沖縄県収用委員会 第11回審理記録

 新崎盛暉(土地所有者)


 新崎盛暉(土地所有者):

 私のほうからは、これまで多くの人たちが起業者側の強制使用手続きがいかに不当、無法、ずさん、恣意的であったかということについて述べていますけれども、特に一坪反戦地主の立場から、そのことについてみんながあまりきょうの中では触れられていないところを中心に、話をしておきたいと思います。

 言うまでもないことですけれども、およそ法治国家と称するのであれば、その法の執行はすべての国民に対してイデオロギーその他、立場の相違にかかわらず、平等になされなければならないのは当然であります。まして、憲法が規定する財産権の補償の例外的措置として行われる土地の強制使用、これにおいてはなおさらそのことが強調されなければならないでしょう。しかし、この間の公開審理で明らかになったように、起業者那覇防衛施設局は、とりわけ一坪反戦地主に対して、独断と偏見に基づいて、恣意的で、高圧的な法の執行を行ってきました。

 具体的例を挙げるとするならば、まずその第一は、任意契約を求めることを全く行わないで強制手続きに入っているということです。強制使用は任意契約が不可能な場合の補完的な手続きであるはずです。したがって、その前提には、任意の合意を求める努力というのがあってしかるべきです。これはその土地の所有者がいかなる立場に立とうとも、いかなるイデオロギーを持とうとも当然なされるべき措置です。しかし防衛施設局はそれをやってこなかった。そしてその理由を起業者側は一坪反戦地主会の活動目的等からして、協力を得られる見込みがないからだと言っています。協力を得られる見込がないからやらなかった、このように言っているわけであります。

 ではもう一度、第1回の公開審理でも述べておりますけれども、一坪反戦地主の運動というのは一体何なのかと。一坪反戦地主の運動というのは、反戦地主を不当な国の攻撃から防衛するために、反戦地主の期待に応えて、反戦地主の未契約軍用地の一部を譲り受けて共有化し、反戦地主とともに、反戦地主と全く同じ目的を追求するものであります。したがって、その意味では、反戦地主と一坪反戦地主は一体である。このように私は第1回の公開審理でも強調しておきました。それを起業者側は、分断し、統治するという支配者の論理にのっとって、反戦地主と一坪反戦地主の一体性を切り裂き、社会的にも一坪反戦地主会が、反戦地主とも違う特殊なイデオロギー集団であるかのような印象を与えるために、強制使用手続きの前提としての任意交渉すら行わないというような差別的、恣意的法の運用を行っているわけです。

 しかし、実は、一坪反戦地主を差別的に扱っているように見えながら、見えないところでは、反戦地主、あるいは元反戦地主に対しても同じような差別的処遇を行っています。そのことが実は前回の公開審理でわれわれが明らかにしてように、強制使用の対象としてはならならい3人の元反戦地主の土地を強制使用の対象としたというようなところにも表れているわけです。そしてまた、今回同じような形で石原正一さんのような問題が起こったのも、やるべきことをやらなかった起業者側の手続きの恣意的な扱いによるものです。

 このようにして、事前の任意交渉をさぼっておきながら、政治状況が変わると、あわてて採決申請後に契約説得などを行っています。つまりこの強制使用手続きが始まった95年の春の段階では、極めて高圧的に対処をしていた。ところが95年の秋、沖縄の状況はがらっと変わった。そして96年、収用委員会が緊急収用申請を却下するというような状況まで

起こった。そうしたら、あろうことか、起業者側は裁決申請をした後で、契約説得に乗り出した。つまり、96年の7月から8月にかけて、やる必要のないと彼らが言っている、やっても見込みのないと言っていることをやり始めたわけです。なぜこんなことをやるのかということに対して、きのうやっと防衛施設局が回答をしてきている。

 まず、第一には、事前にやらなかったのはなぜかといったら、明らかに協力を得られる見込みのないものと判断されるから、やらなかったと言っている。しかし、二番目に、じゃあなぜ96年の7月下旬から8月上旬の間にやったかといえば、それは日米安全保障条約の目的達成のため、米軍の施設及び区域について、土地所有者の合意により、円満に使用権原を取得することとし、その一環として契約説得に努めたものでありますと、こう言っているわけです。やっても合意する可能性がないからやらない、これを正当化しておきながら、今度は政治状況が変化すると、こういういいかげんな理屈を受けてやるということにした。つまり、この1の理由と2の理由は全く相矛盾しています。

 しかし、それだけでは足りないと思ったのか、こういうことも書いてあります。この契約説得にあたって、一坪共有地主の方々に対しては、一坪反戦地主会の発足後10年以上経過しており、相続等により所有権の変動に伴い、新たに一坪共有地主となった方もいることから、契約説得を行ったものであります。もしそうであれば、新しい相続をした人とか、そういう人たちはちゃんと分かっているわけですから、その人たちだけをやればよさそうなものですけれども、2,900名に対してやったと称しています。

 しかし、これは私が4回目の公開審理のときにやったんですけれども、私のところには 来ないじゃないかということを聞いておきました。これに対しての答えはありませんけれども、それらしいものが出てきます。過去の経緯等を検討して、明らかに協力が得られる見込みのないと考えられる一部共有地主の方々に対しては、契約説得を控えさせていただきました。

 (「誰だ」と言う者あり)

  誰だ、本当に。

 その2,900名の中に、また一部特殊な人種がいるようであります。しかし、こういう区 別をするんであれば、区別をするからには、当然、客観的基準が明らかにされなければならないはずです。だから、客観的基準を明らかにするために、その名前を明らかにしろということも要求しておきました。しかし、当局として契約説得交渉における氏名等、個別具体的内容については公表を差し控えているところであります。ということです。

 つまり、私が言おうとしていることは何なのか。つまり、恣意的に何でもできると彼らは考えているということです。反戦地主と一坪反戦地主を区別する。しかし、状況が変わればまた対応をも変える。しかし、同じ一坪反戦地主の中でも、勝手に恣意的に選別をする。客観的基準は何もない。

 法治国家というものは、そもそも客観的、公然と明らかにすることのできる明確な基準に基づいて、対応を変えるなら対応を変えなければいけない。しかし、それは一切明らかにできません。明らかにできないで、自分たちだけがやることができると考えている。この傲慢さがこの強制使用問題を一貫して貫いている。そのことを私は強調しなければならない。名前の公表は差し控えていますなどと言って、いかにもプライバシーか何かを守っているかのようなことを言っている。こちらが明らかにしろと言っているのに、明らかにしていない、じゃあ、彼らは本当に明らかにしていないか。そうではない。例えば、沖縄市の議員に対して、沖縄市の福地対策室長は一坪反戦地主だから基地行政がやりにくいなどと言って、議会で市当局を追及させるようなことをやっている。公然とやっている。こういう恣意的な、政治的画策をやるときには、人のプライバシーも何もなくなる。しかし、こちらが要求しているものは明らかにしない。これほど恣意的で、でたらめで、いいかげんなことがあるだろうか。

 さらに、もう一つだけこの問題と関連してつけ加えておきますと、先ほど松永さんが触れた石原ショウイチ問題についても、大うそを言っている。これは収用委員会が既にご存じのところですけれども、私たちはこの問題を第2回の公開審理のときに明らかにした。 そしたら、あそこにいるあの坂本さんは「事実関係を明らかにするには時間がかかる」と、そのとき始めて知ったかのように言った。そして、その次の公開審理のときに、やっとその事実だけは認めた。

 しかし、収用委員会が既に明らかにされたように、あの却下の裁決書の中で明らかにされたように、彼らは95年の11月にはその事実を知っていた。したがって、そこで申請をやり直せば、それでよかった。しかし、その95年の11月というのは、まさに特別立法だ、期限切れだというようなことが問題になっていた。そんなところで、こういう問題が、手続

きのミスが、いいかげんなことが明らかになったら大変だというので押し隠した。気づかれなければ、明らかにされなければ、そのまま押し通すつもりでやった。これは、前回の3人の対象にしてはならない地主を対象にしたのと全く同じやり方です。適正な手続きをや らないばかりか、誤っていることを自分たちが自覚していても、みんなに気づかれなければ、収用委員会にも、当事者である土地所有者にも気づかれなければ、そのまま押し通そうとしている。こういうふらちな大うそ、大ペテン、こういうことをやっている。こういうことがこの強制使用という問題の中で行われている。

 今、日本の官僚機構の腐敗があちらこちらで暴露されています。力を与えられれば何でもやれる。民主主義も、法も否定できる。自分たちが法を恣意的に使うことができる。そういう思い上がりが、こういう問題を生んでいる。そして平然とうそをつく。

 この取り違えの問題のときに、取り違えられて相続した人たちにも、この96年の7月に 初めて彼らは会っている。そして、会ったときに、彼らはその人からはどう回答したかといったら、こう言っているんです。これは、あの坂本さんが言ったことですけれども、「亡くなった主人の遺志のようでもあるので、今回は法定相続人である私どもとしては契約を拒否します」と言った。だから、この人で間違いないと考えた。ところが、われわれが確認したところによると、この方はそうは言っていない。防衛施設局の方が突如として3人やってきた。内容証明の手紙も送られてきた。何だか分からないけれども、聞いてみ たら、10年前に亡くなった主人が一坪反戦地主だという話だ。いきなりそんなことを言われても、どうしていいか分からないと言ったら、ほかをまわって一月後に来るから、それまでに考えをまとめておいてくださいと言って帰った。帰ったけど、それっきり来なかった。来ないままで、強制使用の手続きを推し進めた。こういうやり方をやっている。これでいいのか。このことを私は、やはり一坪特有の問題として、あるいはそこから見えてくる強制使用手続きのずさんさ、でたらめさの問題として追及をしておきたい。

 私の持ち時間がありませんので、ほかにも言いたいことたくさんありましたけれども、例えば、意見照会なんかについてもそうなんです。使用認定に先だって行われるべき意見照会について、指定された日時にこちらが意見書を持っていっているのに、受け取らない。そのことは、確か第2回の公開審理のときに、前社会大衆党委員長の瑞慶覧長方さんとか、前県議の山川勇さんなどがここで述べたことがあります。瑞慶覧さんは一人で行ったのに、なぜか決められた期日に書類を持っていったら、出せという書類を持っていったら、扉を閉めて受け取らないなどという役所がどこにあるか。そして、後から、その日に受け取ったことにするから提出しろという手紙がきた。形式さえ整えれば、何でもやる。こういうばかげたことをやり続けてきた。これほどのずさんさ、でたらめさ、ペテン、こういうものがあるだろうか。収用委員会も、ぜひ考えていただきたい。

 強制使用というのは、任意の契約が成立しない場合の補完的手続きであるはずです。こういうことを積み重ねている。こういうやり方が、一体、本当に法的手続きとして認められるのだろうか、どうなのだろうか。ぜひ裁決書の上で収用委員会の明確な判断を示していただきたい。

 以上で終わります。

 当山会長:

 はい、ご苦労様でした。それでは最後に、照屋秀傅さん。


  出典:第11回公開審理(テープ起こしとテキスト化は仲田、協力:違憲共闘会議)


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