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1:週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』

ご愛読ありがとうございました。
2005年2月24日第76号にて完結・終了いたしました。

ホームページ上でご覧いただけます。
2008.1.16『まぐまぐ』版を再録いたしました。
(2003.3木村書店WEB公開版もあり『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』


世界最古最長の古代エジプト文明の「支配的な要素」をなしていたのは「ハム系の白色人種」ではない。暗黙の人種主義的偏見が歴史をねじ曲げた――

歴史は上質のミステリー。推理の楽しみをお届けします。
週刊:毎木曜日発行予定/購読無料


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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
(マガジンID:0000117236)

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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』

木村愛二著 1974年初版発行
(鷹書房 四六判 312頁)

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
《ハッキリといえば、彼らは、近代奴隷制・植民地主義帝国の御用学者にすぎない》
著者は、日本テレビ編成局勤続十余年の調査マン。
マスコミ界の虚実を味わいつくした感覚で、広い視野から古代史の真相にせまる。
 (刊行時の横帯から引用)


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初回は、このサンプルの端書きと凡例に、序章―1の全文を含むため、少々長めになります。2回目からは本文のみお届けします。

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 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

●紀元前5世紀、ヘロドトスは、エジプト人の肌色が黒く、髪の毛が縮れている、と記した。

●アフリカ大陸の奥深く、謎の古代遺跡が埋もれている。

●黒色人学者は、「アフリカ大陸こそ人類文明のゆりかごだ」、と主張する。

●女王ヒミコも、アフリカ系文化人か?

●果たして、謎を解く鍵は?(帯より引用)

◆はじめに◆ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

最近は、フィールド(現地)調査が隆盛である。わたしも、一度は、アフリカ大陸の古代遺跡を自分の眼でたしかめたいと願った。だが、事情が許さぬまに持病の腰痛が悪化して、当分は自宅療養の身を余儀なくされた。そこでわたしは、壁に大きなアフリカの地図をはり、入手できる本をくり返し読んでみた。

その結果、シロウトが現地にいっても、かえって現象にまどわされるのみである、と考えるにいたった。そして、謎の古代遺跡、謎の古記録、謎のコトバを追う、活字の森の探検を志した。この探検の果てに、わたしは、アフリカ大陸こそが、古代文明の母である、と確信するにいたった。また、古代エジプトは、その前進基地である、と考えるにいたった。

あまりにも多くの誤解、そして曲解につつまれてきたアフリカ大陸の歴史を、ともかく、わたしなりの解釈にもとづいて紹介したい。さらに、より正しい理解にむけて、ひろくアフリカ史、人類文化史の、論争の門戸が開かれることを期待したい。そのためにも、わたしは諸先輩の学説に、さまざまな疑問をなげかけざるをえない。失礼の段は、先におわびしておきたい。

わたしは、また、とりたてて専門的な予備知識を持たない人々にも、一緒になって考えてもらいたいと願うので、繁雑にわたる諸学説の紹介は省いた。新刊書店、古書店、図書館で、だれでも手に取れる本を中心に考えた。そのために誤解している点があれば、御容赦いただきたい。

◆凡例◆ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

1.文中、敬称は省かせていただいた。引用・参考文献は、巻末に紹介した。

2.古代エジプト史の年代は、ヴェルクテールの『古代エジプト』によることとした。

3.わたしの文章中、ただ、「黒色人」とあるのは、ブラック・ピープルの意である。ブラック・パワー運動が、「ニグロ」を拒否していることと、また、わたしの人種分類の考え方とによる。

4.個有名詞のよみ方は、できるだけ慣用にしたがったが、引用文中のものは、そのままである。

5.引用文中の《 》内は、わたしの注記である。

6.混乱をさけるために、一般に西アジア、西南アジア、小アジア、アジア、メソポタミアなどと記されているものを、オリエントに統一した。ただし、引用文中のものは、そのままにしてある。

7.参考図表は、必要な範囲の省略、補正を加え、わたしが作成したものである。

8.写真は、『黒色人文化の先行性』『地中海のフェニキア人』『タッシリ遺跡』『ニジェールからナイルヘ』『アフリカの古代王国』『大日本百科辞典』『マルクス・エンゲルス全集』『埃及美術史』から、転写させていただいた。
(凡例の詳細 http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-01.html )

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┫  序章:疑惑の旅立ち  ┣
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序章の扉絵:ナルメルの化粧板
( http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-b.gif )

 原本では扉絵に右の方のみの写真映像を使ったが、不鮮明でもあり、本文「ナルメルの遠征」の項目で化粧板の両面の説明をしているので、その都合上も考えて、ディオプ著『黒色人国家と化』(Nations Negres et Culture)の図解(dessin)に差し換えた。写真映像は、多くのエジプト史関係書に掲載されている。

◆(序章-1)はじめの驚異◆ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

 アフリカ大陸の歴史については、まず、学説のくいちがいの大きさに、おどろかざるをえない。

 もっとも大きなくいちがいは、古代エジプトの位置づけ方にはじまっているようだ。たとえば、ジャーナリストとして、アフリカ通の第一人者と言われるイギリス人のデヴィドソンは、つぎのように書いている。

 「王朝以前のエジプトから出土した約 800の頭蓋――ナイル下流からのもの――の分析の示すところでは、少なくともその3分の1はニグロ、あるいはわれわれの知っているニグロの祖先であった。そして、このことから、今日のアフリカ人の遠い祖先は、古代エジプトの文明を生み出した住民のうちで重要な、おそらくは支配的な要素だったという見解(それは言語の研究からも若干の裏づけが得られる)が支持されるもののようである」(『古代アフリカの発見』p.11)

 人種差別問題を考える上でも、世界最古、最長の、古代エジプト文明の、「支配的な要素」をなしていた人々が、黒色人であったかどうかは、大変に重要だ。それゆえ、アフロ・アメリカ人の思想家、デュボイスや、歴史家のウッドソンなどは、意外に早くから、この点に着目していた。彼らは、パン・アフリカニズムとよばれる黒色人自身の歴史再発見、民族的自覚再確認の運動を起していた。


(第1回配信は準備号に序章-1「はじめの驚異」の全文を加えたバージョンです。)

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