『アウシュヴィッツの争点』(56)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

「ホロコースト」見直し論は、第二次大戦直後のポール・ラッシニエの時代から一貫して、絶滅説に立つマスメディアから、無視ないしは集中攻撃の対象にされてきた。

「マルコ報道」にも、その要素が見られたが、日本のマスメディア報道のお粗末さの典型を、そのグループの(中味ではなく)新聞発行部数の順に紹介しておこう。

『週刊読売』(2・19)は『マルコ』評価を「文芸評論家」芹沢俊介の談話にたよった。

 芹沢は「原稿を掲載した背景」に「(欧米との)空間的、歴史的構造からくるニブサ」があると断定する。大手メディアだけのことではないが日本国内では当時、この題材を『マルコ』が「アウシュヴィッツ解放五〇年」に取り上げたこと自体が「国際感覚を欠いた暴挙」であるという論調がしきりだった。実際には、この論調の方が国際感覚と常識を欠いていたことは、すでに『レクスプレス』『ドナヒュー・ショー』『シックスティ・ミニッツ』の例を挙げて、くわしく論証した通りである。

 むしろ、さらに呆れたのは、この『週刊読売』の署名記事を書いた読売新聞記者自身が「評論家」芹沢の起用について、「とくにホロコースト問題にくわしい方というのではなくて……」と言葉をにごしたことだった。

 芹沢は、それ以前に朝日新聞文化欄の「ウォッチ論潮」(95・1・30)でも、同趣旨のことを書いていた。わたしが芹沢に直接電話して聞くと、本人も「(ホロコースト問題については)一般的知識しかない」と自認した。それなのになぜ、「廃刊と編集長解任は政治的決着であり、その意味で正しい」などと判定できるのであろうか。

 朝日新聞社発行『アエラ』(2・13)では、西岡の資料の発行元の研究所を「極右や人種差別主義者の『学術組織』」と断定した。

 署名している記者は記者会見にきていたから顔も覚えている。わたしは問題の研究所、IHR(歴史見直し研究所)を1994年末に訪ね、日本人で初めての訪問者だといわれた。そのことを記者会見で話したのに、署名記者は現地取材もせず、わたしにも確かめずに記事を書いている。断定の根拠を電話で聞くと、「アメリカのデータベースで調べた」と答えた。わたしが「アメリカのデータベースはアメリカの大手メディアの情報だから、大手メディアに強い支配力を持つイスラエル支持勢力の意向を反映している。なぜ裏を取る努力をしないのか」というと、署名記者は「二年間アメリカに留学した」という経歴を誇り、「そちらは英語で取材しているのか」と逆襲してきた。この若手記者の傲慢さには唖然とするほかなかった。

『サンデー毎日』(2・19)も『マルコ』記事の評価を簡単な電話取材でごまかした。

「『中吊り広告を見てすぐ買ったが、驚いた。不正確な記述としかいいようがない』というのは、ドイツ史が専門の石田勇治東大助教授。『タネ本はすぐに分かる。ロンドンで出版された「ロイヒター報告」という本で、これはネオナチのバイブル(後略)』」

 本人に直接たしかめたところ、『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいない。ドイツ語の見直し論批判本の名を二つ挙げただけだった。こんなズサンな肩書きだけの談話記事で、西岡が「ネオナチのバイブル」を引き写して作文したかのような印象が作りだされているのだ。

 石田はさらに、「歴史研究の立場からすると、論争はまるでない」としているが、論理矛盾もはなはだしい。本人が「二冊持っているドイツ語の本」そのものが、論争の存在の立派な証明である。論争とは、権力御用、学会公認の公開論争だけを指すのではない。

 マスメディアの商業的かつ権力追随的な実態は、世界各国とも似たようなものである。ラッシニエの時代から「ホロコースト」見直し論を攻撃し、その後も無視ないしは攻撃をつづけてきたマスメディアとは、まさにこのようなマスメディアそのものだったのだ。

 不思議なのは、むしろ、日頃は熱心にマスメディア批判をする人々が、この問題に関してだけは、意外なほどマスメディア報道に追随しているという事実の方なのである。

 この問題には、やはり、非常に複雑な時代背景がある。強烈な心理的インパクトが、あらゆる方面から投射されていると考えるべきであろう。それを解きほごすのは容易なことではないが、以下、いくつかの二次的な争点について、メディア報道を題材にしながら、具体例を通じての解明を試みてみよう。


(57)第7章:はたして「ナチズム擁護派」か