木村愛二の生活と意見 2001年10月 から分離

テロ?:急ぎ物申す特に日本人の急務は裸の止め男で落とし所は石油資源の平和的利用なり

2001.10.07.(日)(2019.8.7分離)

 10.07.(日)、早朝5時に目覚めた。昨夜来の渦巻く思考をまとめて記さないと落ち着かない気分なので、睡眠不足は昼寝で補うことに決した。日記風に後刻収める予定の文書形式とすることにして卓上玩具電算機に向かう。

 昨晩、200.10.06.19:00~、10年前に始まった湾岸平和訴訟で知り合い、著書を交換した語らいの仲、9歳ほど年上のアラブ通、阿部政雄さんの話を聞きに行った。阿部については電網宝庫「日本アラブ通信」に自己紹介がある。

 会合の場所は、中目黒スクエアと称する地元目黒区の公共施設の会議室であった。資料代500円の市民集会に30人ほどが詰め掛け、後半は熱心な討論となり、終わってから有志6人が、地下鉄中目黒駅前の何とここにもあった白木屋に入り、23時までの意見交換をし、ついには激論と相成った。

 私は最初の自己紹介で、東京都の反対側から出向いた理由として、阿部さんとの関係と同時に、このところ集中的に宣伝している1980年の米議会小委員会議事録、『南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策』(わが電網宝庫参照)の問題点と活用方法に関する私見と訴えとを述べた。全員の自己紹介が終わってから、阿部さんが一時間ほど話したが、その中で何度も私の意見や著書などに触れたし、私も、討論時間で質問に答えたり、何度か短く最新情報を提供しつつ意見を述べたので、いわば客分の講師の扱いとなった。

 阿部さんの話や討論の経過の細部についても別途詳しく記したいことが多いが、この経過の刺激で、このところ頭の隅で胚胎していた「落とし所」への道程が急速に結晶してきた。この整理を優先し、以下、弁証法の極意に見習い、3段階に分けて簡略に記す。

 第1は、「テロ?」の真相究明である。

 第2は、「テロ?」を脅しに使って、日本に「立場を明らかにせよ」などと無礼千万にも迫り、子分扱いを続けるアメリカの破落戸「因縁付け」の本音の狙い、カスピ海周辺の石油資源争奪戦と、とりわけ石油マフィアと軍産複合体の貪欲な衝動を暴くことである。

 第3は、しかし、今こそ、いわゆる反体制の負け犬根性の「反対!」ばかりではなくて、いわゆる人類の「ハルマゲドン」とやらの末期症状の治療法として、誰しもが本音はともかく表面上は納得せざるを得ない「落とし所」を、ど、ど、どーんと示す ことである。

 以上の3段階は、連結していなければ効果が薄くなる。分かりやすい状況で示すには、まず、日本人向けの歌舞伎調となる。

 第1と第2で、江戸の街角の人だかりの真ん中の喧嘩騒ぎを鎮めるためには、白刃を振りかざして睨み合う旗本奴と町奴の双方に、「やいやい、ここをどこだと心得てか、がたがたするんじゃねえ、てめえらの下司な魂胆は先刻承知!」と怒鳴り付け、一同、針が落ちても響くほどの静寂の中、第3には、「この喧嘩、俺が買った!」と諸肌脱ぎの裸で分け入る幡随院長兵衛である。

「落とし所」を石油または化石燃料資源の平和的利用とするのは、環境問題の側面から見れば、ちょっと待てよ、となるであろう。しかし、現実に石油文明と略称される人類こと裸の猿の野蛮時代の暴走の急制御は当面不可能である。となれば最早、米ソ対立の時代は終わったことだし、悪魔化戦争は時代錯誤、資源保有国の立場も尊重しつつ、ここは水戸黄門様に裁きを任せよ助さん格さんが葵の御紋の印篭、または遠山の金さんの諸肌脱いでの桜吹雪きの刺青、一同、恐れ入って平伏となれば、拍手喝采、鳴り止まずの幕引きとなる。

 歌舞伎調の説明だけではまだ世界的には通じ難いが、ここで「特に日本人の急務」としたのは、アラブ・イスラム圏と日本の歴史的関係があるからだ。

 阿部さんは、イラク大使館の顧問的な役割を買って出ているから、実感に基づいて、湾岸戦争以来の日本の対米従属の不様な振舞いによって、「イラクの対日感情が悪化している」と言う。その通りであろう。

 しかし、阿部さんとも旧知の仲で同年代の中東史の大御所、板垣雄三さんは、さる9月27日の集会で、「長らく欧米の植民地支配で苦しんだアラブ人は、日露戦争以来、日本人に対して片思いの恋心を抱いている」との主旨の歴史的関係を述べた。これまた私が繰り返す必要のない国際的な認識であろう。イラクの対日感情の悪化は、いわば裏切られた恋の恨みである。

 だからこそ、今こそ、日本人は不様な対米従属をきっぱりと止め、一匹の武家出身ながら町奴として旗本奴の凶刃に倒れた民衆の英雄、幡随院長兵衛を演じ、新規まき直し、客席の背後から躍り出て花道から裸で見栄を切って舞台中央ににじり寄らなければ、男が廃る、いや、女も廃る、最早、人類史に出番なし、なのではないか。

 もう一つの「特に日本人の急務」は、これまた説明の要がない「カミカゼ」である。おまけに半気違いの日本赤軍をアラブ人が日本の代表的左翼と勘違いしている現状についての日本人の責任である。この責任を取るべきなのである。

 実は昨晩、上記のごとく、「ついには激論と相成った」のは、阿部さんと私の間に座った全共闘または団塊の世代が、日本赤軍の心情的な支持者だったからである。私 はあえて滔々と持論を述べ、基本的には非暴力抵抗の思想で論戦に勝利し、帰りの渋谷までの東横線の車中で彼と和やかに意見交換し、握手で別れた。

 以上で、どうじゃ!