Political Criminology

ハイパーリンクと取り締まり

 ハイパーリンクとは、ネットワーク上の情報が相互に接続されている状態のことをいう。今やインターネットの花形ともいえるWWWは、その典型だし、インターネット自体を一種巨大なデータベースとしているのも、このような機能だといっていい。

 URLのリンクをクリックするだけで、別のサイトの別のページを見ることができる。それがインターネットの強みだし、そうした世界中の情報を検索できるのも、考えてみればすごいことだ。国境などという制限はここにはない(使用言語の制限はありそうだが)。日本にいながらにしてアフリカ中央部にある情報をとるというのも、まったく不思議なことではない。インターネットで現在採用されているhttp(Hypertext Transport Protocol)という規格は、そういうハイパーリンクを世界規模でつなげた点に重要性がある。

 しかし、実はこういう動きは、社会がこれまでに開発してきた社会統制の方法が届かないエリアを作り上げてしまったとも言えるのである。具体的には、これまで社会統制というのは国ごと、地域ごとにおこなわれてきたのだが、ハイパーリンクでつながった情報は、そういう地域区分、行政区分などまったく関係がない。するといくらデータが置かれた場所ごとに統制しようとしても、その統制の及ばない地域にデータを置いてしまえば、統制など無意味になる。たとえばの話、一国で禁止されている行為でも、他国のサーバー上でおこなっている限りは統制できない。そして、インターネットではサーバーがどこに置かれているかなどは、実際的な意味はないのである。

 この可能性は、国家という枠を超えて活動する動きと親和性があった。インターネットは自由な社会だ、というイメージもここから来る。国家というしばりをはずし、自由に情報を発信する。国家批判を公におこなう。統制されている情報を共有する。こうしたことはインターネットの登場で極めて容易になった。

 むろん国家の側もそれに対して、一定のリアクションを起こした。端的に情報鎖国を試みた国もあれば、厳重な統制を貫徹しようとした国もある。人権関連や反政府関連の情報へのアクセスを禁止したり、実際にそこへの道筋をチェックしようとした国もある。だがインターネットという網の目を統制することは事実上不可能だった。そこで、結局は根とワーク上に置かれたサーバーの統制に目をむけることになる。従来の統制手段にもとづかざるを得ないというわけである。

 そうした統制されるべき情報としてとりあえず想定されているのは、わいせつ画像などのようないわゆる「有害情報」である。米国では通信品位法(Communication Decency Act = CDA)と呼ばれる法律案が討議され、成立した。だが青少年への「明らかに下品な」情報の提供に関する規制の部分は成文から落とされている。同法案で「明らかに下品」とされた範囲が不明確であり、表現の自由に抵触すると考えられたのである(CDA連邦最高裁違憲判決1997年6月26日)。

 しかし各国でも同様の動きがある。たとえば日本でも、風俗営業法改正のように、インターネット上での情報発信そのものを統制しようとする動きが出てきている。まずわいせつ情報に対する規制を端緒として、インターネットの情報配布システムへの統制がはじまりつつあるとも言える。「有害情報」は容易に「政府にとっての有害情報」と読み替え得る。つまりこうした統制手法を成立させることは、国家がインターネットを通じて社会統制を図るという状況すら作りかねない危険を併せ持っているのである。

 最近の日本でのインターネット上でのわいせつ物規制への試みは、多岐にわたっている。まず、刑法の解釈として、わいせつ物の概念が問題となっている。従来はわいせつ物は有体物に限られていた。それがわいせつ画像データを統制対象とするために、情報そのものを「わいせつ物」としてみとめようとする動きがある。インターネット上のわいせつ画像について、データ自体がわいせつ物であるとされた判決がある(いわゆるFLMASK事件。岡山地裁1997年12月15日)。さらにハイパーリンクによって、他のデータを指し示すリンクについても、それがわいせつ物陳列の幇助にあたるとか、わいせつ物の概念をわいせつデータへのアクセス可能性と読み替え、わいせつ物の陳列にあたると解釈する(山口厚「コンピュータ・ネットワークと犯罪」ジュリスト1117号)見解などが登場しつつある。これらは従来の法解釈の枠を大きく逸脱しており、伝統的な社会統制の傾向と、新たなインターネットという環境を統制しようとしいう意図とが、一種きしんでいるかのような印象を受ける。

 一般にはURLの表示は参照先を示すに過ぎず、礼儀としてはともかく、相手方の同意も必要ではないとされている(ただし出版物等への無断収録やページイメージの 無断採録は著作者人格権上、問題を生じる)。したがって、そうしたリンクだけでは処罰根拠とはできない。またデータを統制することが、そのデータへのアクセス可能性の統制であるとする解釈は事実上、幇助犯規定との整合性が問題となるだろう。また違法データへのURLの提示にしても、そもそも幇助となるかという問題についても、単純には認めるべきではない。幇助とは、実行行為以外の行為により、意図的に正犯の実行行為を容易にする場合を指す。わいせつデータにリンクを設けることが一般的に上記の意味での幇助になるとまではいえない。

 ハイパーリンクは海外サイトにも広がっており、これらへのリンクをどう考えるかなどは、現在の取締りの方向からは、適切な解決策が提示されているとはいえない。一方でサーバーの設置場所によって適用法令が異なり、処罰に差が生まれるのは好ましい状態ではない。そうした中で一種の自警行為や自主規制ビジネスなどが勢力を伸ばしており、今後十分な注意を要するところである。

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福富忠和さんとの共著「文化としてのマルチメディア論」(1998年)第6章。同年の聖マリアンナ医科大学のマルチメディア特別講座教材(非売品)。

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