『亜空間通信』897号(2004/11/25) 阿修羅投稿を再録

スキャンダル大戦争9号ナベツネの首を獲った行動派右翼が一場選手200万円の情報入手源?

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『亜空間通信』897号(2004/11/25)
【スキャンダル大戦争9号ナベツネの首を獲った行動派右翼が一場選手200万円の情報入手源?】―「極右読売ナベツネ日テレ株名義貸し」問題(その3)

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 わが自前の木村書店発行、季刊『真相の深層』と相互広告交換の仲の季刊誌、『スキャンダル大戦争』9号に、「ナベツネの首を獲った男」のインタヴュー記事が掲載されている。

 目次の題名を、全部記すと、結構長い。「世直しドキュメント、ナベツネの首を獲った男"行動派右翼団体"正気塾インタビュー」である。

 記事の扉の頁に曰く:『週刊文春』2004年8月26日号に「巨人軍 渡辺王国の崩壊 電撃辞任を決断させた右翼街宣車と脅迫状」と銘打たれた記事が登場する。

 つまり、すでに週刊誌の報道も成された古ネタである。私にとっては、右でも左でも、脅し屋の商売は、軽蔑の対象以外の何物でもないから、細部を吟味する気はない。ただし、一場選手への200万円の情報の入手源が不明な点と、いわゆる右翼の商売は、どこかから資金が出ていること、つまり、情報と金の流れが、定かではないことが、わが自称名探偵の脳髄にチリチリと刺激を与えて、落ち着かない。

 どこかが、おかしいのである。

 そこで、推理小説作家でもある私は、以下の情報を公開することによって、このストレスを解消し、広く、議論を求める。

 公然の敵、たとえば、朝読戦争の仲の朝日新聞系列を一応、考慮すると、そこまでやれば、自分の新聞と放送の系列支配も問題になる。

 そこで、、わが推理の基本は、アガサ・クリスティーなどの正統派の手法となる。大富豪の遺産相続が絡む密室的な殺人事件の場合には、親族、使用人などが、最も有力な容疑者となる。

 真犯人は、砒素を盛られて、最初は被害者と見られていた家政婦という筋書きもあった。

 ここでの筋書きは、実に単純、「読売系の内ゲバ?」である。

 私は、取材に来た週刊誌の記者に、最後の示唆として、取って置きの秘策を授けた。わが自称名探偵の推理によれば、この大騒動の主犯、または実行犯の指揮官として、一番臭いのは、株価のストップ安の暴落で「被害者」のように見える日本テレビの会長、氏家斉一郎なのである。

 動機の推測は、いとも簡単である。最も重要なのは動機である。ナベツネの失墜で一番の得をするのは誰か、これを疑うのが、捜査の基本である。

 氏家斉一郎は、ナベツネとは、東京大学の日本共産党細胞以来の転向右翼の実に臭い仲ではあるが、いつも兄貴風を吹かせてきたナベツネを、この際、引きずり降ろして、読売グループ全体の唯一のボス、ドンになり、政界にも、睨みを効かせたいのだと、睨むのである。特に、世間的には地味な経済部の記者として長年勤めた読売新聞社のトップに立ちたいのは、人情の常である。

 すでに一度だが、この二人の不仲を示唆する週刊誌記事があった。ナベツネの演説に拍手しない氏家は、いぶかしがる客に、「ナベなんかに拍手できるか」と言ったとか。

 日本テレヴィ関係者は、野球選手のことにも詳しい。しかも、氏家斉一郎には、証券界、さらには政財界のドンとも言える有力な親族がいる。野村ホールディングス会長 氏家純一(58歳)は、以下の情報によれば、日本テレビの氏家斉一郎会長は親類で、「おじさんと呼んでいます」と語っている。

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http://www.be.asahi.com/20040410/W11/0021.html
金融研究を憂え、東大に帰った証券トップ
野村ホールディングス会長 氏家 純一さん(58歳) 
69年 東大卒。日産自動車へ(のち退社)
75年 シカゴ大大学院で経済学博士号を取得。野村証券に入社
89年 米国野村社長
(写真は96年、シカゴ大同窓のアルゼンチン中央銀行総裁と)
97年 野村証券社長
01年 野村ホールディングス社長を兼務
03年 野村ホールディングス会長

 35年前、全共闘の学生が「産学協同路線粉砕」などを叫んだ東京大の本郷キャンパス。そのうねりの中、集会にも参加して「勉強どころではない」4年生だった人が、当時がうそのように穏やかな学内に帰ってきた。

 いまは証券最大手のトップ。巣立った経済学部が4月に創設した「金融研究センター」の長を兼務することになったのだ。

 狙いは、かつて学生たちが拒んだ産学連携。ゼミの同期生だった神野直彦(じんの・なおひこ)学部長(58)に請われた。式はなく、証書も郵送という混乱状況下で卒業し、一緒に日産自動車に入った仲だ。

 「すぐ働く気にはなれず、広い世界を見たかった」と、この人は米イリノイ大に留学し、まもなく退社した。経済学徒に戻り、シカゴ大でノーベル経済学賞受賞者のフリードマン教授らに学び、博士号を取った。

 学んだことを経済の現場で生かそうと再びビジネスの場へ。今度は野村証券を選び、その後は主に国際畑の仕事を歩んだ。

 一方の神野氏は、入社6年後に日産を辞めて東大大学院へ。03年、経済学部長に就いた。

 そんな2人を再び強く結びつけたものは、何だったのか。

■     ■

 7年にわたる米国勤務から東京の本社に戻った直後の97年。総会屋への利益供与事件で当時の酒巻英雄社長は辞任、そして逮捕された。会社の社会的信用は地に落ちた。

 立て直しを担って社長に起用されたが、同社ではその6年前にも、大口顧客への損失補てんなどの不祥事が発覚していた。

 「3度目の事件を起こせば、野村の明日はない」

 さっそく営業手法の改革を求めた。米国経験の長さゆえに、「あの人は『アメリカ人』」などの陰口もあった。でも、顧客から強引に手数料を稼ぐようなスタイルを排し、「顧客本位」のビジネスを真剣に考えないと復活はない、と説いた。

 山一の破綻(はたん)など証券界激変の中で、改革が徐々に社員の自信をよみがえらせた。他の国内大手2社が赤字だった03年3月期は1千億円を超える当期黒字を稼ぎ、米欧の巨大金融機関を追う態勢にまで盛り返した。

 それでも「米国勢には、かなわないところがある」と思う。大学と経済界の交流が金融の最先端手法を生み、ノーベル経済学賞の土壌に――。その米国事情をつぶさにみてきたからだ。

 「ものづくりでは優秀な人材を生んだ日本だが、金融は研究者の層が薄く、将来が危うい」

 そんな憂いが、世界的な金融研究者育成をめざす神野氏ら東大側の考えと一致した。

 口説き文句は、「国際経験が豊かで、学者でもあるあなたこそ、長にふさわしい」だった。

■     ■

 一人の医学者から、センター長就任を祝う手紙が届いた。

 シカゴ大時代、在留邦人の子ども向け補習校でのバイトで、数学を教えていた生徒だった。

 「立派になってくれました」

 教師の顔が似合う人だ。

◆「ラストチャンスだ」。理念に賭けた出直し改革

学問と仕事の話になると、熱っぽい=東京・日本橋の本社で  ――東大の金融研究センター長就任は、神野直彦(じんの・なおひこ)経済学部長からの要請だったそうですね。

 氏家 昨年10月末、神野さんに「ちょっと話がある」と声をかけられ、センターの構想をうかがいました。「私に何かできるなら、真剣に考える」と伝えました。私も、もしかしたら学者になっていたかもしれない身ですし、証券界に長年いて、日本の金融研究を強化する必要を感じてきたので。

◆たまには教壇に

 ――就任の抱負は?

 氏家 大学院の金融専攻コースと、今後つくる金融学科との三位一体で運用し、アジアではここが一番、という金融研究の拠点にしたいですね。マクロ金融政策と国際金融理論とファイナンス理論の3分野で、質的にも量的にも。世界でトップレベルの研究者に集まってもらい、日本の金融・資本市場という題材を使って理論研究も実証もしていく。日本の市場は米英型とだいぶ違うので、その成功や失敗も含めて研究することが、アジアの他の市場の研究や発展にも役立つでしょう。

 ――ご自身の役割は何ですか?

 氏家 たまには教壇にも立ちます。ただ本来の責務は、センターを発展させるための提言や企画、実務とアカデミズムの橋渡し、対外発信、人の招聘(しょうへい)などだと思っています。マクロ金融政策や国際金融をやっている人たち、特に実務と大学を行き来するアメリカの人たちをよく知っているので、お役に立てると思います。

 ――日本のこれまでの金融研究で、物足りない点とは。

 氏家 ノーベル経済学の受賞者は、ほとんどアメリカなんです。米国は理論と実務の垣根が低く、それが研究水準の高さを支えている。たとえば、大手投資銀行の債券チームのヘッドが「ちょっと仕事に疲れた」とコロンビア大に移って教えたり、マサチューセッツ工科大やハーバード大で教えてきた人が投資銀行に入って幹部になったり、という交流が当たり前になっている。日本でも優れた先生はいらっしゃると思うんですが、残念ながら実務との接点が少なく、理論に偏ってしまっている。

 ――そんな違いが、実務現場にどんな差をもたらすのですか。

 氏家 米国では、金融理論を習った学生を採用すると、臆面(おくめん)もなく、習ったとおりにやりたがる。周囲も「習ったとおりにやってごらん。もしかすると、そのやり方が新しい発見につながるかもしれない」と許容する。その背景には産学連携の土壌があるんです。日本では、先輩が「社会の水になじんでから考えろ」なんて言うけれど、もっと若者の挑戦を認めるような環境をつくらなくては。

 ――ところで、東大生時代は、産学協同路線を批判する全共闘の運動に共鳴していたのでは?

 氏家 ハハハ。ノンポリも含め周りの学生はみんな参加していましたね。大学の自治や自由を観念的に尊重し、純粋だけど、単純でした。その後、米国に行き、産学連携は、産業、大学の双方に良い影響をもたらすことを目の当たりにしました。東大のセンターは、産学の癒着と言われないよう、大学が一定のルールをつくって、そのもとで連携します。開かれたものにしたいですね。

 ――さて、野村証券の改革で、いちばん力を注いだ点は。

 氏家 社長就任当時は、「これが一生の仕事なんだろうか」と社員みんなが疑問を感じているような状況でした。だから、証券業の意義を根本から考えることを再生の出発点に据えたつもりです。

◆証券業の意義は

 ――その意義とは?

 氏家 社会の資金配分は、ひと握りの政府関係者や銀行の融資担当者が担うのでなく、みんなが投資先を選ぶことで決めるべきだ。人々が欲する商品をつくっている企業の株や債券を買って、そこにお金を回せば、多くの人々が欲する産業構造に変えられる。そういう機能を果たすのが資本市場であり、そのお手伝いが証券業なんだから、信用が基本の仕事だ、と。さらに失敗を重ねたら信頼は戻ってこない。「これがラストチャンスだぞ」と言い続けました。

 ――ただ、理念主導とみられ、揺り戻しもあったのでは。

 氏家 個人向けのビジネスの基本は、何らかの情報やアドバイスを提供し、お客様に価値を認めていただければ対価が得られるということ。これを「『資産管理型営業』と呼ぼう」と言いました。企業顧客に関しては、「資本市場で抱える問題の解決策を提示しないと、お代はいただけない」と強調しました。思いっきり、理念に賭けた。舵(かじ)を切りすぎたかもしれません。でも、大きな船が、惰性で行き過ぎないようにしようという側面もありました。私たちが進めてきた改革の基本的考えは、いまも社内に色濃く残っています。

◆大損で腹据わる

 ――米国野村の社長時代に雇った米国人が、不動産担保証券の取引で巨額損失を出しましたが。

 氏家 損失が出たのは私が本社の社長になってから。98年のロシア危機が引き金でしたが、手綱を緩めてしまった面があり、リスク対策が不十分でした。取引がうまくいって大きな利益が出ている時には、注意しづらいという事情があったにしてもね。その件では外部から批判もされましたが、社内はかえって腹が据わったのか、結束が強まりました。スキャンダルに続く巨額損失で、「思い切っていくしかない」という空気で不思議なくらいまとまったのです。

 ――野村復活の原動力は。

 氏家 この会社は、粗削りだけど、えらくきまじめ。ガクンときても、そういう気風の人たちが残っているから、もう一度正眼に構えていくぞ、というやり直しがきいたのだと思います。

経済部・小此木(おこのぎ)潔

 ◆ 転機 ◆

亡父に背中押され、「天命」と社長受ける

 97年4月半ばのある朝、鈴木政志(まさし)会長兼社長(現常任顧問)の部屋に呼ばれた。総会屋への利益供与事件による酒巻英雄・前社長の辞任から1カ月たっていた。

 「こういう状況だから、社長を引き受けてくれ」

 96年に米国野村社長から帰国した後は、顧客企業の株式・債券発行の審査などを担当する常務。「早く自宅に帰れるのがいい」と思うような日々だった。

 それに、野村証券の社長と言えば、株・債券の売買や引き受けの手数料を稼ぐ営業畑のやり手がなるというのが、「相場」だった。

 「自分の経歴からしても、野村の社長はありえない。外(国際業務)しか知らないのだから」

 だが逆に、「事件に無関係だったし、グローバル化の中で、野村を飛躍させられるのはこの男しかない」という鈴木氏の信頼から、白羽の矢が立ったのだ。

 どこか不思議な縁もあった。

 入社面接で「あしたから来なさい」と言った相田雪雄氏は、91年の損失補てん発覚後の「危機」収拾で会長を務め、その後を継いだ鈴木氏が最初の面接者だった。

 そんな恩人2人が模索してきた「出直し改革」の主を受け継いでほしい、ということなのか……。

 「大学院を出て紛れ込んだ自分に、気持ちよく仕事させてくれた会社だし、誰かがやらなきゃ……」という感謝の念もあった。

 ただ、鈴木氏には「ちょっと考えさせてください」と答えた。

 「これで本当にいいのか」という思いで、同日午後、東京・青山墓地にある父の墓に足を運んだ。

 父とは、故・永井勝三(かつぞう)元東芝専務。おっかなかったが、心から尊敬していた。手を合わせ、目を閉じると、優しいまなざしの父が語りかけてきた気がした。

 「それでいいじゃないか。しっかりやれよ」

 「野村改革」を背負うことへの迷いが、消えていった。夕方、再び鈴木氏を訪ねて、言った。

 「天命だと思って、やります」

★趣味 「休日に一杯(日本酒、芋焼酎、ワイン、ウオツカなど)やりながら読書し、昼寝」。テニスや釣りも好き。

★名字 母方の姓。父方は永井姓。両親の結婚の際に第1子を氏家姓にする約束があった。日本テレビの氏家斉一郎会長は親類で、「おじさんと呼んでいます」。

★あだ名 経済学博士と知っている人からは「ドク」。

★野村ホールディングス 01年秋、野村証券などの持ち株会社として設立。現社長は古賀信行氏。03年3月期の当期利益は1199億円。03年末時点の傘下企業従業員数は約1万2千人、国内130店舗。海外拠点は28カ国に。 
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 さらに氏家純一は、以下の情報のごとく、「小泉純一郎首相を囲む会」と日本株式会社の主要メンバーでもある。

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http://www.yorozubp.com/0406/040601.htm
ビッグ・リンカー達の宴2ー最新日本政財界地図(1)
2004年06月01日(火)
萬晩報通信員 園田義明
[中略]

■「小泉純一郎首相を囲む会」と日本株式会社

 この「首相を囲む会」のメンバーであるが、これまでに産経新聞としんぶん赤旗が報じている。その内容は下記の通りである。

▽産経新聞2001年6月19日朝刊
「水平垂直 人気首相に不安チラリ 景気、当面は「低空」 改革の中身見えず」より
(2001年6月12日の初会合のメンバーの一部かと思われる)

山口次期日商会頭、今井敬経団連会長(新日本製鉄会長)、奥田碩日経連会長(トヨタ自動車会長)、小林陽太郎経済同友会代表幹事(富士ゼロックス会長)、牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、生田正治商船三井会長、前田又兵衛前田建設工業会長(前日建連会長)、岸暁東京三菱銀行会長、西川善文三井住友銀行頭取、西村正雄みずほホールディングス会長

▽しんぶん赤旗2004年3月9日
「経済・財界気流/軍事に口出す財界 武器輸出三原則の見直しも」より
(「名簿は小泉内閣発足後のもの。肩書は当時」となっている)

秋山喜久関西電力会長、井上秀一東日本電信電話取締役相談役、牛尾治朗ウシオ電機会長、氏家純一野村証券社長、岡部敬一郎コスモ石油社長、片田哲也小松製作所取締役相談役、岸暁東京三菱銀行相談役、香西昭夫住友化学工業会長、河野栄子リクルート社長、櫻井孝頴第一生命保険会長、鈴木敏文イトーヨーカ堂社長、田中順一郎三井不動産会長、西室泰三東芝会長、野村吉三郎全日本空輸会長、福原義春資生堂名誉会長、前田又兵衛前田建設工業会長、宮内義彦オリックス会長、茂木友三郎キッコーマン社長、森下洋一松下電器産業会長、(世話人)今井敬新日本製鉄会長、奥田碩トヨタ自動車会長、小林陽太郎富士ゼロックス会長、山口信夫旭化成会長   

 この二つの記事における最大の欠点は各メンバーの代表的な役職名しか紹介されていないことである。現在日本でも米国同様に役員兼任による「エンドレス・チェーン」が網に目のように広がっている。そして、いずれのメンバーも複数の大企業、経済団体、政府諮問委員会、そして大学、財団やシンクタンクの役員や委員を務める日本のインナー・サークルと位置づけることができる。この二つの記事に掲載されたメンバーと新聞各紙に掲載されている「首相動静」を組み合わせて独自にメンバー・リストを作成した。そこには膨大な数の役職名が示されている。あくまでも新聞報道を元に作成したものであり、実際のメンバーとは異なる可能性もあるが、このメンバー・リストはこのシリーズの最後に一挙掲載したい。そして、この資料から日本における役員兼任ネットワークが形作る最新人脈地図の存在が浮かび上がり、日本株式会社の構造が理解できるはずである
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 皆で、大いに疑って欲しい。いずれ、誰かが、尻尾を出すであろう。

 以上。


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