『NHK腐蝕研究』(4-7)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5

第四章 NHK《神殿》偽りの歴史 7

GHQお気に入り通訳の思想的背景

 戦後の放送政策については、すでに紹介した『放送戦後史I』の労作もある。専門の論文も多いし、ここで舌足らずな論評をするのは有害かもしれない。いずれにしても紙数がないので、これも裏面的な掘り出し物だけを紹介するに止めたい。

 戦後のGHQ支配下に成立した放送委員会制度については、識者間の評価が、大いに食い違っている。だが、「旧協会独占方式を生き残らせるために適当に利用されたのであって、『放送委』メンバーの主観とは独立に、客観的には旧制度の居直りに一役買わされたことになるようにおもう」(『戦後改革』)という奥平の指摘が、事実経過に照らして、最も核心をついているようだ。

 GHQの日本占領の過程には、共産党をも含む反主流派を一挙に味方につけ、あとで切り捨てるという、アメリカ式“解放”戦略の基本があった。GHQ内部のいわゆるピンク勢力にしても、その基本戦略の変動の範囲内での、アメリカ式民間人活用に過ぎないといえる。そこからストレートに放送委員会制度の“民主化”を規定すれば、やはり、“利用された”側面が主だと見なくてはなるまい。

 ともかくGHQは、日本の放送システムを完全に握ったのである。そして、一方では、放送委員会の反対を押し切り、古垣専務理事以下の体制がつくられた。以後、放送委員会は有名無実化し、実績といえば高野会長の選出と放送ゼネストの解決斡旋だけで、開店休業のまま消滅する。

 この時期、社会主義者とはいい条、極端に老齢の学者、高野岩三郎会長を補佐してNHKの実権を握りしめ、のちに第六代会長ともなったのが、元朝日新聞記者の古垣鉄郎である。欧米部長から戦時資料室長という肩書のまま、編集局でぶらぶらしていた古垣は、最初は嘱託としてNHK入りをする。経過はいろいろあったようだが、本人談によっても、最終的には、「石井光次郎さんとか、下村海南さんらの仲介もあって高野先生と三回ばかりお会いしてとうとう引き受けた」(『資料・占領下の放送立法』)というのである。

 すでにふれたように、石井光次郎は元NHK理事、下村海南(宏)はNHK会長から情報局総裁という超大物だ。この二人の戦時下の実力者が、戦後派の放送委員会とはおそらく逆の立場で、社会主義者の高野岩三郎とも接触し、NHK「再建」の動きをしていたというわけだ。

 だから、古垣という人物は、「通弁にとった専務」(同前)などと書かれはしたものの、そんな小物ではなかったはず。情報局総裁が後事を託するだけのことはあったに違いない。そこで、戦前の古垣の文筆活動を洗ってみると、それらしきものが出てきた。『ロンドンの憂欝』という随筆集もあるが、欧米通の立場で書かれた「世界平和再組織の基礎条件」と題する時事論文は、つぎのような持ってまわった表現ながら、見事に当時の国策に沿ったものであった。

 「最後に、支那事変第四年を迎えんとして、事変処理に邁進し、東亜における新秩序の建設に努力しつつある日本もまた、今次の世界大戦に独特の立場をもって参加しているものである。満洲を以て我が生命線なりとして闘い抜いた満洲事変は実に日本のヴェルサイユ平和体制に対する挑戦であり、現状維持陣営に対する世界的抗争の端緒となったごとく、進んで支那事変は、東亜における日本の覇権を確立し、日本を中心とする東亜協同体の樹立によって、東亜の天地に新秩序を建設すると共に、そこに国家よりも高次にして、より強力なる国家生活の合理的な体系すなわち協同体の範例を実証することにより、世界大戦後の世界的新秩序の方向と目的を指導する役割を持つものである。支那事変の進行過程は、そこに英、仏、米、ソ連の複雑なる介入によって、今次大戦の世界戦争的本質を代表し、かつ予告するものであり、支那事変をとおして、日本が如何に積極的に今次の大戦に介入しているかを知ることが出来よう。この意味において、支那事変は今次の世界大戦の不可分の一環であり、その故に又、事変解決の形態は世界新秩序の機構と緊密なる一連をなすものである。支那事変の解決すなわち東亜新秩序の建設なくして、今次大戦の解決は考えられず、世界の新秩序なくして東亜の新秩序は完成し得ないであろう」(『改造』’40・1)

 こういう文章の数々は、決して、いうところの“銃剣”の脅しで書かされたものではない。論理的にも逆なのである。この実例のように、資本に買われた大新聞の「知能的には非常に優秀な人人」(『資料・占領下の放送立法』)の一人と自称してはばからないエリートが、無思想な迎合的美文を何がしかの稿料に換えることによって、軍部や右翼の活動の余地を拡大していったのだ。

 しかも、そういう人物が、情報局総裁の手でNHKに送りこまれたのだから、いわゆる戦後民主化の変質は、急速に進んだ。


(4-8)放送単一ゼネスト、レッドパージ、そして日放労の成立