アユトン・クレナキさん、インタビュー


 ブラジルは、ペルーなどの中南米諸国に比べて、先住民が全人口に占める割合がとても少なく、約1億6千万人のうち、約20万人209部族しかいません。16世紀にポルトガル人が到着するまでは、約500万〜1000万人1000部族が住んでいた事実からすれば、極端な減少であるのがわかるでしょう。

 その背景には、先住民に対して、ありとあらゆる虐殺が行われたことがあります。異なる部族どうしが戦うよう仕向けられたり、意図的に伝染病を持ち込まれたという経緯もありました。

 また、虐殺を生き延びた先住民も、先祖から受け継いできた土地を逐われ、苦難の生活を強いられることになりました。彼らが生活していた熱帯雨林・草原・セラード(サバンナ)地帯が、白人の入植によって、牧場や輸出用穀物のための農場に変えられたのです。豊かな生態系が破壊され、土地と伝統を奪われた先住民は、生活と心の糧を失っていきました。

 ここでは、ブラジル先住民のリーダー、アユトン・クレナキさんをご紹介しましょう。アユトンさんの半生は、先住民としての苦難と目覚めの歴史でもあります。

 アユトンさんは、1953年ブラジルのミナス・ジェライス州生まれです。幼い頃は、白人による開発を避け、家族と共に奥地に移動を重ねました。しかし結局逃れられず、十七歳のときサンパウロに移り住みます。その後、建築現場の作業員や路上の物売りとして働きます。それは、文化的な伝統から切り離され、誇りを感じられない、つらい日々だったそうです。

 76年、アユトンさんは先祖の夢を見たことをきっかけに、仲間たちとUNI(先住民族連合)を結成します。以来十年にわたってブラジル全土を旅し、先住民のさまざまな部族の村々を訪ね歩いて、連帯を呼びかけたのです。

 85年、先住民の伝統文化を守り、かつ広く社会に知らしめることを目的として、NIC(先住民文化研究所)というNGOが設立されました。NICはサンパウロに本部があり、アユトンさんが所長を務めています。

 NICは、先住民自身によるラジオ放送を始めて、社会的な注目を浴びました。先住民自身が放送技術を学び、ブラジル全土の村々でニュース・物語・音楽・リポートを録音して放送したのです。これは先住民の人々の心を結び、自尊心を回復させる大きな原動力となっただけでなく、全世界の先住民運動の模範になりました。NICは、ラジオ放送の他、先住民の手工芸品を展示するイベントや、先住民の音楽CDを発売するなど、活発な活動を繰り広げています。

 87年、アユトンさんは先住民として初めて国会の壇上に立ちます。そして、一言も喋らないまま、顔に墨を塗り始めました。そして、驚く議員たちの前で、おもむろに発言したのです。──「これは、虐殺された祖先たちへの哀悼のしるしです。私たちは今も、暴力や差別に直面しています。どうか、もう見て見ぬ振りはやめてください」。

 アユトンさんの演説は、議員や聴衆に深い感銘を与えました。そして翌88年、UNIの活動は実を結び、ブラジル憲法に先住民の権利を保障した先進的な条項を入れることに成功したのです。

 その後、89年、NICと深いつながりがあるNGO、CPI(先住民研究センター)が設立されました。CPIは、先住民文化の研究という切り口から、維持可能な発展を提唱する活動をしています。

 アユトンさんの現在の活動のテーマは、次の世代に先住民独自の文化を伝えるため、テクノロジーと伝統文化の共存をはかることです。例えば、生態系を破壊しない狩猟や漁業の適正規模を調査するプロジェクトや、アマゾンで採取される天然ゴムを製品化して、セリンゲーロ(ゴム採取人)や先住民の経済的自立を支援するプロジェクトなどが、現在進行中です。

 さらに、アユトンさんの活動はブラジルに留まらず、世界の先住民の人たちとも活発に交流しています。最初の来日は、1989年北海道で世界先住民族会議が開催されたときで、アイヌの人たちと交流しています。また98年にも、フォトジャーナリスト・長倉洋海さんが、アユトンさんとのアマゾンの旅を綴った著書『鳥のように、川のように』を出版したのを機に来日し、出版記念講演会を開いています。

●アユトンさんたちは、先住民の伝統音楽を録音したCDを頒布予定です。ARCOはその活動を支援するため、CDを共同購入する方を募集中です。ご関心のある方はぜひご連絡ください。

 以下は、99年1月4日に、サンパウロのNIC事務所にて行われたインタビューです。

──80年代、先住民の権利を守る活動で政治の表舞台に立ったアユトンさんが、先住民の文化を伝承する活動に力を注ぐようになったのには、どんなきっかけがあったのでしょうか。

 88年、ブラジル憲法で先住民の土地所有権が法的に認められたのは、画期的な出来事です。けれど、その土地を本当に守っていくためには、私たち自身がそれだけの心の準備を整えなくてはなりません。私は政治的活動だけを続けることに限界を感じて、新しい方向を模索していました。

 そんなあるとき、私は知人の先住民の長老が見た夢の話を聞いたのです。それは、森が切り倒され、動物が滅び、人々は病んでいるという悲惨な夢でした。そして、呆然としている長老の前に先祖が現れ、こう告げたというのです。──「自然を甦らせなくてはならない。森が健康になれば、あなたたちも幸せになれるのだから」。

 私はその夢について聞いたとき、ハッと気がつきました。権利を獲得するために政治家と掛け合うことによって、ある成果を上げることはできました。けれど、先祖の智慧を受け継ぎ、自然を聖なるものと見なす伝統的な生活文化を守っていくことは、決してないがしろにしてはならない大切な仕事なのです。

 その後、私は先住民の村々を回り、現代に息づく先祖伝来の智慧を研究して、人々に広く伝える活動を始めています。

──夢に現れた先祖のメッセージが人生の転機をもたらしたというのは、興味深いですね。

 夢が私の人生を導いてくれたのは、そのときだけではありません。そもそも、都会で苦しい生活を送りながら政治活動に第一歩を踏みだしたときも、私は印象的な夢を見ています。

 それは、私の先祖であるクレナキ族の戦士が伝統的なダンスを踊っている夢でした。夢の中で、彼らは私を光のボートに乗せ、未来の世界に案内してくれたのです。

 先祖は私に「あなたにはこのボートがあるんだよ。これであなたはどこから来てどこに行くかわかるはずだ」と語りかけました。

 そして、その夢のおかげで、私の心に第一歩を踏みだす勇気が生まれたのです。私は各地に散らばった村人を呼び集めたり、部族を超えて先住民が連帯するための活動を始めました。

 夢は、先祖が私たちに贈ってくれるプレゼントです。そこで、私たちクレナキ族だけでなく、オーストラリアのアボリジニなど、多くの先住民たちが夢の時間を大切に考えているのです。眠っているあいだは理性が働かないのでメッセージを受けとりやすいのですが、もちろん目覚めているときでも、先祖の存在を感じることはできます。

──夢の他にも、先祖と交流する方法はありますか。

 心が完全に開かれてさえいれば、自然のすべてのものが、過去の記憶を運んでくれる乗り物であることがわかるはずです。例えば、風に揺らぐ葉を見つめるだけでも、過去の記憶が呼び覚まされます。そんなとき、静かに耳を澄ませば、あなたの先祖や愛する人が語りかける声が聞こえてくるでしょう。

 さらに、先祖とコミュニケーションするために欠かせないのがお祭りです。お祭りでは、村人たちが一堂に集まって、踊ったり歌ったりしながら先祖を呼びます。そして、私たちを見守り、一緒にいてくれるよう、お願いします。

 歌や踊りなどのセレモニーは、私たちのハート(こころ)とマインド(あたま)を、霊的な存在に対して開く働きがあります。ですから、お祭りのあいだは私たち一人ひとりが先祖と親密なコンタクトをもつことができます。そこで、私たちは先祖の優しさや愛を身近に感じ、すばらしい時間を過ごします。

 イマリクマンの祭りは、お祭りが精霊と私たちの交流の機会であることを示す、典型的な例といえるかもしれません。それは、赤ん坊を除くすべての男性が村から追い出され、女性たちが村を統治するというお祭りです。

 女性たちは男性たちから武器をすべて取りあげ、ふだん男性が身につけている髪飾りをつけて、体に色を塗ります。そして、スピリットと交流しながら、力強く踊るのです。村を追い出される男性には、その踊りがどんなものか、知ることはできません。

 イマリクマンの祭りの特徴は、それがいつ始まるのか、私たち自身にもわからないということです。この祭りは、地球の女性エネルギーが高まって地にあふれたとき、自然に始まります。次の祭りは五年後かもしれませんし、十年後かもしれません。つまり、何年に一度というように決められた慣習ではなく、純粋にスピリチュアルな現象なのです。

 日とか月とか年とかいう概念は、白人の発想であり、私たちには意味がありません。私たちにとって暦とは、私たち自身が五感を通じて感じとるサイクルそのもので、外から強制されるものではないのです。

──お話を伺うと、見えない世界とこの世、生者と死者の間に、大きな境がないような気がします。

 そうですね。自然環境と私たちが切り離せない関係にあるように、先祖という過去があってこそ、現在の私たちが存在します。私たちは先祖たちという大きな木の枝に咲く小さな花であり、実でもあるのですから。

 先祖の智慧は、私たちの記憶を明るく照らし出してくれます。過去の記憶とは、人間の体に息づく内なる自然と考えていいでしょう。心穏やかに生きるためには、伝統をないがしろにできません。伝統や先祖の教えこそが、私たちを未来に導いてくれるのです。つまり、生も死も大きな川の流れの一部なのです。

 そのことがわかると、私たちは死を徒に怖れなくなります。ちょうど私たちの祭りに先祖がやってくるように、自分が死んでも子孫の祭りに参加できるのですから。

 私たちは朝目覚めたとき、「すばらしい、私はこの世界にいる」と感じますよね。死ぬということもそれと同じで、こことは違う別の場所で目覚めることにすぎません。「あれ、昨日いた場所とは違うようだ。でも、ここもステキだな」と受けとめるほうが、自然ではないでしょうか。子どもが産まれたら「すばらしい!」と思うように、死ぬことも、またすばらしいのです。

 確かに、友だちが死んだら、肉体を持つ者どうしとして楽しめなくなるので、寂しいと感じるかもしれません。けれど、死が友情の絆を断つことは決してないのです。

 このように考えていると、明日を心配する必要がなくなります。今この瞬間をせいいっぱい生きること、それだけが大切になってくるからです。そして、心のバランスを保ち、いつも喜びをもって生きていれば必ず、すばらしい明日がやってくるのです。

──先住民に対するあらゆる迫害や不正に直面してきたアユトンさんがそうおっしゃる言葉には、たいへんな重みがあります。では、人権侵害や猛スピードで進む環境破壊など、悲惨な状況が世界各地にたくさんあるのは、なぜだとお考えですか。

 それは、私たちを作った創造主が、私たちに自由意志を与えたからだと思います。私たちには、善を行う自由も、悪を行う自由もあります。心が閉ざされている人は、神の光が見えません。すると、他の人たちの苦しみに鈍感になり、不幸を生みだしてしまうのです。

 不幸を作ったのは、創造主ではありません。この世の不幸な現象は、人間自身がその自由意志で作りだしてしまったものなのです。

 クレナキ族の人々は、人間とは創造主によって考えだされたものだ、と信じています。神話によれば、人間の夢を見た創造主のハートから、この世界が生まれたのです。つまり、人間とは創造主の心の表現そのものなのです。そこで、創造主は人間をとても愛しており、人間がいつも幸せで美しくあってほしいと願っています。私たちはお祭りのとき、体をカラフルな塗料で彩りますが、それは私たち自身が美しく装うことで、創造主に喜んでもらいたいからです。

 創造主は唯一絶対の存在ではなく、海、山、川、森、雲、太陽、星など、自然界のあらゆるもののうちに存在し、その光を届けています。そして、この地球に限らず、全宇宙の美しさの中に存在しているのです。創造主は、私たちにこの世のすべてのものを提供してくれています。ですから、望みさえすれば、私たちは今よりもずっと幸せに生きることができるはずなのです。

 このような世界観は、クレナキ族だけでなく、地球上すべての先住民に共通する特徴です。残念ながら、西洋文明の影響を受けて、伝統の智慧を失いつつある部族もありますが。

──かつては日本でも、山や樹木には精霊が宿ると信じられ、崇められてきました。けれど近代化に伴い、聖なるものに対する感覚はずいぶん鈍ってしまったようです。先住民の人たちは、自然をどのように捉えていますか。

 私たちは、森の民です。厳しい自然環境で生き抜くためには、先祖伝来の智慧を学び、お互いを尊重するだけでなく、自然に対する畏敬の心が必要です。そして、そのことが先住民の世界観の基本になっているのです。

 クレナキ族は、自然界のすべての場所に、精霊が宿ると信じています。精霊はとても精妙な存在で、山、木、月、太陽、星、花、水、小鳥の鳴き声など、ありとあらゆるところに、息づいているのです。言葉をかえれば、自然界に存在するすべてが、この世における聖なるものの表現だといっていいでしょう。

 私たちと自然は、相互に密接に関わりあっています。私たち自身も、この世における聖なるものの表現だからです。そしてこのことが本当に理解できたとき、私たちは心穏やかに生きられるようになります。

 ですから、心さえ開けば、私たちは五感を通し、いつでも自然の精霊と交流することができるのです。クレナキ族の子どもは、成長する過程で自然の声を聞くことを学びますが、これらの教えは、今後ますます大切になってくるでしょう。なぜなら、現代の人類にとって最大の課題とは、物質的な世界にいながら、いかに自然とのコミュニケーション能力を失わずに生きるか、ということだからです。

 私自身の活動の課題も、まさにその点にあります。私は今、アマゾンの自然資源を守りつつ経済発展を遂げるための研究や、狩猟や漁業の適正規模を調査するプロジェクトに関わっています。また、アマゾンの森で取れる天然ゴムを製品化し、セリンゲーロ(ゴム採取人)や先住民の経済的自立を支援すると共に、森林伐採に反対する活動もしています。

──先祖という内なる智慧とつながること、そして自然から創造主のささやきを聴きとることには、同じ根っこがあるのでしょうね。

 そうですね。私たちは伝統的に、そんな生き方を「戦士の道」と呼んでいます。戦士の道とは、自分自身という存在が創造主の芸術作品であるということを片時も忘れない、スピリチュアルな生き方です。戦士の道を選ぶ人は、ハートとマインドをフィルターとして、否定的な考えや言葉をすべて消し去るように努めるので、そのスピリットは次第に輝きを増していきます。

 晴れた空を「美しいなあ」と感じるように、雨や雪が降っても、曇っていても、それぞれの美しさを見いだして、いつも穏やかな心を保つこと──それが戦士の道です。ですから、その生き方は、時にとても困難な道です。いつ到達するというものではなく、人生のあらゆる局面を通じて進まなければならないので、多くの人が怖じ気づき、あえて選ぼうとはしません。その場合、私たちは微笑んでいたかと思うとすぐにムッとしたり、泣いたり、まるで振り子のように感情や感覚に振り回されます。

 けれど本来、それらの感情や感覚はすべて移ろいゆく肉体の表現であり、スピリットとは無関係です。戦士の道を生きる人は、そのことがよくわかっているので、一つの感情や状態に執着しないのです。

 このような生き方は、自然との共生が大切な現代、ますます重要性を増していると思います。地球は本来、私たちがお互いを知り、進化するために与えられたかけがえのない場所です。他の兄弟や生き物たちをないがしろにし、その環境を破壊してしまえば、私たちはこの教室を失ってしまいます。そして、せっかく授かった進化のチャンスを、みすみす逃してしまいます。

 戦士の道を歩んでいる人たちは、民族を問わず世界中にいて、ちょうど毛細血管のように、命あふれる地球を支えているのです。もっとも、それらの人たちは、残念ながら現在ではまだ少数派です。けれど、戦士の道こそが人間本来の生き方です。ですから、近い将来にはそれがごくふつうの生き方として、より多くの人たちに受け入れられるようになっていることを、私は強く願っているのです。

最終更新: 1999/07/31


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