ユーゴ空爆の背景 利権と歴史と謀略と侵略とメディアの嘘と(19-3)

ユーゴ戦争:報道批判特集

前例:(通称)ニュルンベルグ裁判
資料3. ニュルンベルグの正義の神話

1999.6.4 WEB雑誌『憎まれ愚痴』23号掲載

『偽イスラエル政治神話』

(p.130-149から。大幅に省略)


《この裁判所は同盟国による戦争行為の継続を象徴する》
(1946年7月26日の法廷におけるアメリカ代表、首席検察官、ロバート・H.ジャクソンの発言)

 訳注 ロバート・H.ジャクソンの当時の前歴は、元司法長官・最高裁判事であった。

 1945年8月8日、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアの指導者たちがロンドンに集まり、《ヨーロッパ枢軸諸国の戦争犯罪人の訴追と処罰に関する協定》に署名し、その処理を適切に行うべく《国際軍事裁判所》(協定付属条例I条a項)を創設した。

 犯罪については、表題IIの6条で定められている。

 1.……「平和に対する罪」は、戦争を引き起こした責任がある者に関するものである。
 2.……「戦争犯罪」は、戦争に関する法と慣習の侵害に対するものである。
 3.……「人道に対する罪」は、基本的に民間人に対するものである。

[勝者のみによって構成された軍事裁判所]

 このような形式の裁判権の構成については、すでに様々な意見が出されている。

 1.……勝者のみによって構成されており、その結果として敗者が犯した犯罪のみを取り扱うことになるから、国際裁判所ではない。

 ………1946年7月26日に法廷を主宰したアメリカを代表する首席検察官、ロバート・H.ジャクソン[元司法長官・連邦最高裁判事]の発言には、以上の意見を認めるかのような、正確な理由(上記の引用部分……《この裁判所は同盟国による戦争行為の継続を象徴する》)が含まれていた。

原注 この裁判所の裁判官席が、中立、または植民地化された国々の代表、すなわち、500年間にわたって、ヒトラーが加えたよりも過酷な白人の支配を耐え忍んでいたアジアまたはアメリカのインデアン、アフリカの黒人、アジア人によって占められたと想像してみてほしい。

 2.……それゆえに、国際軍事裁判所は例外的な裁判所として戦争行為の最後の段階を構成しており、その原理からして、勝利者の側のすべての責任、およびそれに従って、勝利者の側の戦争を引き起こした責任をも、法廷から締め出してしまった

 法廷からは事前に、誰が最初の原因を作ったかという問題が締め出された。ニュルンベルグ裁判では、ヴェルサイユ条約と、この条約の結果のすべて、特に、破産と、なかんずく失業の増大に、ヒトラーのような人物がドイツ国民の多数派の支持を得て権力の座に昇るのを許した原因があったのではないかという疑問については、それを解明しようという意見は出なかった。

 この条約は、たとえば1918年の敗戦国ドイツに、当時すでに「正義」を名乗る最も強力な法の下、賠償金の名目で1320億マルクの金の支払い義務を課したのだが、この時期のドイツの国家総資産の見積もりは、金に換算して2360億マルクだった。

原注 1919年、著名な経済学者、ジョージ・メイナード・ケインズ卿は、《このような条約の結果として、20年以内に新たな戦争が始まるだろう》と語っていた。

 ドイツ経済は崩壊し、ドイツ人は、破産、貨幣価値の破壊によって、絶望の淵に沈んだ。とりわけ失業の増大が、ヒトラーに、その悲惨と屈辱をもたらしたヴェルサイユ条約の撤廃という重要な公約を掲げる最も明快な根拠を与え、彼が権力の座に昇るのを許したのである。

(中略)

[法律の皮を被った化け物の恣意的な訴訟手続き]

 訴訟手続きの順序や方法は、勝利者のみで構成する検事の選択の場合と同様の原則、またはむしろ同様の無原則の上に成り立っていた。

[ニュルンベルグ]裁判所の規則は、つぎのように定義されていた。

●19条…当裁判所は、証拠管理に関しての技術的な規則に拘束されない。可能なかぎり迅速(英語の正文ではexpeditive[素早い]となっている)かつ形式的でない訴訟手続きを採用して、それを適用し、いかなる手段でも決定的な価値があると判断すれば認める。

●21条…当裁判所は、周知の事実に関しては証拠を要求せず、それらをすでに確認されたものとして扱う。同様に、同盟国政府の公式の記録や報告は、真正な証拠として認める。

 これはまさに法律の皮を被った化け物である。

(中略)

[米国に移住してきた外国人による偏った人員構成]

 このようなニュルンベルグ裁判所の訴訟手続きに対しては、アメリカの司法界の最も高い位置、すなわち、最高裁からさえ抗議の声が挙がった

 まず最初に紹介するのは、ニュルンベルグ裁判所そのものの首席検事だったジャクソン判事である。イギリスの歴史家、デヴィッド・アーヴィングは、彼自身が最初は判断を誤っていたと認めながら、つぎのような証拠を挙げている。

《世界中のすべての著名な法律家はニュルンベルグの訴訟手続きを恥じている。疑いもなく、アメリカの首席検事だったロバート・H.ジャクソン判事は、この訴訟手続きを恥じていた。

 それは、私が読む機会を得た彼の「個人的日記」によって明らかである。

 ……私は、アメリカ議会の図書館で(ジャクソン判事の)『回想録』を公開してもらう特権を得た。

 ……ロバート・H.ジャクソンは、1945年5月、トルーマン大統領からニュルンベルグ裁判でアメリカの判事を指揮する仕事を委任された直後に、原子爆弾を使用するアメリカの計画を察知した。彼は自分に委任された仕事、いうなれば国家の名によって国家自身が犯した犯罪を追及するという仕事をするのは、居心地が悪くなった。なぜなら彼は、アメリカが、さらに重大な犯罪を犯そうとしていることに気付いたからである》

 アメリカの最高裁の首席判事だったハーラン・フィスク・ストーンは、『フォーチュン』誌の編集長に宛てて、以上のような訴訟手続きを非難するだけではなく、それが「ニュルンベルグの高級リンチ・パーティ」〈high-grade lynching party in Nuremderg〉になっているという考えを記していた。

 アメリカの最高裁判事、ウェナストラムは、ニュルンベルグ裁判所の1つの法廷の裁判長だったが、すべての雰囲気と通訳、弁護士、検事などの振る舞い方に嫌気がさして、……早速に辞令を返上してドイツからアメリカに戻った。

 彼は、1948年2月23日号の『シカゴ・デイリー・トリビューン』に、組織や訴訟手続きに関する彼の異議を発表している。彼が特に指摘したのは、《アメリカの国籍を取得するために移住してきた外国人》による偏った人員構成と、憎しみに満ちた雰囲気であった。

(中略)

[カチンの森・ポーランド将校虐殺事件の誤審判明]

 同盟国の調査委員の報告に証拠価値を認めるニュルンベルグ裁判所規則[前出の21条]の効能で、カチンの森で1万1千名のポーランド将校が虐殺された事件に関しても、それをドイツの犯行だと告発するソ連の報告が、異論の余地のない「真正な証拠」として採用された。

 ソ連の検事総長、ルデンコ将軍が、《異議の提出はないと信ずる》と公言できたのも、ニュルンベルグ裁判所規則21条あればこそである。

 ところが1990年4月13日、世界中の新聞が、カチンの犯罪はベリアの命令の下にソ連当局によって行われたものと報じた

訳注 日本では翌14日に各紙が報じている。ただし、この時の報道は、ソ連当局が自認したことの報道であって、早くも1949年には、アメリカ下院・カチンの森虐殺調査委員会が設置され、1951~1952年に、ソ連の犯行とする報告を発表している。これらの経過を明記したドイツの歴史家、ウェルナー・マーザー著『ニュルンベルグ裁判』の初版は、1977年発行であるが、カチンの森に関するニュルンベルグ判決の否定は、どこでも非難の対象とはなっていない。ユダヤ人問題だけが特別扱いされているのである。

 ジュネーヴ大学のナヴィル教授は、死体を調査して、そのポケットから1940年の文書を発見し、処刑が行われたのは、その時期だということを立証した。1940年には、その周辺のスモレンスクはソ連の占領下にあった。

[600万人という数字の証言者はイギリスのスパイ]

(中略)

 600万人のユダヤ人絶滅という数字を支える証言は、たったの2つしかなかった。1つはホェトル証言であり、もう1つはヴィスリツェニー証言である。

《ニュルンベルグの判事に対して、ドイツ国中央保安局第4課の上級突撃隊司令官、ヴィルヘルム・ホェトルは、つぎのように答えた。

〈1944年4月のことだった。1938年以来の仲の親衛隊の上級突撃隊司令官、アドルフ・アイヒマンと、ブダペストのアパートの私の部屋で話し合ったことがある。……彼は、自分が同盟国から戦争犯罪人に指名されていて、その理由は身に覚えのある何万人ものユダヤ人の命のことだと知っていていた。私が、どのくらいの数になるのかと聞くと、彼は、この数字は極秘だといいながら、彼が受けた報告から到達した結論として、様々な絶滅収容所で約400万人のユダヤ人が殺され、他の方法で死んだユダヤ人が200万人に達すると語った〉》(ニュルンベルグ裁判記録)

(中略)

[600万人という数字に関する]最も重要な証言への付記として、この上なく完全で正確なのは、秘密情報機関の手先だったホェトルに関する実録である。

 イギリスの評論雑誌『ウィークエンド』の1961年1月25日号は、ホェトルの写真を表紙に飾って、つぎの題の伝説を掲載した。

《「あるスパイの生涯」、事実は小説よりも奇なり、このナチの指導者の友人のボスは、イギリス秘密情報機関の長官だった》


 以上。


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