Free Mumia Abu-Jamal
ムミアの死刑執行停止を求める市民の会
the crime scene,Locust and the 13th Mumia, the voice of the voiceless
HOME
新しい情報
事件の概要
ムミアとは誰か?
12月9日、何があったのか?
ムミア裁判について
事件現場と関係者図
ムミア関連年表
無実を証明する新証拠
裁判の経緯
これまでの情報ログ
ムミアの論考集
ムミア関係リンク集
今井恭平の文章
ニューヨーク取材日誌

死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊

無実を証明する新証拠

アーノルド・ビバリーの供述書


インタビューに答え、犯行を認める、アーノルド・ビバリー氏
 私、アーノルド・R・ビバリーは、以下に申し述べる事実が、真実であり正確なものであることを言明します。
 1981年12月9日の早朝、ダニエル・フォークナー巡査がローキャスト通りと13番通りの交差点付近で射殺された際、私は現場にいました。
 私は、ムミア・アブ=ジャマールがフォークナー巡査を撃ったのではないことを自分で直接知っています。
 実際には、私ともう一人の人物が金で雇われ、フォークナーを射殺するように言われたのです。フォークナーは、地元の犯罪者や汚職警官たちにとって邪魔者であったと聞いていました。それは、市中心街での、売春、賭博、薬物取引などの非合法な行為を当局から隠すために行われた賄賂や汚職について、彼が捜査していたからだ、ということでした。
 フォークナーは、ジャマールが現場にやってくるより前に、背中を撃たれ、更に顔面を撃たれました。繰り返しますが、ジャマールは射殺事件と何の関係もありません。
 射殺の前に、私はフォークナーの写真を見せられ、彼が12月9日の早朝、13番通りとローキャスト通りの角の所に現れ、ジョニー・ディーの店で何かを調べることになっていると聞かされました。
 私を含めて2名が雇われました。どちらか一人が、射殺して逃走する機会を見つけることが出来るだろうというもくろみでした。
 もう一人の男が38口径の警官用の拳銃を私にくれましたが、私は自分の22口径の拳銃も携行していました。
 私はローキャスト通りと13番通りの交差点の北東にある駐車場の所のスピードライン【地下鉄】入り口で待機しました。私はグリーンの迷彩ジャケットを着ていました。もう一人は、ローキャスト通りの南側、13番通りからみて東側のカマック通り方向で待機しました。
 地下鉄入り口でフォークナーが現れるのを待っている時、付近に複数の警官がいるのが見えました。私服警官2名が、13番通りの西側に立っていました。また、駐車場の角の所の車の中にも制服警官が一人すわっていました。これらの警官たちは、フォークナー射殺事件が起きたときも、そこにいました。私は、自分がフォークナーを殺すためにならず者に雇われており、そこにいる警官たちは私の味方だと信じていましたので、警官の存在をまったく気にしていませんでした。
 しばらくすると、ローキャスト通りの13番通りよりも東側のところにとまったフォルクスワーゲンの後ろに小型のパトカーがとまり、その車からフォークナーが出てくるのが見えました。彼は一人でした。彼はパトカーをおりると、フォルクスワーゲンに近づきました。その時、ローキャスト通りの東側方向から、銃声が聞こえ、フォークナーはワーゲンの横の歩道に膝から崩れ落ちました。もう一発銃声がし、その弾丸は私の左肩をかすめたに違いありません。左肩に何か感じました。肩をつかむと、手に血がつきました。
 私はローキャスト通りを走って渡り、フォークナーを見下ろすように立ち、至近距離から彼の顔を撃ちました。ジャマールは、その直後に現場に駆けつけた一人の制服警官に撃たれました。
 パトカーが、あらゆる方向からやって来ました。徒歩の警官も到着しました。私は、地下鉄の階段を下りようとした時、13番通りとローキャスト通りの交差点の真ん中あたりで白いシャツを着た人物が車を降りようとしているのを見ました。
 私は地下鉄の通路を通って現場を離れ、事前の打ち合わせどおり、私の手助けをした警官と落ち合い、1ブロックほど離れた場所まで行って地下鉄の通路から地上に出ました。車が私を待っていて、私はそれで中心街から逃走しました。

以上は、当局者に対する宣誓を経ない偽証に関するペンシルベニア州15C.S.セクション4904にしたがって供述された。

アーノルド・E・ビバリー

原文を読む