週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
まぐまぐメールマガジン再録版 Vol.1 2003.09.18

[20030918]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.1
木村書店Web公開シリーズ

 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

●紀元前5世紀、ヘロドトスは、エジプト人の肌色が黒く、髪の毛が縮れている、と記した。

●アフリカ大陸の奥深く、謎の古代遺跡が埋もれている。

●黒色人学者は、「アフリカ大陸こそ人類文明のゆりかごだ」、と主張する。

●女王ヒミコも、アフリカ系文化人か?

●果たして、謎を解く鍵は?(帯より引用)

◆はじめに◆

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最近は、フィールド(現地)調査が隆盛である。わたしも、一度は、アフリカ大陸の古代遺跡を自分の眼でたしかめたいと願った。だが、事情が許さぬまに持病の腰痛が悪化して、当分は自宅療養の身を余儀なくされた。そこでわたしは、壁に大きなアフリカの地図をはり、入手できる本をくり返し読んでみた。

その結果、シロウトが現地にいっても、かえって現象にまどわされるのみである、と考えるにいたった。そして、謎の古代遺跡、謎の古記録、謎のコトバを追う、活字の森の探検を志した。この探検の果てに、わたしは、アフリカ大陸こそが、古代文明の母である、と確信するにいたった。また、古代エジプトは、その前進基地である、と考えるにいたった。

あまりにも多くの誤解、そして曲解につつまれてきたアフリカ大陸の歴史を、ともかく、わたしなりの解釈にもとづいて紹介したい。さらに、より正しい理解にむけて、ひろくアフリカ史、人類文化史の、論争の門戸が開かれることを期待したい。そのためにも、わたしは諸先輩の学説に、さまざまな疑問をなげかけざるをえない。失礼の段は、先におわびしておきたい。

わたしは、また、とりたてて専門的な予備知識を持たない人々にも、一緒になって考えてもらいたいと願うので、繁雑にわたる諸学説の紹介は省いた。新刊書店、古書店、図書館で、だれでも手に取れる本を中心に考えた。そのために誤解している点があれば、御容赦いただきたい。

◆凡例◆

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1.文中、敬称は省かせていただいた。引用・参考文献は、巻末に紹介した。

2.古代エジプト史の年代は、ヴェルクテールの『古代エジプト』によることとした。

3.わたしの文章中、ただ、「黒色人」とあるのは、ブラック・ピープルの意である。ブラック・パワー運動が、「ニグロ」を拒否していることと、また、わたしの人種分類の考え方とによる。

4.個有名詞のよみ方は、できるだけ慣用にしたがったが、引用文中のものは、そのままである。

5.引用文中の《 》内は、わたしの注記である。

6.混乱をさけるために、一般に西アジア、西南アジア、小アジア、アジア、メソポタミアなどと記されているものを、オリエントに統一した。ただし、引用文中のものは、そのままにしてある。

7.参考図表は、必要な範囲の省略、補正を加え、わたしが作成したものである。

8.写真は、『黒色人文化の先行性』『地中海のフェニキア人』『タッシリ遺跡』『ニジェールからナイルヘ』『アフリカの古代王国』『大日本百科辞典』『マルクス・エンゲルス全集』『埃及美術史』から、転写させていただいた。
(凡例の詳細
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-01.html)

★οO◯Oo。・゜゜・★ 全体の構成 ★・゜゜・οO◯Oο。★

序章:疑惑の旅立ち
第一章:ホモ・サピエンス/第二章:ヤムのふるさと
第三章:さまよえる聖獣/第四章:鉄鍛治師のカースト
第五章:巨石文化の影/第六章:バントゥの王国
第七章:ナイル河谷/終章:王国の哲学/おわりに

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  序章:疑惑の旅立ち 

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序章の扉絵:ナルメルの化粧板
( http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-b.gif )

 原本では扉絵に右の方のみの写真映像を使ったが、不鮮明でもあり、本文「ナルメルの遠征」の項目で化粧板の両面の説明をしているので、その都合上も考えて、ディオプ著『黒色人国家と化』(Nations Negres et Culture)の図解(dessin)に差し換えた。写真映像は、多くのエジプト史関係書に掲載されている。

★οO◯Oo。・゜゜・★ 序章の構成 ★・゜゜・οO◯Oο。★
はじめの驚異/つぎなる疑問/ナルメルの遠征/
ネヘシの黒い霧/ケメトの住民/ファラオの人種壁画

◆(序章-1)はじめの驚異 ◆

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 アフリカ大陸の歴史については、まず、学説のくいちがいの大きさに、おどろかざるをえない。

 もっとも大きなくいちがいは、古代エジプトの位置づけ方にはじまっているようだ。たとえば、ジャーナリストとして、アフリカ通の第一人者と言われるイギリス人のデヴィドソンは、つぎのように書いている。

 「王朝以前のエジプトから出土した約 800の頭蓋――ナイル下流からのもの――の分析の示すところでは、少なくともその3分の1はニグロ、あるいはわれわれの知っているニグロの祖先であった。そして、このことから、今日のアフリカ人の遠い祖先は、古代エジプトの文明を生み出した住民のうちで重要な、おそらくは支配的な要素だったという見解(それは言語の研究からも若干の裏づけが得られる)が支持されるもののようである」(『古代アフリカの発見』p.11)

 人種差別問題を考える上でも、世界最古、最長の、古代エジプト文明の、「支配的な要素」をなしていた人々が、黒色人であったかどうかは、大変に重要だ。それゆえ、アフロ・アメリカ人の思想家、デュボイスや、歴史家のウッドソンなどは、意外に早くから、この点に着目していた。彼らは、パン・アフリカニズムとよばれる黒色人自身の歴史再発見、民族的自覚再確認の運動を起していた。

 黒色人歴史家たちが、古代エジプト黒色人説――かりにこう名づけておく――の重要な論拠のひとつとしたのは、ヘロドトス(前 484?~425)の『歴史』における証言である。

 「歴史の父」といわれるヘロドトスの時代には、人種も民族も一緒くたに考えられていた。彼は3ヶ所で、エジプト人の人種形質にかかわる証言をしている。しかし、そのいずれも、他のことを論ずるための証拠として書かれており、とりたてて、エジプト人の人種形質を論じた部分はない。彼らにとっては、エジプト人の特徴はあまりにも明らかなことであったのだろう。そして、3ヶ所とも、エジプト人は、「黒い」人種として描かれている。とくに、黒海の南東郡にいたコルキス人を、エジプトの遠征軍の残留部隊だ、と論じている部分では、「色が黒く、髪が縮れていること」を、同一人種・民族と考える上での重要な論拠にしている。

 ところが、へロドトスその他の古代人の著作については、百も承知のはずの、ヨーロッパ、アメリカなどの学者は、古代エジプト人を「ハム系の白色人種」だといいはっている。そして、古代エジプト文明はオリエントからつたわった、と主張している。

 フランス人のシュレ=カナールは、彼らが、「暗黙の人種主義的偏見から古代エジプト人をなにがなんでも〈白人化〉しようとした」、と指摘する。しかし、このシュレ=カナール自身も、北アフリカ、エジプトを白色人種の地方、「白アフリカ」とする慣行にしたがっている。まさに複雑怪奇である。

 黒色人の当事者にとっては、大変に重要な問題で、こうもくいちがいがあっては、大論争にならざるを得ないだろう。そして、事実、この問題は、長い間の論争の焦点になっていた。

 ところが、残念なことに、日本語で出版されている本には、この問題――かりに古代エジプト黒白論争とする――を真正面から取扱ったものがない。それどころか、日本の学者が書いた本では、黒色人、つまりアフリカ人やアフロ・アメリカ人の主張を、全くとり上げていない。

 また、アフリカ全体に、謎の古代遺跡が沢山あり、巨大な石造の城があったこと、ダム、水道、潅漑工事もなされていたこと、アフリカが金属産業の中心地だったこと、鉄をはじめとする鉱山跡が数十万ヶ所もあることなどは、ほとんど紹介されていない。もちろん、そんな状態だから、アフリカの黒色人文明の評価は、まことに不充分で、まちがいだらけである。

 とくに残念なのは、古代エジプト史と、アフリカ史とが、相変わらず、全く切りはなされて、取扱われていることである。これは従来のヨーロッパ系の学者の、あやまった姿勢を、そのまま受け入れていることに他ならない。そこで、シロウトながら、だんだんと病みつきになってきたわたしは、的をしぼって、2人の学者の、最近の研究にもとづく原著をとりよせてみた。

 1人は、フランスで博士号をとったセネガルの黒色人学者、ディオプ、もう一人は、フランスのアフリカ史学界の最高権威の1人、コルヌヴァンである。

 この2人の本にも、相当なくいちがいがある。共通するのは、エジプトを含めて、アフリカ大陸全体の歴史を考えていることと、エジプト文明を、アフリカ大陸の民族自身による創造、として位置づける点である。この2人の著作で学びえたことは、また、さらに驚異的であった。

次回配信は、序章-2「つぎなる疑問」です。

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