『亜空間通信』997号(2005/04/21) 阿修羅投稿を再録

拙著『アウシュヴィツの争点』がウィキペディア百科事典ホロコーストの参考文献として電網公開

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『亜空間通信』997号(2005/04/21)
【拙著『アウシュヴィツの争点』がウィキペディア百科事典ホロコーストの参考文献として電網公開】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 わが木村書店発行の季刊『真相の深層』への提起寄稿者、佐藤雅彦さんから、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「ホロコースト」の項目が送られてきた。以下に全文を紹介する。

 最後の参考文献には、拙著『アウシュヴィツの争点』とノーマン・G・フィンケルスタイン著、立木勝訳『ホロコースト産業』三交社の2冊だけが挙げられている。記述のほとんどは、拙著『アウシュヴィツの争点』と拙訳『偽イスラエル政治神話』と齟齬のない内容になっている。

 歴史見直し論、またはホロコースト見直し論が、今や、主要な流れとなってきたのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

ホロコースト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ホロコースト([中略])とは、ナチ党政権下のドイツ(ナチス・ドイツ)およびその占領地域においてユダヤ人やシンティ・ロマ人などに対して組織的に行われたとされる絶滅計画を指す。広義には組織的な大量殺戮一般も指す。語源はギリシャ語で「焼き尽くす」の意で、「丸焼きの供物」を意味した。ヘブライ語では惨事を意味するショアー([中略])が用いられる。かつて英語では「ジェノサイド」などが用語として一般的だったが、1978年アメリカNBC系列で放映されたテレビドラマ「ホロコースト」によってこの言葉が使われるようになった。

 当初ナチ党の対ユダヤ人政策で具体的に目指されたのはヨーロッパ外への強制大量移住によってヨーロッパからユダヤ人を追放する計画であり、その劣悪な移送環境と移送先の過酷な気候によって大多数が死滅するだろうという漠然とした予測をもって立案されていた。しかしそれは1940年以降、対英・対ソ戦局の推移に伴って廃案となり、ゲットーへの隔離と1942年7月から開始された強制収容所における労働を通した絶滅および毒ガス・一酸化炭素・排気ガスなどを用いた組織的殺戮へと計画は変更されていった。これらの方式はすでにT4作戦と呼ばれる1939年10月から1941年8月まで続いた精神障害者・重病人などの大量安楽死作戦において実験されており、シンティ・ロマ人や「エホバの証人」信者、同性愛者なども同様の方法で組織的に殺害された。また収容所以外でも東部占領地域全般において親衛隊の他、国防軍・現地住民の構成する補助警察などによってユダヤ系住民の大量殺戮が行われた。

強制収容所の死体焼却炉
目次 [表示非表示]
1 「ホロコースト」の定説
2 大量虐殺までの経緯
2.1 移送計画
2.2 ゲットーへの収容
2.3 マダガスカル計画の破棄
2.4 東部における組織的殺戮
2.5 ヴァンゼー会議
3 絶滅収容所
4 犠牲者の数
5 ホロコースト修正主義
6 「ホロコースト」の疑問点
7 論争
8 「ホロコースト産業」批判
9 ホロコースト関連作品
9.1 映画
9.2 書籍
9.3 音楽
10 関連項目
11 外部リンク
12 参考文献

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「ホロコースト」の定説

1. ナチ党は、ベルゲン・ベルゼンをはじめとするドイツ国内の「強制収容所」の他に、アウシュウィッツ(及びビルケナウ)をはじめとする「絶滅収容所」をポーランド領内に建設した。

2. ナチ党は、ユダヤ人を「強制収容所」及び「絶滅収容所」に収容した。

3. とりわけ「絶滅収容所」には、ユダヤ人の大量殺人を可能とする処刑用の「ガス室」が設けられた。

4. 処刑用「ガス室」では、「チクロンB」と呼ばれる毒ガスを使って、600万人ものユダヤ人が処刑された。

5. 処刑後ユダヤ人の遺体は、焼却炉をフル稼働して焼却処分されたので残っていない。

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大量虐殺までの経緯

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移送計画

18世紀以降、啓蒙主義の浸透によって開放されたユダヤ人の社会的地位向上と西欧社会への同化が進むにつれて、反ユダヤ主義は宗教的なものから人種的なものへと変質した。19世紀後半になると、ユダヤ人の同化と地位向上によってひき起こされた「ユダヤ人問題」の根本的解決を訴える論調が盛んになり、社会ダーウィニズムに基づく疑似科学的な人種論によって組織的なユダヤ人迫害への理論的な基礎が置かれた。 これらの論議においてはしばしばユダヤ人の辺境への追放が真剣に論じられ、マダガスカルをはじめギアナ、アラスカ、ニューギニアなどに大量移住させることによってヨーロッパからユダヤ人を根絶する計画が立てられた。

またユダヤ人自身も19世紀後半から隆盛を迎えたシオニズムに基づく独自のパレスチナ移住運動を展開した。これらの運動はナチ党政権成立後の1933年以降統一され、ドイツ系ユダヤ人全国代表部によってさらに進められたが、パレスチナへの移住はイギリスの支配の下で厳しく制限されており、アメリカ合衆国・イギリスなどへの移住も同様だった。ナチ党のイデオローグであるアルフレート・ローゼンベルクも1939年2月、外国記者団に対し「中東におけるユダヤ陰謀の基地となる可能性があるためパレスチナにおけるユダヤ人国家建設は望ましくない」と述べており、ナチ党の意向としては中東以外のギアナなどの熱帯地域への流刑的移送を通じて緩慢に絶滅させる意図をほのめかしている。

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ゲットーへの収容

1939年9月のポーランド侵攻直後から占領地域在住ユダヤ人のゲットーへの囲い込みが始まった。翌1940年11月には40万人が住むワルシャワ・ゲットーが壁と有刺鉄線で囲まれて交通が遮断され、1942年7月からゲットー住民の強制収容所移送が始まる。このゲットーへの囲い込みから収容所移送までの間に移住計画や収容所建設など親衛隊当局による絶滅の準備が行われたが、劣悪な衛生状態と食糧事情から既にこの期間に多くの犠牲者が出ている。また、シンティ・ロマ人の放浪が禁止されて登録とゲットーへの囲い込みが行われたのもこの期間であった。

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マダガスカル計画の破棄

1940年6月頃、ドイツのフランスに対する勝利の後、国家保安本部第4局(ゲシュタポ)B4課(ユダヤ人問題担当)課長の親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは、フランスからのマダガスカルの割譲を見越した国家保安本部長ラインハルト・ハイドリヒの命令によってユダヤ人のマダガスカル移住計画を作成したが、「あしか」作戦の失敗によって対英勝利の見込みが失われ、移送のための船舶・航路の確保は絶望的となったためこの計画は廃棄された。これ以降「ユダヤ人問題」解決策は海外への移住から東方占領地域への移住、さらには移住先での労働を通じた絶滅へと発展した。この決定に従って全ユダヤ人は、産業にとって無価値なものは移送の後処刑され、労働に耐える者はなるべく過酷な環境で軍需産業の労働力として使用した後に死亡させるという方針がとられることになった。

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東部における組織的殺戮

ヒムラーのヒトラーへの報告書。1942年のロシアにおける大量虐殺について。

このような計画とは別に、独ソ戦の開始の翌日1941年6月23日以降、ウクライナを中心とする東部戦線のドイツ軍占領地域では保安警察やラトヴィア人、リトアニア人、ベラルーシ人の現地補助警察などで構成された行動部隊による現地ユダヤ系住民の組織的殺戮が実行された。この一連の掃討作戦において最も悲惨な例が1941年9月29日・30日に起きたキエフ近郊のバビ・ヤールでの大量処刑である。 入り組んだ地形を利用して先頭で行われる処刑を隠蔽し、長い列になったユダヤ人3万7000人が行動部隊によってこの2日間で次々に射殺されたが、それ以降も同地は1943年8月まで処刑地として使用されている。 さらに1941年9月3日、アウシュヴィッツ第一収容所でソ連兵捕虜に対して毒ガス・ツィクロンBによるガス殺が初めて行われたとされる。

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ヴァンゼー会議

1942年1月20日、国家保安部長ラインハルト・ハイドリヒによってベルリン郊外の高級住宅地アム・グローセン・ヴァンゼーにある邸宅で次官級会議が開催され、「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の全面的解決」について討議された。アドルフ・アイヒマンの作成した議事録によると、この会議でヨーロッパ全土に住むユダヤ人1100万の数がハイドリヒによって確認され、その最終的解決が決定された。 この議事録において直接的に殺戮を意味する語は全く使われていないが、その他のナチ党関連文書においても使用されている「強制移住」、「特殊処置」などの語は、既に広範な地域で実行に移されていた大量殺戮をはっきりと指示している。ただし、この会議の存在を裏付ける公式書類は存在しない。議事録とされる「ヴァンゼー文書」は作者、作成年代、作成場所が判明しないため、歴史学からの観点から言えば、「ヴァンゼー文書」は第四次史料に当たる。よって、ヴァンゼー会議の存在は未だ立証されていない。

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絶滅収容所

強制収容所収容者

ドイツ国内には既に戦前からダッハウやザクセンハウゼンなどの収容所が存在したが、それらの収容所は比較的小規模であり政治犯や西側の捕虜などが比較的多く収容されていた。絶滅を目的とした収容所としては1942年からアウシュヴィッツ=ビルケナウ、トレブリンカ、マイダネク、ベウジェツ、ソビブルなどの収容所が次々と完成しゲットーや占領地域から多くのソ連人捕虜・ユダヤ人が送り込まれた。アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所には巨大な軍需工場が付属し、多くの衛星収容所を従えた一大工業地帯を形成していたが、その他の多くの収容所は僻地に建設され収容者数も多くなかった。ラインハルト作戦と呼ばれるポーランド=ユダヤ人絶滅作戦にそって作られたそれらの収容所では労働可能者が選別されることなくほぼ全員が直接ガス室に送り込まれた。とくにトレブリンカの犠牲者は群を抜いて多く、およそ90万人がそこで殺された。収容者に比べて管理する親衛隊の兵数は非常に少なく、またしばしば敵機が飛来したことから戦況の悪化が収容者にも知られ、ソビブルとトレブリンカでは蜂起が発生したがいずれも鎮圧された。トレブリンカではこのとき少数ながら脱走に成功する収容者が出たためこれを機に閉鎖されてアウシュヴィッツ=ビルケナウに統合された。その他の収容所もアウシュヴィッツの収容能力が上がったため同様に統合され、東部占領地域の収容所は証拠を残さぬよう徹底的に破壊された。1944年7月23日マイダネク強制収容所がソ連軍によって解放され、1945年1月27日アウシュヴィッツも解放されたが、大量虐殺の証拠となるガス室などの設備は前年の1944年10月に全て爆破されていたとされる。

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犠牲者の数

犠牲者について正確な資料が残されていないため、特に後期の犠牲者の数を特定するのは難しいが、それだけの犠牲者がいたのは確かであろう最小限の人数については、研究者の間で共通の認識が示されている。

出身地域別のユダヤ人犠牲者数は: ドイツ;16万5000、オーストリア;6万5000、フランスおよびベルギー;3万2000、オランダ;10万以上、ギリシャ;6万、ユーゴスラヴィア;6万、チェコスロヴァキア;14万以上、ハンガリー;50万、ソ連;220万、ポーランド;270万。このほかにルーマニア・トランスネストリアにおけるポグロムや行動部隊の掃討作戦による被害者20万以上、アルバニア、ノルウェー、デンマーク、イタリア、ルクセンブルク、ブルガリアなどからも収容所に移送されたユダヤ人がいた。(BENZ,Wolfgang. Der Holocaust. C.H.Beck 1995) シンティ・ロマ人;25万人 同性愛者;1万から2万5000 精神障害者・重病人など;2万から3万 (Wikipedia:en)

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ホロコースト修正主義

ホロコーストの信憑性については早くから疑問が投げかけられており、「ホロコースト正史」に対する批判的研究も行なわれているが、この種の研究を刑事罰の対象として禁ずる国もある。 ホロコースト修正主義(Holocaust revisionism)は否定的な意味で「ホロコースト否定(Holocaust denial)」と呼ばれることがあるが、中立的観点から本項ではこの用語を採らない。

* 1948年、レジスタンス活動家としてブッヘンヴァルト及びドーラ強制収容所に収容された経験をもつポール・ラッシニエは、著書Passage de la Ligneの中で「ホロコースト生存者」の証言に疑義を呈した。今日、ラッシニエは「ホロコースト修正主義の父」と称されている。

* 1973年、アウシュヴィッツで空軍部隊将校として勤務した経歴のある西ドイツのシュテークリッヒ判事は、ホロコースト絶滅物語を検証するDer Auschwitz-Mythosを刊行したが、発禁となる。

* 1978年、Institute for Historical Review(歴史見直し研究所)設立。

* 1978年、『ル・モンド』紙でロベール・フォーリソンが「ガス室」に関する記事を発表し、「フォーリソン事件」が起こる。

* 1988年、アウシュヴィッツのガス室についての実地検証、『ロイヒター報告』。

* 1993年、アウシュヴィッツのガス室について化学的検証を行なった『ルドルフ報告』。

* 2000年、The Revisionist創刊

ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されているが、人種差別禁止法を名目に「ホロコースト否定」を取り締まる国もある。国際人権規約批准国では、B規約20条2項「国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」を根拠とする以外に、基本的人権たる表現の自由を制限することが難しい。このため、ホロコースト修正主義者は人種差別の罪で告発されることが多い。

2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。 『エルサレム・ポスト』(2004年7月20日)の伝えるところでは、ユダヤ人のホロコースト犠牲者は100万人に満たないという内容の博士論文を書いたことがある「ホロコースト否定論者」・パレスチナ解放機構の事務局長アッバス(前首相)を標的として極右政党国民連合が提出した法案であった。

1994年からドイツでは「ホロコースト否定」が刑法130条第3項で禁じられており、ドイツ語版ウィキペディア(http://de.wikipedia.org/wiki/Hauptseite)のホロコーストの項にはこの警告が文頭に掲げられている。

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「ホロコースト」の疑問点

1. 「毒ガス」で死んだ死体の解剖記録が存在しない。そして焼却処分したはずの数百万人分もの人間の灰が発見されていない。

2. ヒトラーやその他のナチスの有力者によるユダヤ人の物理的絶滅文書命令が発見されていない。

3. 絶滅計画には予算が計上されてない。加えて連合軍はドイツ政府・ドイツ軍の交信記録をすべてチェックしたが、秘密の無線通信やオフレコの会話でさえ絶滅計画に関したものは何も残っていない。

4. 遺体の死因は発疹チフス等の伝染病によるもので、毒ガスによって殺害されたと断定された遺体は一体たりとも確認されていない。これはアメリカ軍とともにドイツのダッハウなど約20の収容所に入り、遺体を実際に検分した唯一の法医学者チャールズ・ラーソン博士が宣誓証言している。

5. 戦時中、連合軍機が上空から収容所敷地内を撮影した航空写真には、一枚も遺体を焼却していたとされる焼却炉からの煙が写っていない。

6. いわゆる「ガス室」には、青酸ガスの使用に不可欠である、換気システムが設置されたという証拠がまったく存在しない。

7. アウシュウィッツ強制収容所ではチフスが流行していたため、殺虫・殺菌のためのマイクロ波殺菌装置が配備されていた。本気でユダヤ人を絶滅させるなら、収容所に入れた後、殺虫・殺菌なんてせずに放っておけば簡単に全滅させられる。それどころかドイツ政府の中でユダヤ人問題を総括する立場にあったハインリヒ・ヒムラーは、チフス等の病気によるユダヤ人の死亡が多いことに神経をとがらせ、収容所の管理者たちに対し、もっと死亡率を低下させよという命令を出している。

8. 1943年2月からドイツ降伏まで、全ての収容所で赤十字の監督が許可されていた。これによって囚人の待遇が全て赤十字によってチェックされるようになった。そして赤十字の報告書には1943年から1944年の間ですら、重労働者は最低でも一日に2750カロリーを摂取していたと記されている。そして国際赤十字委員会は、連合軍が無差別爆撃で援助物資を届けることを妨害していることに不満を訴えていたが、赤十字の訴えは連合国に無視される。1948年の赤十字の報告書には、中立の立場である赤十字が「ユダヤ人の大量死は連合軍の無差別爆撃が原因である」という結論を出している。

9. アウシュウィッツでは囚人同士の結婚式が認められていた。産科病院に3000人の出産記録があり、託児所には母親が子どもを預けることができた。

10. SSがユダヤ人を虐待することは犯罪だった。ブーヒェンヴァルト収容所司令官のカール・コッホは、ユダヤ人を虐待したために1943年にSS判事コンラート・モルゲン博士に死刑を宣告されている。

立証責任に関しては、悪魔の証明参照

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論争

上記のホロコースト修正主義の立場から、「収容所においてガス室などによる組織的殺戮はなかった」などのホロコーストへの懐疑論が唱えられている。1988年に「虚偽の報道」罪で裁判にかけられていたエルンスト・ツンデルが弁護側証拠として米国のガス室専門家フレッド・ロイヒターに依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。ただし、このレポートに対しては「ロイヒターは工学の学位を持たず、また実績においても、彼は専門家としての能力に欠ける」との批判がある。ガス室実在論者が「ロイヒターは裁判において専門家としての証言を認められなかった」と主張することがあるが、ツンデル裁判ではガス室設計・運営の専門家と認定されて実際に証言に立っている。

 1993年には、マックス・プランク研究所で博士課程にあった化学者ゲルマール・ルドルフのルドルフ・レポートがロイヒター・レポートと同様の結論を提示した。ルドルフ・レポートに対する反論としてはインターネット上で発表されたRichard J. GreenのLeuchter, Rudolf, and the Iron Bluesがある。

 その他、ユダヤ人絶滅を明記した命令文書が存在しない、ニュルンベルグ裁判で拷問や脅迫を用いて得られた証言に矛盾がある、などが否定的根拠として良く挙げられる。

我が国では、1995年医師西岡昌紀の「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を掲載した『マルコ・ポーロ』誌が廃刊になったマルコ・ポーロ事件がある。

このほか1980年代半ばに「ホロコーストという犯罪の比較可能性」をめぐってドイツ歴史家論争と呼ばれる一連の論争が起こったことがある。

1998年フランクフルト書籍見本市の平和賞受賞講演で、作家マルティン・ヴァルザーはホロコーストがドイツ人に対して「道徳的棍棒」として使われていると述べて「ヴァルザー論争」が起こった。

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「ホロコースト産業」批判

1996年、スイスの主要銀行に対し、ホロコースト犠牲者のものとされる休眠口座に眠る預金の返還を求めるユダヤ人の集団訴訟が起こされた。ドラミュラ経済相はこれを「ゆすり・たかり」と非難し、後に謝罪を余儀なくされる。1998年、休眠口座の調査は続行中だったが、銀行側が今後支払い要求に応じないことを条件に12億5千万ドルを支払うことで政治決着した。2001年10月13日、英紙タイムズはスイスの独立請求審判所による調査の結果を報じた。休眠口座の総額は6千万ドル程度に過ぎず、ほとんどは少額で、処理した1万件近い請求のうち確認できた口座は200件だった。ユダヤ人政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、このようなユダヤ人団体の行動を、ホロコーストを利用して利益を得ているものとして批判する『ホロコースト産業』を著した。彼はユダヤ人団体からホロコースト否定論者とされ非難を浴びた。

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ホロコースト関連作品

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映画

* 『シンドラーのリスト』 - Schindler's List
* 『ショアー』(クロード・ランズマン監督 「イスラエル三部作」第二部)
* 『戦場のピアニスト』
* 『灰の記憶』
* 『名もなきアフリカの地で』

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書籍

* アンネの日記(アンネ・フランク)
* 「ゼルマの詩集 強制収容所で死んだユダヤ人少女」(ゼルマ・M・アイジンガー、岩波書店、1986年12月(ISBN 4-00-500119-X))
* 「ハンナのかばん アウシュビッツからのメッセージ」(カレン・レビン、石岡史子 訳、ポプラ社、2002年7月 (ISBN 4-591-07309-2)) (ハンナ・ブレイディに関して)
* マウス - アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語(ホロコーストを描きピューリッツァー賞を受賞した漫画作品)

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音楽

* ダッハウの歌(ユーラ・ゾイファー作詞、ヘルベルト・ツィッパー作曲)
[1] (http://www.gedenkstaettenpaedagogik-bayern.de/dachaulied.htm)
[2] (http://ingeb.org/Lieder/stacheldra.html);
[3] (http://www.literaturepochen.at/exil/media_ton.html)(サウンド;74~94)
* ヘブライのレクイエム(エリック・ツァイスル)
* テレジーンの歌(テレジンの歌) (フランツ・ワックスマン)

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関連項目

* 民族浄化
* ジェノサイド
* 優生学
* ナチス
* T4作戦
* ニュルンベルク法
* ヨーゼフ・メンゲレ
* ナチ強制収容所のバッジ
* ポグロム
* オスカー・シンドラー
* ラウル・ワレンバーグ
* マキシミリアノ・コルベ
* ヴィクトール・フランクル* 歴史修正主義

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外部リンク

* ホロコースト記念館(http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn)
* ホロコースト神話(http://www.jca.apc.org/~altmedka/gas-linkall.html)
* 米国ホロコースト記念博物館(英語)(http://www.ushmm.org)
* ホロコーストの義人の一覧 List of people who helped Jews during the Holocaust

* The Nizkor Project(http://www.nizkor.org/) - ネット上で最も有名な「ホロコースト否定」への反論サイト

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参考文献

* 木村愛二『アウシュヴィッツの争点(http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html)』 リベルタ出版、1995年。

* ノーマン・G・フィンケルスタイン著、立木 勝訳『ホロコースト産業』三交社、2004年12月、ISBN 4879191582

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88" より作成

カテゴリ: ユダヤ人 | ホロコースト | ナチス・ドイツ | ドイツ

 以上。


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