『亜空間通信』353号 (2002/08/25) 阿修羅投稿を02.12再録

ソ連の横暴と戦ったと偽る日本共産党に「なつかしソヴェートの地」歌詞改竄驚愕

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『亜空間通信』353号(2002/08/25)
【ソ連の横暴と戦ったと偽る日本共産党に「なつかしソヴェートの地」歌詞改竄驚愕】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 ああ、もう、ちっとも驚かないが、昨日(2002/08/25)早朝、ドアがゴトゴト鳴るので、見ると、新聞受けの下から、シミチョロみたいに色刷りのチラシの尻尾がはみ出している。A4判を4つに折り畳んだ縦長の『しんぶん赤旗』号外である。

 来年の一斉痴呆選挙の市議選に新人候補が立つので、このところ珍しく増発され続け、わが寓居にまで投げ込まれる。一応、引っこ抜いて見ると、ああ、唖然。

「旧ソ連の横暴とたたかった自主独立の党」の小見出しで、「日本共産党は、旧ソ連の横暴を、きっぱりはねつけた、世界でも、まれな党です」などとある。

 ああ、ああ、このままでは発狂しそう。若気の至りとはいえ、ともかく、1963年に入党してから1994年頃に「除籍」されるまでの30年以上、日本共産党に在籍し、その間、初期には若者たちと一緒に何度も合唱した歌を、頭の隅に覚えている私としては、そんな、無茶な、ええ、と、と、と、歌詞が遠くに、かそけく響く、ああ、確か、当時、日本共産党の「文化工作隊」、中央合唱団が広め、日本共産党の指導下の若者組織、民主青年同盟の「定番」となっていた歌に、「なつかしソヴェートの地」って歌詞があったぞ!

 少しは想い出して、本日、「エルベ、歌わん」で電網検索した。最初に出てきたのは、以下の歌詞である。最近の歌の電網宝庫からは音も出るが、それはどうでもいい。以下のように、わがうろ覚えの部分が、「なつかしソヴェートの地」ではなくて、「なつかしふるさとの地」になっている。やや!

 おお、ジョージ・オウェルの名作『1984年』の恐怖が背筋を襲う。

http://www.fukaura-h.ed.jp/~bunbun/okera/aaoo/erubegawa.htm
エルベ河(Dm)/ (エーちゃん)

作詞 ドルマウトスキー
作曲 ショスタコービッチ
1 ふるさとの声が聞こえる 自由の大地から
  何よりもわれら慕う なつかしふるさとの地
 世界にたぐいなき国 美わし明るき国
   われらの母なるロシア 子供らは育ち行く

2 遠くふるさとはなれても いつも夢に描く
  あかき星の下にねむる わが山河広き野辺
 世界にたぐいなき国 美わし明るき国
   われらの母なるロシア 子供らは育ち行く

3 エルベのほとりで歌わん 広きロシアの心
  大いなる祖国の前に ファシストはかげもなし
 世界にたぐいなき国 美わし明るき国
   われらの母なるロシア 子供らは育ち行く

 以上で引用の(その1)終わり。

 で、今度は曲名が分かったから、「エルベ河」で検索したら、以下のごとく、

1番の歌詞二行目後半は、社会思想社「世界歌謡集」1970年版を参照して「なつかしふるさとの地」としてこのページを作成してましたが、メールで「なつかしソヴェートの地」のはずであるとご指摘をいただきました。
日本ビクターのデラックス盤「ロシア民謡のすべて」の歌詞カードを調べたところ、同じ楽団カチューシャの訳詞で「なつかしソヴェートの地」となってました。

 と出た!

 こちらも音が入る。聞いて御覧なさい!

http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc6260/elbe.html
エルベ河
HOMESICKNESS
THREE SONGS FROM MEETING ON THE ELBE

【 作詞者 】ドルマトウスキー DOLMATOVSKIJ EVGENIJ ARONOVICH 
【 作曲者 】ショスタコービッチ SHOSTAKOVICH DMITRIJ DMITRIEVICH 
【 訳詞者 】音楽舞踊団カチューシャ

外国曲の歌詞の掲載については、JASRACでのインターネット上における著作権問題の決定待ちです。

ロシアの有名な作曲家ショスタコービッチにこの歌は1949年に作られた映画「エルベ川の邂逅」の主題歌です。原題は「抒情歌」男声合唱が原曲です。

ところで、エルベ河は、ドイツに流れる川。ドレスデンからハンブルグにかけて、雄大な流れをたたえています。源流は私の持っている中学地図帳ではわかりませんでした。

歌詞を読んでいると、ロシアの川のようですが違います。1944年4月29日にベルリンを陥落させたソヴェト軍がアメリカ軍と劇的な邂逅をしたのがエルベ河です。ロシア兵がふるさとを思い出しながら歌った歌なのでしょう。

2002/05/25 本段追記
当初、ソヴィエト軍がドイツ軍と遭遇した...と記載しておりましたが、「三套馬車」さんからのご指摘で、邂逅したのは、ソヴィエト軍とアメリカ軍です。1945年4月25日、スターリングラードから西進してきたソビエトの第五守備隊は、エルベ川のほとりの町トルガウTorgauに着きます。ここで、ノルマンディーから東進してきたアメリカの第一軍とばったり出会います。両者の兵士達は、この劇的な出会いを喜び持っていた飲み物、帽子、ボタン、写真などを交換し合ったそうです。
映画「エルベ川の邂逅」はこのとき、両国の若き兵士達が「青年は二度と戦場で相まみえない」と誓った模様をテーマにしてます。残念ながら、その期待はまったく正反対の方向で裏切られてしまったことは、その後の冷戦体制のもとでの歴史が物語ってますね。

なお、1番の歌詞二行目後半は、社会思想社「世界歌謡集」1970年版を参照して「なつかしふるさとの地」としてこのページを作成してましたが、メールで「なつかしソヴェートの地」のはずであるとご指摘をいただきました。
日本ビクターのデラックス盤「ロシア民謡のすべて」の歌詞カードを調べたところ、同じ楽団カチューシャの訳詞で「なつかしソヴェートの地」となってました。
確かに私の記憶でも「ソヴェートの地」です。JASRACさんのご指導により、訳詞を掲載しておりませんが、ソースでREM文化されている部分を修正しました。(この項、平成14年3月26日)

ところで、川について、私のいろいろな経験を。
エルベ川はドレスデンで見ましたが、茶色に濁った川でした。きれいな清流というのはあまりお目にかかれません。渋谷の古川の方が、きれいなようです。
ウィーンの美しき碧きドナウもいつの話なんでしょう?
ライン側の源流、Stein-am-Rheinでもあまりきれいではありません。
1994年暮れの大洪水の時は、滞在していたデュッセルドルフは事無きを得ましたが、隣町のケルンは水没寸前でした。
ブンガワンソロ、中部ジャワの有名な河川でも、楽しみにして行ったら、土地の人がしゃがんでウンチをしてました。
あまりよい経験がないのですが、スイスの山Titlisに登って行く途中の渓流は、氷の粒が解けきっていない為、水の色が乳白色でした。これは感激をしました。
ハルピン郊外の松花江は10年以上も前の1月15日に訪れたのですが、完全に凍結しており、氷を切り出して、氷祭りをやってました。

JASRAC情報
製作日誌:平成10年6月28日初版
      平成13年7月1日 翻訳歌詞をREM文に変更
      平成14年3月26日 歌詞の修正
      平成14年5月25日 第二次世界大戦時の記述の修正

 以上で引用終わり。

 ともかく、日本共産党は今、「旧ソ連」とではなく、「同時多発テロ」を糾弾し、「テロリスト」を主敵とし、実質的にはアメリカの手先として、「正当防衛権」を主張し、ともかく、武蔵野市の市議3議席を維持するために、断固、「たたかって」いるのであります。そして、旧ソ連の盟主、ロシアは今、アメリカと同盟し、アメリカ企業の金で石油資源を開発中なのであります。ああ、発狂しないためには、発散が必要、大いに歌を歌わん!


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