『亜空間通信』868号(2004/09/21) 阿修羅投稿を再録

「戦争の最初の犠牲者は真実」の教訓を嘘っぱち「敬老の日」に強調し智に働いて角を立てる宣言

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『亜空間通信』868号(2004/09/21)
【「戦争の最初の犠牲者は真実」の教訓を嘘っぱち「敬老の日」に強調し智に働いて角を立てる宣言】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 昨日(2004/09/20)の早朝、新聞で曜日を確かめてから、何ともかんとも訳の分からぬ亡国植民地根性片仮名語で「ゴミ・ステーション」と役所が呼ぶ道路端の緑の網の下に、「燃やすゴミ」入りのビニール袋を置きに行った。

 ところが、何とも奇妙なことには、他には、置いてある袋が3つしかない。寂しい情景である。普段は、何個も積み上がって、溢れ返っているのである。

「はてな、もしや」と、すぐ傍の某零細企業の扉を見ると、やはり、閉まっている。

 ううむ、昨日の夜から、何となく、おかしな感じがしていたが、「もしや」と思って、再び新聞を見ると、確かに20日の「月曜日」(わが寓居の近所では「燃やすゴミ」を出す曜日)ではあるが、左下の囲みには、「きょう夕刊休みます。敬老の日」云々ともある。

 うんにゃ、これが初めての経験ではないという記憶が、脳裏の隅で、かすかに閃いた。

 こういう時には、当てにならない記憶よりも、辞典類よりも、電網情報が一番便利である。よほど閑人が多いものか、この種の情報は、非常に簡単に入手できる。「敬老の日、制定」の2語の電網検索で、以下が、一発で出てきた。

 9月15日が敬老の日なのは2002年までです。2003年からは体育の日・成人の日と同様の移動祝日になり、9月の第3月曜に設定されます。そして9月15日は「老人の日」となり、15~21日は「老人週間」となります。

 元々は1954年に「としよりの日」という名前で制定されたのですが、この名前はちょっとひどいのではないかということになり、1964年に「敬老の日」に改められました。そして1966年に国民の祝日となりました。

 この記念日は本当によく変化しています。

 つまり、敬老の日が移動祝日になったのは、昨年の2003年からなのであるからして、今年はまだ2度目の経験なのである。それまでの1964年から2002年までの38年間、つまりは、私自身が、勤め人かそれに準ずる状況にあり、曜日、週日、土曜日、日曜日、祝祭日、などを連日、意識していた時期には、敬老の日は、9月15日だったのである。

 日経朝刊の社説では、実に陳腐な台詞を並べて、出でよ、「新人類」老人、などと論じているが、いちいち論評するのは時間の無駄である。

 私は、いわゆる「物わかりの良い」老人、年寄りにだけはなるまい、と決意している。日本の漫画にも、「意地悪婆さん」がいた。アメリカの漫画にも、「いじわる爺さん」がいた。

 わが電網宝庫に「憎まれ愚痴」と命名したのは、60歳の還暦を越えた頃であった。つまり、わが「憎まれ愚痴」こと、「憎まれ役を買って出る」覚悟は、その当時からできていたのである。

「亀の甲より年の功」とか、若者、実は未熟で不勉強な「馬鹿者」を叱り飛ばし、ことの理非を教え込むのが、年寄りの最重要な役割なのである。

「智に働いて角を立てる」ことを恐れているのでは、高齢者の存在価値はない。そんな年寄りが、老害とか、粗大ゴミとか言われて、そこらで竦んでいても、それは、私とは関係ない。

 ということで、「老人週間」とかの最終日、本日、2004年9月21日、私は、これから、以下の「陳情」を、武蔵野市議会に提出に赴くのである。

2004年9月21日の「アメリカ合衆国における同時多発テロを糾弾する決議」廃棄と事件の真相の究明に関する武蔵野市挙げての努力を求める件に関する陳情

陳情の主旨

 2001年9月11日にアメリカで発生した事件(以下、「911事件」)に関して、武蔵野市議会は、事件発生の直後、同年9月21日に、「アメリカ合衆国における同時多発テロを糾弾する決議案」を採択し、同時に、同事件の「真相究明を求める決議案」の方を不採択とした。

 その後、この「アメリカ合衆国における同時多発テロを糾弾する決議」に関して、一市民の私、現在は67歳の木村愛二は、自らの長年の経験と研究に基づき、同決議を、戦争挑発者の手に乗った軽挙妄動と判断し、翌年の2002年6月3日、同決議を廃棄し、「事件のに向けて武蔵野市の総力を挙げることを求める件」に関する陳情の文書を提出した。

 「陳情の主旨」は、以下のようであった。

 本件に関しては、武蔵野市議会においても当初から「真相究明」を求める議員の発言があったが、今や火元のアメリカで連日の議会における真相究明の追及と議論が沸騰し、日本国内でも、たとえば[毎日新聞6月2日]「疑惑広がる米テロ『警告封印』関与どこまで」「ブッシュ政権が『爆弾』を抱えたのは確かだ」などの大手メディア報道が広がっている。

 武蔵野市議会および武蔵野市当局のみならず、無辜の武蔵野市民全体までが『爆弾』の側杖の被害を被らぬように、緊急の措置を求めるものである。

 武蔵野市議会の総務委員会は、私の陳情と口頭の意見陳述に関して、全く何らの議論もせずに、この「アメリカ合衆国における同時多発テロを糾弾の廃棄と事件の真相究明に関する陳情」を、反対もなし、賛成も保留も棄権もなしで「不採択」としたが、事件から3年後の現在、アメリカでもさらに疑問が沸騰しており、日本国内でも、3周年記念日の9月11日の当日には、テレビ朝日(系列放送局を含む)が放映した「ビートたけしの!こんなはずでは!!スペシャル、「9・11衝撃の真相-7つの疑惑、ブッシュ謀略説を追う」が、関東地区の視聴率、17.6%(全局中トップ)、関西地区では18.3%の高視聴率を記録し、同じく、疑惑の沸騰と関心の高まりを、如実に示すに至った。

 日本の歴史の痛恨の事実に照らせば、1928年の張作霖爆殺事件の真相が、軍部の猛反対と威圧の下で、まったく究明されず、新聞・放送は、単に「満州某重大事件」としか報道せず、国民に真相の一端すらも知らすことなく、以後、17年の戦争で、膨大な死者、傷病者、被災者を出し、日本の国土は、原爆投下に至るまでの焦土と化した。その後、日本は、1937(昭和12)年7月におこった蘆溝橋事件をきっかけにして、日中戦争(当時、日本政府はこの戦争を“支那事変”と称した)に突入した。

 しかし、この蘆溝橋事件に関しても、両軍対峙の緊迫した状況下に発生した銃撃に関しては、いまだに、その真相に関する定説は確立していない。「戦争の最初の犠牲者は真実」とも言われている。

戦争に関する問題の真相究明、公表を、戦争の当事者、もしくはその協力者に求めて、徒に時を過ごすのは、「木に縁りて魚を求む」の愚の典型である。

911事件は、現在の日本の国論、将来を左右するイラク派兵問題にもつながっているのであるから、個人の有志の努力に応えて、至急、地方公共団体も、総力を挙げて努力することを求めるものである。

2004年9月21日

陳情者
中町2-6-2-202
木村愛二
  武蔵野市議会議長 田中節男 殿

 以上。


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