「轢かれたのは零時だった」 6

(文学青年としての木村愛二)

『軌』14号 24-41頁に掲載 (12月会・1962.8.10発行)征矢野愛三

6 チカラさんなら私を救い出せるかもしれない

 Fの期待に応えて近くの公園を散歩し、親密な共犯者の満足な微笑をかわし、ゆっくりと握手をして、私は彼女と別れた。しかし私はそんなことは全てデタラメなのだと感じており、すぐにそれは私を傷つけ、卑屈な重さで私を念入りに侮辱しはじめた。

 私は就職のコネを頼むのは諦めたくなっていたが、彼女の方でそれに気付くことを期待し、デモにいって警棒で殴られた話をした。Fは心配顔になり、私に同情し、何故そんな危険な真似をするのだといった。私はせいぜいいたずらっぽく笑い、暴れるのが面白かったのだと弁解した。Fはそれで満足し、若いんだから仕方がないが、あまり深入りするものではないと忠告してくれた。Fは政治は難しくて簡単に割り切れないと信じており、彼女の父親は学生運動を体質的に嫌悪しているのだった。しかし私は深入りなどする筈のない臆病者であり、その証言はFを満足させ、私は恥じているのだが、ほがらかに笑っていた。私にはFを欺し、利用する以外の抜け道はないのだが、私は彼女に喰われることに妥協してしまい、その泥沼のひなた水のぬくもりをむさぼりたかった。

 だが、Fと別れると私は疲れており、人混みのする乗物は嫌いになり、私は冷たく追い返された押し売りのアルバイト学生なのだ。私はFの注文通りの演技をしなければならず、Fは私を結婚問題の相談相手に選んだりする気にはならなかったのだ。Fにとっても私にとっても新派悲劇は舞台上の出来事にすぎず、私達は憎み合うには優しすぎるのだ。私は飼い馴されており、尻尾を垂れてとぼとぼと郊外の畠道を歩き続けようと思う。私はこれから何を目標に生きれば良いかと考え、未来を切ってみる。色々な切り方があり、その切断は私を尻ごみさせる。私は風に押されて歩く。高校時代にラグビーで痛めたことのある私の右膝は引きつりはじめ、私はビッコをひいて似つかわしい気分になる。

 私の下宿の狭い台所はガス洩れがしており、私は帰りつくとその匂いに安らいで、コーヒーをわかし、睡眠剤を飲んだ。私は明日を迎えるのが怖い。だが私は睡り、明日を待つだろう。

 

 私はチカラさんに会いたかった。チカラさんなら私を救い出せるかもしれない。チカラさんの家は貧乏で、男手は小学校に行かなければならないチカラさんだけなのだ。チカラさんは新聞を配達し、兎を飼い、夕方になると、私の家の家鴨を川から呼び戻してくれるのだ。私はチカラさんと蛇を退治しに行き、食用蛙を掴まえた。チカラさんは私を肩車で家まで送ってくれるのだ。お祖母さんは近所の子が私のいうことを良くきくのは、お父さんが課長だからといっているが、それはうそで、私がチカラさんと仲良しだからにきまっているのだ。

 だが、いけないことがある。私は心配だ。チカラさんは私の姉さんを見ないのだ。面白くない顔で横を向いてしまうのだ。小学校で同級なのに仲良しではないのだ。だから、もしかするとチカラさんは私を救けてくれないかもしれない。

 姉さんはつんとして、綺麗な童話の本を読んでいる。私は姉さんがいけないのだと思う。またいたずらをして怒らせてやるのだ。いや怒らせてはまずい。どうにかして考え直してもらうのだ。私にはチカラさんしか頼れる人はいないのだから。小学校を出てすぐに製鉄所につとめ、今では組合の幹部になっているといううわさのチカラさんなら、私を救うことが出来るかもしれない。

 

 私の周囲の敵意は次第に密度が高まり、私は縛りつけられ、隙だらけで倒されてしまうだろう。土工達は二倍になり四倍になり、数え切れなくなった。私はどうせ失敗しているのだし、彼等が私の言分を聞く余裕もなく、私をうちのめしたのは当然だと思った。私は彼等に、仲間にしてくれと哀願するのだが、彼等はせせら笑い、笑いおさめるとたけだけしく私をこづき廻し、制裁を加えた。土工達はたくましく、雨と汗に流されて生活の濁りを見せず美しかった。私は殴られ、蹴とばされ、引起されて彼等と馴染み、落着いた。しかし、私の身体は急速に弾力を失い、重くなってしまった。

 土工達は舌打ちし、生意気な態度だと罵った。私はすまないと思ったが、もうこれ以上のことは出来ないのだ。彼等はだまされたと感じ、ざわざわとわめきたて、もっと私から取り立てなければ勘定が合わないと言った。

 中年の土工は泥まみれの私の服を脱がせ、吟味した。彼は不満の唸り声を上げ、ついに私を裸にしてしまった。

 私は生白い貧弱な身体を彼等の眼の前にさらし、土工達は新たに怒りはじめた。彼等は嘲笑うのだがそれでは足りず、一斉に私に向って放尿し始めた。私は湯気を立て、生気に満ちて傲慢にねそべっていた。私はもはや誰を怖れることもないのだ。

 

 私は雨をはじいて車のライトに輝く国道に投げ出された。待つ間もなくダンプカーは私を轢きつぶしてくれた。私はこなごなになるだろう。私のセックスは最後の欲情の瞬間にはじけとんで、悲鳴を上げ、運転手を驚かすかもしれない。しかし彼は軽く首を振り、眼をこすって眠気を追い払えば、そんなことは忘れしまって良いのだ。

 重役の娘を乗せた車が来て、私の前で急停車した。ハンドルを握っていたのは彼女のボーイフレンドであり、彼は銀行に就職がきまっているのだ。重役の娘はフロントグラスに頭をぶつけ、金切り声を上げて抗議したが、轢死体があるのでは仕方がないのだ。

 

 重役の娘のボーイフレンドから説明をきいた警官は軽く欠伸をした。交通事故を知らせに来るのは罪を怖れる階級の人間であり、彼等は自己弁護のためにあらゆる事実と論理を持ち出すので、毎日それを相手にしている警官はあきあきしているのだ。

 「はい、御苦労さんでした。」

 と彼は言い、調書をとじ、時計を見た。零時になるまで、あと二十秒だ。彼は眼を輝かせ、ボタンに手をやって待った。零時になれば今日の死亡者数はT駅の大掲示板に繰り込まれ、ゼロになる瞬間があるのだ。K駅の駐前交番の若い警官は明日の第一番の死者を自分の手で記録することが出来るのだ。

 

 それはゴマカシだ! と私は叫んだ。私が死んだのは違うんだ! 違う! 違う! 違う! 私が死んだのは…… 私が死んだのは…… 間違いないんだ。


(1962.4)