連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (16-5)

「ガス室」裁判 判決全文 14

理由の第二
原告の主張に対する当裁判所の判断(二)

平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18.提訴 判決[1999年2月16日]
《シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態》と《「ガス室」裁判判決全文》兼用

理由(続き)

第二 原告の主張に対する当裁判所の判断(続き)

二 原告の著書からの詐欺的な趣旨を歪める引用に基づく誹謗・中傷・名誉毀損に関する主張について
1 平成9年1月24日号・本件講座の記事について

 原告は、被告金子が本書の引用として、「『外国語、外来語のカタカナ表記は、慣用に関わらず、原則として原音にちかよせる』のが木村の『主義』だそうだが」と記載しているが、本書によれば、正しくは、「原音にちかよせるのが私の主義だが、本書では読みやすさを優先するために慣用化した表記を一部採用した」であり(本書・32頁)、この誤った引用が原告を誹謗・中傷し、その名誉を毀損するものである旨主張する。

 本誌同号に被告金子の右引用文があることは前記のとおりであり、甲第2号証によれば本誌に原告が主張する右の記述があることが認められる。これによれば、本誌同号における被告金子の本書の引用はやや短絡的ではあるけれども、これをもって原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものとは到底いえない。

2 平成9年1月31日号・本件講座の記事について

(一)原告は、被告金子が本誌同号に本書の引用として、「そこから直ちに『ドイツ語の原文があやしい』」と記載しているが、正しくは、「訳者の原文には『全訳』とあるが、そうだとすればその元のドイツ語の原文があやしい。この件はまだ追跡調査が必要である。」であり(本書・72頁)、この誤った引用が原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものである旨主張する。

  被告金子が本誌同号において、原告が「原資料に必ず当たるべき」という歴史資料の使い方の基本を無視しているとし、その例証として、本書におけるホェッスの「回想録」の証拠価値の評価について、「その『回想録』のホェッスが逮捕後に尋問を受ける個所の英訳本と日本語訳本とを木村は対比し、英訳に含まれている『重要な文章』、自白は『わたしをなぐってえたもの』が日本語訳で欠けていることを指摘し、そこから直ちに『ドイツ語の原文があやしい』との結論に達している。AとBの比較からCが誤っているとの結論を導き出すという信じ難い『論理』である。」と述べていることは前記のとおりであり、甲第2号証によれば、本書に原告が右に主張する記述部分があることが認められる。これによれば、被告金子の右本書引用部分は、原告が「ドイツ語の原文があやしい」と判断する理由についての記述や、右「回想録」について原告がなお追跡調査の必要牲を留保している点についての指摘を欠き、読者に原告が短兵急に「ドイツ語の原文があやしい」という判断を下したかのような印象を与えなくはないけれども、これをもって原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものとは到底いえない。

(二)原告は、被告金子が本誌同号で、本書について、「(最後のアウシュヴイッツ収容所司令官ベアーの」証言を紹介するに留めている。(中略)ベアー証言についての言及がある著作として木村が利用しているのが、クリストファーセンという怪しげな老人の書いたものであることを考えると、その信憑性そのものを疑わずにはいられない」と述べている点を捉えて、この点に関し本書で紹介している証拠の引用が十分でなく、しかも、原告が指摘する重要な証拠を無視しており、このことが原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損する旨主張する。

  被告金子が本誌同号において、原告には「資料批判」という姿勢が見られないと批判し、その例証として、原告が本書において「ガス室はなかった」とする根拠の1つにアウシュヴィッツ収容所の最後の司令官であったベアーの「ガス室を見たことはないし、そんなものが1つでも存在するなどということも知らなかった。」との証言をあげていることについて、「自らを防御することが最大の関心事であったはずの、被告となった元加害者による証言にどれだけの資料的価値があるというのだろうか。『資料批判』なる用語は木村にとって未知の語彙に属するようだ。同じもの(証言)を異なる2つの尺度で計り、一方で元被害者(生き残り証人)の証言を徹底的に疑問視し、他方で元加害者の証言なら疑いもせずに『鵜呑み』にするところに、木村の『客観性』のなさがまざまざと示されている。……もっとも、上述の『ガス室を見たことはない』というベアー証言についての言及がある著作として木村が利用しているのが、クリストファーセンという怪しげな老人の書いたものであることを考えると、その信憑性そのものを疑わずにはいられない。」と述べていることは前記のとおりである。

  一方、甲第2号証によれば、本書においては、ベアーの証言が「ガス室がなかった」とする証拠の1つに挙げられているところ、原告が右証言に信憑性があると判断する根拠としては、クリストファーセンのパンフレットだけではなく、フランス人のフオーリソン博士の電話による談話や、ドイツ人のシュテーグリッヒ判事の著作などが引用されているが、原告が別けても強調するのは、ベアーが逮捕された後、獄中で「暗殺」され、その証言が陽の目を見なかった「疑惑」であることが認められる。

  そうとすると、被告金子の本誌同号における右の叙述は、ベアーの証言の信憑性の担保として原告が挙示する証拠の全部について検討を加えていないことになるけれども、その当否は、本来論争の世界で議論されるべき事柄であって、それが直ちに原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものとはいい難い。

(三)原告は、被告金子が本書の引用として、「『収容所での死亡者の総数を、ピペルは約20万人と算定している』(中略)と木村は紹介している。」と記述しているが、正しくは、「犠牲者の概数の110万人のうち、『登録されていない収容者』は90万人になっている。さしひき、のこりの20万人のみが『登録された収容者』の中の『犠牲者』である。つまり、記録で確認できる『犠牲者』、または収容所内での死亡者の総数を、ピペルは約20万人と算定しているのである。」であって(本書・56頁)、この誤った引用が原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものであると主張する。

  被告金子が本誌同号において、原告主張のように本書を引用していることは前記のとおりであり、甲第2号証によれば、この点に関する本書の叙述が原告の右主張のとおりであることが認められる。

  本書の右部分における記述のうち、いずれの部分がピペルの著作からの引用であり、いずれの部分が原告自身の判断であるのか判然としないことは前に述べたとおりであるが、少なくとも、右の記述を客観的に読むならば、ここでの原告の論旨の結論が「収容所内での死亡者の総数をピペルは約20万人と算定している」という点にあることが明らかである。したがって、被告金子の引用には誤りはなく、右の原告の主張はそれ自体失当である。のみならず、被告金子が本書の該当部分の全部を引用しなかったことをもって、原告を誹謗・中傷し、その名誉を毀損するものとは到底いえない。

  また、原告は、被告金子が、「収容所内での死亡者の総数が20万人」であるとする点はピペルの著書の英訳本に含まれていないと断定しているのは、完全に誤っており、本書にこの点についての原著部分を摘示している旨主張する。

  被告金子が本誌同号で、「『収容所内での死亡者の総数を、ピペルは約20万人と算定している。』と木村は『紹介』しているものの、ピペルのドイツ語訳冊子のどこにもそのような個所はない。木村の利用した英訳本を筆者は所有していなかったので、著者のピペル博士に送ってもらったが、木村の紹介するような文書はやはり含まれていない。」と述べていることは前記のとおりであり、他方、甲第2号証によれば、本書の参考資料9頁には、この点についての叙述が原著の52頁の記述による旨が記載されている。

  原告の右主張の趣旨は、本書の叙述には原著の引用があるのに、被告金子はその点を無視しているというにあると解されるが、事柄は資料の解釈の問題であり、仮に被告金子の解釈が誤っているとしても、そのことが原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものとは到底いえない。

3 平成9年2月21日号・本件講座の記事について

 原告は、被告金子が本誌同号で、本書の引用として、「(クリストファーセンについて)『親衛隊員などではなかった』とも木村は読者を惑わそうとする。」と記述しているが、正しくは、「ヒットラーに忠誠を誓う親衛隊員などではなかった。中尉の位はあるが、(中略)収容所の管理には責任のない農場の研究者」であり(本書・ 157頁)、原告の右文言における重点は、クリストファーセンがいわゆる「親衛隊」のバリバリではなく、「農場の研究者」という立場であったことの強調にあるのに、被告金子がこの点につき誤った引用したことは、原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものである旨主張する。

 被告金子が本誌同号において、本書におけるクリストファーセンの経歴に関する叙述について、「そのクリストフアーセンを『元ドイツ軍の中尉』、『アウシュヴィッツに勤務していた』と紹介しているが、同時に『親衛隊員などではなかった』と木村は読者を惑わそうとする。」と述べていることは前記のとおりであり、他方、甲第2号証によれば、本書には原告が右で主張するような叙述があることが認められる。

 これによれば、クリストファーセンの経歴に関する被告金子の右の叙述は、本書で「収容所の管理には責任がない農場の研究者」と紹介している部分を、「アウシュヴィッツに勤務していた」と要約して引用していることが明らかであるけれども、その引用の内容には誤りはなく、原告が強調したい部分をそのまま引用しなかったからといって、それが原告を誹謗・中傷し、原告の名誉を毀損するものでないことはいうを俟たない。

 のみならず、被告金子は、右の叙述部分に続けて、「ナチス強制収容所がナチス親衛隊の指揮と管理下にあり、収容所勤務の兵士たちが親衛隊員であったことは歴史的常識に属する。アウシュヴィッツ収容所付属のライスコ農園で『植物育種』の研究をしていたクリストフアーセンは、被拘禁者の虐殺に直接関与しなかった可能性はあろうが、彼もまたとうぜんSS隊員だったのである。しかも、それは『過去の話』ではなく、クリストファーセンは現在も『現役のナチ』として暗躍しつづけている。」と論述していることは前記のとおりであり、同被告が、クリストファーセンがアウシュヴィッツ収容所付属の農園で植物育種の研究をしていたことを認識した上で、なおかつ彼がナチスの親衛隊員であったと主張していることが明らかであって、この面においても原告の右主張は失当といわなければならない。

4 平成9年2月28日号・本件講座の記事について

 原告は、被告金子が本誌同号で、本書の引用として、「『オーストリアのナチズムの大物』(中略)と木村も紹介する『ゴットフリート・キュッセル』」と記述しでいるが、本書では、キュッセルにつき、NHKの番組の「解説」において「オーストリアナチズムの大物」とされていた旨、いわゆるカッコ付きの留保を強調して紹介した上、原告がみた映像による判断として「大物どころか、そこらのいきがった『街のあんちやん』程度でしかない」と記しているのであって(本書279頁)、同被告の右の誤った引用は原告を誹謗・中傷し、その名誉を毀損するものであると主張する。

 被告金子が本誌同号で、ゴットフリート・キユッセルについて、「ウィーン大学の学生だったころ、『オーストリアナチズムの大物』と木村も紹介する『ゴットフリート・キュッセル』は、『行動派新右翼』(ANR)という学生ネオ・ナチ組織の代表格だった。」と述べていることは、前記のとおりであり、他方、甲第2号証によれば、原告は、本書において、NHK教育テレビが平成5年6月4日に放映したデンマーク制作の番組「ユダヤ人虐殺を否定する人々」について言及し、同番組の解説では、ゴットフリート・キュッセルを『オーストリアナチズムの大物』と紹介しているが、原告が右番組の映像で見た彼の印象は、「大物どころか、そこらのいきがった『街のあんちやん』程度でしかない」と記していることが認められる。

 これによれば、被告金子が本誌同号で、「木村」がゴットブリート・キュッセルを『オーストリアナチズムの大物』と紹介しているとする記述は、少なくとも正確でないというべきである。しかしながら、仮に右の記述が読者をして、原告がゴットフリート・キュッセルを『オーストリアナチズムの大物』とみなしているとの印象を与えるとしても、「大物」の概念は極めて抽象的であり、その判断基準は漠然としたものであるから、このことが直ちに原告の社会的評価に影響を及ぼすものとは考えられない。よって、原告の右主張も当を得ない。


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