随時追加“編集長日記風”

木村愛二の生活と意見

2001年1月分

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2001.1.27.(土)

世論調査で極右シャロン51%の2.6.首相公選は20世紀の暴力後遺症の象徴か

 私が、初の英語演説の拙速作戦をアメリカ大使館前で決行してから、早くも2ヵ月が過ぎた。この拙速作戦の決行は、パレスチナ内戦の「子供虐殺」と、お涙頂戴の「偽の友」横行状況で怒り心頭に発したが故でもあり、偽イスラエルと極右政治的シオニストへの批判を主たる目的としながらも、かねてより意識していたインターネットTV超辛口時事解説者の武者修行をも兼ねていた。その後、イスラエル国内でも政治変動が続いていたが、論評の暇が無かった。というよりも、実は、あえて論評する気になるような、決定的な事態の変化がなかったと言う方が、正確なのかもしれない。

極右のシャロンがパレスチナ側と接触の絵解き

 昨日、『日本経済新聞』(2001.1.26)朝刊の国際面には、3段の見出しで、「バラク氏再選厳しく/イスラエル首相公選/衝突長期化、支持失う」とあった。2月6日に迫ったイスラエルの首相公選についての現地の世論調査では、シャロン51%、バラク31%の支持率だという。ここに至る状況は、これまでにも何度か報道されているから、別に驚くことはない。私が興味を抱いたのは、その左の方の1段の見出しのベタ記事、「パレスチナ関係者とシャロン陣営が接触」の方であった。シャロンの息子と元外務次官が、「アラファト自治政府議長の政治顧問と会談したという」のだ。「和解」もやるぞ、との内外向けジェスチャーであろう。

 目前の事態についてのみ論評するのであれば、シャロンのパレスチナ人への挑発が、成功したということになる。シャロンは、力の政治の延長上で、今や54年目を迎えるパレスチナ分割決議の決着役をも買って出るぞ、と内外に誇示した。パレスチナ側、またはアラブ側の拒否反応は強まるであろう。

 しかし、現在の力関係を変えずに、和解交渉を進めるのであれば、アラブ側が公式に譲歩することによって、領土分割の屈服を承認する以外の解決法は、あり得ないのである。アメリカは、「和解案」と称して、「難民の帰還権」の放棄をも迫っている。この行為を歴史に照らせば、欧米の後押しを受けた偽イスラエルの侵略と占領を、承認すること以外の何物でもない。表面はどうあれ、力づくの押さえ込み以外の何物でもない。そう考えると、イスラエルの世論調査の結果が、非常に判りやすくなる。

 自動小銃を前に構えた武装警官隊を先頭にして、イスラム教徒の管理権限が認められている聖所に集団で押しかけたシャロンの挑発に応じて、パレスチナ側は石を投げ、イスラエルはミサイルを浴びせた。対等の力関係ではないのに、単に、「パレスチナ人とイスラエル人の間の暴力」(The violence between the Palestinians and the Israelis)、と報道されている。この「事件の意味の逆転」現象については、すでに何度も指摘した。

 だが、世間並以上に過度の集団防衛意識で思想武装しているイスラエル人の多数派は、パレスチナ側の死者の数の方が3桁以上多くても、自己防衛の意識を強める。だから、乱暴ではあるが「強い将軍」のイメージのシャロンの方が、有利になったのである。そして、侵略軍の総大将シャロンが、かつての日本の山下馬鹿将軍がイギリス軍の軍使を怒鳴りつけたように、「イエスかノーか」と、アラファトに向かって降伏を迫るのである。

 つまり、事実上は降伏でしかない和解の芝居が進行する可能性もあるのだが、アラブ側の民衆が、これで納得するはずがない。やがては、怒濤のようなアラブ・イスラム世界からの総反撃へと、歴史は、大きく動くであろう。また、血が流れる可能性が高い。

終止符を打てるか、目には目、歯には歯、テロにはテロ

 偽イスラエルの世論の動向は、実に単純な条件反射なのだが、人類史、または猿の種族の自然史的な視点から見れば、法則通りの反応なのである。「目には目を、歯には歯を」が、「テロにはテロを、ミサイルを」へと、より残虐になっただけのことである。

 この因果応報の歴史に終止符を打つことは、果たして可能なのだろうか。昔から、捻りの効いた空想科学小説には、犯罪が消滅した未来社会の閉鎖感への恐怖が綴られていた。要するに、暴力とか犯罪とかが存在しなくなると、かえって不気味な社会になるという状況設定である。いわゆる理想が実現すると、身の程知らずにも人類とか霊長類とか自称するようになった裸の猿にとっては、不自然な世の中になるのかもしれないのである。

 たとえば現在、アメリカかぶれの最近の若者言葉にも、「リヴェンジ」などがある。仇討ちは江戸時代に禁止されたが、雪の夜の赤穂藩士の吉良邸討ち入りは、今もなお、歌舞伎ばかりかテレヴィ・ドラマの定番である。英語圏では『ハムレット』である。

 私は、元旦から、とりあえず、この「日記風」の中で、20世紀の革命と、その思想的な原動力となったマルクスの暴力革命思想への批判を開始した。対置する思想の実例は、ガンディーの非暴力抵抗である。その筋を通すと、たとえ抑圧された側であっても、たとえ武器が小石だけであっても、暴力は否定することになる。私は、すでに、この「日記風」に記したが、某アラブ国の記者に対して、日本赤軍「英雄視」への批判を述べ、「日本人はテロを好まない」と告げた。しかし、これを現在の状況に憤激しているパレスチナ人に告げるのは、大変なことである。

 私がパリで知り合ったバジル・アブ=エイドは、パレスチナの地を踏んだ経験すらない。彼の父親は、現在の偽イスラエルに追い出されて、ヨルダンに逃れた難民だった。バジル自身は現在、フランス当局が「テロリスト」として逮捕・監禁しているパレスチナ支援者、の救援運動をしている。彼に「テロ反対!」と言うのは、私でさえ、ためらう。

 とつ、おいつ、考え続けざるを得ないのだが、基本的な状況認識は、いわゆる大衆基盤、思想・文化の水準にある。偽イスラエルは、あくまでも一応ではあるが、ユダヤ教、パレスチナはイスラム教、仲介役のアメリカは、キリスト教を掲げている。ブッシュとゴアの双方ともに、演説の締めは「ガッド・ブレス……」であった。日本も「神の国」だとのことで、それぞれ、「ガッダム!」(畜生!)の程度の思想・文化状況なのである。

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2001.1.21.(日)

自由の王国の夢が独裁に転じ失敗しても「ユートピアの消滅」断言は許さず

 今回は、「マルクス批判(その2)」とする。元旦に記した分を(その1)とする。すでに(その1)で記したように、人並みに折からの画期を意識しての一念発起であるから、当然、そこらじゅうに溢れ返る人類史論を横目で見ながらの作業となざるを得ない。

現体制の分析、希望の社会制度、革命の方法

 さらには、(その1)では基本的な発想のみを記したが、シリーズとするからには、とりあえずの草稿であるにしても、一応の梗概、または総論を想定した上で、各論に相当する問題点を論ずる方が好都合である。

 そこで簡単な論点を列記すると、マルクス主義に基づくとされる革命運動では、成功したか否かは別として権力奪取に重きが置かれ、その他の点での具体性を欠いていた。革命を実行するには、現体制の問題点を全面的に分析すること、きたるべき希望の社会制度のあり方を考案すること、革命の方法を決定すること、などなどの具体的な準備が必要である。これらの具体的な準備が、実は、非常に不明確だったのである。  今回も、『憎まれ愚痴』の刺身の妻として、『日本経済新聞』「やさしい経済学」欄の新春企画、「『近代』再考…限界と可能性」の3.「ユートピアの消滅」を俎上に載せる。これを叩き台にして、本当に「ユートピアの消滅」か否かを考え、上記の各論の中では「きたるべき希望の社会制度のあり方」に相当する問題点を検討する。記事の執筆者の岩井克人の経歴紹介は、「東京大卒、マサチューセッツ工科大博士、専門は理論経済学」とあるが、現在の肩書きは「東京大学教授」しか記されていなかった。そこで一応、母校に確かめると、やはり、「経済学部教授」であった。

ユートピアの消滅」で「資本主義の先に来るべき社会はない」か

 現在、東京大学教授の定年延長の議論があるが、まだ実現していない。だから、岩井は当然、60歳以下である。念のために連載の第1回の筆者紹介で確かめると、1947年生まれだから、53または54歳である。4日前の1月17日で64歳になった私よりも、少なくとも10歳は若い。前回に素材としたイギリスの教授と同様、戦後の団塊の世代であると同時に、国際的なエリートでもある。しかし、教職以外の現場の職業経験はないようだ。この若手のエリート教授、岩井の答案も、前回の刺身の妻のイギリスの教授の場合と同様、実に軽い。私は、年上だからとか、現場を知っているからとかだけで威張るのは嫌いだが、一応、人生の先輩、および、労働現場と政治活動の経験者として、この答案を点検し、添削しつつ、それとの比較対照によって問題点を明確化していく。

 岩井が、連載1.で「近代とは何か」を自問自答し、「ミレニアム」の歴史の中に「近代」を位置付けたこと自体は、その意気や壮なりと評価しよう。しかし、専門の「理論」経済学に色を添えようとする背伸びの結果であろうか、歴史と経済の相関関係を抜きにした論理の飛躍が目立つ。

 3.「ユートピアの消滅」では、『ユートピア』(1516)の著者、トマス・モアの造語を、「ユートピアとは、『ユー(無)』と『トピア(場所)』と言う二つのギリシャ語が組み合わさった言葉」などと説明している。博覧強記は理論研究者の最低限の資格であるから、単なる衒学趣味とか、言葉の遊びでしかないどとは言うまい。しかし、そこから一足飛びに、ソ連などの崩壊を「ユートピアの消滅」と位置付け、「資本主義の先に来るべき社会はない」とまで短絡してしまうとなると、にわかに私の評価の姿勢は逆転する。そこまで短兵急に断言するのであれば、薄っぺらな博識のひけらかしで読者を煙に巻き、催眠術よろしく、自説を押し付けようとする言論詐欺、との謗りも覚悟すべきである。

 ともかく、結果から見ると、クダクダ書いている割りには、論証の仕方は「短絡」以外の何物でもない。およそ理論的ではない。「社会主義」の「破綻」についても、その原因については一言もせず、「歴史においては、原因の解明よりも事実がすべてであるということは多い」などと逃げてしまう。これでは、「理論」経済学の研究者としての理論的解明の職責を放棄していると言わざるを得ない。

 それとも、この程度の漫談型の講義の方が、学生の受けが良いのだとしたら、東京大学は、もう、偉そうな「研究機関」の看板は降ろし、研究目的の予算は返上し、財界御用の「太鼓持ちサラリーマン」養成所とでも改名すべきであろう。しかも、この種の語り口なら、ワイドショー・タレントの竹村健一が運び込む段ボール箱一杯の新聞切抜きとか、落語長屋の大家さんの『火焔太鼓』とかの方が、ずっと面白い。

 それでいて、岩井は、長島選手による巨人軍の手放し礼讃のように「資本主義は永遠なり!」と絶唱するわけでもない。現実の資本主義社会の矛盾の数々を並べた揚げ句の果てに、連載の最後の6.「近代の遺産」では、「資本主義自体も閉ざされてしまったという事実しかない」とか、それによって、「世界市民という言葉が初めて現実的な響きを持ってきたのである」とか、結局は、自らの初夢を綴るのである。まさに黒魔術よろしく、最初に「消滅」させたはずの「ユートピア」を、再び、空中に延ばした白手袋の掌からクニャッと取り出して、自分勝手に描いているのだから、自己矛盾も甚だしい。禅坊主のコンニャク問答その退けである。

「人類」は懲りずに、社会改革、または革命を繰り返してきた

 ひるがえって、いわゆる「ユートピア」概念とは何か。(無)と(場所)の組み合わせという意味でなら、サミュエル・バトラー(Samuel Butler, 1835-1902)の風刺小説、『エレホン』(Erewhon、1872)もあった。英語のNo where(どこにも無い場所)の綴りを逆にした造語だが、whは音素の扱いなのであろうか、ここだけは逆転していない。

 岩井は、「ユートピア」という単語の説明だけで「ユートピア」概念を一般化し、「現実の世界に反する別の世界……あらゆる不幸から解放された世界というものを、人類は太古の昔から夢見ていた」とする。この一般化自体は結構であろう。しかし、その一方で、近代の「ユートピア」概念を「彼岸」ではなくて「此岸」の「極めて近代的な理想郷」なりと限定し、さらには短兵急に「社会主義」、それも、ソ連型だけに結びつけるとなると、これはもう、「さて、お立ち合い、ここに取り出だしましたるは……」の大道芸商売と、選ぶところがなくなる。しかも、岩井は、ソ連の「破綻」のみを根拠にして、「ユートピアの消滅」まで断言しているのである。

 この飛躍振りの粗雑さもさることながら、私が前回も記したように、現実の世界における社会改革の闘争、または革命は、社会主義思想の発生以前にも、それこそ太古とは言わずとも古代から、何度も起きているのである。曰く、民主主義、共和主義、ピュリタン革命、一向一揆、百姓一揆、大塩平八郎の乱、明治維新、などなど、何度失敗しても、「人類」は懲りずに、社会改革、または革命を繰り返してきたのである。  人類、または人間は、「考える葦」である。幸か不幸か、自らは巧まずして、遺伝的に巨大化した頭脳を受け継いでしまったために、最早、手当たり次第に情報を入手しては考えることを、止めるわけにはいかなくなってしまった。止めると狂ってしまう。

 だから、会社が全盛の社会の中で社畜として拘束され、事実上の奴隷でしかない「サラリーマン」などは、実質的に禁止の話題の革命を考えると危険なので、それを考えることを自らに禁ずるために、その代用として、無難な話題となる野球の経過などの情報を必死になって収集し、あれやこれやと「考える」のである。奴隷状態が嫌いな少数派の人間は、怠け者の場合は、落ち零れの無頼漢になる。懲りずに革命を考え続ける組織運動中毒患者の場合にも、やはり、その多くは、政治ゴロの無頼漢になる。

 無頼漢も嫌いで、ひたすら考えるのが中心の真相追及中毒患者の場合には、実は、私などのことなのだが、飯の種にはならない言論の勝負を挑むことに熱中する。もっとも、これも実は、一種の権力意識の衝動の発露なのである。この種の人間に、「ユートピアの消滅」を断言し、主体的な意志に基づく革命、または社会改革を考えるなと命令するのは、人間を止めよ、つまり、死ねと言うに等しいのである。しかも、私自身に関して言えば、自分の人生の過半、それもその盛りにおける必死の諸活動について、その歴史的な意義を考えるな、などと言われるのであれば、これは只では済まないことになるのである。

 ともあれ、考えるとしたら、まずは、これまでの革命の失敗の本質を追及しないわけにはいかない。「事実がすべてである」などと岩井が主張する「事実」は、単に一時的かつ表面的な現象でしかない。表面の現象の報道や論評だけならば、ジャーナリストなどとジャラジャラ気取る大手メディアの記者風情に任せて置けば良い。現象の背後に潜む本質を考えるのが理論家、または私こと、自称「嘘発見」名探偵の仕事、または終生の趣味である。

「自由の王国」の夢に憧れた自らの経験を振り返る

 21世紀の社会主義革命の思想的な原動力となったマルクスは、「自由の王国」の夢を描いた。労働者階級こそが最後の革命的階級であり、生産技術の発達と、きたるべき労働者が主体となる革命によって、これまでの人類が耐え忍ばざるを得なかった「自然必然性」の克服が可能になると主張していた。

 その夢が、なぜ破れ、なぜ独裁主義支配に転じたのか。その原因を解明することなしに、ホイホイと、「ユートピアの消滅」というような粗雑な設定に、気軽に飛び移るわけにはいかないのである。

 最大の問題は、なぜマルクスの思想が、これだけの影響力を発揮し得たのかである。マルクスの主著は、今更言うまでもなく、『資本論』である。当然、『資本論』の評価を抜きにしたマルクスの思想の評価は有り得ない。むしろ、『資本論』の評価が中心とならざるを得ないと言うべきであろう。

 私は、一応、『資本論』全3部を読み通した。第1部「資本の生産過程」に関しては、何度かの読者会の経験もある。その折、というのは1970年ごろからの数年間のことだが、第1部の本文についてのみ、日本語訳2種、ドイツ語原本、マルクス監修のフランス語訳、エンゲルス監修の英語訳、ロシア語訳を、見開きか1頁めくれば比較検討できる貼り込みのノートを作っていた。それを見て、コピーが欲しいという友人が沢山いた。そこで、経済効率も考え、軽印刷による『5ヵ国語資本論』を作成し、2万円の会費で300部を頒布した。会員の大部分は大学教員だったから、その時期に大学でマルクス経済学を齧っていた教員で、私を知らないのはモグリである。現在は54歳ぐらいの岩井は、当時、まだ大学生か留学生ぐらいだったであろう。

 この『5ヵ国語資本論』は、全部で11分冊になった。現在も、残部僅少の見切品を1万円でインターネット販売している。我ながら狂気の沙汰に近い仕事だったが、一応は読みながら切抜いては貼り込み、約3,000頁の版下を作ったので、何度も読んだと言える。特に、第1部の全体の構成については、雑学的に詳しくなった。  それらの期間を通じて、私は、日本テレビの社員、または、解雇されながら職場復帰の闘争を続ける立場で、労働組合活動と日本共産党員としての政治活動を続けていた。

『資本論』体系は労働者「階級」には大受けの理論

 以上のような自分自身の『資本論』体験を振り返ると、マルクスの経済学が、なぜ、20世紀の社会主義革命の原動力になったかが、良く分かる。簡単に言うと、いわゆる労働者「階級」には大受けの理論だったのである。なお、「階級」の問題は次回に考える。

 岩井は、トマス・モアの『ユートピア』を引き合いに出しているが、モアの辛辣な批判の対象となったのは、16世紀のイギリス社会である。イギリスにおける資本主義の勃興期には、羊毛の織物生産が発展した。羊の飼育のための牧場の「囲い込み」によって土地を追われ、都市の貧民に転落した農民、転じて賃金労働者にとって、資本主義は、実に過酷な制度だった。その制度の過酷さは現在も基本的に続いている。場合によっては、さらに過酷になっている。だから、労働者、または賃金労働者、非雇用者の立場、または同時に、その立場からの社会改革の必要性を痛感しつつ労働組合活動をしていた私自身にとっても、この制度の過酷さを理論的に解明してくれる『資本論』の経済学は、まさに天啓の感があった。

 あえて「天啓の感」と記した理由は、私としたことが、一種の宗教的な衝動をも覚える時期を経験したからである。簡略に言うと、資本主義の原理の解明で感心してしまったので、その他の点の厳密な検討をせずに、マルクスのすべての主張を認めてしまう衝動に駆られたのである。前回にも指摘した問題点だが、エンゲルス著『空想から科学への社会主義に発展』の影響も手伝って、マルクスの主張のすべてが、非常に「科学的」に思えてしまったのである。

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2001.1.20.(土)

元旦の一家惨殺事件で16日に「分かった」ふろ場の窓から侵入可能情報の怪談

 昨年末から、食事の時間に新聞を克明に読むのが阿呆らしくなった。録画のヴィデオも溜まっているし、そちらを優先したい。海外取材の際には販売店に長期間の新聞「取り置き」を頼み、帰国後にまとめて読むが、その方式で十分ではないかと思い付いた。一応、見出しだけは見ると、ほとんど急ぎの用はない。私が自宅で取っているのは『日本経済新聞』だけだから、一般紙のような3面記事紛いの血みどろ事件の1面トップ大見出しは、ほとんどない。それでも最後の社会面に元旦の一家惨殺事件が大きい見出しで載っていた。それも読む気が起きないから、チラリと「玄関の鍵が掛かったまま」の部分を見ただけで、その他は見出しだけで済ましていた。

「玄関の鍵」だけが、私の疑問の「キーワード」であった。普通の読者にとっても、この「キーワード」が、翌日の新聞を広げる動機になるに違いない。そう思うと、新聞が読者をつなぎとめるために、いかに必死に扇情的な事件を追い求めるかが、良く分かる。

 17日になってから、元旦以後の半月分をまとめて見たら、17日の朝刊の1段のベタ記事の見出しに気付いた。「ふろ場の窓から侵入可能と判明/世田谷の一家惨殺」とある。本文には、「2階ふろ場の窓が事件後開いたままで、網戸が地面に落ちていたことが16日、警視庁成城署特捜本部の調べで分かった」とある。

 なんじゃ、こりゃ、と思うのが当然であろう。事件直後に親族からの通報があって、直ちに現場検証が行われたはずであるし、その現場の周辺を、これでもか、これでもかと、大手メディアが映像報道したはずである。それなのに、子供でも分かりそうな「侵入可能」の窓の存在を、しかも、「網戸が地面に網戸が落ちていた」というのに、半月後まで気が付かなかったなどということが、あり得るのだろうか。

 そこで、『憎まれ愚痴』編集長を名乗って、警視庁広報と成城署特捜本部の双方に質問したのだが、双方ともに、「新聞がそう書いてますね」などと惚けるだけであった。警視庁広報の方は、一応、最初の3日間だけ記者会見発表をしたと認め、その後については、「独自取材でしょう」などと、はぐらかす。

 昨年は、武蔵野市の税金横領事件の陰に潜む「空領収書」利用の詐欺、政治犯罪を追及し、その関係で武蔵野署と警視庁、検察庁の「グル」を指摘した。手元の『噂の真相』2月号のトップ記事の題名は、「検察庁の組織的な公金横領犯罪を徹底告発!」である。別途、外務省の高級官僚の機密費私物化も報道されているが、こちらも、誰が取り締まってくれるのだろうか。

「泥棒を捕らえてみれば、わが子なり」、ではなくて、警察と検察なり、では、到底、枕を高くして寝るわけにはいかない。

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2001.1.13.(土)

便利な機械で皆が馬鹿になる前に成人式の廃止と元服の温故知新を提唱する

 止せばいいのに元旦からパソコンをいじり、今年の新企画の「はしがき」部分として、「今年が21世紀の耶蘇教暦に妥協し画期的な発想転換を図るマルクス批判の序説」を記して以後、続いて別途記事の入力に集中してしまった。

 3日には、8年前に発表した拙著、『湾岸報道に偽りあり』の第3章、「CIA=クウェイトの密約文書」、続いて、いささか手間取り、11日には、26年前の初の著書、『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』の第2章、「ヤムのふるさと」を入力した。

 前者は、今でも読み込みが可能な古いワープロを使用した2度目の著書だから、入力作業は簡単である。後者は、それこそ、子供の頃からのSFファンの私ですら、ワープロなどというけったいな代物ができて、自分が使えるようになるなどとは、まったく思っていなかった時期の手書きの作品であるが、これまた、SFもののスキャナーで読み込んだ。

機械が発達すると人間は馬鹿になるのが「成人の日」か

 その間、かねてからの憧れの暮らし型、「隠棲」を、俗世間から身を隠しつつ、実は、インターネット空間に神出鬼没し、俗世間を睥睨する最先端の生き方なりと称する駄洒落を思い付いた。ところが、実情は、それほど優雅な気分ではない。

 26年前の当時の紙型を使った活字印刷の文字は、かなり、かすれている。まさに「機械的」にしか文字を理解し得ない安物スキャナーは、概略の姿こそ似たりとはいえ、まるで違う文字を読み出したりするので、校正に時間が掛かる。入力のプロなら、最初から打ち直した方が早いと言うかもしれない。その上に、便利な機械ができたと思うと、その裏側には必ず副作用が潜んでいる。目に悪い。肩に悪い。手に悪い。いや、手に負えないほど心にも悪い精神障害要因までが、溢れかえる。では、原始に戻ろうと思うかと言えば、そうもいかない。タイム・マシーンは本当に夢の夢、今更、現在から逃げ出すわけにもいかない。

 苦役にも等しい退屈な校正作業の合間に、届いた年賀状を見たりするから、ついつい、昔のことを思い出す。「古代アフリカ」を思えば、なおさらのこと、わが心が、人類史のすべてを鳥瞰する視点にまで舞い上がる。何が進歩か発展か。ワープロの普及で日本人も字が下手になった。タイプライターを使う欧米では同じ現象が早くから進んでいた。私は、中国人の見事な筆跡を目の前で見ていたり、その逆に、アメリカ人の下手な「金釘流」文字の手書き部分は署名だけの手紙を受けとったりしているので、ワープロやスキャナーを使いながら、ああ、機械は奇怪なり、人類の労働能力の発達と衰退の歴史をも、思わざるを得ない。

 私曰く、機械が発達すると、人間は、ますます、馬鹿になるのではなかろうか。その馬鹿な大人に甘やかされて育つ子供は、もっともっと、馬鹿になるのではなかろうかなどと、要らぬ心配までしてしまう。

 そこへ、高知と高松から、「成人の日」騒動の話が舞い込んだ。本日の『日本経済新聞』(2001.1.13)「窓」欄記事によれば、石川県小松市でも、おもちゃの日本刀を振り回した「新成人」が、銃刀法違反容疑で警察の捜査の対象になっているとのことである。武蔵野市の地元耳情報によると、昨年も、「成人の日」騒動が報道されていたそうである。その一方、式典ボイコット派の若者と出席者の間で、携帯電話の「親指だけシフト」とやらによる通信が盛んだったとの耳情報もある。今時の若者たちも、結構、忙しいようだ。

知事に「帰れ!」など今時の若者もやるじゃないか

 私は、もともと、「成人の日」などと称する押し付けがましい祝日は、大嫌いである。20歳になった時には大学生だったが、儀式の記憶はない。そのころはまだ、儀式が定例化していなかったのかもしれない。当時の「左翼」学生は、米軍の砂川基地拡張の反対闘争などで、暴れまくっていた。私は、高校時代から、独り善がりの偉ぶった「左翼」が嫌いだったが、アメリカの尻を嘗める保守政権や「右翼」の方は、それ以上に大嫌いだった。儀式の押し付けともなれば、おそらく、右も左もなく一緒になって、「粉砕!」と、躍り込んだに違いない。

 今回の騒ぎで、早速、地元の話題となったのは、どこかで儀式廃止の話が出た途端に、呉服屋の組合が「廃止反対!」と叫んだことだった。そのお陰で、私は、該当年齢の女の子の家庭には、どこで名簿を入手するものか、売り込みが、それこそ、ジャンジャン、ダイレクトメールはもとより、電話まで何度も掛かってくるという実情を知った。女の子の晴れ着が、レンタルで最低5万円、世間並は15万円、記念写真が5万円もするという。

 私が高知と高松での騒ぎを知った『日本経済新聞』(2001.1.9)の記事の左肩にも、「東京では雪の門出/三宅島の出身者ら」の見出しがある。写真も配置してある。ふかふかの毛の襟巻まで首に巻いた晴れ着姿の女の子ばかりが、3人並んで、雪の道を草履で歩く姿である。この種の写真は、デスクの発案の命令で撮り行くものである。もしかすると「ヤラセ」の並び方かもしれない。こうして、儀式そのものだけではなくて、高価な衣装までもが、「社会的強制」として親子に押し付けられている。行政、新聞屋、呉服屋は、完全にグルである。

 実に嫌な世の中だ。お受験ママゴンに飼育された学生がおとなしくなった分、正常な反抗期を満喫する茶髪の若者が、代わって奮闘しているのだろう。頑張れ!

武蔵野市では条例もなしに364万5千円の予算

『憎まれ愚痴』編集長としても、地元の武蔵野市の成人式について、少し調べることにした。市役所の教育委員会に電話して、「一市民の木村愛二です。『憎まれ愚痴』編集長……」などと名乗ると、電話に出た担当者は、当然、私のことを知っている。冗談半分の質問にも丁重に答える。

 答えを要約すると、まず、条例の定めはない。しかし、費用の全額が市の支出で、決算の数字が出るのは先になるが、年度予算は364万5千円。開催の場所は武蔵野市の市民会館大ホールであった。

 市民会館は、現市長の「ゼネコン」行政の賜物、いわゆる「ハコモノ」である。ついでに東京都にも電話してみたが、都としての成人式は行っていない。高知と高松の場合も県ではなくて市の主催であった。でしゃばりすぎた県知事の祝辞に高知では野次が飛び、高松では市長の祝辞にクラッカーが弾けた。高松市は告訴し、高松北署は、5人を「威力業務妨害罪」の容疑で逮捕した。武蔵野市では、何の騒ぎも起きなかったとのことで、至極残念である。もっとも、私が今、20歳だったとしても、私の友人の子供と同様、そんな馬鹿気た儀式などは時間の無駄と馬鹿にして、小便を引っ掛けに行きもしなかったに違いない。

何で20歳が「成人」なのか疑いもしないボケ大人

 私自身に関する記憶では、当時も結構、正確に状況を認識していた。20歳が「成人」とする法の定めに対しては、「フン!」と言う気分だった。もっと早くから「大人の扱い」にならないのが不満でならなかった。酒は、当然、20歳以前、高校に入った直後から、水泳部の泊まり込み合宿などで飲んでいた。高校の学園祭の夜には、柔道部の畳の部屋で車座になって飲んだ。先輩がきて、今なら「卑猥」「セクハラ」などと騒がれる戯れ歌を沢山教えてくれた。

 20歳の「成人」以前に、話題の中心になっているのは17歳である。私の誕生日は1月17日、いわゆる早生まれである。高校の卒業寸前まで17歳だった。17歳は、正常なら反抗期の絶頂である。反抗期は動物としての独立の時期である。この時期に、独立を奨励せず、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」とか、「可愛い子には旅をさせ」とか、数多ある昔の諺を学び直し、実行に移そうとしないのは、大人の側の「不作為」であり、社会的な犯罪行為である。人類何万年の英知を無視するような愚かな「教育」商売で、荒稼ぎを続けるアカデミー業者が、はびこるから、ますます、世に中がおかしくなるのである。

「成人式」を縄張りとする教育委員会は、もっとも偽善的かつ犯罪的な組織である。別途、「仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記』シリーズで記した「教育長の天下り先」問題は、その典型である。まだ見ていない方は、この際、是非とも、つぎをクリックして見て頂きたい。日本全国にも共通する問題である。

武蔵野市教育長の天下り先は図書館名誉館長

何で20歳が「成人」なのか疑いもしないボケ大人こそ犯罪者

「成人の日」だけではなくて、そもそも、法律で20歳を成人と規定するのが、実に、実に、おかしなことなのである。「成人の日」の歴史的な根拠として論じられる「元服」の年齢は、もっとずっと早かった。

 少年法改正で騒ぐ自称平和主義者が多いが、あの連中の不勉強な短絡思考では、何も解決しない。闇雲に騒ぐ前に、人類史まで紐解かずとも、少なくとも、元服の意味ぐらいは問い直すべきである。なお、元服は男女差別などとの短絡批判は無視する。女も元服すれば良いのだ。

 私は、この問題のオタクではないし、目に悪い国際電網捜査までする気はないので、冊子の平凡社『世界百科事典』の記述で間に合わす。それによると、西暦で682年の「結髪加冠の制」の規定が日本の最初の記録らしい。聖武天皇が714年に14歳で元服している。戦前までは生まれた時に1歳と数えたのだから、今なら13歳である。以後、天皇は11~15歳、皇太子や親王は11~17歳、「一般の者」は6歳から20歳などと、かなりばらつきはあるが、1485年の山城の国一揆の記録では15,6歳から一揆に参加している。おおむね、15歳(今なら14歳)が男子の「成人」扱いの年齢である。

 戦前の徴兵年齢は18歳だが、今なら17歳である。17歳の男子に鉄砲を持たせて人殺しをさせたのが、戦前の大日本帝国だった。その末裔が今また、第三世界を収奪して、食糧が有り余るようになった。食い過ぎで図体ばかりが戦前より大きくなった子供を、いつまでもママゴンの玩具にしているから、ますます、狂ってしまうのである。

「成人」の年齢の上昇の基本的原因は、いわゆる高等教育の普及と教育競争の激化にある。これが最大の矛盾である。何が高等教育か。荒唐無稽である。出世に有利な高等教育を受けさせて、一族の繁栄を図ろうとする親馬鹿の荒唐無稽の競争が、実は、本当の意味の教育にはならず、子供の精神的な成長を妨げる結果を招いているのである。

 私自身は、戦後の物資不足の時期、小学校や中学校に通いながら、屑鉄を拾ったり、電線が切れた(実は敗戦直前に児玉機関の提案で大規模な戦略物資回収が行われていた)電柱によじ登って残りの短い銅線をペンチで剥がしたり、兎を飼ったりして、魚を突いたり、夜間の仕掛け針で鰻や鯰を捕ったり、家庭菜園を耕したして、小遣いを稼ぎだけでなく、わが家にも食料を補給し、薪割り、飯炊き、風呂炊き、ありとあらゆる当時は当然の若年労働に従事した。今では楽しい想い出である。

 いわゆる社会主義の教育には、機会均等、労働実習、などが含まれていた。社会主義と称する失敗に終わった歴史的実験における若年労働の意味をも、再び見直す必要がある。ともかく、少なくとも15歳ぐらいからは、一人前の独立の自覚を持たせるべきである。

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2001.1.1(月)

今年が21世紀の耶蘇教暦に妥協し画期的な発想転換を図るマルクス批判の序説

 昨年末には目前の21世紀を意識する議論が盛んだった。私自身が、すでに、かなり前から、単なる21世紀論というよりも、もっと大規模で、千年紀をも超えた人類史論を構想中だったから、それらの最近の論議にも一応は目を通した。私自身の人類史論の構想の一端については、すでに別途、「元日本共産党『二重秘密党員』の遺言」シリーズ(その22)「鬼よ笑え、20世紀をソ連と「結社の自由」興亡史として理論化の構想」(2000.12.24.入力)にも記した。以下、その一部を引用する。

 [前略]その基本は、すでに6年以上も前の発表の拙著、『電波メディアの神話』の「はしがき」に記した「壮大な知的冒険への旅立ち」の続編となる。6年以上前に私は、「言論の自由の過去・現在・未来の全体をさぐる」ことを意図した。[中略]結社の自由の要求は本来、個人の自由を踏まえるものでもあったのだが、歴史的な事実は、それを裏切り、左翼権力による個人の言論の自由の抑圧が、20世紀の幾多の悲劇の原因をなした。「真理も極端に至れば誤りとなる」とも言うが、その「真理」そのものが、いわゆる教条であり、不十分だったのであろう。[後略]

 上記の「左翼権力」の典型でもあり中心をなしていたのはソ連であるが、いわゆる20世紀論のすべてには、必ず、ソ連の評価が含まれている。しかし、私を満足させるだけの重みのある立論は見当たらない。すべて軽すぎるのである。

「大きな思想」が失敗したら「小さくて現実的な思想」か?

 最後の最後の日付は当然、大晦日になるが、『日本経済新聞』(2000.12.31)の1面左肩の連載記事「21世紀を読む」最終回、6.の見出しは、「普遍主義の妄想/天然資源巡り紛争も」であった。論者のジョン・グレイの紹介は、ロンドン大政治経済学院教授、主著は『グローバリズムという妄想』となっていた。「米国型市場経済を普遍的とする考え方に真っ向から反論し、欧米で大きな反響を呼んだ」のだそうである。

「米国型市場経済」に疑問を呈するグレイは、しかし、米国と対立していた社会主義、または共産主義の政治経済の支持者ではない。「共産主義やナチズムといった20世紀の『大きな思想による悲惨な歴史』を振り返るまでもなく、私は『大きな思想』に懐疑的だ」とし、「小さくて現実的な思想」への「希望」を語っている。

 グレイは1948年生まれの52歳。日本では全共闘世代、または団塊の世代などと呼ばれる戦後の大量発生のベビーブーマー世代である。私よりも11歳若い。日本でも、この世代の論者は、似たような「軽い」発想をしている。この種の「軽い発想の転換」ならば、マスメディアも取り上げ易いから、これまた大量発生している。

 私は、「グローバリズム」や「普遍主義」を「妄想」呼ばわりすること自体には反対しない。しかし、それらは、あくまでも「イズム」であり「主義」に過ぎないのである。それらの主義主張、または思想の土台には、「グローバル」な地球規模の経済が横たわっているのであり、その土台は巨大化の一途を辿っているのである。その不可避な現実から目を逸らして、いきなり、目先の「現実的」手段を求めるのは、いわゆる実用主義であって、少なくとも、私の理論的な好みには合わない。

 事態はますます「グローバル」なのである。その現実に対して、これまでの既成の「イズム」や「主義」が間に合っていなかったことが、問題の焦点なのである。だから、目先の手段を考える前に、「グローバル」な現実の過去・現在・未来を、精密に調べ上げ、理論化し、それに対する過去の思想と実践の欠陥を、すべて点検し直す必要があるのである。

 理論的に考えるためには、過去の経験の分析が不可避である。私は、自由主義とも称する資本主義の欠陥については、すでに明らかだと考えるし、現在必要な過去の点検の中心的な課題は、いわゆる共産主義にあると考えている。その徹底的な分析、点検、反省こそが、21世紀の最初の仕事なのである。

世紀と千年紀を区切る楽譜の頂点の交響楽

 年度の区切りに何の意味があるかとの考え方もあろうが、区切らなければ共通の議論は成り立たない。人類史が世界全体に展開された以上、一緒に議論し、三人寄れば文殊の知恵を発揮し合うためには、共通の区切りが必要となる。共通化するためには、どこかで妥協せざるを得ないのである。もちろん、脳味噌は個人所有というのが私の強い主張でもあるから、当然、皆の意見を聞いた上で、最後の結論は、私個人の責任で発表する。

 これは元旦の憎まれ愚痴として、さらに念を押すと、私は、図らずも、ユーラシア大陸の東の海の中の辺境の野蛮人の子孫として生まれたのであるが、残念ながら、ユダヤ人のキリストを救いの御子として崇めつつも、ユダヤ人を差別し続けてきたヨーロッパの辺境の野蛮人の矛盾に満ちたキリスト暦を使うことなしには、人類の歴史を論ずることができない。このことからも、またもや、現在のユダヤ人問題の根底に澱む「ガス室の嘘」の行く末に想いを致さざるを得ない。因果な話である。

 もちろん、日本にも、未だに紀元2千有余年とかをわめき続ける連中がいるのは重々承知の上だが、その種の半気違いに付き合う気は毛頭ない。世界制覇競争では、ヨーロッパの野蛮人に先を越されてしまったのだから、今や、独自の暦に固執するのは、ごまめ(私は今年、日本式の正月料理を揃えなかったが)の歯ぎしりでしかない。時間旅行がSFの空想の世界以外では不可能な以上、負けを認める他に手段はないのである。本家の中国で廃止の骨董品、元号の強要などは、もっての他の論外の、みすぼらしい野蛮行為である。

 区切りといえば、私が未だに読めない楽譜も、実は、集団で演奏するための区切りとして発明されたのである。私も、若い頃には一応、楽譜を学ぶべきか否かと気に病んだこともあるが、受験の必修科目ではなかったり、映画『日曜は駄目よ』で楽譜が読めない弾き手の物語を見たり、ビートルズも楽譜は読めなかったと聞いて安心したりして、ついに死ぬまで読めずに通すことになりそうである。

 楽譜が区切りだということを教えてくれたのは、フジテレビ相手に争議を闘っていた当時の日フィル労組の委員長、松本伸二だった。カラオケ全盛の当時のことである。争議団の付き合いに歌は欠かせなかった。日フィルの連中は楽器の演奏が専門で、歌は下手だった。歌なら任せろの私が、これは音楽家の分業による片端の現象ではないか、などとからかって、『日曜は駄目よ』の話をしたら、いつもゆっくりとしゃべる松本が、ニッコリ笑って、おもむろに、その学識を披露してくれたのだった。

 誰かに指揮棒を振ってもらおうとは思わないが、今、インターネット空間が開けている。この空間を自由に飛び回り、21世紀の始まりを交響楽の楽譜の区切りとして、十分に満足できるような壮大な人類史の議論がしたいものである。

マルクスの『資本論』が「科学的」だから狂信者が大量発生した矛盾

 年頭に、わが構想の概略を述べると、これまた「大変に重い発想の転換」なのである。

 まず私は、マルクスの業績を区分し、関連する事項を区別し、いわゆる共産主義の歴史を、立体的に分析し、評価し直すべきだと考えている。その出発点が、マルクス自身と、その業績の分析と評価である。

 個人的な評価は後回しとするが、マルクスの業績として評価すべきなのは、『資本論』を中心とする経済学である。確かに、『資本論』によって、資本主義の理論的または科学的な分析が実現した。盟友エンゲルスは、この分析に確信を得て、『空想から科学への社会主義の発展』を著す。

 しかし、まずは、資本主義の分析が科学的であることへの「信頼」が、マルクスの仕事のすべてを科学的とする「妄想」に発展するとなると、これは「狂信」でしかなくなる。この狂信に取り付かれた人は実に多い。私自身も、一時はそうだった。

 しかも、『資本論』自体の中にも、「労働者」を、全面的に未来の担い手として、手放しで礼讃する誤りが含まれているのである。「労働者」も、資本家と同様の裸の猿なのであって、同じ遺伝子を持っている。条件さえ変われば、直ちに独裁者に成り上がり兼ねないのである。

 さらには、「科学的」であること自体が、人類社会の約束、規範に照らして、即、善なのかと言えば、そうではない場合が多いのである。自然科学の場合は、すでに周知の事実である。核兵器は非常に科学的な製品なのである。社会科学の理論の場合であっても、それが科学的で正しいと認められるから、多くの人々の賛同を得ることができて、狂信にまで発展し、一定の集団の理論的な武器となり得るのである。ところが、その集団なり、その集団の指導者が、権力を握ると独裁化するようであれば、科学的な社会学の理論でさえも、核兵器と同様の悪となり得るのである。

 その上に、その科学的な理論そのものの周辺に、誤った幻想が漂っている場合には、悪と化す程度が高まるのである。自然科学の製品と対比してみれば、不純物を含んでいたり、危険な副作用の可能性を秘めていたりもするのである。

 私は、すでに、わがホームページのどこかに記した記憶があるのだが、1998年1月にパリで、拙訳『偽イスラエル政治神話』の著者、ガロディの裁判取材の折に、書店で、「見直し論の父」ことポール・ラッシニエの著書、『第二次世界大戦の責任者たち』を発見して買い求めた。その序文を読んだだけで、実に重大なことに気付いた。ラッシニエは、戦前に共産党から社会党に移り、戦時中にはレジスタンス運動でナチに逮捕された経歴の持ち主なのだが、収容所の経験について「人間(ドイツ人)への怨恨の念を抱かずに戻ってきた」と断言し、暴力に反対し、「階級闘争の概念によってマルクスは社会主義に暴力を導入した」と記していたのである。これはまさに、ウヌッであった。私の長年の疑問が一挙に解けた感があったのである。

 マルクスの革命思想の対極には、ガンジーの非暴力抵抗の思想があった。私は、パリへ行くよりも4年前、1993年のカンプチアPKO出兵反対運動を経た後、1994.7.8.の日付けで、ガンジーの主義と同主旨の「熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊」の提唱をしていたのであった。以下の頁である。


熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊の提言
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