電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年8月

在日アラブ人記者発信毎日記事で広島を利用する極悪シオニスト戦法の極意と敗戦記念日を思う

送信日時 :2001年 8月 7日 火曜日 9:24 PM

件名 :[pmn 15760] 広島を利用する極悪シオニスト戦法の極意に思う敗戦記念日

 広島で慰霊祭が行われた昨日の早朝、在日のアラブ人記者から、下記の電子手紙が届きました。この方は、ガス室の嘘とその意味を深く理解していますが、仕事の支障になるといけないので、個人情報は秘匿します。

 送ってくれた記事は、一応、「平和を願う」立場の仕事の紹介ですが、「偽」イスラエルで以下のような放送が行われることは、実のところ、ガス室またはユダヤ人大量虐殺の神話の維持に寄与してしまうのです。このあたりが、かつての大日本帝国とは違う「多様性」の強みなのですが、この記事の紹介の後で、私の意見、表題の「広島を利用する極悪シオニスト戦法の極意」を述べます。

送信日時 : 2001年 8月 6日 月曜日 9:28 AM
件名 : Hello and regard

イスラエル: 被爆者の苦しみテレビで放映 

紛争停止願い

 ベルギー生まれでイスラエルに移住した映像カメラマンのエイタン・ヘレルさん(33)が、広島の被爆者を取材したドキュメンタリー番組が5日未明(日本時間)、イスラエルのテレビで放映される。パレスチナとの和平の糸口が見えない母国。「ヒロシマの声を紛争に明け暮れる母国に伝え、生かしたい」と、平和への願いを込めている。

 ヘレルさんがヒロシマとつながりを感じたのは97年、大江健三郎氏の「ヒロシマ・ノート」を読んだ時。大江氏がヒロシマを訪れたのは1963年夏。被爆者の多くが沈黙を守るという証言を読み、第二次大戦時、アウシュビッツの強制収容所で3年間過ごして生還した祖母と同じだと気付いた。過酷な体験をした人々には長い癒(いや)しの時間が必要だと感じたという。

 今年5月に広島を訪問、被爆者らの証言を収録した。ある男性は昨年まで、原爆のことで米国人を憎んでいたと言い、ヘレルさんのインタビューに「こうした憎悪と和解するまで50年以上かかった」と答えた。ヘレルさんには、イスラエル人とパレスチナ人との間で生み出され続ける憎悪と重なって聞こえた。

 ドキュメンタリーには、広島市の平和記念公園で母親が子どもたちと遊んでいる光景も収めた。子どものころ、学校で習ったキノコ雲の写真が現実に起きたこととはヘレルさんには思えなかったという。

「イスラエル人にとってヒロシマは実在しないに等しい抽象概念のようなもの。被爆者の苦しみと、今の広島の美しい街の映像を通して、平和の大切さが同胞に伝われば」とヘレルさんは願っている。【萱原健一】

[毎日新聞8月4日]( 2001-08-04-19:47 )

 拙訳『偽イスラエル政治神話』の中には、かなりの数の反体制派の意見が収められています。p.317.には、「エルサレムにあるヘブライ大学のイェシャヤワー・ライボヴィッツ教授の著書『イスラエルとユダヤ教』からの次のような引用があります。

「イスラエル国家は、軍隊を所有する国家ではなくて、国家を所有している軍隊である」

 大日本帝国の末期も、同じような状態でした。しかし、違うところは多々あるものの、最も決定的な違いは、日本がアメリカに逆らったのに対して、「偽」イスラエルはアメリカをしゃぶり尽くしていることです。『ショア』の監督ランズマンが作ってNHKが衛星放送で放映した「偽」イスラエルの国策映画『ツァハル』(軍隊の略語)は、その名の通りに、イスラエルの軍隊を主人公にしています。最新鋭の武器はアメリカ製です。

 細部にも呆れるほどの問題点がありますが、私が見て強く実感したのは、武器よりも思想的な意味での「戦法の極意」でした。歴史的なユダヤ人迫害はもとより、建国以後のアラブ諸国との戦いに関する軍人および民間人の意識の紹介を観ていると、『孫子』の兵法の中でも一番恐ろしい極意が、巧まずして体現されているのです。

 その極意とは、優れた将軍は兵を「死地」に置くということです。敵を倒さなければ必ず自分が死ぬとなれば、まさに命懸け、いわゆる火事場の馬鹿力も出ます。いわゆる「ホロコーストの嘘」を繰り返し繰り返し吹き込むことで、この恐るべき「国家を所有している軍隊」が維持されているのです。

 大日本帝国も「死中に活を見い出す」などと唱えていました。私が北京の町中の通学時の行進で、国民学校1年生の時から連日がなっていた「北支那派遣軍」の歌には、「一死を誓う御戦」という歌詞がありました。命を捧げることを美化する神話にはこと欠きませんでした。

 広島は今、国民皆兵役義務の「偽」イスラエルの少年少女の兵たちの「一死を誓う」教育に利用されているのです。あと8日で、あの、まるで意味が分からず、到底人間のものとは思えない奇妙な声を北京の国民学校の薄暗い講堂で聞いた衝撃の日の記念日を迎えます。あれから56年、しかし、神話の利用の複雑な進化を見抜く目を持ち、かつ、絶対非暴力の思想を磨かないと、いつまで経っても戦争はなくならないのです。


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