編集長の辛口時評 2006年5月分-2


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2006.05.31

ジャーナリスト最低評価の本多勝一と共同被告の朝日・毎日も最低

辛口時評060531
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/1046.html
ジャーナリスト最低評価の本多勝一と共同被告の朝日・毎日も最低

 本日から数えて7日、ちょうど一週間前に、本多勝一と朝日・毎日が共同被告の「百人斬り競争」訴訟で、東京高裁が原告の控訴を棄却した。

 以下は、朝日新聞の記事である。

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http://www.asahi.com/national/update/0524/TKY200605240390.html
「百人斬り競争」訴訟、二審も本社などが勝訴
2006年05月24日20時39分

 旧日本軍将校2人が中国で1937年、中国兵を日本刀で殺害した人数を競う「百人斬(ぎ)り競争」をしたとする当時の新聞報道や、後にこの問題を扱った書籍を巡り、2人の遺族が「うそを書かれ名誉を傷つけられた」などと訴えた訴訟の控訴審判決が24日、東京高裁であった。遺族は毎日新聞社、朝日新聞社などと本多勝一・元朝日新聞記者を相手に出版差し止めや計1200万円の損害賠償などを求めていたが、石川善則裁判長は請求をすべて棄却した一審・東京地裁判決を支持。遺族のした。遺族側は上告する方針。

 焦点は「何が真実かをめぐって論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現が、故人に対する遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害したか」だった。判決は、違法に侵害したと言える前提として「摘示された事実の重要な部分が全くの虚偽であることが必要」との基準を示した。そのうえで、それぞれの記述は全くの虚偽とは言えないと判断。遺族側の主張を退けた。
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 インターネット版のない印刷物の日経記事は短いが、最後に、「原告側は上告する方針」とある。

 最高裁での争いが続くのである。

 私は、この裁判の最初、傍聴にも報告会にも参加し、3分ビデオを作成した。しかし、先行きは、間違いなしに暗いと予測していた。

 簡単に言うと、原告の応援団が悪すぎる。「靖国の英霊」云々の右翼、元軍人、つくる会教科書の推進者たちである。

 被告の応援団は、本蛇蝎一の一味で、これまた、さらに悪い。しかし、朝日新聞、毎日新聞、週刊金曜日など、いわゆる「左」の方が、裁判所では強い。

 以下は、1998.4.15に入力を始めた憎まれ愚痴記事である。2万近いヒット数である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/honda-lie.html
 本多勝一「南京大虐殺」/百人斬りの大嘘
 ヒット数は、1998.4.15日以来で、19,974
この丸は「ガス室」裁判原告本人陳述書の関係部分抜粋。
忌まわしき過去の「ガセネタ」報道居直りの源流あり
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「百人斬り」事件を巡る騒動に関してのわが評価は、草野球の酔っぱらい観客の場外乱闘である。見るに耐えない醜態である。

 以下が、憎まれ愚痴の中の本多勝一に関する連載記事の総合リンクである。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/honda.html
本多勝一"噂の真相"の城
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 この状況下、4日前には、以下の「辛口時評」を発した。

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辛口時評060527
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html
ホロコーストと南京「大虐殺」はデマゴギーの双璧で化けの皮剥げ同時並行
 月刊『WiLL』2006年7月号に、東中野修道著『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』の書評、「今月この一冊」が二つ掲載されている。
 [後略]
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「百人斬り」は、南京事件の本体ではなくて、周辺事態のでっち上げ記事である。

 その本体の方が、国民党の極秘文書によって、戦争プロパガンダだったという事実が、証明されたのである。いわば、底が抜けたのである。

 過日、某所で、この状況を巡っての議論でがあり、本多勝一はジャーナリストして最低だとの評価がなされた。しかし、同時に、「百人斬り」事件の訴訟の共同被告の朝日新聞と毎日新聞も、最低だという議論に発展した。

 仕方ない。鼻がもげそうな腐臭を我慢して、かねてよりの計画の以下の仮題の本を出すか。材料は、経歴詐称、でっち上げ記事など、余るほどある。

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朝日新聞エセ紳士
本多勝一「噂の真相」体験記

┃関連リンク┃朝日新聞本多勝一"噂の真相"「南京大虐殺」/100人斬り大嘘


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2006.05.28

Web2.0:8年前のわがインターネット世界革命宣言が実現しつつある。

辛口時評060528
http://asyura2.com/0601/senkyo22/msg/566.html
Web2.0:8年前のわがインターネット世界革命宣言が実現しつつある。

 阿修羅掲示板で「Web2.0」という言葉が議論になった。キーワード検索をすると、以下の論評が出てきた。末尾に、8年前のわがインターネット世界革命宣言を添える。

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http://blogs.itmedia.co.jp/watahiroki/2006/05/web20_8b1c.html?enpura
2006年05月27日

団塊の世代がWeb2.0で国家の品格を守る

ベストセラーの「ウェブ進化論」と「国家の品格」をともに読んで共感している年配ビジネスマンも多いことと思います。
最新のWeb技術動向とそれを活用した次世代ビジネスのトレンドを完全には理解できないものの感心しながら学ぶ一方で、あくせくと欧米、特に米国がおしつけた理論や、もしかしたら最新技術に翻弄されて生きていることに対して、忘れかけた日本人としての心をとりもどすべきという、少し現実逃避的な共感を感じている2つの局面が同一人物に共存しているのではないでしょうか。

日本の高度成長をささえてきた団塊の世代はまさしく、その2つの局面で共感したり翻弄されている世代ではないでしょうか。日本的武士道&家族的精神で戦後の高度成長を引っ張ってきてきたか思うとバブルがはじけた後は米国流経営の波にもまれ待遇も二極化していき生き残りが厳しい状況になり、またインターネットの進歩の理解なくしてはビジネスを語れない時代になり、いっそう生き残っていくための学習や自分の変化をすすめていかなければいけない厳しい世代ではないでしょうか。

しかし、少し前向きに考えるとこの団塊の世代が国家の品格を回復させる、明るい日本の未来を築いていくのではないかと思います。

1)そもそも日本の古きよき武士道精神を理解している世代である。
2)加えて、様々な人生経験を踏まえた智恵が各個人に蓄積されている。
3)リタイヤすることにより、企業経営の理論に縛られること無い自由な意見やコミュニティ活動ができるようになる。
これらを、Web2.0の世界で
4)自らがCGMとして発信することで国家の品格を復活させるブームを起こすこととが可能となる。
5)団塊の世代がリタイヤして経済力が減衰していくのではなく、ロングテール、富の再配分のメカニズムにのっとって一様な大規模なビジネスモデルだけでない彼らの智恵を生かした多様化した小規模なビジネスが盛んになってくる。

つまり、団塊の世代のリタイヤはWeb2.0と結びつくことにより、国家の品格を復活させるブームやビジネスモデルが盛んになってくる、という考えです。

ちなみに、「国家の品格」は素晴らしい本ではありますが、面白いのは、「理論だけでは世界が破綻する」ことを理論的に証明しようとしているが、その証明しようとしている理論に偏見があり論理的でない決めつけのような書き方をしているところなど、なるほどと理論だけで証明してはいけないのだと思わされました。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/sengen.html
週刊『憎まれ愚痴』1998.3.10.
メディア批判:世界革命宣言

メディア批判と市民の情報発信は、今、決定的な重要課題である!

 この「メディア批判:木村愛二の『取って換わる国際情報基地』」の開設に至る直接的な事情については、「1」の「その1」の「はしがき」に記した。

 しかし、これは同時に、私の年来の大手メディア批判の戦いの延長線上に連続して切り開く、サイバー空間の新しい地平でもある。

 だが、だが、この情報基地の出城の高札でも注意したように、世間的には非常識で危険な情報を伝えるに当たって、私はまず、マーク・トウェインの晩年のエッセイ『人間とは何か』(中野好夫訳、岩波文庫)の一節「人間唯一の衝動」への注目を喚起する。

 そこでは、無神論者とキリスト教宣教師がともに、自分では「良心の衝動」に駆られたと思い込んで他人の思想を変え、その結果として他人を不幸にし、後悔の呵責に苦しむのである。結論は「みんな自己満足、自己陶酔の現われにすぎんのだよ」である。

「真実が靴の紐を結ばぬうちに、虚偽のニュースは世界を一周してしまう」(マーク・トウェイン)

 この至言を、私は、戦前に大阪で発行されていた『現代新聞批判』)の復刻版で発見した。掲載の日付は、1941年9月1日、いわゆる太平洋戦争勃発、または、アジア・太平洋戦争における対米開戦の三か月と一週間前である。

 これもまた、 マーク・トウェインの言葉とあるが、まだ、英語の引用句事典などには当たっていない。とかく有名な警句ほど、発言者の「伝説」であったという例が多いので、一応、出典は留保しておくが、無線電信の開幕期に、その将来を鋭く予測したものだとすれば、永遠の高い評価に値する。いままた、インターネット開幕期である。再び真剣に この至言に耳を傾けることが必要だろう。[注]

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[注]2003.08.05.追記:2003.5.17.原文発見を発信せり。

『亜空間通信』600号(2003/05/17)
【英米式腹話術掌人形テロリスト騙し受売り日本メディアと平和売人は匪賊知らずや】
[中略]
 ついに昨日(2003/05/16)、電網検索により原典を発見!
http://www.quotationspage.com/quotes/Mark_Twain
Mark Twain
A lie can travel halfway around the world while the truth is putting on its shoes.
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 日本ではもっぱら「トム・ソウヤー」「ハックルベリー・フイーン」の子供向け省略版で知られるマーク・トウェインは、辛辣なヨーロッパ見聞記をものしたことで一躍有名になった叩上げの新聞記者だったし、文明批評家ともいえる見識の持ち主だった。

 それから、優に一世紀、いわゆる「情報化社会」の下での、『意識産業』(エンツェンスベルガー)による意識の支配や、マスコミ業界の『第四の権力』(セルバン=シュレベール)化などが、こちらは叩き上げ不足の難解な言葉で議論され始めて久しいにもかかわらず、古来からのいわく、「敵もサル者、引っ掻く者」とか、この次の宣伝高札に記した拙作でも論じた如く、産学共同の見本、アカデミー業界苦心の「御用学者」産出の方も止まることなく、自称「反体制」の不勉強に付け込む似非「左」だの似非「市民派」だのまでが、そこここに徘徊し続けており、結果として、未だに大手メディアへの幻想は断ち切れず、反撃の主体の存在すら明確ではない。

あえて預言する

 そこで一番重要なことは、自分の頭で考えるという単純明快、しかし実は非常に難しい作業を、それぞれが権威に頼らず、個人に徹した上で行うことであり、そういう個人同士が互いに鍛えあうことのできる仲間作りである。

 個人の自立的思考を可能にするために不可欠な基礎的条件は、情報を入手し、選り分け、整理し、分析し、総合的判断を下す実務的能力である。

「預言者、邦に容れられず」とも言うが、あえて預言すれば、それぞれの市民が、以上のような作業をこなし、自らを鍛え上げ、何らかの問題について判断を下すことができるようになった時に初めて、情報洪水を覆っていた深い霧の中から、大手メディアの虚構の巨城の最大の弱点、搦手の透かし彫が、ほの見えてくる。

 詳論はいずれホームページでも公開するが、この「透かし彫」の構造の基本条件は、実に簡単なことなのである。一般市民は、ともすれば、いわゆるエリートを多数抱える巨大組織に圧倒されるが、その腐敗の構造は近年ますます明らかになっている。マスコミ産業の構造も似たり寄ったりなのである。

 結局のところ、それらの組織を構成する個人の資質が問われる。しかも、大手メディアの中でも一番もっともらしい顔をして「社説」などを掲げる新聞の記者個人は、実のところ、気の毒なほど孤独なのである。理由は簡単、競争心の強い、上昇志向型のエゴイストがほとんどだからである。足の引っ張り合いは日常茶飯事、仕事の協力関係は非常に薄い。しかも、毎日、毎日、僕らは鉄板の上で焼かれる。やんなっちゃうな! いやいや、日本の新聞は、毎日、朝刊、夕刊の2回なのだ!

 だから、薄味の表面的、一時的、扇情的な情報が巷に溢れるのである。一人一人の市民が、大手メディアの孤独な記者に対抗できるだけの情報を獲得し、それを分析できる力を付けた時、市民は、情報革命の担い手になり得るし、孤独な記者たちに成人教育をほどこし、仲間に迎え入れることができるようにもなるのである。

 本情報基地開設の基本的な目的を、以上の如く宣言する。

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┃関連リンク┃メディア批判


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2006.05.27

ホロコーストと南京「大虐殺」はデマゴギーの双璧で化けの皮剥げ同時並行

辛口時評060527
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html
ホロコーストと南京「大虐殺」はデマゴギーの双璧で化けの皮剥げ同時並行

 月刊『WiLL』2006年7月号に、東中野修道著『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』の書評、「今月この一冊」が二つ掲載されている。

 評者は、石井英夫(元・産経新聞論説委員)と堤堯(元・文芸春秋常務)である。

この本、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』は、2006年5月、草思社刊である。

 著者の東中野 修道には、「南京事件」に関して、数冊の著書があるが、今回の書評では、小林 進, 福永 慎次郎が共著者の『南京事件「証拠写真」を検証する』2005年1月、草思社刊の続編として評価されている。

 以下、そのレビューを、そのまま紹介する。

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『南京事件「証拠写真」を検証する』
レビュー
「南京事件」には「虐殺派」と呼ばれる人々がいる。旧日本軍が南京で殺戮、強姦、放火、略奪など悪虐非道の限りを尽くし30万人の中国人を虐殺した、という説をとるジャーナリストや学者である。

 一方に、東京裁判、中国共産党、大新聞の「大虐殺」説に疑問を抱く人々もいる。阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、2001年)は、その疑念を晴らすために、当時南京にいた日本軍人、外交官、ジャーナリストから直接証言を求めたものである。ジャーナリストの櫻井よしこは、同書に寄せた「推薦のことば」で「関係者の体験談を集めた第一級の資料」と評している。 ひるがえって『中国の旅』『ザ・レイプ・オブ・南京』などが証拠としている写真は、はたして「第一級の資料」であったかどうか。本書の著者、東中野修道たちのグループ「南京事件研究会写真研究分科会」が、平成14年春から3年間をかけて、虐殺派の書物に掲載されている写真を検証しようとしたのは、「大虐殺説」に納得できなかったからだった。

 著者たちが見た写真は3万枚を超える。この中から南京事件の証拠とされている約140枚を選び出し、撮影者、撮影場所と時期、キャプション、出所・提供者など写真の特性を洗い出しているが、科学的とさえいえる検証作業の結果、南京大虐殺の「証拠写真」として通用するものは1枚もないことがわかった。

 虐殺派が証拠とする写真の源流は『外人目撃中の日軍暴行』(編者は国民政府顧問ハロルド・ティンパーリ)と『日冦暴行実録』(国民政府軍事委員会政治部編)とされている。この2冊は1938年8月、国民政府が戦争プロパガンダ用に刊行したものだった。著者は「私たちは『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているが、写真は必ずしも第一級の歴史資料たりえないことを証明した意義は大きい。(伊藤延司)

出版社 / 著者からの内容紹介
「南京大虐殺」とは、昭和12年12月の南京戦のさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、略奪、放火が生じたとの主張だ。近年の研究によってその根拠は揺らいできた観があるが、先日、南京市にある「南京大虐殺記念館」をユネスコの世界文化遺産に登録申請しようという構想が報道されたように国際社会では史実として定着しつつある。これについては今日まで「大虐殺の証拠写真」として世に出た写真の果たした役割が小さくない。本書は東中野修道・亜細亜大学教授と南京事件研究会写真分科会がこうした写真143枚をとりあげ、3年がかりでその信頼度をはかった検証報告だ。いわゆる「証拠写真」の総括的検証がなされたのは初めてのこと。延べ3万枚を超える関連写真との比較検証・照合からわかったことは、これらの写真の半数近くが、南京戦の翌年に中国国民党中央宣伝部が戦争プロパガンダ用に作った2冊の宣伝本に掲載されたものだったことだ。しかもそのうちの数枚は『支邦事変画報』など、当時日本の写真雑誌に載った従軍カメラマン撮影の写真をそのまま使い、略奪や無差別爆撃、強制労働の写真であるかのようなキャプションに付け替えられていた。「日本兵」の軍服の細部や被写体の影の有無から合成あるいは演出写真と判明したものもある。さらに戦後、南京裁判に提出されたという16枚の写真については、写っている人物の身長と影の比率から、撮影時期を5月末か6月初めと特定。「大虐殺」発生時との矛盾が判明した。また16枚の画面サイズの計測によってフィルム本数を割り出し、写真提供者の証言との食い違いを明らかにしている。こうして著者たちは、あらゆる角度から検証を加えたうえで「証拠として通用する写真は1枚もなかった」との結論を導き出した。本書の公正な検証プロセスを読めば、この結論には誰もが頷かれることだろう。

内容(「BOOK」データベースより)
南京事件とは、昭和12(1937)年、南京で行われた日中の戦いのさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、強姦、略奪、放火が生じたとの主張であり、今ではこれが「南京大虐殺」という言葉で語られ、その証拠と称する残酷悲惨きわまりない写真が世界中に流布している。だが、それらの写真は、はたして真実を伝えるものなのか。本書は、東中野修道教授を中心とした南京事件研究会写真分科会が、「南京大虐殺」の証拠として使われている写真143枚を取りあげ、初めて総括的な検証を加えたものである。写真分科会は、そこに写された影の長さを計測して季節を特定し、関連刊行物との照合によって写真の初出をつきとめ、さらには近年公開された中国国民党中央宣伝部の極秘文書を援用して、国民党の戦争プロパガンダとこれらの写真との驚くべき関係を明らかにしてゆく。3年の歳月をかけた公正かつ画期的研究成果である。

内容(「MARC」データベースより)
南京事件研究会写真分科会が「南京大虐殺」の証拠として使われている写真143枚を総括的に検証。写真の初出をつきとめ、中国国民党中央宣伝部の極秘文書から、国民党の戦争プロパガンダとこれらの写真の関係を明らかにする。

著者について
東中野修道(ひがしなかの・しゅうどう)
1947年生まれ。鹿児島大学法文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。ハンブルグ大学客員研究員等を経て、現在、亜細亜大学教授。日本「南京」学会会長。主な著書に『東ドイツ社会主義体制の研究』『「南京虐殺」の徹底検証』など

小林 進
昭和21年生まれ。電気通信大学卒業。通信機メーカー勤務。南京事件研究会会員

福永 慎次郎
昭和20年生まれ。北海道大学卒業。鉄鋼メーカー勤務。南京事件研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』
レビュー
出版社/著者からの内容紹介
●戦争プロパガンダの視点から再検証
 本書は、16年にわたって、さまざまな角度から南京事件の検証をつづけてきた著者が、平成15年に台北の国民党党史館で発掘した党の極機密文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』に照らして、南京事件の根拠として多大な影響力を発揮した二つの史料、(一)南京陥落直後に「南京大虐殺」を報じた『シカゴ・デイリー・ニューズ』『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事、(二)陥落から半年後の昭和13年に英米で出版された書籍、H・ティンパーリ編『戦争とは何か』(英語版)に検証を加えたものです。『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、国民党の対敵宣伝戦を担って南京陥落の直前から活動を始めた党中央宣伝部国際宣伝処が、昭和13年から昭和16年までの三年半のあいだに、どのような工作を行ったかを総括した内部文書ですが、この新史料を得たことで、戦争プロパガンダという新たな視点から南京事件に光をあてることができたのです。

●新史料から何が判明したか
昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。
「南京大虐殺」の第一報をアメリカに発信した前述の二つの記事については、第五章で詳しく検証されていますが、極秘文書に照らしてみれば、中央宣伝部が取材に協力した記者のなかに、これらの記事を書いたスティールとダーディン両記者の名前が何度か出てくることが判明しました。また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、記事の描写は右にあげたベイツ教授が、「12月15日に南京を離れようとしていた特派員に利用してもらおうと準備して、新聞記者に渡した声明」の内容と酷似していることが突き止められました。

●真実の報道ではなく、宣伝工作の材料
 軍事面で劣勢だった蒋介石の国民党は、宣伝もまた勝敗を決する一つの要因であると考え、これを受けた中央宣伝部では「宣伝は作戦に優先する」を合言葉に、総力をあげて宣伝戦を展開していました。極秘文書からは、それがいかに巧みなものであったかがうかがえます(第一章~第三章)。特徴的なのは、宣伝工作にあたって、中央宣伝部は黒子に徹し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使って「わが抗戦宣伝と」していたことでした。このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダであったということです。『戦争とは何か』の内容説明を含めて、極秘文書のどこにも、「南京において日本軍の虐殺や殺人があった」とは出てきません。それは国民党自身、虐殺はなかったと認識していたことの証左であると著者は分析し、このことからも、二つの史料は事実を伝えるものではなく、日本を貶めるためになされた宣伝工作の材料と見なさざるを得ないと結論づぁています。地道な検証作業がもたらした画期的な研究成果であり、本書によって、南京事件の真相解明の道筋はいっそうはっきりと見えてきたと言えましょう。

内容(「BOOK」データベースより)
1937年12月、南京陥落直後、アメリカの大手新聞に「南京大虐殺物語」がトップ記事として掲載され、その7カ月後、南京の日本軍による暴行の目撃談をまとめた『戦争とは何か』がニューヨークとロンドンで出版される。これが源流となって、南京大虐殺は東京裁判へと引き継がれ、歴史的事実として語られることになった。だが、果たしてその内容は真実を伝えるものだったのか。台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作概要』をもとに、これを検証。数々の疑問点、矛盾点を衝き、これらの報道が、中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていく。南京大虐殺の根拠を突き崩す画期的研究成果。

内容(「MARC」データベースより)
南京大虐殺の源流は、虚報とプロパガンダ本だった! 台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘機密文書「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」をもとに南京事件を検証。南京大虐殺の根拠を突き崩す研究成果。

出版社からのコメント
1937年12月、南京陥落直後、アメリカの大手新聞に「南京大虐殺物語」がトップ記事として掲載され、その7カ月後、南京の日本軍による暴行の目撃談をまとめた『戦争とは何か』がニューヨークとロンドンで出版される。これが源流となって、南京大虐殺は東京裁判へと引き継がれ、歴史的事実として語られることになった。だが、果たしてその内容は真実を伝えるものだったのか。

台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作』をもとに、これを検証。数々の疑問点矛盾点を衝き、これらの報道が、中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていく。南京大虐殺の根拠を突き崩す画期的研究成果!(本書カバーより)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
東中野 修道
昭和22年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学法文学部、大阪大学大学院博士課程修了。西ワシントン大学客員教授、ハンブルク大学客員研究員を経て、亜細亜大学法学部教授(政治思想史、日本思想史)。文学博士。日本「南京」学会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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┃関連リンク┃南京大虐殺vsホロコースト神話「南京大虐殺」/100人斬り大嘘


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2006.05.24

新聞「特殊指定」維持には大いに議論の余地あり。

辛口時評060524
http://www.asyura2.com/0601/hihyo3/msg/134.html
新聞「特殊指定」維持には大いに議論の余地あり。

 世の中には、非常に重要なことが、意外にも、あまり深く議論されずに、現状維持が続く場合が多い。新聞の「特殊指定」も、その典型である。

 当該産業の労働組合では、新聞労連は、「多様な言論を守るため存続が必要」として維持を求める特別決議を採択した。

 新聞労連が加盟するマスコミ文化情報労組会議も、新聞の「特殊指定」維持を掲げている。

 しかし、言論の中央支配と、新聞の「特殊指定」の関係は、歴史的な経過をも吟味して、もっと深く議論しなければならない重要問題を孕んでいる。

 現在も続く三大紙の体制は、戦時の言論統制の手段の継続である。

 一九三八年(昭13)から始まる新聞統合の時期には、新聞用紙制限令によって一県一紙化を強制した国策以後、業界全体が急激に変化した。

 一九三七年当時、全国で一、四二二紙あったのが、内務省警保局の指導により、五五紙に統合された。いわゆる三大紙、朝日、毎日、読売は、「中央紙」として特別待遇され、地方紙を系列支配し、言論統制の先兵となった

 大手紙の系列支配は、戦後には、民放にまで及び、日本は、世界に冠たる言論の中央支配の国となっている。特に読売新聞は、内容はともあれ、発行部数では、世界一である。

 元・日本テレビ社員で、日本テレビへの「読売進駐軍」の支配に抵抗し、解雇反対闘争を16年半も戦った私は、読売新聞の支配に関して、以下の著書を発表している。

『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(筆名・征矢野仁、汐文社、1979年)
『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』(筆名・征矢野仁、鷹書房、1982年)
『読売新聞・歴史検証』(木村愛二、汐文社、1996年)

以下は、『読売新聞・歴史検証』の関係箇所の抜粋である。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-11-2.html
『読売新聞・歴史検証』
[中略]
口実はどうあれ、新聞統合政策は、だれの目にも明らかな言論統制の手段であったが、新聞用紙制限令の場合には、実際に、その証拠となる文書さえ発見されている。『現代史資料』(みすず書房)41巻所収の資料、「新聞指導方策について」は、内閣の専用罫紙にタイプされた高級官僚の提言である。そこで最善とされているのは、「新聞の営業部門を掣肘する方法」である。具体的には、「用紙供給権」を情報部が握ることであり、さらには、「新聞社収入の半額以上を賄う広告収入に容喙する」ことまでが提案されていた。日付は一九四〇年(昭15)二月、日米開戦の一年一〇か月前のことである。
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 このような歴史的経過に照らして見ると、新聞の「特殊指定」に関する意見は、以下のレイブドアのパブリック・ジャーナリスト(PJ)、小田光康の「オピニオン」が、大いにうなずける。

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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1962617/detail
PJオピニオン
新聞の「特殊指定」が言論の自由を滅ぼす
【PJニュース 05月15日】- 新聞紙面ではこのところ、新聞の「特殊指定」維持を訴える記事がはんらんしている。「特殊指定」という用語だけが一人歩きしている感もある。そもそも「特殊指定」とは何か、はたして「特殊指定」を維持することと、言論の自由を担保することに因果関係があるのか、貴族的な体質を持つ新聞業界に「特殊指定」される資質があるのか、後出しジャンケン的な「特殊指定」関連報道に問題はないのか、そして言論機関としての新聞社に政治権力からの独立はあるのか--などを考えていきたい。
 大雑把にいえば、新聞の「特殊指定」とは、差別価格販売や定価割引、新聞社が実際の販売部数以上を販売店に押し付ける、いわゆる「押し紙」を禁止するきまりを指す。これは大戦直後に、公正な競争を阻害するおそれがあるとして定められた。ここでみなさんに考えていただきたい。新聞を割引販売することが今現在、はたして公正な競争を阻害する要因となるのだろうか。逆に、定価販売を定めることで公正な競争を阻害していると考えられないだろうか。長期購読契約で割引があるとすれば、読者層を増やしたり、新聞社経営の安定化を図ることにつながるのではないか。
 新聞社側の「新聞は一般商品と同列に語られるべきではない」という主張の根拠はどこにあるのだろう。公共財、もしくは公共性について語ったものだと思われる。ただ、新聞の内容について、つまりジャーナリズムについては公共性の高いコンテンツであるとはいえるが、それを伝えるメディアとしての新聞が、イコール公共財とは絶対的にはいえないのである。特殊指定が撤廃されたからと言って、言論の自由を担うジャーナリズムのすべてが棄損されるわけではないのだ。テレビやラジオ、そしてネットなどメディアが多様化した現在、むしろ、新聞だけを特別扱いする理由はどこにあるのだろうか。「新聞イコールジャーナリズム」というレトリックに騙されてはいけない。
 これまでもお伝えしてきたが、新聞社の経営内容は極めて不透明だ。「情報開示」と「説明責任」を大々的に主張している新聞社が、自らに関してほおかむりすることは誰も納得できないだろう。特殊指定を主張する前に、コスト削減などの自助努力がなされているのか疑問を抱く。財務的基盤がしっかりしていれば、定価販売を定める特殊指定など必要ない。特殊指定が新聞社の放漫経営を助長させる道具になってはならない。そもそも、読者から新聞への絶対的な信頼・支持があることを新聞社が主張するならば、特殊指定など必要ないはずだ。
 先日、東京拘置所前で堀江貴文被告の保釈についてメディアの取材風景を取材した。駅から徒歩5分の場所に高級ハイヤーがずらりと並んでいた。新聞社を往復するには電車が一番速くて便利な場所にだ。都心にある新聞各社から電車で往復1000円とかからない場所に一日中、高級車を待機させておく体質に、市民感覚があるとはとうてい思えない。新聞メディアは残念ながら、市民社会に対峙する貴族的な権力に成り果ててしまったようだ。この一件を取り上げても、新聞業界が特殊指定される資質があるかは疑わしい。
 このところ、特殊指定撤廃を意図する公正取引委員会の竹島一彦委員長のインタビュー記事を目にする機会が多くなってきた。新聞業界はこれまで、いわゆる文化人や政治家を巻き込んで「特殊指定」撤廃反対の報道を繰り返してきた。その結果、本当のところはわからないが、新聞紙面では「特殊指定」撤廃反対があたかも世論になったように報じている。新聞は公取委の外堀を埋めるまで、公取委の主張を取り上げることはなかった。この後出しジャンケン的な報道の仕方には大きな問題がある、フェアでない。この一方的な報道の影響からか、新聞紙面では竹島委員長が孤立化してしまった感がある。
 5月15日付朝日新聞朝刊に「特殊指定」問題が大きく掲載されていた。そこで少々、気に掛かったことがある。「全政党が廃止反対表明」との大見出しである。特殊指定の問題については朝日新聞のみならず、撤廃反対を表明する新聞社すべてが当事者といえる。「独立不羈」や「客観報道」、「権力の監視」を掲げる新聞社が政党と結託する姿には、首をかしげざるを得ない。政治家にとって、この機会に新聞メディアに恩を売っておこうという魂胆がみえみえだ。このありさまでは、新聞の「特殊指定」が言論の自由を滅ぼすことにつながりかねない。【了】
[中略]
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 小田 光康【東京都】
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http://www.dhw.ac.jp/professor/oda.html
教員紹介|デジタルハリウッド大学
小田 光康
パブリック・ジャーナリスト
特定非営利活動法人「森の響」村長
早稲田大学兼任講師、明治大学兼任講師
(株)ライブドア 報道センター長補佐

[担当授業]メディア表現概論ゼミ
[プロフィール]
「1964年生まれ。米ジョージア州立大学経営大学院修了、東京大学大学院人文社会系研究科修了。専門はパブリック・ジャーナリズム論、ジャーナリスト教育論。米デロイト・トウシュ、共同通信社、ロイター通信社を経て、パブリック・ジャーナリスト。00年度から03年度まで、東大社会情報研究所newslab幹事、「情報メディア論」「ジャーナリズム演習(I)」などを担当。国内の会計基準問題の英文連載報道で98年、米ニューヨーク州公認会計士協会賞と米シルーリアン記者協会賞を受賞。著書に『スポーツ・ジャーナリストの世界』(出版文化社)、『論争 いま、ジャーナリスト教育』(東大出版会)、『実践ジャーナリスト養成講座』(平凡社)など。
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2006.05.20

ホロコースト盲信に関しては朝日新聞と同様のWiLL記事

辛口時評060520
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/112.html
ホロコースト盲信に関しては朝日新聞と同様のWiLL記事

 月刊『WiLL』2006年5月号の二つの記事に、ホロコースト盲信の不勉強を発見し、編集部にメールで注意することにした。

 第一は、屋山太郎「常識のためのサプリ」

「ヒトラーのやった犯罪は、ユダヤ人絶滅の意図を持って、市井で暮らしているユダヤ人を狩り出し、ガス室に送って何百万人も虐殺したのである」

 第二は、山際澄夫「小泉靖国参拝を批判した栗山尚一外務省顧問の卑屈」

「ユダヤ人六百万人を虐殺したホロコースト」

 因みに、この雑誌の編集長は、廃刊事件の当時の『マルコポーロ』編集長だった花田紀凱である。

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2006.05.16

イスラエル奴隷制人種差別国家創設の主犯はイギリス中心の国際金融資本

辛口時評060516
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/102.html
イスラエル奴隷制人種差別国家創設の主犯はイギリス中心の国際金融資本

 11年前に発表した拙著『アウシュヴィッツの争点』では、イスラエルとホロコースト問題に関して、以下のごとく、「国際金融資本の足かせ」の役割を指摘した。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-69.html
『アウシュヴィッツの争点』
終章:核心的真実
世界ユダヤ人評議会の「情報機関」としてのユダヤ人問題研究所
[中略]
 これだけの執念と実行力を持つ集団が、なぜ、もうひとつ志にたかい、人類全体の平和、平等、友愛の確立にむかわなかっただろうか。または、むかいえなかったのだろうか。憎しみをこえるのは、それほどにむずかしいことなのだろうか。それとも、国際金融資本の足かせが、それほどに重かったのであろか。問いかけたいことが、まさに山ほどある。
 [後略]
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 ところが、昨日、阿修羅ホロコースト掲示板に、以下のごとく、「実際の悪党」を、「イングランド銀行(the Bank of England)、米国連邦準備委員会、およびそれらに関連するカルテル(複数)を所有する支配的家族(複数)」だと指摘する投稿が出現した。以下は、その抜粋である。

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「ユダヤ」の陰謀は大英帝国主義である(ヘンリー・マコウ著:全訳)
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/928.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 5 月 15 日 07:55:31: SO0fHq1bYvRzo
[中略]
実際の悪党どもは我々の経済的・文化的な生活の中心にいる。彼らはイングランド銀行(the Bank of England)、米国連邦準備委員会、およびそれらに関連するカルテル(複数)を所有する支配的家族(複数)なのだ。その正体は秘密であるが、ロスチャイルドは間違いなくその中の一つだろう。イングランド銀行は1946年に「国有化」されたが、その貨幣を作り上げる権力はその同じ手の中にとどまった。
[中略]
1860年代にブリティッシュ・イスラエル主義運動がフリーメーソンの内部で起こった。その目的はトルコの一地方であるパレスチナにユダヤ・メーソン国家を築くことであった。・・・当初は、ロスチャイルドやモンテフィオレスのような英国のユダヤ・メーソンの家族が、予想される移民の波のためにインフラを建設する資金を提供した。しかしながら、ユダヤ人たちをイスラエルにおびき寄せることは困難であることが明らかになった。彼らは、単に、欧州人の生活を非常に好んでいたためにそれを捨てることが出来なかったのである。だから欧州がユダヤ人にとっての悪夢へと変えられなければならなかったのだ。
[後略]
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「国際金融資本」の中心には、ロスチャイルドなどのユダヤ資本がいる。ロスチャイルドは、セファルディム、本来のユダヤ人の系統である。

 彼らが「ユダヤ人たちをイスラエルにおびき寄せる」のに苦労して、ユダヤ教徒ではあるが、本来のユダヤ人ではないアシュケナジム、元・カザール(ハザル)を、いわば奴隷として徴用したのが、シオニズムである。

 その経過の概略を、14年前の拙著『湾岸報道に偽りあり』では、以下のように記した。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-60.html
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
補章:ストップ・ザ・「極右」イスラエル
[中略]
パレスチナへの移住の歴史的事実はどうだったのか
[中略]
ヨーロッパの中東への勢力拡張の動きの中で、「一八七八年にはドイツのテンプル騎士団をはじめとするキリスト教徒の入植、そしてユダヤ教徒の入植がはじまった」。
 数字も記録されている。パレスチナ地方では「一八八〇年代以後、三〇年間に人口が一・五倍に増加しているが、その一因にキリスト教徒とユダヤ教徒の入植があった。一九世紀なかばには、パレスチナ地方の人口はおよそ五〇万で、そのうち八〇%がイスラーム教徒、キリスト教徒が一一%、五~七%がユダヤ教徒であったが、一九二二年の宗教別人口では、ムスリムが七五%、キリスト教徒が一一%、ユダヤ教徒が一三%になっている。ユダヤ教徒の入植は一八八〇年代にはじまったが、第一次大戦直後までにヨーロッパおよびアラブ地域から九~一〇万人の入植があったと推定される」

 ここで注目すべき点は、「一八七八年には……キリスト教徒……ユダヤ教徒の入植がはじまった」という年代である。
[中略]
 「一八七八年のベルリン条約」によって、パレスチナ地方がフランスの管理下に入って以後、という意味なのである。

 以下、まず人口数に関する記述だけを追うと、「一九三〇年代にナチズムの追及を逃れるユダヤ人のパレスチナ流入が増加した。一九一九~三一年の移住者数が一三~一四万人であったのに対し、一九三二~三八年の移住者は一九~二〇万人となった」とある。確かにこの数字は第一次大戦以前の「九~一〇万人」よりは多い。だが、爆発的というほどではないのである。全体を通して見ると、一九七八年以降、着実に入植者が増大していった、と表現する方が実態に合っているのではないだろうか。

 内容的にいうと、さらにいくつかの疑問点がある。たとえば、「入植地はオスマン帝国政府・皇帝領や大所領から購入されたものが多い。しかしロスチャイルド家の資金援助にもかかわらず農村型入植は成功しなかった。アラブ人分益小作農・労働の使用による入植者の不在地主化の傾向に対し、一九〇九年、シオニスト機構の指導によりキブーツ方式が導入された」。つまり、ロスチャイルド資金で土地を獲得しながら、アラブ人に小作をさせる不心得者が出たのである。その数は記されていないが、少なくとも、軍隊の駐屯地型といわれたキブーツ方式で、しばりつける必要があったほどなのである。これが本当に「聖地」を守るための入植者のすることなのだろうか。

 また、「入植者は技術と資金の点でパレスチナ人に対し優位に立ち、工業・手工業の企業数でも三分の一をしめるようになった。しかし入植したユダヤ教徒の一部は定着できず海外に再流出している」

 このように、初期の入植はさまざまな問題を抱えていたわけであり、単純に数字を比較するだけでは、歴史の実像に迫ることはできない。一九世紀後半にはロシアでのポグロム(破壊)を逃れるために、「ユダヤ人」のヨーロッパ大陸からの海外流出が続いた。しかし、彼らが最も自然に「新天地」を求めたのは、新大陸のアメリカであった。現在も世界各国で最大、六百万以上のユダヤ系市民がアメリカにおり、彼らのほとんどはイスラエルへの移住を希望していない。これが、極右シオニストをいらだたせる厳然たる事実である。シオニスト機構の最初の「ホーム」案がウガンダだったということは、すでにのべたとおりである。ロスチャイルド資金なしに果たして、パレスチナに向かう流れを作り得たのであろうか、という疑問をなしとしないのである。
 [後略]
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 強制的な移住の問題は、8年前の拙訳『偽イスラエル政治神話』でも、以下のようになっている。

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-11.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:二〇世紀の諸神話
1節:シオニストによる反ナチズム運動の神話
[中略]
[パレスチナ移住を強制してユダヤ人をテロで殺害]

 一九四八年五月二日には、“難民”問題を担当するクラウスナー法師が、ユダヤ人アメリカ協議会に、つぎのような報告書を提出した。

《私は、彼らをパレスチナに行くよう強制すべきだと確信する。……彼らにとって、アメリカの1ドルは最上の目標である。“強制力”という言葉で、私は、一つの計画を提案する。……それはすでに役立っている。しかも、つい最近にもである。それはポーランドのユダヤ人の集団移動にも、歴史的な“出エジプト”にも役立ったのだ。……

 この計画を実現するためには、“難民”に便宜を図る代わりに、可能な限り不便な思いをさせなければならない。

 ……つぎの段階の手続きとしては、ユダヤ人をハガナ[ベン=グリオン指揮下のテロ部隊]に呼び出して痛め付け、出て行けがしに扱うことだ》(『イスラエルの値段』)

 このような誘導や、さらには強制の方法は、手を変え品を変え、様々に工夫された。

 一九四〇年一二年二五日には、“ハガナ”(司令官はベン=グリオン)のシオニスト指導者たちが、ヒトラーの脅迫を受けたユダヤ人を救出してモーリシャス島に運ぶというイギリスの決定に抗議し、イギリス当局に対しての憤激をかき立てるために、その輸送に当たるフランスの貨物船、パトリア号がハイファ港に停泊した際、ためらいもなく爆破し、その結果、乗組員のイギリス人と一緒にユダヤ人二五二人が死んだ(『ジューイッシュ・ニューズレター』58・12)。

 イェフーダ・バウアーは、彼の著書、『ユダヤ人は売られたのか?』の中で、このハガナによる“破壊活動”の真相を確認し、被害者の名前を記した。

 もう一つの実例を挙げると、たとえばイラクの場合、ユダヤ人の共同体(一九四八年の人口は一一万人)は、この国に根付いていた。イラクの大法師、ケドゥーリ・サッスンは、つぎのように断言する。

《ユダヤ人とアラブ人は、千年にわたって同じ法的権利と特権を享受してきた。お互いに、この国の中での別々の集団だなどと考えたことはなかった》

 ところが、一九五〇年になるとバグダッドで、イスラエルのテロリストの暗躍が始まった。イスラエルへの移住手続き書類への署名を面従腹背で逃れようとするイラクのユダヤ人に対して、イスラエルの秘密情報機関は、そういうユダヤ人に自分が危険な立場にいるということを納得させるために、ためらうことなく爆弾を投げ込んだ。……シェム・トヴのシナゴグへの攻撃の際には、三名の死者と一二名の負傷者が出た。これが、“アリ・ババ作戦”という別名が付けられた集団移住の始まりだった(『ハオラム・ハゼー』66・4・20&6・1、『イディオット・アハロノート』77・11・8)。

[反ユダヤ主義者が友人、反ユダヤ主義国は同盟国]

 こうした経過の背景にある教義の一つは、テオドール・ヘルツルが定義をすり替えて以来、綿々と続いてきたもので、ユダヤ人を宗教ではなく人種として分ける教義である。

 イスラエル国家の基本法(憲法ではない)の第4条では、“帰還規則”(一九五〇年度五七一〇号)を定めており、そこでのユダヤ人の定義は、《ユダヤ教徒の母親から生れたか改宗した者》(人種基準と信仰告白基準)である(クライン『ユダヤ人国家』)。

 これは、テオドール・ヘルツルが創設した教義の直系そのものである。彼は、この問題に固執しており、早くも一八九五年の『回想録』で、ドイツ人の相談相手、シュパイデルとの対話を記している。《私は反ユダヤ主義を理解する。われわれユダヤ人は、われわれの咎ではないにしても、様々な国家の中に異質の集団として残ってしまったのだ》

 この彼の『回想録』には、いくつかのさらに明瞭な記述がある。たとえば、こうである。

《反ユダヤ主義者は、われわれの最も確実な友人となり、反ユダヤ主義の国は、われわれの同盟国となるであろう》

 この両者の間には実際に共通の目標として、世界規模のゲットーへのユダヤ人の集中があった。眼前の実情が、テオドール・ヘルツルの理屈に材料を与えたのである。

 敬虔なユダヤ教徒は、多くのキリスト教徒と同じく、毎日のように、《来年はエルサレムで》と祈っている。彼らは、エルサレムを、ある限定された場所としてではなく、神と人間との契約、およびその契約を守る個人的な努力の象徴にしてきた。ところが“帰還”は、異国で生じた反ユダヤ主義の迫害の刺激によってしか、引き起こされないのである。
 [後略]

┃関連リンク┃ホロコースト神話検証