電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年3月

「言論の自由の何たるかを心得ない」電子手紙広場の悪餓鬼にヴォルテールの至言の文書鑑定

送信日時 : 2001年 3月 27日 火曜日 11:15 AM

件名 :[pmn 14014] Re: 言論の自由の何たるか

From: 内野晴仁
Date: Tue, 27 Mar 2001 01:25:01 +0900
Subject: [pmn 14011] Re: キムアイさんのメールが・・・
いえいえ、途中で行方不明になるのではなく、ちゃんと届いているのですが、
他者の言説を封じようとする向きは、永遠に存在し続けると思います。「言論の自由
の何たるかを心得ない」のか、と憤っても、憤るだけムダだと思います(憤るのがス
キだというのであれば、続ければいいでしょう)。

 1. 「ちゃんと届いている」:言葉が足りなかったのかもしれませんが、私が「行方不明」と表現したのは、別の電子手紙広場に送った手紙のことで、内野さんが受け取ったものとは違います。それを挙げたのは、業者の検閲が実在する例証としてであって、内野さんが使った柔物とは違う構造かもしれません。共通性を疑うことができるのは、アメリカ製らしいということだけです。

 2. 「憤るだけムダ」:論理的思考の動機でさえも、個人の、または自己中心の遺伝子の運び手としての裸の猿の自己防衛、または、生存競争に勝ち抜くための攻撃の衝動に起因しています。裸の猿から喜怒哀楽の感情を生む仕組みを除去したら、おそらく、気違いになるでしょう。

 誰かが表面上、怒ることを忘れているように見えても、奴隷根性か自己欺瞞か世間の目を欺くさらに悪質な偽善の固まりであるのか、疑ってみるベきです。問題は、そのような自分の現実を直視しつつ、いかに論理的に、さらには普遍救済のために、思考するよう努力するか、なのです。それをしも私は、自分自身の本能的な権力意識を、理論的思考の競争による無難な自己満足に転換することであると、自認しています。

 3. 「言論の自由」に関しては、3年前、パリ地裁のガロディ裁判で、しきりと、ヴォルテールの名が出ました。耳で聞くのはほとんど未経験のフランス語のペラペラ法廷討論で、部分的にしか理解できませんでしたが、この言葉が出る度に、法廷が静まりかえるのを興味深く記憶に止めました

 ヴォルテールの至言として伝えられるのは、拙訳では、「きみの意見には反対だが、きみがその意見を発表する自由は命をかけて守る」というもので、オックスフォードの引用句事典によれば、英語の手紙の中での文句だそうですが、これも、驚いたことに、同じ法廷でも一緒で、安宿の世話までしてくれた「歴史見直し論」の現在の長老、文書鑑定の専門家で元ソルボンヌ大学教授のフォーリソンは、ニコリと笑って、あれはヴォルテールの言葉ではないと言うのです。

 リンカーンの至言として広く知られる「人民の云々」も、実は、ある牧師の言葉だったそうですから、ヴォルテール個人にこだわる必要は無いでしょう。

 日本における問題は、実は、この電子手紙広場の成立の基礎となった民衆のメディア連絡会の運動の発端から、一部関係者の間での静かな議論の題材となっていたことです。

 会の発足には、アメリカのケーブルテレビの運動が関係していますが、アメリカの場合、市民運動の参加者を傾向別に差別しない方針を取っている例が多いのです。カナダのメディア・リテラシイ運動の理論家が、日本にきて、市民運動の場で話した際、日本のほとんどの「左」の市民運動家が、この原則を理解できなかったという事実もあります。

 4. 最後に、私が内野さんの手紙に返信するのは、ここに、私が今、いわば「命をかけて守る」気持ちでやっている「ホロコーストの大嘘」に深く関係する問題が含まれているからです。この「ホロコーストの大嘘」を、私は、「泥棒の上米をはねる」より巧妙な悪事と説明していますが、ヒトラーに被せられた冤罪とも言えるのです。ですから、当然、最初から、ナチ関係者はホロコーストを否定していましたし、ネオナチの怠け者が、この説を吹聴するのも、当たり前のことなのです。

 見直し論者は、上記のような思想傾向で差別しない方針を取っていますから、様々な思想傾向の人がいます。敵は、それを唯一の根拠にして、全部がネオナチであるかのようなレッテル貼り攻撃に終始します。だからといって、見直し論者が、「純粋化」を志向するならば、その末路は、赤城山荘事件の赤軍派のように、仲間を次々に処刑する無残この上も無い結果に終わるでしょう。

 しかも、この愚は、フランス革命のギロチン以来、何度も繰り返されているのです。ですから、私は、最初から、ネオナチ攻撃を恐れず、この問題に取り組みました。恐れて尻込みすれば、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」となります。実は、かなり多くの日本の知識人が、この大嘘に気付きながら、息を潜めているのです。私は、小利口に立ち回るのは嫌いで、馬鹿を自認しています。


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