木村愛二の生活と意見 2001年1月 から分離

元旦の一家惨殺事件で16日に「分かった」ふろ場の窓から侵入可能情報の怪談

2001.1.20.(土)(2019.6.19分離)

 昨年末から、食事の時間に新聞を克明に読むのが阿呆らしくなった。録画のヴィデオも溜まっているし、そちらを優先したい。海外取材の際には販売店に長期間の新聞「取り置き」を頼み、帰国後にまとめて読むが、その方式で十分ではないかと思い付いた。一応、見出しだけは見ると、ほとんど急ぎの用はない。私が自宅で取っているのは『日本経済新聞』だけだから、一般紙のような3面記事紛いの血みどろ事件の1面トップ大見出しは、ほとんどない。それでも最後の社会面に元旦の一家惨殺事件が大きい見出しで載っていた。それも読む気が起きないから、チラリと「玄関の鍵が掛かったまま」の部分を見ただけで、その他は見出しだけで済ましていた。

「玄関の鍵」だけが、私の疑問の「キーワード」であった。普通の読者にとっても、この「キーワード」が、翌日の新聞を広げる動機になるに違いない。そう思うと、新聞が読者をつなぎとめるために、いかに必死に扇情的な事件を追い求めるかが、良く分かる。

 17日になってから、元旦以後の半月分をまとめて見たら、17日の朝刊の1段のベタ記事の見出しに気付いた。「ふろ場の窓から侵入可能と判明/世田谷の一家惨殺」とある。本文には、「2階ふろ場の窓が事件後開いたままで、網戸が地面に落ちていたことが16日、警視庁成城署特捜本部の調べで分かった」とある。

 なんじゃ、こりゃ、と思うのが当然であろう。事件直後に親族からの通報があって、直ちに現場検証が行われたはずであるし、その現場の周辺を、これでもか、これでもかと、大手メディアが映像報道したはずである。それなのに、子供でも分かりそうな「侵入可能」の窓の存在を、しかも、「網戸が地面に網戸が落ちていた」というのに、半月後まで気が付かなかったなどということが、あり得るのだろうか。

 そこで、『憎まれ愚痴』編集長を名乗って、警視庁広報と成城署特捜本部の双方に質問したのだが、双方ともに、「新聞がそう書いてますね」などと惚けるだけであった。警視庁広報の方は、一応、最初の3日間だけ記者会見発表をしたと認め、その後については、「独自取材でしょう」などと、はぐらかす。

 昨年は、武蔵野市の税金横領事件の陰に潜む「空領収書」利用の詐欺、政治犯罪を追及し、その関係で武蔵野署と警視庁、検察庁の「グル」を指摘した。手元の『噂の真相』2月号のトップ記事の題名は、「検察庁の組織的な公金横領犯罪を徹底告発!」である。別途、外務省の高級官僚の機密費私物化も報道されているが、こちらも、誰が取り締まってくれるのだろうか。

「泥棒を捕らえてみれば、わが子なり」、ではなくて、警察と検察なり、では、到底、枕を高くして寝るわけにはいかない。