『湾岸報道に偽りあり』(28)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.3.1

第五章:イラク「悪魔化」宣伝の虚実 4

長期紛争の原因はイラン側の主体的条件

 サダムが一方的に宣言した停戦は実らなかった。

 イラン側は、「イランの領土が侵略軍により占拠されている限り、いかなる和平提案も受け入れない」という強硬姿勢の理由で、国連の和平提案を拒否した。停戦条件に関する思惑の違いもあったが、鳥井は、「イラン内部が分裂状態にあるため、最高指導者ホメイニ師が徹底抗戦を叫び、むしろ本戦争をテコに国内結束を固める方向」だったことに注目している。イラン側は、負けた形で終わることができなかったのである。

 さらに振り返れば発端から、「イスラム原理主義の輸出」を始めとして、「国内結束」のための対外強硬姿勢という要因がイラン側にあったといえよう。

 イランのこのような対外強硬姿勢は、「OPECの主導権争い」という形でも現われていた。鳥井は、一九八〇年六月のOPEC総会と九月の拡大閣僚会議の模様を要約している。イラクが当時の平均価格である基準油種三二ドルを提案したのに対して、イランは三五(プレミアム一・五)ドルの高値、サウジアラビアが二八ドルの安値を主張し、対立は解けなかった。しかも「イランは、サウジが石油減産に応じようとしないことに激しい非難を加え、『ホルムズ海峡を封鎖してでも生産管理させてみせる』とさえ言明したという」。イラン海軍は圧倒的に優勢であるから、この威圧は現実的である。その結果、「湾岸産油国は数回にわたって秘密会議を開き、もしイラクがイラン侵攻を開始する場合には、経済的・政治的・精神的な支援を与えることを約束したといわれる」。

「クウェイトでも、シーア派教徒による不穏な兆候があったので、政府は二〇〇人以上の集会を禁止した」という状況があり、鳥井はイラクによる「代理戦争」の要素を指摘する。だから、サダムがクウェイトに戦費負担を要求する根拠は十分にあったのだ。

 以上のような要約紹介では意を尽くすことは困難である。だが、事実経過を冷静かつ客観的に見れば見るほど、イラクを単に「侵略主義者」と決めつけるのは、一方的に思えてくる。逆に見なおすと、イランの対外強硬姿勢をのぞけば、イラク側には戦争を求める主体的要因が見当たらないのである。イラクはその頃、自国の油田開発と産業の近代化に成功し、国家資金を蓄え、前途洋々の状態にあった。OPECでも主導権を発揮し続けており、石油の国際価格が安定していさえすれば、経済的な不安はなかったのである。


(29) OPEC結成以来のアメリカの対中東戦略