現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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中国産冷凍餃子問題から見える世界
『派兵チェック』第184号(2008年2月15日発行)掲載
太田昌国


 中国産冷凍餃子問題に触発されて、私の周辺のいくつかの「食」の風景をスケッチしてみる。フードマイル(輸送距離)の短いものを優先するという考えから、地産地消の買い物をふだんは心がけているが、スーパーで見かけると、ついふらふらと買ってしまうものがある。

1個100円前後のアボガドである。 メキシコ、チリ、フィリピン産が目立つ。30数年前、ラテンアメリカに数年間暮らしていた当時、それは安くて栄養価が高い日常食だった。

目を瞑って、わさび醤油につけて食べるとトロの味がして、ご飯のおかずにもなった。食べ慣れたその習慣が身についていて、日本に暮らしていながらこんな亜熱帯の産品を食べるのか、という内心の戒めのこころが負けてしまうのだ。


 自分自身の日常生活は、農業からは縁遠い。条件的に仕方のないことだと思っている。そんな私にとっては、農文協が刊行している月刊『現代農業』誌は、人間を経済的な動物としか捉えない新自由主義的潮流と徹底的にたたかうことを編集方針としていて、農業の現状もよくわかり、得るところが多い。

何よりも、農業を通して「地域再生」をめざす各地の人びとの試みをいつも紹介していて、励まされる。

住まいの近所にも遠方の地にも、有機農業に携わっている友人・知人は少なからずいるから、この人間関係にも助けられて、また『現代農業』にも鼓舞されて、できるだけそこから求めるくらいの工夫はする。

都市と農村にそれぞれ住む者同士の関係のあり方を考えさせられる機会でもある。


 もちろん、近所の店で買うものもある。250グラムのもやし1袋は、私が日ごろ行く八百屋では平均価格39円で売っている。

原産地表示によれば、行きつけの店では多くは千葉産である。好きなもやしを買い物篭に入れるたびに、生産者、仲買い、小売商店は、この1袋が売れるたびに、それぞれいったいどれほどの収入を手にするのだろう、と想像する。

歩合のほどにもよるが、いずれにせよ、各地合わせて1,000袋ちかく売れてようやく万円単位の金額になる「商い」を、関係者の誰もがやっていることになる。

天候のよい・わるいに左右されることなく、堅牢な屋根の下で、機械によって規則的に製造される工業製品と違って、農作物は天候の如何によってその出来が大きく左右されることを考え合わせると、「うまい、安い」もやしが手に入る嬉しさは、いつも、いささかならず.、後ろめたさというか居心地の悪さと同居している。


 住まいから少し歩くと近郊農業が生き残っている地域なので、農家の庭先には農産物の無人スタンドがある。季節ものが、たいていは、1本・1個あるいは一山100円で売っている。

近くの小売店に比べると、新鮮であることは当然としても、いかにも安いが、仲買いも小売店も介在しない直売だから、これでも経済的には成り立つのかなと思えて、もやしを店で買うときほどの「罪悪感」は残らない。

それでも、懇意になった農家の人に聞くと、無人スタンドであることをいいことに、箱に金を入れずに野菜を持ち去る人、一円玉を入れていく人が、けっこう絶えないという。


 肉はあまり食べないが、魚はよく買う。週末になると、築地で仕入れた魚をトラックで売りに来る人がいる。切り身売りが主役のスーパーでも、一部コーナーでは鮮魚をまるごと、高くはない値段で売っていることがある。

遠い海からきたものはできるだけ避けるが、マグロなどの場合は、そうもいかないだろう。日本では、魚の自給率ですら今や57%なのだ。海外の水産市場を日本の商社が独占してきたことが、この数字を準備してきたのだが、しかし最近は日本のバイヤーが「買い負け」する場合が増えていると聞いた。

それだけに、今年の築地の初せりで、最高値のマグロを競り落としたのは、香港で料理屋を経営する中国人だったという新聞記事は、経済のグローバル化の現実とともに、中国と日本の「景気」の現況を如実に物語るものとして、印象的だった。


 外食では、ラーメンや餃子を食べることが多い。肉をほとんど使わない餃子が出回っていることは知っていた。

大豆かすなどの植物たんぱくを原料とするほうが、国産高品質の豚肉を使う場合に比して10倍以上も安いとなれば、効率を至上命題とする業者が利用しない理由はない。

いやなにおいを消すマスキング剤や香辛料、添加物が入っていれば、それなりの「おいしさ」が演出されることは、私たち自身がインスタントラーメンで経験してきている。業務用餃子の「おいしさ」もそうなのだろう。


 会議のあとで、みんなで居酒屋へよく行く。働いている人が、アジアから来ている移住労働者である風景は当たり前のことになった。

それだけではない。安い焼き鳥の多くが中国産とタイ産であることも知られるようになった。両国では04年に、高病原性インフルエンザ(鳥インフレエンザ)が発生し、国際ルールに基づいて両国からの鶏肉輸入は停止された。

だが、両国からの輸入量は全輸入量の7割を占めていたことから、関係業者への影響は大きく、政府は加熱処理を施した後の鶏肉輸入再開に踏み切ったのである。

ほかにも、居酒屋で供される刺身の盛り合わせが「加工食品」であったり、おしんこが「ぬか風味漬け」でしかないことも、業界関係者は告白している。「ぬか漬け」は実は「ぬか付け」でしかないと述懐する人もいる(生活クラブ生協『生活と自治』07年12月号)。



 こうして、私たちが自分自身の食生活をふりかえっていけば、「現代」を象徴するエピソードは際限がないほどに積み上げられていく。すべてを貫く本質を一言でいえば、新自由主義経済政策がもたらしたグローバリゼーションが全面的に開花している現実だといえよう。

それを批判的に捉える者自身をも巻き込むだけの実力がある、現代の経済的趨勢である。

中国産冷凍餃子が孕む問題も、この枠内にある。その意味では、農薬成分が混入された原因がいまだ解明されていない以上、いささか踏み込みすぎたきらいはあるが、佐藤優の分析「『資本論』から読み解く中国産餃子への薬物混入」(『週刊金曜日』08年2月8日号)は、簡潔に問題の本質に迫ろうとしている。

マルクスが『資本論』冒頭で展開する商品分析の「価値論」に着目し、「カネがすべて」の新自由主義原理の下では、価値(カネ)が得られるなら使用価値(商品の有用性)などどうでもいい、すなわち「他人のことなどどうでもいい」というモラルがはびこる、という。

また外交官としての佐藤の生活経験に基づいて、中国が「同胞」感覚を持てない対象国(もちろん、ソ連である)への輸出品目をことさらに粗悪に作っていた過去のエピソードに触れながら、日本の消費者を「同胞」とは思えないのかもしれない中国人労働者の感情に言い及んでいる。

問題の本質に迫ることなく「中国食品は危険」という情緒的キャンペーンに走る日本社会にも、いち早く「極端分子」の仕業を示唆した中国政府筋にも、情報操作のいかがわしさを感じて、警戒する。

佐藤の分析は、現状では、勇み足の部分もあるが、ここまで噴出した「食」の問題をグローバリゼーションという時代背景において批判的に捉えるべき方向性は示し得ている。

 
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