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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊
事件の概要

ムミア主任弁護人のラジオインタビュー

ムミア裁判の現状と行方

以下は2005年7月25日にKPFAラジオでオンエアされた番組のテープおこしです。元ブラックパンサーのラジオジャーナリスト、キール・ニアシャが、ムミア・アブ=ジャマールの主任弁護人であるロバートR.ブライアンをインタビューしたものです。
このインタビューは長文であり、また枝葉の話しもあるので、すべて訳出してもかえって煩雑なため、一部を抄訳しました。おもに裁判の現段階と今後どのように進行するのかという点と、ビバリー供述に対する興味深いブライアンの見解および事件の争点に関わる部分を抽出して翻訳しました。
小見出しは、読みやすくするために、後から今井が付加したものです。
なお、このインタビューは2005年12月、連邦控訴裁判所(第3巡回裁判所)が、弁護側の請求の一部を認める決定を下すより前に行われたものであることに留意してください。

この放送の録音データへのリンク(MP3)をここに貼ってあります。(12.9MBあります。環境によってはダウンロードに時間を要するので注意してください)

2006年2月26日 今井恭平


以下

KN: はインタビュアーのキール・ニアシャ
RB: はロバート・ブライアン弁護士

ムミアとは誰か

KN:みなさんこんにちは。キール・ニアシャです。きょうは、ここKPFAのスタジオに、サンフランシスコの弁護士であるロバートR.ブライアン氏をお招きしています。氏は、30年以上にわたって死刑問題を専門に扱われ、連邦および州レベルで審理中の多くの殺人事件で弁護人を務めておられます。また、カリフォルニア、ニューヨーク、アラバマの各州、合衆国最高裁、連邦の各裁判所の弁護士会に所属されており、アメリカ刑事弁護士委員会の委員であり、ワシントンに本部をおく全米死刑廃止連盟の会長を1987年から1990年まで務め、また10年にわたって同連盟の理事を務められました。彼は2003年にムミア・アブ=ジャマールの主任弁護人に就任しましたが、その前から、1985年にはムミアと文通を始めており、1991年には、ペンシルベニアで彼に面会しています。
こんにちは、ロバート。こんなに早く、またあなたをスタジオにお呼びできて嬉しく思います。まずムミア・アブ=ジャマールとはどういう人なのか、彼のことを聞いたことがない人のために説明してくださいますか?

RB:ええ、そうですね。まずは、この番組に出演できて嬉しく思っています。私はあなたのファンなんです。あなたのやってきたすばらしい仕事に対して、多くの人が私と同じように感じていると思います。何十年にもわたって、虐げられた人たちの権利の擁護や人権侵害の暴露を継続して行ってこられた。KPFAに出演できることはつねに光栄なことです。
ムミアの事件は、いまきわめて重大な岐路にさしかかっています。列車が動き出したというところです。そしてきわめて急速に動いています。そして線路の先に待ち受けているのは、死刑執行室であり、彼の処刑なのです。私のやろうとしているのは、その列車の向きを変え、再審を実現し、彼の釈放を実現することです。この事件は、この上なく政治的事件です。為政者たちは、彼を殺害し、口封じをしたいのです。なぜなら彼は、獄中から毎週行っているすばらしい時事放送で、人権侵害の事例や、われわれの社会と地球全体を悩ませている諸問題について論じているからです。彼の事件が継続する限り、多くの人たちがこのことをよく知るようになることは確実です。もしよければ、このことを話したいと思うのですが。

KN:まずは、ムミア自身について伺いたいのですが。彼はどうして冤罪の標的にされたのでしょう?彼は元ブラックパンサー党のメンバーでしたね。そして彼が高校生の時から彼のことを調べあげたCOINTELPRO(FBIによる調査プログラム)のファイルがありますね。

RB:ムミアは、ティーンエイジャーの頃から標的にされてきました。彼がブラックパンサーのメンバーとして活動し、またリーダーの1人だったからです。それで捜査当局は長年にわたって彼にまとわりついてきました。彼らの思い通りにいかなかったのは、ムミアは犯罪などとは無縁だったことです。それで彼らはムミアをめちゃくちゃに蹴ったり殴ったりしました。数人の白人が彼に暴行を加え、その場に居合わせた警官もブーツで蹴りました。そして、ムミアの言うには、この警官が彼をブラックパンサー党に蹴りこんだというわけです。

KN:ええ。ムミアと仲間は、人種差別主義者で大統領選候補者だったジョージ・ウォレスに抗議しようとしたんですね。そして学校の友人といっしょに行って抗議行動をやれると思ったわけですね。そのあげくに人種差別者どもから寄ってたかって半殺しの目に会い、警官に助けを求めたところ、逆に警官にも蹴り上げられた。そこでこの連中が文字通りムミアをブラックパンサー党に蹴りこんだってことですね。
訳注/高校生時代のムミアが人種差別反対のデモを行い、警官や白人優位主義者から暴行を受け、ブラックパンサー党フィラデルフィア支部結成に参加した経緯は、彼の著書『死の影の谷間から』でも語られている。また、訳者(今井)が1999年にグリーン刑務所でムミアに面会した際も、同様のエピソードを本人から聞いた。

RB:そうです。そして彼らはムミアを抑圧された人たちの代弁者、社会の不公正を暴き出す者になる運命へと蹴りこんだ訳です。そのことがひいてはこの事件で彼を標的とさせ、今私たちがこうしているこの瞬間にも死刑囚監房の中に閉じこめているという事態を生み出したのです。1981年12月にフィラデルフィアで警官が殺害されたとき、ムミアは今のあなたのように、フィラデルフィアの地域社会で、非常に著名で卓越したラジオ・ジャーナリストでした。そして彼は昔の寓話の子どものように「ごらんよ。王様は裸だ」と言い続けていたのです。彼はフィラデルフィア警察の汚職やそのほかの違法行為を暴き続けていたのです。それで、彼はすべての為政者たちにとって本当に悩みの種だったのです。だから彼らはこう言っていたのです。「そのうち必ずおまえを捕まえてやるからな」と。そして殺人で起訴し、死刑囚監房に放り込むことでそうしようと考えたのでしょうか。きわめて拙速な裁判でした。正義のために彼の言い分も聞かずに急いだんでしょうか?ところが皮肉なことに、実際に起こったことといえば、彼が死刑囚監房に入れられたが故に、彼の論評は逮捕当時のようにフィラデルフィア地域のみならず、今や毎週全世界で多くの人たちの耳に届いているのです。
だから、こうした彼の思想を封じ込めるには、法の名の下に彼を殺害してしまう、つまり処刑する以外にないと悟るようになったのです。この事件以上に政治的な事件はありません。

KN: おっしゃるとおりですね。彼には4冊の著書があります。Live from Death Row (邦訳『死の影の谷間から』今井恭平/訳 現代人文社)が最初の著書で、 Death Blossoms、All Things Censoredそして最新のものがブラックパンサー党について書かれたWe Want Freedomですね。(訳注/ムミアにはもう一冊、Faith of our Fathersというアメリカの黒人の歴史について書いた著書がある。正確には彼の著書は現時点で5冊)ムミアのもともとの名前はウエズリー・クックですが、彼はブラックパンサー党フィラデルフィア支部の創設者の1人でもあります。そしてブラックパンサー党の機関紙の仕事にたずさわる中で、ものを書くすべを学び、さらにすすんでフィラデルフィアのラジオ局で、プロのジャーナリストとしてのキャリアを積んでいったわけです。
話しをダニエル・フォークナー巡査がローキャスト通りで早朝に殺害された1981年12月に移しましょう。その現場はフィラデルフィアの繁華街で、当時ムミアはタクシーの運転手をしていたのですよね。そこで一体何が起きたのかを、分かっている限り教えていただけますか?

1981年12月9日の事件について

RB: それは夜の明ける前、早朝のことでした。そして、一つ言えることは、ムミアは起こった事についてあまり憶えていないということです。なにしろ、いきなり撃たれて死にかかった訳ですから。まだ暗い早朝のことです。彼が目にしたのは、警官が誰かのクルマを止め、その人物を殴っているところでした。金属製の頑丈な懐中電灯でひどく殴っていたのです。そして、やられているのが彼の弟だと分かったのです。彼は急いで通りをわたり、助けに行こうとしましたが、彼自身が何者かに撃たれて負傷してしまったのです。その時、誰かが現場から逃走しました。その人物が犯人だと思っています。たんに思うということではなく、証拠もそのことを示しています。ムミアは、この出来事がわずか数秒の間に起きたこと以外、何もはっきりとは理解する間もなかったのです。銃撃があり、警官隊が到着した時には、フォークナー巡査は歩道に倒れていました。ムミアも同じように道路に倒れていました。二人とも撃たれていたのです。警官達はムミアをかかえあげ、駐車禁止の標識の金属ポールに頭から何度もぶつけました。胸を撃たれていた彼を蹴りあげ、護送車に放り込んで病院まで運びましたが、病院についてから、また暴行を加えたのです。彼らはムミアが誰だか分かっていました。彼らがずっとつけねらっていた人物だと分かっていたのです。前にも申し上げたように、警察はムミアをつけねらってはいたけれど、逮捕の口実になるような犯罪行為をまったく見つけられませんでした。だから、事件現場にやって来たときに、何の捜査もせずに、はじめから彼を犯人に仕立て上げて逮捕したのです。目的が手段を正当化する、というやつで、これを逮捕の口実にしたわけです。そして、証拠も彼を犯人に仕立て上げるのに都合よくでっち上げられていきました。翌1982年の夏から始まった裁判で、警察が送り込んだ証人の多くが偽証をしたことを裏づけるたくさんの証拠を私たちは発見しています。たとえば、ムミアが警官を撃つのを見たと証言した売春婦がいますが、じつは彼女はそんな目撃などしていないという証拠を私たちは見つけ出しました。

KN:それはシンシア・ホワイトのことですね。

RB:そうです。実際のところは、ホワイトが現場に現れたのは、事件が起きた後のことなのです。彼女自身が、自分は何も見ていないと認めていたのです。ところが警官が彼女のところにやって来て、こう言ったのです。「シンシア、ちょっと手伝ってくれないか。奴がやったって分かっているんだ。奴がやるのを見たと証言してくれないか。悪いようにはしないし、今後、大目に見てやる。商売がうまくいくようにしてやるし、嫌がらせはしないから」警官がこういう話しをもちかけたのは、シンシア1人ではありませんでした。たとえば、病院ですが、ここに警察ファンの警備員がいました。プリシア・ダーハムという女性警備員です。この人物は、裁判でムミアが警官を撃ったとしゃべったと証言しました。

KN: あのくそったれをやった、とか何とか言ったという話しですね?

RB:そうです。しかし実のところはムミアは重傷を負っていて、話しをするどころではなかったのです。ただ、警官達から暴行を働かれて、「やめてくれ」とか「ほっといてくれ」というようなうめき声をあげるのがせいぜいという状態だったのです。後になって彼女は警官が次のように言ったと認めている証拠を発見しました。「おい、俺たちはみんな警察の仲間だ。協力しあわないとな。あんたの力が必要なんだ」実のところ、ムミアが病院にいる間、ずっと彼に付き添って警護の任務に就いていた警官は報告書に、被疑者、被告人は苦しんでいて、うめき声をあげる以外、何も言わなかったと書いているのです。

KN: ムミアが警官を殺したとしゃべったというような話しは、何ヶ月も後になって出てきたんだったと思いますが。

RB:何ヶ月なんてものではありません。弁護側はこの警官を証人として裁判に召還しようとしたのです。この警官がムミアに有利な報告書を書いていたことがわかっていたのです。でも、検察官の対応は「困ったなぁ、奴は休暇中でつかまらないんだよ」というようなものでした。そして、一審の際のムミアの公選弁護人は自分で調査するようなことはまったくしなかったんです。まったく準備不足で裁判に臨んだわけです。

一審裁判の問題点

KN: その弁護人というのは、アンソニー・ジャクソンという人物でしたね。

RB: その通りです。アンソニー・ジャクソンです。彼はその後、弁護士資格を剥奪されています。彼はこの警官を法廷に召喚もせずに手をこまねいていたのです。そして裁判が始まってから「証人を呼びたいのですが」などと言ったのです。どうして何ヶ月も前に召喚手続きをしておかなかったのか、ということです。

KN: つまり、ムミアの一審の弁護は事実上まったく機能していなかったわけですね。

RB: そうです。法的には、合衆国憲法修正第6条にいうところの弁護人の援助を受ける権利が犯されたと言うことです。しかし、あなたがおっしゃったようなより率直な言い方をすれば、弁護人はまったくもって無能だったと言うことです。興味深いのは、ムミアは最初、自分で自分の弁護をすると決めていたのです。そうしていたとしても、事態は実際以上に悪くはならなかったでしょう。なにしろ弁護士は何もしなかったに等しいのですから。ずいぶん昔、ファラッタ事件という裁判で被告人が自分で自分を弁護する権利が認められた事例があります。裁判官は最初ちょっとだけ、ムミアが自分で自分の弁護士役をすることを認めたのですが、すぐにその権利を奪ってしまったのです。さらにもっとショッキングなことがあります。実に私は30年も死刑事件だけを扱っているのですが、その中でも経験したことがないのですが、被告人不在で法廷が進行したということです。これは明らかにわが国では違法です。だが、ムミア裁判ではこんなことが実際に起こったのです。

KN: ムミアを法廷から閉め出したということですね。

RB: その通りです。閉め出しただけではありません。その間、自分の裁判で何が行われているのか、傍聴もモニタリングも許されなかったのです。地球の反対側に放逐されていたようなものです。

KN: 法廷で何が行われているのか、知ることができなかったのですね。

RB: その通りです。まったくその通りなんです。1日とかあるいは数日、法廷から閉め出した後、法廷に連れ戻し、そしたまた法廷から閉め出すというようなやり方をしたのです。ムミアがいったい何をしたというのでしょう?彼が閉め出されたのは、立ち上がってこう要求したからです「裁判長、憲法で許されている自分で自分を弁護する権利を行使したいのです」「きちんとした弁護を受ける権利があります」「きちんとした審理をお願いします」つまり、合衆国憲法の修正5条、6条および14条に書かれている通りの要求をしたにすぎないのです。すると裁判官は怒り狂って「黙った座っていないと、退廷を命じるぞ」と叫ぶのです。そしてムミアが「裁判長、私は憲法で許された権利の行使を求めているだけです」というと「廷吏、被告人を連れ出せ!」と叫ぶというわけです。

KN: 私はセイボ判事を実際に見たことがありますよ。フィラデルフィアまで行って、1995年の(再審請求)裁判の最後の口頭弁論を傍聴しました。身の毛がよだちましたよ。あそこまで偏見にこりかたまった判事がいるなんてね。当時の主任弁護士だったレン・ワイングラスに同情しましたよ。法廷で彼は裁判長からひどい扱いを受けていましたから。信じられないほどでした。

RB: まったくね。あの判事は異常ですよ。偏見の塊です。

KN: まったく、それだけは確かですね。

セイボ判事と検察の人種差別について

RB: 私はかつて南部でいくつもの事件を扱った経験から、いろんなことを学んだのです。被告人はつねに黒人でした。そして陪審員は白人なのです。裁判長に異議を申し立てたために、法廷侮辱だといって投獄されたこともあります。被告人は釈放され、弁護士のほうが裁判官にさからったために3日間投獄されました。しかし、南部での何年にもわたる人種差別とのたたかいを経験した私ですら、この事件におけるアルバート・セイボ判事ほどに偏見に満ち、人種差別的でゆがんだ人は見たことがありません。ワイングラスをはじめとするムミア弁護団に対する(いま話題に上った1995年の再審をめぐる公判時の)この裁判官のやり方といったら、恐るべきものでした。弁護団の1人、レイチェル・ウオルケンシュタインは法廷侮辱罪で投獄されました。

KN: そして1000ドルの罰金を科したんでしたね。そのセイボ判事が法廷の控え室で口にした言葉について、法廷速記者だった人が新たに証言をしたんでしたね。残念ながらもう少しそれが早ければよかったのですが。口にするのもはばかるような言葉ですが。

RB: ホントに言っちゃいけませんよ。

KN: たしかにね。でも言っちゃいますよ。FCC(連邦通信委員会)の放送コードにふれることにはならないでしょう。「検察があのニガーをフライにするのを手伝ってやろう」あくまでもセイボが言ったことですからね「ニガーをフライにする」と。この通りに言ったんですよ。もちろん私の理解を超えていますがね。

RB: この発言は、一審の休廷時間中にセイボが口にしたものです。どこの裁判所にも法廷の裏に廊下があって、裁判官の控え室などとつながっています。セイボはこの廊下を歩いていて、誰かと出会い、この話題の裁判のことを話し始めたのです。まさにフィラデルフィア始まって以来の大きな事件でしたから。そしてムミアの名前が出たときに、Nで始まる差別語を使ったのです。ムミアについて、考えられる限りもっとも侮辱的な言い方をしたのです。私の依頼人に対して、人種差別的発言をしただけでなく、処刑するというに等しいことを口にしたのです。
訳注/セイボのこの差別発言については、1982年当時、法廷速記官をしていたテリー・モーラカーターが2001年に宣誓供述で証言している。
この差別発言の事例は典型的なものです。そのセイボ判事の人種主義については、2つの法廷に申し立てをしているところです。連邦裁判所と州裁判所です。前者は第3巡回控訴裁判所で、その次は合衆国最高裁しか残っていません。そして7月1日に、控訴理由としていくつかを追加することを求めるやや長い請求書を提出しました。この中でセイボ判事の人種差別発言に関して2度言及しています。1982年の原審の時と、1995年の再審請求の時です。

KN: 人種差別ということについては、陪審選定過程においても問題があったのではありませんか?このプロセスでも露骨な偏向が見られたと思うのですが。たしか、検察官のトレイニング用のビデオか何かが・・・。

RB: そうです。その問題は、控訴にあたって弁護側に認められた唯一の上訴理由なのです。私はそれを拡大したいと思っているのです。つまり、弁護過誤、裁判官の人種的偏見などなどです。しかしこれらの中から一つだけ選ばなければならないとしたら、陪審選定過程における人種差別問題です。この争点についてはすでに連邦控訴裁判所において上訴適格理由として認められています。これは1986年のバトソン対ケンタッキー裁判の判例に関連しており、数年前に合衆国最高裁によって、検察が陪審選定過程において人種差別を行った場合、それは憲法違反であり、容認できないという判決が出ています。さらに2005年6月13日に最高裁はミラーエル対テキサス州裁判においてバトソン判決をさらに強く確認する内容の判決を書いています。これはムミア裁判にとってはとても有利な状況です。
さらに、私が控訴裁判所でこの提訴を行っているだけでなく、NAACPのリーガルディフェンスファンドも、この争点(人種差別)についてアミカス・ブリーフを予定しています。

KN: それは素晴らしいですね。グッドニュースです。

RB: 実は、けさ(2005年7月25日)このアミカス・ブリーフを担当する弁護士と話しをしてきたところなんです。彼女とは、私がムミアの弁護を担当し始めた早い時期から連絡をとっています。

KN: その方のお名前は?

RB: クリスチャン・スワンズ(Christina Swarns)です。現在はニューヨークで仕事をしていますが、以前はフィラデルフィアのFederal Defender’s Officeで仕事していました。そこでも死刑問題を扱っていたのです。この問題は大きな問題なんです。検察は陪審員からのアフリカ系の排除を組織的に行っていたのですから。あなたもおっしゃったように、これは一審の時からやられていたことが分かっているのです。検察はトレイニング用のビデオテープを作っていたんです。その中で、白人が殺害され、アフリカ系が被告人となっている場合、可能な限りすべての有色人種、とりわけアフリカ系を陪審から排除せよ、と教えているのです。実際に彼らはムミア裁判でその通りにやったのです。そしてこれは憲法から見て、容認しがたいことです。そして、この事件はきわめて政治性が高い事件ですから、私の相手方である地方検察庁は、フィラデルフィアにおける控訴段階においてすら、およそ反対理由にならないようなことについてまでいちいち反論してくるのです。彼らは正当な主張をしているのではありません。11人以上もの有色人種を排除したのです。いいですか、そのくせ私たちがこれを問題にすると、なんだかんだと言ってはぐらかそうと試み、法廷で行った違法行為の責任を認めようとしないのです。一事が万事です。人種差別です。陪審選定だけの話しではありません。事件のそもそもの最初、1981年12月9日にムミアが逮捕された時点から今日まで、この事件を貫いている数本の糸があります。その大きな一つは人種差別です。

KN: まったくその通りですね。

RB: 逮捕の時に始まり、陪審選定、裁判官、一審の全過程を通じて、一審をとりまく状況、そしてそれ以降の当局者たちの意図、彼を処刑室に追い込もうとするすべての過程においてです。

証拠の捏造と偽証

KN: ところでブライアンさん、もしも裁判が公正であったとして、ムミアを有罪とするような証拠というのは何かあるのですか?

RB: こういうふうに言いましょうか。この事件は政治的です。多くの人がそれぞれの見解を述べています。誇張された意見もあります。彼は事件現場にいました。彼は誰かに撃たれました。警官のそばにいました。それだけで起訴されるに十分な嫌疑があると言えるのではないか、と。でも有罪にできるだけの証拠ですか?ここに焦点があります。彼に不利な証拠の多くが捏造されたものだということが今日では明白になっています。証人は偽証してます。証拠のデッチアゲがなされています。警官も偽証しています。

KN: そうですね。銃弾の検証結果についてはどうですか?

RB: これも、もはや明白な問題です。かんたんなことです。事件現場で警察がやっておきさえすれば良かったことがあったのです。病院に着いたらすぐにでもムミアの手を調べておくべきでした。現場ですぐにリボルバーを調べておけばよかった筈です。これらは警察の捜査のイロハです。しかし、それをやっていなかったのです。これらの事実から思い出すことがあるのですが、私はロサンゼルスで多くの殺人事件に関わったことがあります。ロサンゼルス警察というのは、時々キーストン・コップスみたいなことをやるのです。捜査ミスを犯すのです。ことに人の生命や自由がそれにかかっているような事件でね。ほんとに落とし穴みたいなものがあるんです。大きな落とし穴がね。われわれが欲しているのは完全な逆転です。裁判のやり直しです。そこでは陪審員が一方的な証拠--その多くは汚染された証拠だったわけですが--を見せられるだけではなく、彼がきちんとした弁護を受け、事実のすべてが公開され、公正な裁判が実現できるようにすることです。公正な裁判が行われさえすれば、ムミアの無実が明らかになり、彼は釈放されるはずです。私のめざしているのは、完全な逆転であり、再審の実現であり、無罪判決であり、彼が妻と家族のもとへ帰ることなのです。

アーノルド・ビバリーの宣誓供述について

KN: 分かりました。アーノルド・ビバリーの自供についても伺いたいのですが。これはどのように評価されますか?あなたのご見解をお聞かせください。

RB: 実は、これについての私の個人的見解には大して意味がないと思っています。ビバリーの供述が真実であるかどうかに確証はありません。彼の記憶が正確かどうか、はっきりとすることはできません。誰かほかの人間が現場から逃走したということは、証拠で明らかです。その人物が真犯人です。彼の名はフリーマンです。この人物に関しては、証拠はきわめて確かなものと思われます。しかしながら、ビバリーに関して言えば、ある人物が何年も経ってからとつぜん登場して、「俺が警官を殺ったんだ」と言い出したわけです。彼の証言にはつじつまがあわない箇所があります。多くの殺人事件の裁判に関わり、死刑事件に関わってきた経験から言いますと、どの場合でも、殺人事件で第三の人物があらわれ、自分が殺ったんだとか自分が関わっているとか言い出しても、証人喚問も行われず、確証もないというような場合はつねにむずかしいのです。ビバリーの言っていることは本当なのか嘘なのか、証人喚問もなかった。少なくとも、何年か前、ビバリーが現れた時に証人喚問くらいはやっておくべきでした。そこで、彼の証言を検証しておくべきだったのです。

KN: 検証に耐えうるかどうか?

RB: 検証に耐えるか、信用性があるか、われわれには確証のもちようがありません。なぜなら一度も法廷で検証されていないからです。これは悲劇です。死刑囚監房で苦しい思いをしている何千という人たちにしてみれば、誰かほかの人物が真犯人であるという証拠があるというのであれば、当然それは法廷で調べるべき事です。ところが、その証拠提出が遅きに失していて、法廷で聴取することができないというのです。先ほど、私は2つの別々の法廷でたたかっていると申しました。2003年12月に提出した人身保護請求は最近になって却下されました。この請求は、証拠捏造に関わるものです。警察が証人に偽証させた件であり、ムミアは無実であると主張するものです。法廷は弁護側による幾たびものブリーフィングや論議の末に、口頭弁論を却下しました。われわれが望んだのは、口頭弁論で証拠を調べることだけだったのです。この却下をしたのはフィラデルフィアのコモン・プリー法廷であり、担当判事はパメラ・デンビです。口頭弁論さえ開けば、われわれの側には説得力のある証拠がそろっていたのです。そして彼女は最初2005年の2月11日に口頭弁論を開くと言っていたのです。しかし、後にそれを取り消してしまったのです。そして、あらためて口頭弁論を開く権利があるか否かを論じるためのブリーフィングを要求してきたのです。そこでこの要求に応じて、たっぷりとブリーフィングを行いましたが、判事は却下しました。私はさらに請願書を書きましたが、ごく最近になって、彼女は却下決定を再度確認する決定を出しました。これに対して、一週間ほど前に上訴し、2名の証人の偽証に関する件と無罪主張を行いましたので、この件はペンシルベニア州最高裁によって審理されることになります。しかし、中心となるのは、連邦第3巡回控訴裁判所のほうです。後どれくらい時間が残ってますか?でも、聴いている方達は、ムミアの今おかれている状況や、今後彼がどうなるのかに興味がおありでしょう?

KN: どうぞ、そのことをお話しください。私はエド・レンデル ペンシルベニア州知事が、また死刑執行命令を出さないかと気がかりなのです。

ムミア裁判の今後の行方。考えられるシナリオ

RB: まず、ムミアはまだ死刑囚監房にいれられたままだということをご理解ください。彼はこの20年間以上というもの、そこを離れたことはないのです。

KN: そうです。23年間ですね。

RB: まさにその通りです。連邦地裁は2001年の12月に、死刑判決を取り消し、終身刑にすべきだと決定しました。理由は、一審の判事が陪審員への説示でミスを犯したということです。しかし検察がこの決定に対して即座に異議申し立てを行いましたので、この決定は執行停止状態にあります。それで彼は死刑囚としての処遇のままでいます。したがって、連邦控訴裁判所では2つの問題が審理されているのです。一つは、死刑判決の妥当性、もう一つが陪審選定における人種差別です。先に申し上げたように7月1日に、私が追加の争点を認めるようにというきわめてこみ入った内容の請求を同法廷あてに出しはしましたが。
死刑囚監房に入れられているという状況にくわえて、この後何が彼に起こりえるでしょか?可能性のあるシナリオは2、3あります。第1のシナリオは、連邦地裁での(死刑判決取り消し)決定がくつがえされる可能性です。そうなったらそれでおしまいです。たぶん最高裁まで行くとは思いますが、最高裁が上告を認めることはまずありません。そんなことは年に2、3%しかありません。だから最高裁を当てにすることはできません。

KN: 最高裁はきわめて政治的ですからね。最高裁の判事は誰でしたっけ?彼らが認めるとはちょっと考えにくいですね。

RB: ・・・・・・いま誰が新たに就任しようとしているかも問題ですね。彼は女性の権利に反対してます。

KN: 最高裁判事の顔ぶれを考えると、そもそも上告を受け入れるかさえ疑問です。

RB: そうです。だが、どんなことがあっても、この事件をいい加減にやることはできません。われわれの側には非常に明確な争点があります。そして、すべて却下されたら、ムミアは殺されます。処刑されてしまいます。そうなったらすべておしまいです。列車は動いています。一方で人々の意識はくもってきています。こんなにも長くこの事件をたたかってきたので、ムミアのことは真剣に心配しなくても大丈夫という気分が生まれています。しかし、みなさん、彼は重大な局面に立っています。事態は動き始めました。みなさんすべての力が必要です。彼の生命が崖っぷちに立たされているのです。みんなで考える必要があります。

KN: 政治的状況は悲惨ですね。

RB: そして、この事件については事態の推移はきわめて急速です。すべてで負ければムミアは処刑されます。私は敗北の経験はありません。この事件が敗北の経験になるとも思っていません。しかし、これもまたありうることなのです。
第2のシナリオは、連邦地裁の決定が確定することです。死刑判決が取り消されるということですが、それは彼が死刑から完全に免れるという意味ではありません。彼はふたたび陪審裁判にかけられることになります。ここで審議されるのは、終身刑か死刑かの二者択一だけです。無罪はありえません。証拠の提出は認められず、またたとえどんな証拠を出したとしても、彼が自由を勝ち取ることはありえません。
つまり、死刑囚監房に戻るか、もしくは最大限望みうることといえば、年老いて死ぬまで刑務所に入れられたままだということです。彼は外に出ることはありません。これが第2のシナリオです。
第3のシナリオは、これこそ私たちが実現しようと努力しているものですが、有罪無罪の決定そのものを人種差別問題かあるいは私が裁判所に認めさせようとしている他の争点のどれにもとづいて逆転させることです。この全面的な逆転が可能になれば、裁判は一からやり直しになります。彼はあたかもたった今逮捕されたかのようにです。新たな有罪無罪決定が始まります。チェスの対戦が新たに開始されるわけです。
この再審の行方について、もしも予測をするとすれば、ふたたび死刑判決が下る可能性はあります。しかし、私たちが目指すのは、その逆。完全な無罪判決です。彼は法廷から釈放され、そのまま自由となって家族のもとに帰ることができます。だが、死刑か無罪かという両極端だけでなく、陪審員にはその中間のいくつかの選択肢があります。たとえば第2級殺人か故殺を選択することなどです。しかし、いずれにしても再審を勝ち取ることが先決です。基本は、いまわれわれがここでこうしている瞬間にもムミアは危険な状態にさらされているということです。私は法というフィールドでたたかっています。同時に多くの人々がいっしょにたたかっています。法の分野では高い質の仕事をしていると思います。いま必要なのは、これは政治的事件ですから、法廷だけで決着がつく問題ではありません。人々が引き続きデモを行い、声を上げ、手紙を書き続けることが問われています。活動家の支援が必要なのです。

KN: 分かりました。ムミアはホームページをもっていたと思います。そこを見れば、どうやってたたかえばよいか、より多くの情報を得られると思います。アドレスはたしか www.mumia.orgだったと思いますが、グーグルで調べてもすぐ分かりますよ。

RB: その通り。グーグルでムミアと検索すると、すごくたくさん出てきますよ。非常に多くの人たちが関心をもっているんです。私は2月にドイツのベルリン、3月にはハンブルグに行って講演してきました。4月はフランスに行き、その後イギリスとパリに行って話しをして、戻ってきたばかりなんです。国際的にこうした支援が広がっています。

KN: パリでは高校を卒業する単位をもらうためにムミアの書いたものを読むことが必要なんですね。そして彼はパリの名誉市民です。びっくりしますね。

RB: その通りですね。彼は多くの都市で名誉市民に選ばれています。面白いですね。私とムミアはそのことで笑ったこともありますよ。彼とはまた会いに行きます。毎週、法的なミーティングをやるんです。彼は毎週たいてい金曜日の午後に電話をかけてきます。彼とはまた2週間以内に会うことにしています。面会は毎月するようにしているんです。

KN: 彼に私たちみんなからの愛を伝えてください。

RB: もちろんですとも。でも考えてみると、私も彼もいっしょに年をとったものだと笑いあったりします。あなたが私を紹介してくださるときに、彼が最初に私に手紙を寄越したのは1980年代だとおっしゃいました。そして91年になってようやく会うことができたのです。そして、彼は私に弁護人になってくれと依頼しました。その時はほかにあまりに多くの死刑事件をかかえていたため、残念ながら彼の申し出を受けることができませんでした。まったく手一杯だったのです。そして3年くらい前に、また申し出があり、そろそろもう一度考えてくれないかということだったのです。私は答えて言いました。今回ばかりは断るわけにはいかないね。あまりに危険が増大しているから。2度目はノーと言えませんでした。この事件は人々にとって重要です。あらゆるところにいる人たちにとっても重要です。時々、こういうことを言う人がいます。サンフランシスコやバークレー、オークランドやはてはパリやローマそのほかの場所にいる人にとってどうしてこの事件が重要なんだってね。なぜならムミアはたんに1人の刑事被告人ではなく、死刑そのものに反対するたたかいの象徴になっているのです。
【以下略】


参考:アメリカ合衆国憲法

修正第5条 何人も、大陪審の告発または起訴によるのでなければ、死刑または自由刑を科せられる犯罪の責を負わされることはない。ただし、陸海軍または戦時あるいは公共の危険に際し、現役の民兵の問に起こった事件については、この限りでない。何人も同一の犯罪について、再度生命身体の危険に臨まされることはない。また何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない。また正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない。また正当な賠償なしに、私有財産を公共の用途のために徴収されることはない。

修正第6条 すべての刑事上の訴追において、被告人は、犯罪が行われた州および、あらかじめ法律で定められる地区の公平な陪審によって行われる、迅速な公開裁判を受け、また公訴事実の性質と原因とについて告知を受ける権利を有する。被告人はまた、自己に不利な証人との対審を求め、自己に有利な証人を得るために強制的な手続きを取り、また自己の弁護のために弁護人の援助を受ける権利を有する。(この訳文は、アメリカ合衆国在日大使館のウェブサイトに掲載されている日本語訳です)

修正第14条 〔1868年確定〕
 第一節 合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。またいかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。

(この訳文は、アメリカ合衆国在日大使館のウェブサイトに掲載されている日本語訳です)