Free Mumia Abu-Jamal
ムミアの死刑執行停止を求める市民の会
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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊

ムミア裁判について


 ムミアの裁判を担当したアルバート・セイボ判事は、アメリカ国内で、ほかのどの裁判官よりも多くの被告に死刑を宣告したことでつとに知られた人物である。検察官もまた、以前に無実の人間を殺人で有罪にもちこんだ経歴の持ち主である。この事件では、12年間の服役ののちにようやく無実が証明されたのである。
 陪審員の選定が終わり、ムミアにとって不利な顔ぶれに決まってしまった後に国選でついた弁護人は、あまり熱心とは言えなかったが、いずれにしても、法廷は被告側に対して、わずか150ドルしか経費を認めなかったのだから、これで十分な弁護活動を行うのはとうてい無理というものだろう。他方、検察側は125人にものぼる証人をたててきたのだから。裁判が始まるまでに、被告側が居場所を確認できた証人はわずか2名にすぎなかった。
 陪審員の選出過程でも、ムミアは自分で質問をして自分を守る以外にすべがなかったのに、セイボ判事は、ムミアの陪審員への質問が長すぎるとか、脅しているなどと言って、彼を法廷からしばしば排除した。このため被告は防御権を行使することもままならなかった。
 陪審員のなかに、職務中に撃たれて身体障害者となった警官の親友や、フィラデルフィア警察の警官の妻が含まれていたり、一人の黒人陪審員がいきなり白人の老人と交代させられたりと、人種と警察が直接関係している事件の陪審員として、公正さに疑問のある人選が行われた。(最終的には、12人の陪審員のうち黒人は2名)弁護人はこうした人選に対しても抵抗しなかった。
ムミアは、逮捕現場で瀕死の暴行をうけた。

 ムミアは重傷であったにも関わらず、裁判はすぐに始められた。ムミアにとっての準備期間はわずか3週間であった。
 出廷した4人の証人に対し、並んでいる何人かの中からムミアを特定させるということは、法廷で拒否され、証人達はあらかじめ被告席にいるムミアを確認するか、彼が退廷させられている間に、写真で確認を求められた。
 ムミアにとってもっとも不利な証言は、彼が警官の背後から走って近づき、1発撃ち、路上に倒れた警官の顔面をさらに撃った、というものだった。この証言をした売春婦のシンシア・ホワイトの証言に関する疑惑は、先に述べたとおりである。(12月9日、何があったのか?を参照して下さい)
 タクシードライバーのチョバートも、最初はムミアとは体格の違った男(225ポンドくらいある男。ちなみにムミアは170ポンドほど)が逃げていくのを見たと言っていたのに、後に検察のストーリーとつじつまが合うように証言を変えている(男が逃走した距離が、証言のたびに短くなり、最終的にはムミアが倒れていた場所あたりで、逃走犯はへたりこんだと述べた)。近所の住人の女性で、やはり犯人が逃げていくのを見た、という証言をした人がいる(弁護側証人として)が、彼女は裁判の途中で証人をおりてしまった。ほかにも複数の証人が、犯人らしき男が逃げていくのを見た、と証言しており、彼らが示した逃走方向は一致していたにもかかわらず、この男については捜査された形跡はない。
 重要なことは、どの証人も、ムミアが拳銃を撃った瞬間を見たとは証言できなかったことだ。また、警察のエキスパートが、フォークナーを殺害した弾丸とムミアの拳銃が一致しないことを証明しているのだ。

政治的判決

   裁定の際に、陪審員の中には、第1級殺人ではなく第3級殺人か正当防衛を適用すべきではないかと躊躇した者もいたが、けっきょく第1級殺人が適用された。
 これには、検察がムミアの思想を問題にしたことが影響している。彼が16歳のとき、ブラックパンサーの党員として新聞のインタビューに答えている内容を法廷で利用し、彼は革命思想の持ち主だから警官を計画的に殺害したのだと印象づけた。彼の死刑判決には、ブラックパンサーというバックグラウンドが関係していることは疑いようがない。この検事は、最近のテレビインタビューでも、ムミアが有罪である論拠として、「彼は毛沢東の言葉を信奉していた」と繰り返し語っている。
 控訴審の弁護人は1年間の無為の後に辞任した。引き継いだ別の弁護士は、1審で陪審員をはずされた黒人の供述書を作成しペンシルバニア州最高裁に提出するなどしたが、成功しなかった。
ムミアに死刑判決を下したアルバート・セイボ判事。
 死刑判決には、必要な最低の人数である4人の判事が署名した。15ページの判決趣意書は、人種的偏見の産物以外のなにものでもない。
 ムミアの上訴を、連邦最高裁が却下した同じ年、ある男の再審が決定された。彼はAryan Brotherhood(白人の人種主義集団)のメンバーであるが、裁判でその政治的バックグラウンドが不当に利用されたという理由で再審請求が受け入れられたのである。
 ムミアに対しては、同様の誓願が何の説明も無しに拒絶された。
 いま、ムミアの再審請求と死刑執行延期を審査しているのは、一審で死刑判決を下したアルバート・セイボ自身である。弁護側は彼を忌避している(recuse)が、セイボはこれを拒否している。一審の裁判官が自分自身の判決の正否を自分自身で裁いているのである。

 6月1日、ムミアの死刑執行許可書にサインしたペンシルバニア州知事トム・リッジ氏は今年の1月に知事に就任したばかりだが、すでにムミア以外にも多くの死刑囚の執行許可書に署名している。さる5月にリッジ知事になってから最初の死刑執行が行われたが、これはペンシルバニア州での32年ぶりの死刑執行である。
 いま、ペンシルバニア州刑務所には、執行を待つ死刑囚が百数十人いるとされている。

 以上は、1995年7月までの状況です。その後、95年9月15日にセイボ判事がムミア側の再審の請求を棄却。さらに州最高裁が98年10月29日に棄却し、連邦段階にすすんでいる。
その後の経緯は、年表を参照してください。