『アウシュヴィッツの争点』(60)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

第7章:はたして「ナチズム擁護派」か 4

「ナチズム擁護派の国際的なネットワーク」というレッテルはり

 その後の画面には、ふたたび大西洋をはさむ両大陸地図があらわれる。日本語版解説はこうだ。

「大虐殺を否定する第三の人物として、フランスにすむロバート・フォーリソンがあげられる。かれはみずからを歴史修正主義者となのっている」

 西ヨーロッパの部分に、写真と「歴史学者、ロバート・フォーリソン」のスーパーがはいる。だがまず「ロバート」にはおどろいた。ローマ字では英語の「ロバート」(Robert)とおなじつづりにちがいないが、フランス人だから「ロベール」としなければならない。

 フォーリソン個人にたいしては、なぜか、直接の「ネオナチ」よばわりや「カギ十字」のディゾルヴはおこなわれていない。もしかすると、すでに紹介したようなフォーリソンのきびしい対決姿勢や、「ナチズムだとする攻撃、ほのめかしのすべてを中傷と見なす」という言明などが影響しているのかもしれない。そのかわりにフォーリソンは、画質のわるいヴィデオによる演説シーンの挿入で紹介される。画質がわるいだけでなく、おなじ角度とサイズに固定したままの絵柄だから暗い感じになってしまっている。この部分は、「歴史の見直し研究所」が制作して頒布しているヴィデオからのダビング(複製)なのだが、その説明はあとまわしになっている。

 紹介されている演説のその部分の内容は、同研究所の活動経過報告だけで、フォーリソン自身の研究内容や主張はまったくでてこない。フォーリソンは同研究所の代表格なのだから、なぜ本人に直接インタヴューをしなかったのかという疑問も生ずる。

 解説はさらに、つぎのように展開する。

「ナチズム擁護派の国際的なネットワーク、……その一つの拠点がアメリカに存在する。カリフォルニア州にあるこの書店の内部に、歴史修正主義協会、IHRという国際組織がおかれている」

 IHRに対するわたしの訳語は、すでにのべたように「歴史見直し研究所」である。解説はこうつづく。

「IHRは活動の一環として機関誌を発行してきた」

 またもやあらわれた「カギ十字」のうえにおかれる何冊かのぶあつい雑誌。

「『歴史再検討のための国際ジャーナル』は完全な学術書のスタイルをとっている。本の権威をうらづけるように、執筆者の紹介欄は学問的な肩書きで埋められている」

 この解説のセリフなどは、いかにも「アヤをつける」といった感じのコメントの仕方ではないだろうか。わたしの手元にも、この雑誌そのものと、この雑誌にのった論文のコピーがたくさんある。執筆者が本当に教授とか博士とかなのだから、肩書きを紹介するのが当然で、そうしなければかえっておかしいのだ。たとえば日本の大手出版社で、教授などの肩書きをわざわざかくして中身だけで勝負する販売政策をとっている例があったら、ぜひ教えてほしいものである。

「創設者」から三本の矢印で「K・K・K」につなぐ「悪魔化」

 IHRについての全体的なイメージづくり、または「悪魔化」(米語でデモナイゼーション)の第一の手段は、IHRの「創設者」、ウィリス・カルト(またはカート)の「正体暴露」(米語でアンマスク)という手法によっている。解説は、つぎのようにつづく。

「アーヴィングは一回の講演につき、一万ドル以上の支払いをIHRから受けとっている。だが、IHRの巨額の運営資金がどのように集まるかはさだかではない。謎の鍵をにぎるのはIHRの創設者、ウィリス・カルトである。カルトは、アメリカの極右勢力の黒幕といわれている」

 画面には、カルトが別途におこなっている資金カンパの行きさきが矢印でしめされる。解説はつづく。

「ウィリス・カルトは、アメリカの反ユダヤ活動団体、リバティ・ロビーの主導者でもある。さらに人民党を介して、デヴィッド・デュークなる人物とも親しい関係にある」

 矢印がカルトからリバティ・ロビーにのび、そこからつぎの矢印が「人民党」にのびる。そこからまたあたしく矢印がのびて、デイヴィッド・デュークにつながる。解説はこうつづく。

「クー・クラックス・クランの元最高幹部であるデュークを、カルトは英雄的人物と称している」

 人種差別の秘密結社として有名なK・K・K(クー・クラックス・クラン)の団員が、三角帽子の白衣装でタイマツをかざしたり、なげたりする儀式がうつしだされる。ウー、ウー、ウー、ダン、ダン、ダンと、おもくるしい音楽をバックに解説がはいる。

「デイヴィッド・デュークは、一九九一年のルイジアナ州知事選に立候補し、落選はしたが四〇%もの票を獲得した。一連の右翼系団体はカルトを中心にむすばれており、デュークやIHRは、その一部に位置づけられる」

 画面の地図のうえには、カルトを中心にした組織のつながりがしめされる。

 アメリカの非政府組織、市民運動の資金づくりや、運動への参加の仕方は、日本にくらべれば格段にオープンである。どの運動も、相手の政治的立場を無視して資金カンパを要請するし、だす側も運動の内容にあまりこだわらない。だから、一人の出資者が、政治的主張がまるで反対の運動に同時に資金カンパしているという現象も生じる。こうした現地の実情を知らないと、この種の「悪魔化」にはひっかかりやすい。

 しかも、わたしには別に、IHRに借りがあるわけでもないし、組織としてのIHRの肩を持つ義理もない。もともと、わたしの資料収集の基本方針は、日本の調査機関の典型だった満鉄調査部などの原則に見習ったものだ。相手の組織や個人の思想、政治的立場などに一切とらわれず、可能なかぎりの関係資料、耳情報を収集して、比較検討、総合分析を心がけるのが主義である。情報のゆがみは、すべての資料にあると思わなければならない。先入観による情報の排除は禁物である。自分の目で見て判断すべきである。

 そういう立場からいうと、個別の資料の「行間を読む」とか「眼光紙背に徹する」とかいうことの方が重要なのであって、資料を読みもせずに「データベース」で発行元が云々などというレッテル貼りでごまかす怠け者の記者などは、下の下の沙汰でしかない。

 わたしは一応、そう考えて、このカルトの問題をたなあげにしようと思ったのだが、やはり、事実を正確に知るにこしたことはない。

 わたしはカリフォルニアの「歴史見直し研究所」を直接おとずれる決意をした理由の一つは、このカルトの正体と「歴史見直し研究所」との関係をたしかめることにあった。この点でも、やはり行ってみてよかった。意外も意外の事実が判明したのである。

『歴史見直しジャーナル』の編集長、ウィーバーは、わたしは質問を聞くなり頭を強くふって、こう断言した。

「ウィリス・カルトがこの研究所の創立者だというのは嘘です。カルトとデイヴィッド・デュークの関係も間接的で漠然としたものでした。しかも、カルトは昨年、この研究所と縁が切れました。ちょっと待ってください。資料をさしあげます」

 そういって立ちあがり、書類棚から取りだしてくれたのは、A4判で四九頁の「ウィリス・カルトの歴史見直し研究所にたいするキャンペーン」と題する「特別背景報告」であった。ウィーバーは説明をつづけた。

 ウィーバーの説明を要約すると、研究所の中心的な創立者はアイルランドうまれの作家、デイヴィッド・マッカーデンで、一九九〇年に死んでいる。カルトは共同設立者に当たるが、資金は一セントもだしていない。日常の仕事をしたこともない。それどころか、研究所の出版物の売り上げをくすねて問題になった。ウィーバーたちは裁判にも訴えて、カルトの追放に成功した。

 マッカーデンの方は、カルトと仲たがいして、途中で研究所を去ったという。

 帰国後には、『クリスチャン・ニュース』(94・4・25)に掲載されたA4判で二ページの記事のコピーがおられてきた。ウィーバーが執筆したもので、さきの資料とおなじく「ウィリス・カルトの歴史見直し研究所に対するキャンペーン」という題になっていた。それによるとカルトは、リバティ・ロビーが発行する『スポットライト』という週刊新聞の紙面で、「歴史見直し研究所」にたいする攻撃をつづけているようである。

 アメリカのジャーナリスト、ジェームズ・リッジウェイの著書『アメリカの極右』にも、「『リバティ・ロビー』のウィリス・カート」についての記述がある。ただし、カートがはじめて登場する小項目は「がたがたの人民党」である。以下、その要約をしるす。

「カートは最初から人民党全米執行委員会の委員となり、このカートに、ビル・シアラーとその配下のカリフォルニア・アメリカ独立党を加えた組織が、最初は党の中枢を形成した」。だが、その後、「シアラーとカートは、主に金の問題で対立した。シアラーは、カートが『党を資金集めに使って、集めた金を自分のさまざまな会社に流用している』と非難し」した。人民党は分裂し、カートが「再興」した方の人民党は、一九八八年の大統領選挙でデイヴィッド・デュークを候補者にした。

 どうやらカルト、またはカートは、よくある金にきたないハッタリ専門の政治ゴロのようである。だが、これ以上の細部の追及は本論とはなれてしまう。ともかくカルトが現在、「歴史見直し研究所」を支配するどころか、完全に対立関係にあることは確実である。

 マルコ』廃刊事件以後、日本の雑誌にも「歴史見直し研究所」(IHR)についての記事が、いくつか現われた。IHRそのものが独立した商業的組織ではなくて、「自由の存続のための軍団」(Legion for the Survival of Freedom)という名の親(parent)組織の下にある研究および宣伝機関だったりするので、事情はそう簡単ではないようだ。細部の論評は本書の続編に予定しているが、たとえば『宝島30』(95・4)の「差別表現問題としての『マルコポーロ』事件/ユダヤ反差別団体の対日戦略」などの記述は、予備知識がなくても気をつけて読めばでわかるように、新聞報道(わたしも入手)とSWCのようなユダヤ人エスタブリッシュメント組織が提供する資料だけで記事を構成している。これが「大学教授」の肩書きの文章とは、とうてい思えないような週刊誌風の記事づくりである。しかし、それでも、「[歴史見直し]研究所に内紛が起こり、カートー[カルト]が追放されたという」などという、「という」つきの明らかな伝聞情報部分などは、IHRの現スタッフが「反ユダヤ団体も設立」(同記事)したカルトの支配を、拒絶した事実を伝えていることになるから面白い。


(61)集会参加者と記者会見同席者をすりかえて「ネオナチ」攻撃