木村愛二の生活と意見 2000年7月 から分離

「神の国」釈明指南書, NHK「まったく事実ない」クラブ「捜査権ない」

2000.7.10(月)(2019.6.7分離)

 またもや『創』(2000.8)記事と書くと、無料贈呈の雑誌以外は読まないのか、などと誤解されそうだが、それが優先するのは理の当然である。ともかく、同誌に近頃のメディア醜聞No1.「神の国」釈明指南書の筆者は「NHK記者」とあった。わが仮住まいに届いたHP読者の切抜きの中には、『朝日新聞』(2000.7.5)「論壇」記事「『指南書』が問うメディアの資質」があり、元共同通信記者、現上智大学教授、藤田博司が、「筆者が所属するとされた社は早急に調査をし、事実関係を公表すべきである」などと論じている。格好良すぎるが、つまりは、「筆者」は、朝日や共同の記者ではなかったからであろう。

 ああ、あ、やんなっちゃうな、ああ、あ、驚いた!

 かと言うと、実は、いや何、ちっとも驚かない。もともと、「神の国」発言にも、「またか……」だけで、まるで興味をそそられていなかったし、ただただ、やんなっちゃうだけなのだが、メディアの醜聞となった以上、ここで何も言わないと、私も元テレヴィ屋、元大手メディアの飯を食った身分のこととて、「憎まれ愚痴を名乗りながらも、やはり、仲間を庇うのか」などと陰口を叩かれ兼ねない。

 だから、仕方なしに、一昨日の土曜日、手帳の今日の予定にNHK-TELと記し、たったの今、「インターネット総合誌『憎まれ口』編集長の直撃取材」を名乗り、「経営広報」に電話をした。「あちこちから問い合わせがありますが、社としては、まったく事実がありません」というのが、「公式」の返事であった。私は、これも、いつものことなのだが、「OBになると、世間では、どの社の出身かではなくて、メディア出身として見られる。恥ずかしいのだ。分かったか」と説教し、「はい」の返事で終わった。

 次に首相官邸記者クラブに電話をして、同様に名乗り、幹事社を聞くと、産経新聞、北海道新聞、フジテレビだと言うので、フジテレビに聞くと、「記者クラブには捜査権がない」という返事である。こちらを叱っても何も出てこないので、やはり、一応の説教をして終わった。他の社に聞く気は起きない。つまらない喧嘩になったら何の得もない。

 ああ、あ、やんなっちゃうな、ああ、あ、驚かない!

 ところで、この「指南書」コピーを発見して暴露したのは、西日本新聞の記者だとのことであるが、このパターンは、先にも実例がある。大手メディアの情報独占機関、いやさ、権力の台所の残飯漁り組織の中で、少なくともブロック紙には反骨の名残が認められるとまで記すと、褒め過ぎであろうか。それとも、私自身が九州の血を受けているから、郷土贔屓なのか。

 どうせ何か言われるのだから、ここらで、わが正体を明かそう。実は、西日本新聞の前身、福岡日々新聞の「中興の祖」とされる征矢野半弥は、私の祖父の長兄だった。板垣退助らの自由民権運動に共鳴し、自由党の代議士にもなった。半弥の唯一の息子は肺病で若死にし、私の父の末弟、つまり私の叔父が養子となったが、子供ができなかった。そこで戦前には、次男の私に養子になって家名を継げという話があった。しかし、戦後民主主義の時代に「家名」もなかろうとなって、養子の話は沙汰止みとなり、私は、実に平凡な木村などという名字を継いでいる。これまた、明治時代には長男は徴兵されなかったので、私の祖父が子供のいない「木村」家の養子になったのだそうである。私が「征矢野仁」の筆名を使ったのは、この経過ゆえの密かな抵抗であった。この経過についても、いずれ言い残したいと願っている。

 つまり、反骨、徴兵忌避、その他、諸々の臍曲り癖は、先祖代々の遺伝と教育のなせる業なのである。ああ、あ、やんなっちゃうな、運命を逃れることは不可能なのだ。