『アウシュヴィッツの争点』(26)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2

第1部:解放50年式典が分裂した背景

第2章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ 8

イスラエルの公式機関でさえ「信用できない」証言が半分以上

「マルコ報道」では「生き証人」へのインタヴューの必要性を力説している例がおおかった。それはそれで結構なのである。そういう努力は今後も続ける必要があるだろう。

 ただし、「ガス室」の存在を肯定する「生き証人」の証言、または被告の「自白」ないし「告白」の類いは、すでに出尽くしている。むしろ必要なのは、その内容の再検討なのではないだろうか。「生き証人」の受け止め方についても、一部の文章に見られる論理的な混乱を指摘しないわけにはいかない。一部の文章では、収容所体験の事実と、「ガス室」の存在の肯定とが混同されている。実際には、収容所体験が事実であっても、「ガス室」についての「証言」部分は伝聞の場合がおおいのだ。

 さらに、くれぐれも注意してほしいのは、「ガス室」を見なかったとか「ガス室」はなかったと証言しているユダヤ人の「生き証人」が、意外におおいという事実である。また、「ガス室」の存在を否定する発言をした「生き証人」は、ユダヤ人だけではない。「ホロコースト」見直し論の父といわれるフランス人のポール・ラッシニエも、ナチス・ドイツ収容所の「生き残り」なのである。ドイツ人の「証言」例についてはのちにくわしく紹介するが、この場合には逆に、大変な社会的圧迫を覚悟してのうえでの発言である。その覚悟の重みも考えてほしい。

 しかも、問題の「生き証人」の証言については、イスラエル政府の公式機関としてホロコーストに関する世界で最高権威の扱いをうけ、最大の資料収集をしている「ヤド・ヴァシェム」でさえ、つぎのような判断を下しているのである。

 すでに紹介ずみのウィーバーの論文「ニュルンベルグ裁判とホロコースト」には、何人かのユダヤ人の歴史家が、「ホロコースト」目撃証人の「嘘」の理由やその「病的傾向」を分析している事例をあげている。なかでも決定的に重要な部分を訳出すると、つぎのようである。

「イスラエル政府のホロコースト・センター、ヤド・ヴァシェムの公文書館長、サミュエル・クラコウスキは一九八六年に、保管している二万件のユダヤ人“生存者”の“証言”のうち、一万件以上は“信用できない”ことを確言した。クラコウスキの言によれば、おおくの生存者が“歴史の一部”となることを願っており、想像力をほしいままに走らせている。“おおくの人は、かれらが残虐行為を目撃したと称する場所にいたことがなく、または、友人や通りすがりの見知らぬ他人から聞いた二次的な情報にたよっている”。クラコウスキの確言によると、ヤド・ヴァシェムが保管している多くの証言記録は、場所や日時についての専門的な歴史家の鑑定を通過することができず、不正確であることが証明された」

 では、のこりの「一万件」以下の“証言”は、はたして「信用できる」のだろうか。それらは「場所や時間」についての」鑑定を通過したのかもしれない。だが、その“証言”の内容のすべてまでは保証できないだろう。そこで「ガス室」を見たという部分があったとしても、その物的証拠を示しているわけではないのである。

「ホロコースト見直し論の父」とよばれるフランスの歴史家、故ポール・ラッシニエには『ユリシーズの嘘』という著書がある。ユリシーズは古代ギリシャの伝説の英雄で、ギリシャ語ではオデュッセウスである。木馬のエピソードで有名なトロイヤ戦争からの帰国のさい、オデュッセウスがのった船が嵐で漂流し、以後、一〇年の放浪の旅をする。ホメーロスの長編序事詩『オデュッセイア』は、その苦難の帰国物語である。ジョイスの長編小説『ユリシーズ』は『オデュッセイア』を下敷きにしている。ラッシニエの『ユリシーズの嘘』では、『オデュッセイア』に見られる苦難の経験の誇張をナチス・ドイツの収容所の経験者の誇大な「告発」にあてはめて、「ユリシーズ・コンプレックス」とよんだ(シュテーグリッヒ判事の著書の英語版では「オデュッセウス・コンプレックス」になっている)。ラッシニエ自身、レジスタンス活動でゲシュタポに逮捕され、二年間のナチ収容所での生活を経験しているが、戦後の地道な追跡調査によって、「ガス室」物語がすべて伝聞にすぎないことを確かめたのである。

 やはりフランス人でラッシニエの業績をひきつぐフォーリソンは、『著名な偽りの目撃証人/エリー・ウィーゼル』で、一九八六年のノーベル平和賞受賞者を「偽りの目撃証人」として告発する。なぜならば、「ホロコースト」を目撃したと自称するユダヤ人のエリー・ウィーゼルが「自分のアウシュヴィッツとブッヘンヴァルドでの経験をえがいた[初期の]自伝的な著作ではガス室にまったくふれていない」、つまり目撃していないからだというのである。

 被告側のドイツ人にたいする「拷問」の事実については、すでに簡略に紹介したとおりである。

 拷問によらない「らしい」積極的な「告白」と称されるものもある。「クルト・ゲルシュタインの告白」と通称されているものがそれである。ゲルシュタインは、なんと、「ナチ党の野蛮な行為を世界に知らせるために」親衛隊員になり、「世界にそれをつたえるために」フランス軍に投降したと「告白」していた。フランスで「戦争犯罪人」として拘留されている間に、独房で首をつって死んでいるのを発見されたが、それまでの拘留期間中に六種類の「告白」をのこした。

 たとえば数ある「ホロコースト」物語の中でも、もっとも著名なベストセラーであり、いまもなおロングセラーの『夜と霧/ドイツ強制収容所の体験記録』(以下『夜と霧』)の日本語版では、写真版用の厚紙製の特別な一ページに、この「告白」の一部を収録している。

 ゲルシュタインは、「ガス室」処刑に実際にたずさわったと称し、その一部始終を「死体からの金歯の抜き取り」にいたるまで微に入り細をうがって「告白」している。だが、もっとも重要なことは、このゲルシュタインの「告白」が、すでにその欠陥ぶりをくわしく紹介した「[ニュルンベルグ]国際軍事裁判の証拠としてさえ採用されなかった」(『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』)という事実なのである。明白な誤りや数多い矛盾、本人の経歴の不確かさなどが、審判担当者をためらわせた理由であろう。ところが、この「告白」が一九六一年にイスラエルでおこわれたアイヒマン裁判で採用されたため、以後、おおくの著作で本物であるかのように引用されることとなった。「ホロコースト」物語には、テキスト・クリティークが不十分なものがおおいが、「クルト・ゲルシュタインの告白」などは、さしずめその最右翼であろう。

 一九九四末、ロサンゼルスの「歴史見直し研究所」から持ち帰った資料の中には、その名もズバリ、『クルト・ゲルシュタインの告白』というA5判で三一八ページの単行本がある。フランスの研究者、アンリ・ロックの同名の著作の英語訳である。タイプ文字と手書き文字の手稿の写真版で、それぞれの「告白」の相違を比較検討できるようになっている。六種類の「告白」の一つにはことなる版があるので、これを三つにわけると、合計八種類になる。この八種類の「告白」の矛盾を細部で比較検討するための横長の表が、一一ページ分もおりこまれている。かなりの労作だが著者紹介記事によると、農業技術者だったロックは、フォーリソンの仕事に刺激をうけて研究をはじめ、この著作のもとになった論文でナント大学から博士号をうけた。ところがロックは、なんと[ダジャレをとばす場合ではないが]、「フランスの大学の約八世紀にわたる歴史の中で、政府によって博士号を“とりあげられた”最初の男になった」のである。博士号授与が一九八六年、一九八九年現在で六九歳としるされているから、『クルト・ゲルシュタインの告白』は、六六歳という高齢で完成した地道そのものの実証的研究である。

 さきにも「ニセ証人」の「笑い話」を紹介したが、ゲルシュタインは決して、「特殊な例外」ではない。シュテーグリッヒはいかにも判事らしく、同様の矛盾をたくさんふくむ「告白」「報告」「体験記録」の数々の細部を比較検討している。ゲルシュタインは、とりわけ傑出していただけなのではないだろうか。

 わたしは、『マルコ』廃刊事件の際の記者会見で、アメリカ映画『一二人の怒れる男』の例を引いた。あの映画では、目撃証人の証言だけで判断すれば、プエルト・リコ系の浅黒い少年が父親殺しで有罪になるところだった。しかし、一二人の陪審員のなかでたったひとり、ヘンリー・フォンダ扮する白人の陪審員が有罪の決定に賛成しなかった。以後、一昼夜の激論のすえ、目撃証言の矛盾があきらかになり、少年は無罪となる。日本でもおおくの冤罪事件で、目撃証人の証言があやまりだったことが、のちの上訴や再審で証明されている。それほどに、目撃証人の証言というものは、誤りがおおいものなのである。

 しかも、「ホロコースト」物語の場合にはとくに、いわゆる「生き証人」としてマスメディアで扱われてきた人々のほとんどすべてが、イスラエル建国支持者である。いわばヴォランティアの広報係りのようなところがある。かれらの「証言」の背後には、いわゆる国家忠誠心に類する感情による「合理化」がひそんでいるのではなだろうか。パレスチナ分割決議をめぐる中東戦争はあくまでも停戦状態なのであって、まだ継続中なのだから、その意味では、戦時宣伝の時代は終了していないのだ。すくなくとも、そういう状況への論理的な疑いをいだいて、内容をds再検討する必要があるのではないだろうか。

 日本の国会でも、おおくの汚職事件の関係者が企業忠誠心をわずかなよりどころにして、あれだけいけしゃあしゃあと、だれの目にも明らかな嘘をつき通している。それにくらべれば、たしかに歴史的な犠牲者でもあるユダヤ人たちが、国家、民族、または宗派への忠誠心から、自分の実際の記憶に他人からの伝聞などをまじえて誇大に物語ってしまうことは、むしろ自然の気持ちの発露なのかもしれないのだ。

 さて、このように、疑いをいだきはじめてみれば、これまでのすべての説明が矛盾だらけであることが、つぎつぎにわかってくる。以上の第1部では、殺人事件ではもっとも基本的な捜査の条件であるはずの「死体そのもの」、「死体の数」、「死体の身元」、「殺人の動機」、「凶器」、「殺害現場」などが、まるで不明確だという材料を列挙してみた。材料はおどろくほどおおい。つぎの第2部では最大の争点である「チクロンB」と「ガス室」の関係にせまる前提条件として、以上のあらすじの背景と細部を、さらにくわしく調べなおし、論じなおしてみたい。

 だが、そのほかの疑問をもふくめて、その真相の究明よりも以前に「発言の禁止」がでてくるところに、「ホロコースト」物語に特有の奇妙さがある。物語の背景には、いまなおつづく国際政治上の重大問題がひそんでいるからだ。


第2部:冷戦構造のはざまで
(27)[第2部の「はしがき」に当たる映画『ショア』批判]