千葉県浦安市立小学校わいせつ事件 ( 事例No.030521 )



 2003年、
千葉県浦安市立小学校の養護学級で、担任の男性教師Kが、知的障がいを持つ女子児童2人A子さん(小6・11)B子さん(小4・9)にわいせつ行為をした疑いがもたれています。
 刑事事件では、「
少なくとも教諭から被害を受けたという女児供述には一貫性があることなどから、疑問を差し挟む余地がないようにも思われる」としながら、知的障がい者の特性が理解されず、無罪となりました。

 2006/5/11 Aさんは、娘のような辛い思いをする子どもたちを出さないようにすること、知的障がい者の置かれた状況を少しでも変えていくための働きかけとして、県と浦安市、男性教師に、総額約1950万円の賠償を求める民事訴訟を起こしました。


2008/9/10 千葉地裁で、結審の際に読み上げられた原告の意見陳述書を許可をいただいて、掲載させていただいています。

                                 
                            意見陳述
                                           平成20年9月10日
                                                  A 父  印


 A子は、幼いころから身体が弱く、しばしば40度を超す高熱に苦しんでいました。そして熱が出ると熱性けいれんを起こすということを繰り返していました。
 ある日、A子がけいれんを起こした時、私は白目をむいて体を震わせる娘を抱きしめました。「なんでこの子はこんな目に遭わなければならないんだろう。替われるものなら替わってあげたい。」と涙がこぼれてしかたがありませんでした。
けいれんが終わって、ぐったりしたA子を私はおんぶしました。A子はおんぶが大好きだったからです。その時、背中でA子が吐きました。その嘔吐物が非常に熱かったのを今でもはっきりと覚えています。


 3歳児検診で障がいがあることを指摘された時は大きなショックを受けました。
「なぜ、私たちの子どもに障がいがあるのか?」と自問自答する日が続きました。
 そして、A子の小学校の入学式の前日には、他の親御さんたちが、我が子の輝かしい、希望に満ちた未来を思って、胸を膨らませるなか、私たち夫婦は、A子を待っているであろう過酷な人生を思い、ともに泣きました。


 そんなA子が次第に健康になり、すくすくと育ち始めました。
 A子は本当に心の優しい子です。
 X県にいたある日、知的障がい者の子どもたちのプログラムで、A子が、泣きじゃくる赤ちゃんのところに行き、頭をなでた時に、その子はピタッと泣きやみ、笑顔を見せたのです。A子の優しい心をこの子は感じたのだと思います。
 A子は私たち夫婦にとって、大切に大切に育ててきた宝ものです。


 私たちにとっては宝物であるA子をKは繰り返し脅し、蹂躙したのです。
 今考えれば、スカートの大好きなA子が急にスカートをはかなくなったこと、お風呂の嫌いなA子が、学校から帰宅するとすぐにシャワーを浴びるようになったこと、手を何十分も洗うことなど、たくさんのサインがあったにも関わらず、私たち夫婦は学校というもの、教師というものを信頼していただけに、「A子は環境の変化に戸惑っているのだろうか」くらいに考え、それらを見逃してしまい、Kの卑劣な行為によって、本当に酷い、みじめな日々を続けさせてしまったことは、一生の後悔です。
 どれだけ怖かっただろう。どれだけ辛かっただろう、どれだけ情けなかっただろう、と思うと、今もいたたまれない気持ちになります。
 早く分かってあげていれば、A子は、長期間苦しむことはなかったし、Kの行為をエスカレートさせることもなかったのだと思います。本当にA子には何と詫びていいか言葉もありません。
 時間が逆戻りしてくれればと何度思ったか分かりません。


 
Kは、刑事裁判の初期の頃は、ことの重大さが分かっていたのか、落ち着きがなく、小さくなっている印象でした。
 検事の尋問に対しても、答えに窮したり、たじろぐ姿が目立ちました。
 
しかし、無罪判決が出て以来、Kの態度は一変しました。「俺は何もやっていない」とでも言いたげに、堂々としはじめました。


 この民事訴訟では、数人のM学級の元父兄が陳述書を書いてくださいました。(中略)

Kが刑事事件で認めざるを得なかったことまで否定し、冤罪を主張しはじめたからです。また、このような悲しい事件が2度と起きてほしくない、という強い願望からだと思います。

 本当に私たちにとって、とてもありがたく、感謝の気持ちでいっぱいでした。


 Kがいくら否定しようと、A子に何をしたかを一番よく知っているのはK自身です。
Kに一片でも良心が残っているとすれば、真実をこの法廷で、彼の口から語ってもらいたかったと今でも思っています。
 A子は今も時々うなされます。それほどKはA子の心に大きな傷を残したのです。
 Kにはそのことを一生忘れてほしくありません。


 
さらに私が問題に感じているのは、学校や教育委員会の対応です。
 彼らは、
ようやく被害を訴え始めたA子の話を十分聞いて受けとめることもなく、きちんとした調査もせず、単に「確認できなかった」で終わらせようとしました。
 学校の管理職は、学校内で事故が起きた場合に書かなければならない
事故報告書も書かず、約束したことも守らず、ただ「確認できなかった」の一点張りでした。
 調査の過程で、あるいはKや補助教員の聴き取りが終わったあと、
私たちの意見が聞かれることはありませんでした。
 調査は、K側の言い分を取り入れて、何事もなかったかのように収束が図られた感が否めませんでした。


 
さらに信じがたいのは、無罪判決の後、「無罪だから、あれはなかったことなんだ。」という教育委員会の態度です。
 「無罪=無実」ではないのです。
 刑事裁判の控訴審の判決の内容からは、誰が見てもKが完全に無実ではないことが分かります。

 
しかし、浦安市教育委員会は、無罪という結論だけを取り上げて、事実がなかったことにしてしまったのです。
 また、浦安市は、特殊学級に転校を勧めたのは教育委員会であるにもかかわらず、この裁判では「勧めていない」と否定し、私の家に学校から電話などかかってきていないのに、校長は「話を聞こうと電話しました」と平然と証言しました。


 裁判では、W、C
元補助教員が証言台に立ちました。私が驚いたのは、2人の補助教員がKと同じように、子どもたちの名前を挙げて、子ども達に責任を転嫁するかのような証言をしたことです。
 本当に情けなく、悲しい気持ちで聴いていました。
 A子だけではなく、M学級の子どもたちが可哀想でなりませんでした。
 彼らには、教員としての良心は存在しないのでしょうか。


 はっきりしたことは、浦安市では、このような事件が起きても、学校や教育委員会は何もしてくれない、子どもたちを守ってくれない、ということです。
 大切なことは、事故が起こったら、原因を徹底的に究明し、今後そういうことが繰り返されない仕組みを作ることです。
それが学びであり、改善です。


 
知的障がい者も人間です。
大事に大事に育てられてきて、家族にとってはかけがえのない存在です。
悲しみも喜びもわかる一人の人間です。
 しかし、知的に障がいがあるというだけで色眼鏡で見られてしまいます。
 翻って日本の知的障がい者の置かれた状況に目を向けると、とても先進国とは思えないほどに人権が蹂躙される事件が相次いでいます。
 水戸アカス事件、滋賀サングループ事件、給料も払われず、障害基礎年金を取り上げられたという北海道の事件など、知的障がい者が酷い虐待を受けた事件は全国で起きています。


 しかし、表にでてきているのは、氷山の一角だと思われます。
 やはり親の気持ちとして、自分の子どもの名前を公にすることはつらいことですし、精神的にも経済的にも大変な戦いを敬遠する方も多いと思います。あるいはそもそも訴えることすらできない人たちもいますし、警察に行ったところで相手にされない場合が圧倒的に多いと聞いています。
 つまり
どれほどひどいことをされようと、どんな屈辱を受けようと、どんなに人権を蹂躙されようと、障がいを持つ者の証言だけでは、今の日本では無罪か、事件にすらならないのです。
 つまり、日本は知的障がいを持つ人たちにとっては地獄そのものです。
 今も日本のあちこちで、恐怖におののきながら、声を上げずに虐待を受け続けている知的障がい者がいる、という悲しい現実があります。


 私は、A子をもう2度と悲しい目に遭わせたくないのです。
 目にいっぱい涙をためて虐待に耐えるのではなく、A子本来の優しい和やかな笑顔で暮らしてほしいのです。
 夜中にうなされるような経験はさせたくないのです。ぐっすりと安心して眠れる生活をして欲しいのです。
 知的障がいがあっても、一人の人間として、尊厳をもって生きていって欲しいのです。
 
A子が死ぬ時に、「ああ楽しい人生だった」と言えるような人生を送って欲しいのです。
 そのために、少しでも知的障がい者の人権が認められるような、知的障がい者をよく理解している人が増えていくような世の中であって欲しいと思います。

 そうでなければ、A子を残して死んでいく私にとっては、死んでも死にきれません。
 その意味でも、この裁判はとても重要な裁判だと考えています。
 裁判所におかれましては、何卒、勇気ある判断をお願いしたいと願うのみです。


 最後に、私は、A子が勇気をもって被害を打ち明けてくれたことを誇りに思います。
 また、裁判は精神的にも経済的にも過酷です。裁判でまったく事実と異なることを言われた悔しさ、無罪判決にくやし涙にくれたこともありました。
正義が通らない苛立ち、教育委員会の人たちの言葉に深く傷ついたこともありました。
知的障がい者に対する無理解に憤ったこともありました。
 そんな私たちを支えてくださったのが、ともに泣き、ともに悔しがってくださり、常に私たち家族に寄り添ってくださった支える会の人たち、関心を持ち、裁判の傍聴き来てくださる方々です。
一緒に歩んでくれる彼らがいなければ途中で挫折していたとおもいます。彼らがいたからこそ、ここまで来ることができました。
 この場をお借りして、支援して下さった方々に対し、心からの感謝を申し上げたいと思います。
 貴重な御時間と機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。心より感謝を申し上げます。

                                                             以 上



2006/7/12 千葉地裁での原告の意見陳述内容を許可をいただいて、掲載させていただきます。



意見陳述



初めてA子から、「おっぱいぎゅうされた」と言われた時を境に、私たち家族の生活は一変し、何をしても、何を見ても、心から癒されることがない苦悩の日々が続いています。

 

は11ヶ月の時に麻疹にかかり、その後遺症で障害が残りましたが、幼少の頃から周囲の方々に恵まれ、近所のお子さんたちと一緒に地元の幼稚園に通い、その後小学校五年生まで通常学級で過ごしてきました。障害があるがゆえに、乗り越えなければならない困難も多々あったものの、担任やクラスメートとの触れ合いや本人の努力で何とか乗り越え、五年生になった頃には、学校へ行くのを楽しみにするまでに心身共に成長することができました。A子は今でも時々、あの頃が一番楽しかったと懐かしそうに話しています。

 

ところが、ちょうどその頃、当時定期的に通っていた療育センターの先生から、新設校に設置される特殊学級への転校を薦められたのです。それまでにも何度か特殊学級への転校について相談したことがありましたが、浦安の特殊学級は重度の障害を持っているお子さんがほとんどで、生活面で自立しているA子のような生徒は、手をかけてもらえず、かえって可哀想だという理由で、その都度反対されていました。しかし、新設校の特殊学級は、軽度の遅れを持つ障害児を集め、個々のレベルに合わせた画期的な指導が受けられるモデルケースとなり、普通学級で劣等感を持つことが多い子が、リーダー的な役割を担うことにより自信やプライドを持てるようになる等の説明を受け、新設校への転校を促されました。話し合いを重ねる度にA子は転校することを拒み、最後まで泣いて抵抗しましたが、最終的には大好きだった五年生の時の担任が一緒に新設校へ転任するのを条件に、無理やり納得させたのです。これほど勧められて転校したからには、素晴らしい環境の中、経験豊富なベテランの先生が配属され、教育委員会の方が言っていた、「モデルケースになるような素晴らしいクラス」になるのだと信じていました。

 

しかし、新学期が始まって間もない頃から、被告である元担任の指導力不足や、子供への対応、言動に対する不信感や不満が表面化し、改善を求めた保護者の要望により、5月半ばには教頭先生も同席の上、保護者会が開かれました。その後も全く改善が見られないどころか、担任や学校に対する不信感や苛立ちは募るばかりで保護者との間でトラブルが続き、7月半ばに再び校長、教頭、市教委も同席の説明会を求める声が上がりました。被告の指導や態度に耐えられず、被告が担当していた高学年の女子のうち、一人は終日通常学級で勉強することになり、一人は不登校になりました。このお二人は、未だに被害の後遺症に苦しみ、病院での治療を受けています。その他にも、被告や学校に対する不満により、二学期から転校されたお子さんもいます。ただ単にこの状況を考えただけでも、極めて異常な事態だと思います。

 

一緒にグループ学習をしていた子供達が教室に姿を見せなくなり、6月に入った頃、今思えばA子の精神状態は、かなり不安定な状態に陥っていました。大好きだったスカートをはかなくなったり、帰宅後すぐに、嫌いだったお風呂に入るようになったり、髪の毛を抜いたりすることに加え、表情が乏しく口数が少なくなったり、なかなか寝付けなかったり、夜中目をさますといったことが続きました。同じクラスの保護者からは、A子が授業中に2階の廊下をうろうろしていた、ささいなことで被告にきつく叱られていた、等の報告を度々受けました。見学にいらした療育センターの職員も、「あれではA子ちゃんが可哀想だ」、との担当の療育の先生に話したこともありました。それでも私は、まさかそれ以上にひどい虐待を受けていたとは夢にも思わず、毎朝登校させていたのです。必死に恐怖心と戦っていた我が子を守ってあげられなかったことは、ただただ情けなく後悔するばかりで、今思い出しても胸が押しつぶされそうになります。

 

被告が担任を外され、二学期に研修に出されてから、子供たちが更なる被害を訴えるようになりましたが、それらはどれを取っても、知的障害があり性的な知識など持ち合わせていない子どもたちがとても想像で言えるようなものではなく、親ですら考えつかないような悲惨な内容でした。時間がたつにつれ、より一層深刻な被害を話し出しましたが、なぜ自分たちがそのような目に遭わなければならなかったのか、きっと今でも理解できず、いまだに話せない被害もあることと思います。

 

そうした被害についてA子から聞く度に、私はショックのあまり睡眠障害が続き、被害の事を考えたり、学校へ行かなければならない時に、動悸や発汗、手足のしびれが出たり、常に不安感にとらわれ日常生活に差し支えるような状態になったため、初めて精神内科を受診することになりました。

 

今回の事件が発覚した当初、私が学校側に求めたのは、なぜこのような事がおきてしまったのか原因を検証し、再発防止の為に万全の策をとっていただき、傷ついた子供の心へのケアをしてもらいたいということでした。ただ純粋にそう思っていました。その思いに反し、学校や教育委員会は、本人が否認している、目撃者がいない、という一方的な理由で、きちんと調査することもなく、この事件がなかったことにしてしまいました。この最初の対応によって、A子はもちろん、体罰の現場を直接目撃した妹がどれほど傷ついたかわかりません。その後、他の児童が被害を訴えた後も対応は変わらず、刑事裁判が始まってからは、「係争中」を理由にまともに話し合いにも応じてもらえなくなりました。特に校長にいたっては、控訴後私が学校内に入ることを禁じ、一切の話し合いを拒否するようになりました。市教委からは、「無罪=無実だ」と言われ、いまだにしかるべき調査もなされていません。無罪判決を盾に、子供たちや保護者の訴えに耳を傾けることもせず、全く問題意識を持てないばかりか、目の前で苦しんでいる子供に対して不誠実な対応を繰り返し、傷口に塩をぬるような言動や行動を繰り返す市長や教育委員会に対し、強い憤りと失望を感じます。子供が被害を訴えた時点で、もっと真摯に向き合い、子供の心に寄り添ってくれる先生が一人でもいてくれたら、問題も、私や子供たちの心の傷もここまで大きくならずにすんだはずです。

 

今回の刑事裁判において一番悲しかったのは、子供達が直接証言しなければならない状況に追い込まれたことです。恐怖と羞恥心により、親にすらなかなか言えなかったことを、初めて会う男の人から根掘り葉掘り聞かれ、答えによっては弁護人に笑われ、子供達はどれ程辛く恥ずかしい思いをしたことでしょう。弁護人が開口一番、「練習してきたの」と聞いた瞬間、私は子供を証言台に立たせてしまったことに対する後悔と申し訳なさでいっぱいになりました。予定時間を超過した反対尋問によりA子は混乱し、質問の意味すら把握できない部分もあり、大人の目からみれば不合理だと思われたり意味が理解できない部分も確かにあったと思います。しかし、だからと言って、事件の核心に触れる部分の信用性まで疑われることについては納得できません。子供達は、被害の状況や場所に関して、最初から一貫して同じことを述べています。

 

殺されるかもしれないという恐怖の中、日常的に体罰やわいせつ行為を受けた子供達は、どんなに辛く苦しかったことでしょう。何重にも脅しをかけられ、誰かに打ち明けることもできず、耐えられず学校を休んだ翌日はさらに罰を受け、子供達にとってはまさに地獄のような日々だったと思います。 A子は未だに重篤なPTSDに苦しみ、日に何度もささいな事でフラッシュバックをおこし、被害当時そのままの不安や恐怖を抱えながら毎日過ごしています。また、夜なかなか眠れなかったり夜中うなされることもずっと続いており、小児科の主治医の先生には、一生治癒する可能性は低く、それどころか、より重くなる可能性があると言われています。私たち夫婦にとってA子は、他の二人の娘たちと同様、かけがえのない存在であり、娘がこれから先の人生を、忌まわしい記憶と共に生きていかなければならないことを思うと不安と憤りでいっぱいになります。

 

A子に障害があると知って以来、この先、犯罪に巻き込まれたり理不尽な扱いを受けたりしないかと、考えても答えが出ない質問を胸の中で繰り返し、一日たりとも娘の将来について案じない日はありませんでした。そして、この事件以来、それまでとは比べ物にならない程更に強い不安と絶望感に苛まれています。娘が事件に巻き込まれ、私達家族は多くの物を失いました。絶望と無念の思いで立ち上がれない程辛かった日々もありました。もうこれ以上私達のような被害者を出したくないという思いで頑張ってきたのに、今のままでは、知的障害者は何をされても泣き寝入りするしかないというメッセージを伝えることになりかねません。知的障害者の人権を守り向上させるために、裁判所におかれましてはぜひとも公正な判断をしていただきたいと心より願っております。








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