丸子実業高校いじめ自殺事件事例No.051206

陳 述 書


                                         平成18年 4月28日

陳 述 書


                                   原告訴訟代理人 弁護士 高見澤 昭治

 


 本件訴訟を初めにあたって、訴状の要旨と審理の進め方について、裁判所に対する原告側の希望を申し述べます。

   
1.本件で原告が求めているものは、原告の長男高山裕太がなぜ16歳の若さで自殺しなければならなかったか、その原因と責任を究明し、直接的には責任者に対して応分の損害賠償を求めることにありますが、原告の真の願いは、このような不幸を二度と絶対に繰り返えすようなことがないように、いじめや暴力に苦しむものをなくすに、行政や教育者は何をすべきかを司法の場で明らかにすることによって、裕太の死を決して無駄にしたくない、少しでの有意義なものにしたいという思いがあることは、先ほどの原告の陳述でお分かりいただけたと思います。


2.高山裕太君が小中学校時代をどのように過ごし、いかなる性格で、丸子実業高校にどのような夢と願いをもって入学したかについて、また入学後、バレーボール部の上級生の陰湿ないじめにあって苦しみ、一度は登校できない状態になったが、原告のはげましなどで一学期は無事に終えることができたものの、同じ上級生のいじめと暴力でついに絶望的な思いに追い込まれて家を出、原告の必死の捜索によって発見され自宅にもどったこと、ところが被告のT校長をはじめ教師や教育委員会がいじめ問題について真摯に受け止めず、無責任な態度をとったばかりか、うつ病に陥った裕太君を無理矢理登校させようとしたために、ついに自殺するまで追い込んでしまったことについて、原告がそのあらましを申し述べました。

 被告等は答弁書で原告の請求を棄却するよう求めておりますが、その内容については原告が提出した書証で明らかであり、これを真摯に検討すれば被告も請求原因のほとんどを認めざるをえないと考えております。


3.ことに本件では特に裕太君がうつ病を発症させた以降の、被告T校長を初めとする丸子実業高校の教師と長野県教育委員会の対応が、単に不適切であったというより、まさに犯罪的としか言いようのない、うつ病の患者を自殺に追い込む典型的なやり方であったことを裁判所に理解していただきたく、ここでそのことに関して若干敷衍させていただきます。

 裕太君が8月30日に家を出て東京に向かったときの心理状態は、被告Kによる陰湿ないじめと暴力によって絶望的な気分に追い込まれ、すでに相当程度のうつ状態にあったと思われるが、上野での1週間近い野宿生活で満足な食事も睡眠もとれず、心身共に疲弊したばかりか、孤独感に襲われ、死にたいと考える程にうつ状態を昂進させたものと考えられます。

 ところが、運良く警官に発見され、迎えにきた母親に付き添われ家に帰ったが、それを聞いた原告が、バレーボール部の監督や担任、それに校長先生に懸命になって訴えても、誰一人としていじめや暴力を真摯に受け止めず、いじめをなくす具体的な対策をとる姿勢を明確に示してもらえなかった。
 家に戻った後は、勉学を続ける意思をもっていた裕太君も、その成り行きを見ていて絶望感を募らせ、うつ病を昂進させていったことは明らかであると思われます。


4.ご存じのとおり、これまでの裁判で争われた「いじめ自殺事件」については、いじめの事実が存在したかどうか、だれがどの程度のいじめを加えたかということと、いじめと自殺との因果関係、それに教師や学校当局がいじめの事実を知りまたは知りうべき立場にありながらこれを放置し、適切な対応をしなかったことに責任があるかどうかが争われてきました。


5.ところが本件ではいじめの内容や暴力行為のあったことはすでに関係者が認めているとおりであり、すでに述べたとおり、それが嫌で登校できなくなり、絶望感から家を出て野宿したことが病状を悪化させ、帰った後の学校側の不適切・不誠実な対応によってうつ病を昂進させたことは、その経過からも明らかであると思われます。

 本件が他の「いじめ自殺事件」と較べて極めて特異なのは、専門医がうつ病と診断し、希死念慮が出現していることまで明記した診断書を3度にわたって作成し、その都度、原告がそれを丸子実業高校に提出しているにもかかわらず、校長の被告Tがこれを全く無視し、原告が中止を申し入れたにもかかわらず原告が参加できない状況の中で「保護者懇談会」を開催したり、原告が昼間、仕事で留守にしており自宅で休んでいる裕太君が受け取るしかないことを承知のうえで、わざわざ書留郵便にして、「欠席が今後も続いていきますと、欠席時数が規定を超え2年生への進級が極めて困難になります」という通告書を添えて、「欠課時数超過生徒の指導について」と「丸子実業高等学校の学習成績の評定・単位認定について」という文書を送りつけたり、さらに「その後も欠席が続きまして欠課日数が11月28日をもって1/3の規定を超える科目が出て、2年生への進級が極めて困難になります。裕太君の一日も早く登校できますよう願っています」という通告書を「欠課時数超過生徒の指導について」という書面と一緒に送りつけ、これらを見た裕太君がその都度、うつ病を昂進させ、そのことが原因で睡眠がとれなくなり、食欲もほとんどなくなってしまい、原告にも死にたいということをたびたび言うようなひどい状態に落ち込んでしまったとのことです。


6.そこで原告は、校長の仕打ちは県の教育委員会と相談しながらやっていると考え、これを何とかやめさせてもらいたいという思いで、被告長野県知事田中康夫に対し、「長野県の教育委員会、丸子実業高校の教師は人殺しをするのですか」「11月28日付けで進学が困難だという通知を見て“死にたい”といっています」と訴えるとともに、県教育委員会こども支援課にも「裕太は学校の酷い手紙を見てショックで夕飯も食べない。一人の子どもを大人がよってたかって何をしている」「このような人間が教師や教育委員会にいるから自殺する子どもがなくならない」という文書を送りつけました。


7.ところが、丸子実業高校のT校長も長野県教育委員会子ども支援課もこれを真剣に受け止めず、これを全く無視して裕太に登校を迫るために12月3日の土曜日に、T校長の命を受けて教頭と担任が県教育委員会の職員を伴って原告宅を訪ねてきた。

 原告は怒りを抑えて出迎えたが、これまでのやり取りを巡って話が紛糾したために4時間にもわたって行われ、最後は校長の代わりにきたという教頭が、「裕太君、欠席がね、ほら多くなっちゃっているから、月曜日ね、自力でこれるよね。I県議さんに甘えなくていいよね」「裕太君、ほら、いつもと少し休んでいたのに電車に乗ったりするから、いろんな人たちとも会うし、だから、そういうことはもう当然のことだから、うちだって頑張らないとだめだよ」などと説得して、月曜日からの登校を無理に約束させました。

  

                                         平成18年 4月28日

陳 述 書


                                           原告 高山 かおる


 裁判のはじめにあたって、私がどのような思いでこの裁判を起こしたか、裁判所に何をしてもらいたいかを述べさせていただきます。


1.長男裕太は生まれたときから元気な子どもで、小学校、中学校とほとんど休むこともなく学校に通っていました。勉強も真面目にやっていましたが、スポーツが好きで、中学時代には県のスキー大会に学校の代表に出場したり、バレーボール部に所属して1年生からレギュラーで活躍しておりました。

 性格は、一口でいうと穏やかで優しく、思いやりがあり、私の前で不満や弱音を吐くことはめったにありませんでした。友達からも好かれている様子で、たくさんの親しい友達がいて、家にもよく連れてきておりました。


2.裕太は丸子実業高校に大きな夢と希望をもって入学しました。
 入学前に書いて提出した文章が手許に残っていますので、裁判官には裕太が丸子実業高校にどれほど期待していたか、それを読んでいただきたいと思います。

 事実、将来は建設関係の仕事につきたいということで、建設工学科がある丸子実業高校を志望し、バレーボール部に入って活躍することも夢見て、試験勉強を一生懸命しておりました。それを見て、母親一人で育てた子どもでしたが、だんだんとたくましくなるのを感じ、私も丸子実業に入学して勉強とバレーボールで活躍することを楽しみにしておりました。


3.すでに1年前になりますが、希望どおり丸子実業高校に入学でき、バレー部にも入れてもらって、最初はとても意気込んでいました。

 ところが、裕太は変声期のせいでしわがれ声になってしまい、家や仲の良い友達とは普通にはなせるのですが、緊張したりすると声が思うように出ないようでしたので、父母も一緒のバレー部の歓迎会の際に、私からそのことを監督や部員の前で説明し、理解を求めました。

 それと担任のH先生が紹介してくれた病院に通院していましたが、手術して治るかもしれないと言われ私も何とか治してあげたい気持ちと担任からも勧められ信州大学の専門の先生に診てもらいました。

 しかし、手術はする必要もなく、家で発声練習をしていればいずれ治るということでしたので、診断書を書いてもらって学校に提出しました。

 その後は、毎日、元気に丸子実業高校に通学し、毎日遅くまで、休日にも部活動に参加している様子でしたので、安心しておりました。私も仕事をもっていましたが、学校の話になっても特に気がかりなこともないので、高校生活を楽しんでいると信じておりました。


4.ところが、5月30日に私の勤め先に担任のH先生から連絡が入り、初めて裕太が登校していないということで、驚いて職場を中退して、翌朝まであちこちと心当たりを探しましたが、見つけることができませんでした。

 後で分かったことですが、5月に入ってから上級生のK君にみんなの前でしわがれ声の真似をたびたびされ、その度に屈辱感を味合わされ、それが嫌で部活動や学校に行くのもだんだん嫌になり、ついに5月30日は学校を休み、どうしようかと考えながら一日中あちこちをうろうろしていたようです。

 しかし、その日は夜遅くなり、私が裕太を探して外にでている間に、こっそりと家に戻り、自分の部屋で寝て、翌朝、私が気付かないうちに家を出たということでした。校長は記者会見でその日に「家出をした」というようなことを言っていますが、「学校に行かなかった」だけで、家出というのと違うと思います。

 ところが、5圧31日も学校に行く気になれず、登校していないということでしたので、心配になり会社を休んであちこちを探したところ、佐久市内の本屋で裕太を見つけることができました。家に一緒に帰って理由を聞くと、バレー部の2年生から意地悪くたびたびしわがれ声の真似をされており、それがすごく嫌で学校に行くのが辛く、行けなかったということを初めて知らされました。2年生の誰ということは、その時は聞いても言いませんでした。


5.私は、その時はあまりそのことを重大に考えず、全く無視をするかなるべく気にしないようにと元気付けたところ、裕太は翌日から学校に行くことを約束し、その後は、1学期は一日も休まず、思い直したように通学しました。

 その結果、1学期は登校日が56日間の内、休んだのはすでに述べた3日だけで、体育・保健・美術・製図・測量などを始め全ての科目で上位の成績を修め、美術などはクラスのトップの成績ということで、一緒に喜んだことを覚えています。


6.夏休みに入り、学校は休みになりましたが、裕太はバレーボール部の活動には毎日のように参加していました。ところが、2学期も始まり、8月30日もいつもの通り、登校のために小諸駅に朝6時に送ったのですが、夜遅くなっても帰らないので、心配で8時半頃担任の携帯に電話をすると、「学校には来ていた」という返事でした。

 ところが、その後も帰らないので、思いあまって夜9時頃に同じクラスの生徒さんの家に電話したところ、登校していなかったということを知らされ、私は夜中またあちこち探し回り、家に帰っていないかたびたび電話を入れて確認しました。


7.今度は翌日の31日の朝になっても家にも帰らないので心配になり、佐久警察署に捜索願を提出しましたが、このときは担任はじめ丸子実業高校の関係者はだれも協力してくれないので、私は悲しく思いながら、どうしたらいいか翌9月1日に上田の教育事務所のSさんに相談したことを覚えています。

 そして警察官立会で翌9月2日に新幹線の佐久平駅のビデオを見せてもらい、不鮮明な画像でおびただしい人でしたが、何度も繰り返し観てたくさんの乗客の中に裕太がいることを発見しました。

 31日に東京方面に向かったことが分かりましたので、自分で作った顔写真入りの尋ね人のチラシをもって、私も次の日に上京しました。そして、上野近辺の警察署を訪ねてお願いするとともに、旅館には未成年者は一人では泊まれないというので、上野公園の中を、私一人で夜中じゅう、ベンチや木陰を見て回り、ホームレスの人などに心当たりを聞くなどして、必死に探しました。


8.9月4日に自宅に帰ったところ翌日の5日に上野の警察から裕太が見つかったという連絡を受け、早速、迎えに行き、連れ戻しました。

 大分思い詰め、一気にやつれた様子でしたが、帰宅してからゆっくり話を聞いたところ、K先輩からの声を真似たいじめが続いているばかりか、ちょっとしたことで1年生全員が連帯責任をとらされ、部室に正座させられて、Kに頑丈なプラスチックのハンガーで思い切り頭を殴られたことを初めて打ち明けられました。

 裕太が話すには、それが原因で学校に行きたくないという気持ちがだんだん強くなり、最後は何もかもが嫌でたまらなくなり、相談するとお母さんに心配かけると思いだまって東京に行った。だが、だれとも話もできず、寂しくてたまらなかった。食べ物はコンビニで買って少しは食べたが、泊めてもらうところがないので家を出てからはほとんど寝ることもできなかった。死にたいと何度も思ったが、死ねなかったというようなことを泣きながら話してくれました。


9.私は、裕太が学校でそんな酷い目にあっていたことを初めて聞かされ、そういえば最近はいつもの快活さがなく、ふさぎ込んでいたこと思い起こし、親としてそうした裕太の苦しみに気付いて力になってやれなかったことを悔やみました。

 そしてこれは放っておけないと考えて、すぐにバレーボール部のM監督にそのことを知らせ、事実を確認し、二度と同じようなことが起きないよう具体的な対策をお願いしました。
 それに対してM監督は、「私たちがバレー部のいじめについては調べて対応するので、学校には言わないで欲しい」と言うので、それを期待したのですが、翌日以降全く連絡がありませんでした。

 それで、学校に連絡し、裕太もいじめさえなければ学校に行って勉強を続けたいし、バレーボールもやりたいというので、一日も早く安心して登校できるようにするために、9月7日に上田の教育事務所でT校長と教頭、それに担任に会って、学校が具体的にどうしてくれるのかという話し合いをもつことになりました。

 その時、校長は「事態を深刻に受け止め、今後安心して学校生活を送れるよう、改善すべきことは改善します」という文章を用意してきました。それではいじめの実態が明らかでなく、いじめをなくすために具体的にどうするのか全く分からないので、このような文章を受け取って済まされては困ると言うことを申し上げました。

 そして当日の夕方6時に書き直したもの校長先生からもらう約束をしてもらったのですが、結局、それをもらえなかったばかりか、校長や担任、バレー部の監督に連絡をしようとしたのですが、全員、私からの電話と分かると話ができない状態にされてしまいました。


10.しかたないので、長野県教育委員会のこども支援課に連絡し、翌日、お会いしていじめや暴行の事実を伝え、裕太が安心して登校できるように、学校に対する指導と具体的な改善策、それと二度といじめなどがおこらないような謝罪をお願いしました。

 ところが、その後、県教育委員会、校長はじめ学校当局、バレーボール部の関係者は一体となって不誠実な対応に終始し、いじめや暴力によってどれだけ裕太が傷ついたかを理解しようとせず、真剣に対策を講じようとはしませんでした。

 しかし、この訴訟ではそうしたこまかなことを問題にするつもりはありません。
 裕太が自殺に追い込まれたのは、いじめや暴力で心身ともに傷つき、絶望的な状態に追い込まれたこと、それが原因で、うつ状態となり、専門医からうつ病で、しかも死を考え実行する恐れもあるので、休んで治療をする必要であると診断され、その診断書を3回も学校に提出したのに、私が仕事で昼間は家を空けざるをえず、家で休んでいる裕太が開封して見ることを知りながら、高木校長から欠席が続くと進級できないと脅すような文章を書留郵便で送りつけ、それを見た裕太がその度に症状を悪化させ、さらに自殺直前には校長の命を受けて教頭と担任、それに教育委員会の職員らが自宅に押しかけてきて5時間にもわたってしつこく登校を促されために、ついにいたたまれず自殺してしまったものであり、私はそのことをこの裁判で明らかにしてもらいたいと考えております。


11.私は親思いの優しかった子どもを失った親の辛い悲しい思いで、いまだに立ち上がれないでおります。
 しかし、裕太が自殺したあと、T校長が責任逃れに、全く根も葉もないことをマスコミで発表したために、真実を知ってもらう必要から私もしかたなく取材に応じたり、いろいろの所に訴え、今後二度とこのような不幸な事件を繰り返させないという願いを込めて、この裁判を起こしました。


 裁判所におかれましては、どうか人の命の重さとその家族や友達の悲しみをご理解いただき、いじめや暴力で人間がどんなに傷つくものか、うつ病で苦しんでいる生徒に対して教師や教育委員会が何をすべきか、何をしてはいけないかを一日も早くに明らかにしていただき、二度とこのような不幸な事件が起こらないようにしていただくよう、心からお願い申し上げます。





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