳死法案」が出されるという背景には、いったい何があるのか、「やめての会」運営委員会の中で議論するうちに、少しずつ見え始めてきたものや、ざっくりと感じ始めてきたものがあります。この内容を、今日の討論集会を始めるにあたって、私たちのひとつの立ち位置として、問題提起させていただくことで、議論を深めるきっかけになればと考えています。

 ☆ ☆ ☆

 安倍政権になって、次々と出されてくる医療社会保障に関する内容は、「医療の成長戦略」であり、今までの社会保障の概念を根本的に覆すものです。ひとびとが生きるためではなく、いかに死んだことにさせるか、いかにして早く死ぬことを納得させるかというものだと言っても過言ではなさそうです。あまりにも、ひとびとをないがしろにしたものです。
 私たちが目指す社会とは限りなくかけ離れた方向に突き進もうとするものです。

@(国が主導する)利潤追求経営と診療報酬改革のコラボレーション
 ──大手製薬・医療機器メーカーと政治家および官僚が一体となっての支配構造
 1983年の老人医療自己負担が皮切りに、2002年小泉構造改革によって、医療における利潤追求が本格的にはじまりました。被用者保険の3割負担へアップ、急性期病院へのDPCの導入、包括化の推進などが出されてきました。
 2004年には、独法化政策で国立大学の病院も民営化となり、利潤追求が至上命題となりました。民営化された病院は、診療報酬体系の変更を通じて、より一層利益最優先のスパイラルにはまっていくことになったのです。
 診療報酬改革は、患者には負担の増大と診療抑制、大手製薬メーカーと医療機器メーカーには「一部に大きく偏重した診療過剰」をもたらしているのではないかと考えられます。
A大病院への集中と中小病院の淘汰、再編
 同時に、新研修医制度導入され、医師が大病院に集中することで、医療崩壊が始まりました。
 2006年、「7対1」看護制度導入により、看護師争奪戦・医療スタッフの大病院への集中がますます加速し、中小病院を中心に看護崩壊がすすんできました(都心部と地方の格差も)。そんな状況になっても、プラスアルファの係数は大病院のみに付けるなどの政策が優先され、ますます中小の病院・地方にある病院の経営が苦しくなるという事態が進行しました。その結果中小病院の淘汰・再編がすすみ、急性期病院の療養型への転換などを含めて、多くの病院が影響を受けたのです。
B医療崩壊が深刻化
 2007年頃から「医療崩壊」「看護崩壊」が深刻な社会問題となっています。
 ──市場原理の中で利益追求のために、足手まといになりそうな内容はすべて切り落とす、そこに予算を投じない、そのための法案や規制を作る。それに美句を飾りつけ、一般の人々を煙に巻いてしまう。そのような政策で、「医療難民」が増大している。また「在宅医療」の美名の下に病院から放り出している。他方で、医療費増大の原因を高齢化のせいだとして、消費税の増税を図っていく──
 この悪のスパイラルを何とか止めなければ、誰も安心して生きていくことができない社会になってしまうのではないでしょうか。

 ☆ ☆ ☆

 以上のことから、新自由主義的な医療政策が行き着くところまで来てしまっている実状が、背景として大きく浮かび上がってきます。
 さらに、かつて過剰診療が問題の一つであった時代から、過剰診療バッシングを介して、今や必要な医療までも切り捨てていく時代に移行してしまっているのです。政府やマスコミの、医療費削減という名の下に医療の裾野を切り縮めようとする動きや、とりわけ社会的に弱い人たちや貧しい人々にしわ寄せをしていくような方向をけっして認めることはできません。
 私たちは、高齢になっても、「終末期」の状態にあっても、障がいをもっていても、誰もがその人らしい人生を全うできる社会を実現することを願っています。医療・福祉・社会保障を切り縮め、社会的に最も弱い立場にある人たちにかかる予算を削減することが背景にあると考えられる「尊厳死法案」や「新型出生前診断」について、まわりの人々に広く問題を提示し、ともに考え議論を深めながら、反対の声を集めていきたいと考えています。

(2)補足として二つの本の紹介がありました。

 一つはこの会の2011年2月の発足集会で講演していただいた小松美彦さんの本、もう一つは来年2月の発足3周年の集会で講演していただく予定の児玉真美さんの本です。
 どちらの本も「人間の選別」、「人間扱いしなくともよい人間」を認める政治・社会を鋭く告発しています。

 生権力の歴史―脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって   小松美彦 青土社
 ナチスでさえ、「実際に生きている者を死者と法規定することまでは発想すらしなかった」。「障害者もユダヤ人も生きていることを十分に承知していたからこそ、その"処理"を秘密裏に行った」。この意味では、現代の「脳死」・臓器移植はナチス以上である、と小松氏は批判しています。

死の自己決定権のゆくえ―尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植 児玉真美

死の自己決定権のゆくえ
 この本には世界中で人間の命が軽んじられている凄まじい現状がこれでもかというほど紹介されています。そしてそれらに対する児玉さんの怒りがほとばしり出ています。 
 最初の怒りは、最近の医療が「やるべきことも十分にやりもせずに、さっさとあきらめる」ということに対してです。一般の人は「だからこんな医療にはかかりたくない」と言います。しかしそうではなく「そうした医療のあり方を変えよう」と訴えています。
 医療界や一般世論の「どうせ」の共鳴に危機感を強く表明しています。「脳死になっていようといまいとどうせ脳死のようになった子どもなのだから」とか「どのみち死ぬ人」だからとか。あるいは「どうせ植物状態のような人」「どうせ終末期のような人」「どうせ障害者」「どうせ高齢者」「どうせ生活保護受給者」「どうせ無保険の人」「どうせ医療費を払えない人」「どうせ不法移民」等々。
 児玉さんは「ヒトの生き死には人智を超えたところにある」「『生きるに値する命』も『質』もへったくれもあるものか」「生きてこの世にあるかぎり、みんな、生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ―。そんな『いのち』を、せめておおらかに懐に抱ける人の世であれ―」と叫ぶように訴えています。
 死の自己決定権については「自己選択・自己決定という名のもとでの当事者の自己責任への転嫁と、それに伴う専門家や専門機関をはじめ社会の側への免責という現象」だと弾劾しています。
 私たちも取り組んでいる終末期、「脳死」の根本的な問題を提起している本です。
著者にぜひ話を聞きたいという思いで、次回へつなげていきたい。

【U】医療制度改革

(1)主報告
 今討論会の報告の主な部分ではありましたが、資料が膨大なため掲載することは控えることにします。問題点を中心にまとめることにしました。

【1】医療制度の変遷
@医療制度改革の大きな特徴(以前は医療社会保障の拡大の政策だったが、1983年老人保健制度の創設〜2012年社会保障制度改革推進法まで、次々と自己負担増加の政策に転換)
 2002年小泉政権、2006年安倍政権下での医療費抑制政策で、自己負担増により受診抑制がおこる。無保険者の増加。 診療報酬の引き下げにより、不採算部門の診療科の閉鎖が起こり、「医療崩壊」と呼ばれる事態に陥った。
A診療報酬改定の特徴(1990年以降)
 2002年小泉政権、2006年安倍政権下で診療報酬本体のマイナス改定が行なわれた。
 医療機関の機能づけによる診療報酬による評価が導入(1993年、療養型病床群療養環境加算、特定機能病院紹介率30%以上加算新設、2006年、7対1看護新設、在宅医療支援診療所新設、クリティカルパス加算新設)され、病院のピラミッド型機能が政府主導で推し進められてきた。

【2】包括支払い制度(DPC):○○病名で入院なら一日○円と決まる制度、出来高払いとは対照的な制度。特に2003年に急性期病院を対象に導入された包括化はいろいろな問題点を浮き彫りにしている。
@定額制のため、行う医療行為が少なければ少ないほど、医療者の利益になるので最小限の医療になりかねない。
A診療報酬を入院日数で3段階にしているため、高い診療報酬時点での患者追出しが行われている。
B医者の自由裁量がなくなり治療成果に悪影響を起こしかねない。
C在院日数の短縮、再入院率の増加で、患者にも負担をもたらしており、医師会も警鐘を鳴らしている。

【3】安倍政権の医療政策
 2013年8月21日「社会保障制度改革国民会議」で、「社会保障制度改革推進法第4条の規定に基づく「法制上の措置」の骨子について(プログラム法案)を閣議決定した。
 この法案の(2)医療制度の項に書かれてある以下の内容を特に指摘しておく。
@健康管理や疾病予防など自助努力を行なう・・・仕組みの検討など、個人の主体的な健康の維持増進への取り組みを奨励する。
A医療供給体制及び地域包括ケアシステムの構築にあたっては、個人の尊厳が重んぜられ、患者の意思がより尊重され、人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境の整備を行なうよう努める。
 具体的には、のきなみ自己負担増の内容が打ち出されている。(70~74歳の医療費窓口負担を2割に引き上げ、紹介状の無い大病院への受診は定額負担金の導入等。)
 介護では、要介護度の軽い人向けのサービスを介護事業から切り離し、市町村事業に移譲することでサービスの低下をもたらす危険がある。

 このプログラム法案の基本的概念は、社会保障の概念を自己責任へ転換し、憲法25条の生存権を踏みにじる危険性をはらんでいる。また、尊厳死法制化と一体となって、終末期の切り捨てに進んでいくための法案であることは明らかである。
 消費税アップと同時に、さらなる社会保障の切り捨てが進められようとしていることに反対の声を上げていこう。


【4】「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」
 厚労省が作成したガイドライン(2007年5月)や様々な学会等でもガイドラインは作成されている。しかし、現場の医療従事者の中では、ガイドラインを知られていないことも多く、ガイドライン化したほうがいいという意見は5年前と比べて減っていたり、法制化に反対の医師が増えているという、アンケート結果の報告があった。

(2) 福祉事務所で生活相談を受けている現場から報告

会場の様子

 私は、福祉事務所で生活相談を受ける仕事をしています。困っている患者さんの治療受け入れを病院にお願いすることもあります。以前は患者さんの事情を考慮して融通をきかせてくれていた病院も、最近は、「お金がすぐ払えないなら受け入れできません」とか、「前に医療費支払いを滞納したことがあるから受け入れ拒否します」とか平気で言うようになっています。つい最近も、入院治療はしたが支払いができなくて困っている人の相談があり、分割払いの相談をしたら「すぐ払ってくれなければ訴える」と言われました。病院には、未払い者から徴収するためのシステム(法的に訴えるシステム)も作られていたりします。差額ベットのない病床が少なくなり(6人部屋で1500円/日)、使いたくないアメニティー費を取られるなど、お金の持たぬ者は追い出されるシステムになっています。

 国民保険証を持っていない為に医療にかかれない人の相談の例として。@末期がんの未治療で、倒れて救急搬送された後に病院から福祉事務所に連絡があり生活保護開始された人がいます。治療は手遅れで2ヶ月後亡くなりました。A路上生活をしており、体調不良と腹部の腫瘤があるため癌だろうと分かってはいたがギリギリまで相談せず、食べられなくなり傷みも激しくなってようやく福祉事務所に相談にいらっしゃいました。生活保護開始し受診し、1ヶ月後に亡くなっています。
 また、医療保険持っていても、医療費が払えない為に受診できない人の相談の例として。@風邪で、市販薬買うより病院行った方が安いから受診するが、検査や治療が必要といわれてもお金がかかるから受けられないで放置。生活費がなくなり生活保護開始し後検査し、結核と分かった人がいました。A癌治療を受けていたが、貯蓄がなくなり治療中断している方。医師がその方に生活保護申請を進めて下さり福祉事務所に相談にいらっしゃいました。その方は、生活保護申請後に「私は、まだ生きていていいんですね」と泣いて語られました。
 生活保護申請をできないで医療を受けることが全くできない人もいます。ある方は、福祉事務所には、お金を貸してほしいと相談にいらっしゃいました。体調不良で仕事ができず藁をもすがる思いでいらしたのですが、収入の見込みがない人には貸し付けできる制度はありません。生活保護申請をお勧めしましたが、生活保護を受けると親族調査があることがネックとなり申請することを拒否されました。これは、生活保護の制度上の問題もあります。この方は、「この国は、あなた達は、弱っている人を見捨てるんですね。」「お金の切れ目が命の切れ目だってことは分かっていますよ。」といって帰られました。
 以上は、ほんの一例です。弱者を「国・社会に見捨てられ、生きてはいけない存在」という心情にまでさせてしまう社会。生きることの選択すらできない状況に追い込み、弱者を見捨てる社会となっているのだと思います。どんな人間も生きる権利があり、生きることを保証され、1人1人が尊重される権利があるはずです。憲法25条でも「生存権」が掲げられています。誰もが、安心して生きられる社会を求めていきたいと思います。

【V】 「脳死」からの臓器摘出に関して−最近の現状から考える−

 法改定2010年7月以降147例目の「脳死」からの臓器摘出が行われたが、そのうち8割が家族同意で、本人意思は2割にすぎません。
 内閣府調査のアンケート(2013年8.9月)では、本人の意思がなければ、提供を「承諾しない」と答えた人が半数にも上っています。子どもの臓器提供で、214施設アンケート調査したところ(20130714朝日新聞)、臓器提供を検討した件数のうち、6割が医師の提示で、残り4割が家族からの申し出だということです。これらから医療者側からの働きかけで臓器提供がされている傾向が推察されるし、臓器不足が報道されるほど、家族への摘出を強いる動きは強まるでしょう。
一方で小児科医師のアンケート回答には、「善意は尊いが、人の死を期待する医療は正しいのか」 「提供しない権利も十分に尊重されなければならない」等の疑問の声が根強くあるのも事実です。
 6歳未満の脳死移植にかかわった富山大の医師は「救命だけを考えた。臓器を残そうとは考えていなかった。…脳死移植は普段の医療の一つの選択肢。脳死や臓器提供だけでなく、救命医療など、子どもが生きるための議論も深めてほしい・・・」と語っています。
私たちは、声を出せない人たちの声を大切にして、「やめて、家族同意だけの『脳死』・臓器摘 出!」と社会に訴えていきたい。

【W】法律、規則、ガイドラインも守れない医師たちが進める脳死判定、臓器移植

 脳死臓器移植の検証を進めている厚労省脳死臓器移植検証会議は本年5月24日150例の検証結果を報告しました。そのうち個別事例について検証結果を公表しているのは僅か51例です。約100例が公表されていないので我々が独自に検証できない状態です。それでも公表された150例の報告書を見ると、あまりにひどい、粗雑な脳死判定の実態を知ることが出来ます。例えば大脳機能の消失を確認する脳波測定は最も大事で、判定基準では通常感度と高感度(通常の5倍)での測定結果の記録で平坦脳波確認が義務付けられていますが、高感度での測定をしないで平坦脳波を確認している事例や通常感度の脳波測定をしないで高感度測定だけで脳死を判定した事例、ノイズが入り平坦脳波と判定するのが困難であった事例、決められた時間の記録をしていない事例等、脳波測定だけでの違反が21事例も起きていたと報告しています。また金沢大学の様に脳波記録を紛失した事例もあります。更に最も危険な無呼吸テストでは、第1回目の法的脳死判定で27分間も続けた事例や第2回目の法的脳死判定で16分間も続けられた事例がある程です。
 そして、さらに問題なのは、家族承諾のみで臓器提供の56事例で、主治医が臓器提供の選択肢提示をして提供を承諾させた事例が25例(44.6%)もある事です。主治医の恣意的な臓器提供の誘導を許している厚労省の姿勢を厳しく追及していく必要があります。資料は私どもがこれまでに情報入手してまとめた違反事例と今回厚労省が報告した150例の事例で違反件数が判明した項目をまとめたものです。参考にして下さい。   

【X】 出生前診断と再生医療の現状について

 今日の集会のメインテーマは「脳死」・臓器移植や尊厳死ですが、「脳死」の人からの臓器摘出や尊厳死が「終末期でのいのちの切り捨て」だとすれば、「誕生時のいのち選別」ともいうべき出生前診断、特に昨年から問題となっている新型出生前検査についてとりあげてみます。

 まず、表は、現在、日本で主に行われている出生前検査を、左側から、実施時期が早い順に並べたものです。

 グラフは、青色の線が羊水検査、オレンジ色の線が母体血清マーカー検査の実施数を示しています。羊水検査、母体血清マーカー検査、どちらも最近、急速に増えていることが分かります。

表「出生前診断の方法」

グラフ「出生前診断の現状」
  • 上の画像が見づらいときは、下のPDFを開いて拡大してください
     PDF形式
 今春から、新型出生前検査が始まっています。妊婦の血液に含まれる胎児のDNAを調べて、ダウン症などの3種類の染色体の変化の可能性を調べる検査です。妊娠10週という早い時期から実施できるうえに、採血だけという簡便さに加えて、検査による流産の心配もなく、従来の母体血清マーカー検査等と比べれば相当な精度での診断が可能だとされています。
 今回の新型検査は、ダウン症など染色体異数性を対象としています。つまり、染色体に数の変化をもつ存在を、誕生の段階でふるい分けてもよい対象と名指したということです。しかしながら、ダウン症の人たちは、今も、その人らしく暮らしておられます。地域の学校に通い、家族や周囲の人達との細やかな人間関係を紡ぎながら様々な社会活動を担っておられますし、適切な医療的支援を受ければ、健康に長生きできるようにもなってきました。そのような人達を、妊娠早期に、より簡便に見つけ出す新たな検査技術が、本当に必要でしょうか。人は、偶然にさまざまな特性をもって生まれてきます。トリソミーという染色体の変化は、彼らの持って生まれたひとつの特性であって、それ以下でも以上でもない。その特性が、生きる上での"障害"となっているとすれば、社会的な支援の不備にこそ原因がある。今必要なのは、染色体に変化をもつ人が生まれないための技術ではなく、彼らの安全な出産や育ちを保障する医療・保健体制と、当たり前に地域で育ち生活していくことを支援する医療・福祉・教育の充実です。
 今回の新型検査の導入は、出生前診断の本格的な商業化へのスタートを意味します。4月からの新型検査導入が「臨床研究」と名付けられたために、商業ベースでの実施であることが見えにくくなっていますが、実際には、妊婦から採血された血液は、米国の検査会社「シーケノム社」に送られ遺伝子解析されています。「シーケノム社」以外にも、米国や中国など複数の民間会社が日本への進出を検討しているし、日本の数社も外国の検査会社と提携したり、検査の仲介を行うなど、国内での実用化に向けて準備を進めています。胎児の遺伝学的情報に市場価値がつけられ、商業ベースでの生命の選別が、今、始まろうとしていると言えると思います。
 又、今回の新型検査の開始は、血液検査という普及しやすい形での網羅的な遺伝子解析・検査手法を、出生前診断として用いることにゴーサインを出したということです。日本で開始されたのは三種類の染色体異数性を検出する検査ですが、性別判定、性染色体変異、複数の遺伝病の診断も欧米ではすでに行われており、適用範囲は拡大すると思われます。さらには、実施要件の緩和を求める声も次第に大きくなっています。
 これらの動向を踏まえれば、血液検査による出生前遺伝学的検査が、多くの妊婦を対象に、様々な遺伝子の変化についてのマススクリーニング検査(ふるい分け検査)として行われるようになる可能性はきわめて高いと思います。

【Y】 参加者からの意見

 (60代男性):親戚の夫婦を高齢者施設に入れて介護している。一人が転倒して大腿骨の頚部骨折をおこし病院に運ばれたが、医師から「安静にして手術しない選択もある。その場合は治療といっても病院ですることは何もないので退院してもらう。」と言われ、認知症がさらに進む心配があったが手術してもらう以外に方法がなかった。これが今の病院の現状なのだとわかった。
 (50代看護師)公的病院や中小病院も存続するために利益優先の医療が行われ、合併症やリスクの高い患者、生活保護受給者を大学病院に紹介してくることが多くなっている。保険点数の高い手術のみを行い、そこから外れた症例患者は適応外として受け入れない病院もある。大学病院も集中拠点とされながら、人員不足で職員の労働強化が進んでいる。一昔前の過剰診療ではなく、入院も短期間になり受け入れ先もないまま切り捨てによって、必要な医療をうけられないがん難民、医療難民、介護難民が増えているのを実感する。「出生前診断」が充分な説明もないまま、安易に紹介されてくる。高齢での不妊治療が多くなる中で不妊治療とセットで進められている。命の選択が行われていくことに懸念する。
 (50代看護師)80代の父親が入院中だが、栄養が完全に胃ろうになって1年6カ月になる。何度も危篤の連絡を受け、死に向かっているようでいて、現在は酸素量を減らせることができるくらいに回復過程を見せている。意識もはっきりしている。決してすべてがダメなのではなく高齢者もゆっくりではあるが回復する。その回復過程をもたらすのは、たゆまない看護・介護・医療でありそれを支えてくれる介護保険、医療体制であってほしいと日々実感している。

まとめ(当会代表)

会場の様子

 今日の討論会で、たくさんの課題や深刻な問題が提起されました。
 私たちは、家族の同意という一線を越えたから、家族同意の「脳死」臓器移植に反対し、この会を立ち上げました。それまでは、本人の意思という合法性が担保でした。しかし、家族同意の正当性は、だれも説明しません。この段階で「脳死」は個人の問題を離れて、終末期医療制度の一つになり、尊厳死等の問題と根本を共通する問題となりました。
 本日の企画もそのような流れの中で提起されました。
 憲法秩序や平和・健康いろいろ努力して積み上げられてきたものが、破壊されていく時代になっています。まともな批判勢力がない中で、私たちは何をすべきか、どんな時代に生きているか考えないといけないと思っています。

第6回 やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!討論集会

11月3日(日)に討論集会を開催します

テーマは 患者の生きる権利を奪う「医療制度改革」
時間は  13時30分から
場所は  エルおおさか南館101号室
主催は  やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!市民の会

 今回は、「尊厳死法案」に代表される生命の切り捨て強要の政策について、専門家の先生の講演会ということではなく、討論集会という形で意見を交換することにしました。
 詳細は添付のチラシをご覧ください。

第5回やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!市民集会

終末期医療・尊厳死問題を問う

 小雪のちらほら舞うような寒い一日でしたが、80名もの参加者でした。ドーンセンターの広いスペースで、バクバクの会の方たちもゆったり参加していただきました。
 今回の企画は、「脳死」・臓器移植が直接テーマではありませんが、家族同意の臓器摘出が次々と行なわれていく中で、終末期医療や尊厳死の法案化によって、医療の切り捨てが公然と行なわれる危険が高まってきています。今回、松本氏の講演内容を詳しく報告することで、その問題点をまとめていきたいと思います。

主催者あいさつ
 政府は、麻生副首相の「チューブの人間」・「さっさと死なせるようにしてほしい」という発言に象徴されるように、早く命を切るような政策を進めていっています。すでに保険点数から変えていき、がんじがらめにしています。
 私たちは「脳死」に反対してきましたが、「脳死」そのものの不合理性や人権侵害を批判してきたのは当然として、同時に「脳死」を法制度として認めた場合、「脳死」に近いと考えられる患者や終末期患者についてその切り捨てを認める制度に道を開くという点にも大きな危惧を抱いたからです。しかし、今日、その危惧が現実となり「尊厳死」という形での命の切り捨てが始まろうとしています。
 今回の企画は、このような「脳死」を突破口とした「早く死なせる」制度について、その問題点を考えていきたい、その観点から企画しました。

会場の様子

松本文六氏講演
 松本文六氏は自己紹介の中で「大分で、社会医療法人財団天心堂という病院を作りました。今まで、医学教育は治すことに力を注いできましたが、治すことと、癒すことの大切さをモットーにした病院らしくない病院です。」と語り、その理念は、1.癒しの環境づくり 2.人に優しく、自然に優しい環境づくり 3.医療(時代)の変化に対応できる環境づくり 4.地域に開かれた病院づくりをめざしていると話されました。今は、病院だけではなく介護施設・在宅総合ケアセンターも併設しており、実際の地域のニーズ、高齢化社会に対応するための実践もあわせてのお話でした。

会場の様子

1.尊厳死法案(「終末期における患者の意思の尊重に関する法律案」)の経緯について
 2005年、日本尊厳死協会が、14万人の署名を添えて尊厳死の法制化を国会に請願、国会議員が「尊厳死法制化を考える議員連盟」を作った。
 2012年3月22日、「終末期医療における患者の意思の尊重に関する法律案」を提唱。
 2012年7月3日東京弁護士会主催の公開討論会では激論、反対意見が渦巻いた。

2.そもそも尊厳死とは・・・
 日本尊厳死協会の「尊厳の宣言書」に由来し、今や、一人歩きし始めた。尊厳死協会の「尊厳死」には動けなくなった人間は生きる価値がないという思想が根底にある。
 しかし、尊厳ある死を迎えたいと考えている人々との間には相当な意識の差がある。自然死、平穏死等。
 アメリカでは、リビングウィル(生前発効の遺書)「本人の意識が清明である時に、不治の病気にかかり、回復不可能であることが判明した場合に、生命維持装置など特別な手段による延命処置を講じないよう、医師や肉親などの関係者に生前に明らかにしておく文書」は、大多数の州が法的に有効と認めている。(1972年)

3.2012.3月の尊厳死法案の問題点は何か?
*解説その1:尊厳死法は13条からなる。
 第一条では、終末期に関わる判定、患者の意思に基づく延命措置の不開始及びこれに係る医師の免責等に関し必要な事項を定める。としている。「免責」というのは今までの法案にはでてこなかった概念である。

*解説その2:延命措置とは、主に以下の処置を指す。
  • 心臓マッサージなどの心肺蘇生
  • 延命のための人工呼吸器装着
  • 抗生物質の強力な使用
  • 胃瘻による栄養補給
  • 鼻チューブによる栄養補給
  • 点滴による水分の補給
  • 人工透析

問題点1.定義のあいまいさ
第5条 この法律において「終末期」とは、患者が、傷病について行い得る全ての適切な治療を受けた場合であっても(@)回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。
 2 この法律において、「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疾病の緩和でなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養又は水分の補給のための措置を含む。)(A)をいう。
 3 この法律において、「延命措置」の不開始とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する場合において、当該患者の診療を担当する医師が、当該新たな延命措置を開始しないことをいう。(B)

以上の定義について、以下の問題があると指摘。
@ 『全ての適切な治療を受けた』 ということを誰が判断するのか判然としない。医師の技量と価値観によって、この判断は異なる。
 A医師が適切としてもB医師は不適切と判断することはあり得る。
A 適切な治療を行なえば、むしろ延命できると医師が判断した場合の対応の記載がなく、むしろ自殺幇助を肯定する項である。
B これであれば、医師は患者の意思のままに動けば良い。医師の医療上より良いQOLの提案さえ拒否できると読みとれる。これは自殺幇助に関して医師を免責することとなる。

問題点2.(延命措置の不開始)
第7条  医師は、患者が延命措置の不開始を希望する旨の(中略)表示している場合 (中略) であり、かつ、当該患者が終末期の判定を受けた場合には、延命措置の不開始をすることができる。
第8条  前条の規定による延命治療の不開始については、民事上・刑事上及び行政上の責任 (中略) を問わないものとする。
第10条  国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて終末期の医療に対する理解を深めることができるよう、延命措置の不開始を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができる等、終末期の医療に関する啓発及び知識の普及に必要な対策を講ずるものとする。

以上の内容について、以下の問題を指摘。
第10条下線部に対して
@ 延命措置の不開始とは何たるかについて啓発することは悪いことではない。しかし、具体的にどういう形で、誰を啓発の責任者とするのかを明確にしていない限り、それを希望する旨を単純に運転免許証などに○で表示せよと強いるに等しく、人のいのちをひどく軽んじた法文案である。
A この文章を読むと、臓器移植促進を意図しているのではないかと考えられる。交通事故で搬送された場合には、何一つ手だてをされなくても良いという文面であり、決して認められるものではない。

尊厳死法案の問題点 〜まとめ〜
  • 人間の生死にかかわることを法で一律に決定すべきではない
  • ヒトの生死は一人一人全く異なる
  • 「終末期」、「延命措置」の定義が極めて曖昧
  • 医師の自殺幇助を肯定するような法案
  • 患者の"自己決定"を最優先し、それに伴う医師の免責を考えた法案
  • 「事前指示書」、「事前要望書」 を前提にした、患者・家族・医師・看護師等の関係者間での納得の上での対応が全く考慮されていない。
とまとめられた。

4.では、実際医療の現場で終末期をどう考えたらいいのでしょう?

終末期医療 何故問題になってきたのか?
 定義は『 突然発症した重篤な疾病や不慮の事故などに対して適切な医療の継続にもかかわらず死が間近に迫っている状態 』(2007.11 日本救急医学会)ですが、医療技術の進化に伴って、その光と影の関係がここ30〜40年間で深刻化してきた。高度先進医療の光の部分が患者の救命で、その裏側で並行して発生し深刻化してきた影の部分が延命医療・終末期医療の問題となって表れている。

その出発点は、遷延性植物状態や脳死状態に陥った患者を巡る問題であった。
@ 1975.4.15.  カレン・アン・クライン → 人工呼吸器装着 → 抜去 → その後10年間遷延性
   植物状態にあった (1985.6.11.肺炎で死亡)
A 1983.3.  ナンシー・クルーザン → 7年間植物状態(経鼻栄養) → 1990.12.26.死亡
B 1990.2.25.  テリー・シャイボ → 15年間遷延性植物状態
   ・ 夫は1998年 "尊厳死" を求め訴訟、その後様々な裁判 "闘争"あり
・ 2005.3.18. 栄養補給チューブ3度目の取り外し (2005.3.31.衰弱死)
C 2006.3.  富山県射水市立病院における人工呼吸器取り外し事件


東海大学安楽死事件の判決要旨  ―治療行為中止の3要件―
  1. 患者が治癒不可な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること。
  2. 治療行為の中止を求める患者の意思表示が、治療行為の中止を行なう時点で存在すること。ただし、その時点で患者の明確な意思表示が存在しない時は、リビング・ウィルなどの事前の意思表示や家族の意思表示を通じた患者の意思の推定が許される。
  3. 治療行為の中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、輸血、栄養・水分補給など、すべてが対象となって良い。
(1995.3.8. 横浜地裁)

 そして、終末期医療に関する議論が活発化してきました。
 2012年までに厚労省、日本救急医学会、日本医師会、全日本病院協会、日本老年医学会等が、終末期の医療に対するガイドライン等を提案している。

5.実際の医療現場で終末期にどう対応すべきか
  • 松本氏は、天心堂へつぎ病院での取り組みを紹介された。
  • 延命治療・蘇生術について患者家族の意向を調査している。
 しかし、蘇生術をしない(DNR)に同意した患者さんの約半数は退院されており、終末期といってもあてにならない。
 医療政策とは別に、家族とどう向き合うかは、よく相談しておくことが大切だと語られた。

6.「脳死」を前提とした臓器移植は医療保険の対象とすべきではない

  • 人は必ず死ぬ。
  • 《 他人の死を期待する医療 》 を医療とすべきではない。
  • "脳死" は概念死であって人の死ではない。   @ 脳死状態にある妊婦よりこどもが産まれた事例が、多くの国で認められている。   A 林成之先生の脳低温療法で、Point of No ReturnのPointが移動し、脳死状態に陥っていた患者が75%社会復帰している。
  • "脳死" を前提とした臓器移植は、医療保険の対象とすべきではない。

私はより良い死を迎えることができそうか?
 という事で、会場の参加者にも、問いかけるような内容で締めくくられた。

三原ファミリーのお話(バクバクの会)
 3つのキーワード、「命」、「決める」、「家族」をテーマにお話ししてくださいました。心に残った内容をまとめました。
 健太郎君の生まれてからの6年間の紹介。
 未熟児網膜症、胆道閉鎖症、急性脳症・・・現在呼吸器をつけながらの在宅生活。
今まで、いくつもの山を越えてきた。その都度、「頑張れ!」と励ましてきた。しかし、急性脳症を発症して、先生から明日が峠です。といわれた時は、「もう頑張らなくてもいいよ・・・」と、私たち家族が健太郎の生命をあきらめてしまった。しかし、本人は生きることを選んだ。家族ができるのは,それを受けとめていくことだけ。命を決めるのは、本人です。
 移植については、胆道閉鎖症で、葛西手術はしたが、それだけではなかなかな落ち着かない病気だったため、次は肝臓移植のことを考えた。当然脳死患者からの臓器移植も考えたが,父である自分ができることは,いつでも生体肝移植ができるようにと、そのためにダイエットもした。しかし、急性脳症になった時、以前はもらいたいと思っていたのだから,今度は健太郎の臓器をあげないといけないのかとも考えた。今考えると、その時に「家族同意で脳死臓器摘出が可能」の法律ができていなくてよかった。もし、法律ができていたら、どんな判断をしただろうか?と思ってしまう。

会場の様子

会場の様子

印象に残った言葉
  • 声をかけてくれる人のことは、本人(健太郎)はわかっている。必ず子どもは意思表示をしている。
  • どんなに重い障害をもっていても、自立してほしい。その時の年齢らしく生きてほしい。
  • 私たちは介護ではなく子育てをしているのです。
集会のまとめ
医療制度との関連で
 医療制度は、出来高払制度でしたが、2003年ごろより、入院患者に包括制度が導入され、現在1500の病院が対象です。1つの疾患で1日いくらという額が決められます。2週間ぐらいは高い報酬なので、収益を上げるためには、患者さんの回転率を上げるという事になります。このような医療制度のもとでは、「尊厳死」が、命の切り捨てにつながります。
 団塊の世代が75歳・後期高齢者になる、2015年に向けて医療制度改革が進められています。命の切り捨て政策に対して、意見交換して、反対していきましょう。
会場の様子
      (集会後、バクバクの会の人たちと)

集会を振り返って、運営委員会で話し合いました。
 講師の松本氏もふれられた「事前指示書」がテーマになりました。
 尊厳死法案では、終末期にある患者本人が希望すれば、延命措置の不開始あるいは中止をしても医師の責任は問わないとしています。そして、その患者の意思を示すものとして、「事前指示書」が重要視される状況にあります。
 現在、医療現場では、制度的にも、稼働率を高め収益を増大させることが求められるなど、ますます利潤追求の方向に再編されつつあります。また、社会全体としても、経済的・財政的負担の軽減を目的に、「回復」の見込みのない患者、長期にわたって医療的支援を必要とする病人や障害者、 終末期とされるお年寄りに対する医療を制限しようとする流れがあります。尊厳死法案は、それらを法的に認めるものとして出されてきました。
 このような中にあって、患者は、いやおうなく「延命治療」を受けるかどうかの意思表示を迫られており、障害や病をもつ人への差別・偏見ともあいまって、自ら、終末期には治療の中止を申し出るように仕向けられているのではないのでしょうか。
 最期まで納得できるより良い医療を受けるために、どのような意思表示が可能なのか、なかんずく、私たちが求める医療はどのようなものなのか、会としても継続して考えていこうということになりました。

参加された方からのアンケート
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2月16日(土)に市民集会を開催します

講演:「終末期医療・尊厳死問題を問う」
講師:医師 松本文六 氏 

もう一つのお話は、バクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)の三原ファミリーからです。

詳細は添付のファイルを見てください。  PDF形式  テキスト形式


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