ブラジルの運動紹介


先住民の運動と世界の環境運動をつなげたアマーリア・ソーザさん

 アマーリア(Maria Amaria de Souza)さんは、80年代、ブラジル先住民の運動をコンピュータネットワークを通じて世界の環境運動と結びつける活動に携わりました。その後、世界的なNGOのコンピュータネットワークであるAPC(進歩的コミュニケーション協会)の事務局スタッフを務め、今年からはかねてからの念願であった地元を中心とした環境プロジェクトに専念しています。

 彼女が住むのは、サンパウロからリオデジャネイロに向かいバスで約3時間の、グアラチンゲタという山間の小さな町。アマゾンを超える生物的多様性を誇ると言われるアトランチカ森林地帯に属しながら、牧場などの過度の開発のため、その豊かな自然は残りわずかとなっています。この自然を守り、また貧しいコミュニティを豊かにしていくために、アマーリアさんはインターネットを活用しながら、太陽光利用などの適正技術、環境教育、エコツーリズムなど、トータルな地域プロジェクトをコミュニティと共に進めています。さらに、「日本には優れた竹細工技術があるそうですが、ここで教えてもらえませんか?」。アマーリアさんは、豊富に生えている竹を利用して、村おこしを考えているのです。

Amalia さんと
右がアマーリアさん
 

 

先住民自立プロジェクトのリーダー、 アユトン・クレナキさんは語る

Ailton Krenak
アユトンさん


インタビュー詳細

「現代の人類にとって最大の課題は、自然と交流する能力と物質文明のバランスを取ることです。その点、私たち先住民は森で生活し、自然界のすべての存在は聖なるものがこの世に顕現した姿である、と考えてきました。このような伝統的な世界観を受け継ぐ必要性は、今後ますます高まっていくでしょう。

 伝統とは過去の記憶であり、私たちの内なる自然でもあります。祖先の智慧は、私たちが進むべき道を明るく照らし出してくれます。祖先たちが木の幹であるとすれば、現在の私たちはその枝に咲く花なのです。そこで、お祭りや夢によって、私たちと祖先のスピリットは交流することができます。私が政治活動を始めたときも、伝統文化を伝承する活動を始めたときも、祖先が夢に現れ、導いてくれました。

 本来の人生とは、ハート(こころ)とマインド(あたま)の矛盾を解消し、否定的な感情や言葉から自由になるプロセスではないでしょうか。あらゆる局面に喜びを見いだし、今この瞬間にスピリットを輝かせて生きていれば、必ずすばらしい明日が拓けるのです。そして、そんな生き方を選ぶ人々が地球にはたくさんいて、ちょうど毛細血管のように、命あふれるこの世界を支えているのです」

(1999年1月4日サンパウロにて)
アユトン・クレナキ:1953年、クレナキ民族としてミナス・ジェライス州に生まれる。76年にUNI(先住民族連合)を結成し、88年ブラジル憲法に先住民の権利を保障した先進的な条項を入れることに貢献。世界の先住民たちと交流しながら、次の世代に先住民独自の文化を伝えるため、テクノロジーと伝統文化の共存を目指して活動中。

 

ブラジル社会を揺り動かした  ベチンニョさん

 ブラジルの現在の社会運動を考えるとき、忘れてはならない人が、ベチンニョ(Herbeto de Souza)さんです。若くしてカトリック青年運動の指導者となり、ゴラール左翼政権の教育顧問などを務めましたが、六四年の軍事クーデタの後、地下活動を余儀なくされ、亡命。軍事政権が続く暗いブラジルでは、ベチンニョさんの帰国を待ちわびる歌がエリス・リジーナによって大ヒットとするなど、ブラジルの民主化運動のシンボル的な存在となりました。

 七九年に帰国後は、亡命中に計画を練ったNGO構想をもとにIBASE(ブラジル社会経済分析研究所)を創設します。さらに九〇年には、世界的なNGOの電子ネットワークであるAPC(進歩的コミュニケーション協会)の設立に貢献しています。

「社会を民主化するためにはまず情報を民主化しなければならない」という思想から、ベチンニョさんはブラジル政府が独占していた情報に挑み、調査・分析を加え、コンピュータネットワーク、ラジオ局、出版物を通して、民衆に伝えました。

 また九三年には、ブラジルで三千万人以上が飢餓に苦しんでいることを社会全体の問題として捉え、「飢餓に対決し、生命を守る市民権行動 ─Acao da Cidadania contra Fome e pela Vida ─」という運動を呼びかけました。これは、ブラジル社会すべてのセクターを視野に入れた空前の規模の運動で、市民運動団体のみならず政府や企業までが参加し、数百万人を巻き込む大きな動きを作り出しました。ベチンニョさんはこの活動ゆえに、ノーベル平和賞候補ともなりました。  こうした果敢な行動からは信じられないことですが、ベチンニョさんは幼少時から常に病気に悩まされてきました。子ども時代は結核で隔離されて育ち、その後も血友病に苦しみました。さらに、血友病の治療からエイズに感染し、毎日大量の薬を飲まなければ生きていけない状態にあって、ブラジルの社会問題に取り組んできたのです。エイズ患者への差別と闘うため、ブラジル最初のNGOを創設したのもベチンニョさんです。

 残念ながら九七年八月九日、六〇歳の生涯を閉じましたが、彼の思想は今でもブラジルの民衆運動の中に生きています。

Betinho
ベチンニョさん

最終更新: 1999/07/31


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