『アウシュヴィッツの争点』(51)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第3部 隠れていた核心的争点

第6章:減少する一方の「ガス室」 3

現代史研究所長が「ドイツではガス室殺害なし」と新聞投書

 リーフレット『収容所の解放/事実と嘘』および雑誌記事「ダッハウのガス室神話/収容所解放50周年の隠された歴史」によれば、アメリカ軍とともにドイツのダッハウなど約二〇の収容所にはいり、発見した死体を不眠不休で「約三〇〇から一〇〇〇体ほど」検死した「唯一の法医学者」、チャールズ・ラーソンは、「毒物および毒ガスによる死亡例は一件もない」と報告していた。つまり、公式ないしは非公式を問わず、当時の唯一の専門的な法医学鑑定では、事前に流れていた噂のような「注射」や「ガス室」による「ホロコースト」の実例は、まったく発見されていなかったのである。

 原資料としては、ラーソンの伝記『犯罪検死医師』(CrimeDoctor)や本人の談話の新聞記事が挙げられている。ラーソンの検死結果によれば、「死因の大部分はチフス、結核、栄養失調」であった。ラーソンは、以上の検死作業について公式報告を提出しただけではない。「アメリカ軍の検察官から三日間にわたる質問」まで受けている。しかし、このラーソンの公式報告は、長らく埋もれたままになっていた。アメリカ軍や、ニュルンベルグ裁判の検察局が秘密にしたからだけではなく、大手メディアが実地検分作業を無視しつづけたからだと考えられる。

 それでもすでに一九六〇年までには、西側占領地域にあった収容所には「ガス室はなかった」というのが、「事実上の定説」になってしまった。西側では、ラッシニエ以来の批判もあったし、それなりの地道な学術的調査がおこなわれたからである。

 しかし、この「事実上の定説」が学問の世界で確立した前後の経過は、実に奇怪至極である。

『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』によると、一九六〇年八月一九日付けの西ドイツ(当時)の週刊紙『ディー・ツァイト』に、つぎのような要旨の投書がのった。

「ダッハウでも、ベルゲン・ベルゼンでも、ブッヒェンヴァルトでも、ユダヤ人ほかの被収容者で、ガス室によって殺されたものはいなかった」

 投書の主は、ミュンヘンにある西ドイツ(当時)国立現代史研究所の所長[Webにおける訂正:この投書をしたのは所長になる以前だったので研究員とする]で、歴史家のマーティン・ブロサット博士だった。本来なら、西ドイツ政府の「現代史」についての見解を代表する立場の公的な責任者だ。そういう公的な立場の人物が、なぜ、個人名による新聞投書という非公式な便宜的手段を選んだのだろうか。

 シュテーグリッヒ判事は、この投書を「ラシッシニエの発見に対する回答」だと推測している。そうだとすれば、そのさい、公式決定と公式な回答発表をさまたげたのは、いったいどこのだれなのだろうか。ブロサット博士自身の選択だったのだろうか。それとも、背後の組織の決定だったのだろうか。疑問はふくらむが、ともかく以後、「西側にはガス室はなかった」というのが「事実上の定説」になった。のちにその正体の一部をあばくが、「ナチ・ハンター」として売りだし、『マルコ』廃刊事件で威力を発揮したSWCがその名をいただくユダヤ人、サイモン・ウィゼンタールでさえも、テオドール・オキーフが執筆したリーフレット『収容所の解放・事実と嘘』によれば、一九七五年には「ドイツの土地のうえには絶滅収容所はなかった」としるしている。

『六〇〇万人は本当に死んだか』では、地図(本書一二ページ所収[Web公開では省略])によって視覚的に、この「事実上の定説」の奇妙さを強調している。

「事実上の定説」というカッコつきのもってまわった表現をしたのには、それなりの理由がある。一般むけの広報どころか権威筋の内々の公式の訂正発表さえおこなわれず、ひそかな流産のように、または、ジョージ・オーウェルがえがいた『一九八四年』の世界における歴史改竄よろしく、「西側のガス室」説が音もたてずに消えうせたのだからだ。

「事実上の定説」変更というあつかいには、結果として、事実経過をあいまいにさせる効果がある。論争は「のれんに腕押し」で終了するが、事実にもとづく歴史的な検証は一般の目にはうつらない。

 それでもたとえば、すでに紹介した『アエラ』(94・8・29)の特集記事、「アンネ・フランクは償われたか」の描写のように、当初は「ガス室」処刑場のリストにはいっていた収容所、ベルゲン・ベルゼンについても、つぎのようにしるされるようになった。

「このドイツ内陸の収容所は、アウシュヴィッツのような『絶滅』用ではなかった」

 ベルゲン・ベルゼンについては、すでに『夜と霧』の解説でも、「ガス室こそなかったが、それでも数千の人々が病気や飢餓で抹殺された」という表現になっていた。

 これらの「ガス室はなかった」と判定された収容所のそれぞれについても、「ガス室」における処刑を告発し、または自供するやまほどの「証言」があった。たとえば『夜と霧』の日本語版にはいまもなお、それらの「証言」がそのまま収録されている。

 その一方、たとえば、すでに指摘したように、テレビ朝日『ザ・スクープ』の「秘話!封印された日系米兵のナチ収容所解放▽裏で親衛隊処刑」では、せっかくのスクープをものにしながら、いまだにダッハウ収容所に「ガス室」があったという認識のままの解説がくわえられている。


(52)「東方移送」による「ホロコースト」神話維持は「二度目の嘘」か?